【パラレル劇場】貴族と町娘(3) 東金

【お題】音楽用語のお題(by 恋したくなるお題さま)/04. scherzando 《たわむれるように》

 国境の町を出て自国に入れば、しばらくはのどかな田園風景が続く。 辺境とはいえ隣国との主要な街道のため、路面は綺麗に整備されていた。 が、時折行き交う車輪に土が削られて顕わになった小石を踏んで、馬車はガタンと大きく揺れる。 忘れた頃に身体を揺さぶられて、はっと思考が途切れた。
「……なんだ?」
 視線を感じて隣を見やれば、にやにやと意味ありげな笑みを浮かべる親友の顔があった。
「いやー、なんや楽しそうやなと思うてな」
「……ただ揺られるだけの退屈な時間の何が楽しいんだ」
「せやかて口元が緩んでるよ?」
 小さく指差され、千秋は苦く顔をしかめる。 ぷっと吹き出した蓬生は、馬車の座席に深く凭れかかった。
「── 可愛い子やったなぁ」
「……そうか?」
「千秋、あのお嬢ちゃんのことが気に入ったんやろ?」
「はあっ !?」
 思わず腰を浮かしたせいで、馬車がグラッと揺れた。 その程度で横転してしまうほど貧相な造りではないと知ってのことか、蓬生は驚きもせずニヤニヤしたままだ。
「千秋は昔からそうや。 老若男女、才能を持つ者を見るとすぐに興味を持つ── あの子、きっちりレッスン受けさせたら、なかなかのヴァイオリニストに化けるかもしれへん」
 浮いた腰がぽすんと落ちた。
「…………そっちか」
 窓枠に肘をかけ、外を流れていく景色に目をやりながら溜息が漏れる。 脳裏に『かなで』と名乗ったヴァイオリン職人の孫娘のにこにこ笑った顔が見えたような気がした。
「そっち、って、他に何かあるん?」
「………………っ」
 問われて千秋は考え込んだ。 今、自分は何と比較して『そっち』と口にしたのだろう?
 答えられずにいると、まあどうにもできんこともあるしなぁ、と呟くのが聞こえて、千秋はもう一度溜息を吐くしかなかった。

*  *  *  *  *

 翌週の週末、千秋は再びヴァイオリン工房の扉の前に立っていた。
 手には一抱えもある花束。 西の国で品種改良された大輪の真紅の薔薇だ。 まだまだ希少なだけに、たった一本の薔薇の花が庶民が1ヶ月は楽に生活できるほどの高値で取り引きされている。 千秋の腕の中にあるものだけで、3年近く暮らしていける金額だ。 もちろん貴族である千秋にとっては微々たる額でしかなかったが。
 移動中に花が傷んでしまわないかと心配していたが、花弁が数枚落ちた程度で見た目にはまったく損傷はない。 鼻先を近づけると、甘く濃厚な香りが鼻腔を満たした。
 少し離れたところに立つ木の下で、乗ってきた愛馬がぶるると鼻を鳴らした。 仔馬の頃から馴らした賢い馬だから勝手に逃げるようなことはないが、一応木の枝に手綱をくくりつけてある。
 千秋は意を決して工房のドアを開けた。
「いらっしゃ── あら?」
 掃除中だったのか、ほうきを握る手を止めきょとんとした顔をしたかなで。 その奥で木の板を削っていた老人がちらりとこちらを一瞥して、まだ半年経っておりませんぞ、とぽつりと呟いた。
 貴族だろうが庶民だろうが客は等しく客なのだ、と言わんばかりの老人の言葉に苦笑しつつ、
「いや、今日は違う用件だ」
 かなでの前に立ち、持ってきた花束を差し出した。
「先日の食事の礼だ。 借りは作っておきたくないんでな」
 素直に『ありがとう』と言えないのは性分なのだから仕方ない。
 彼女は大きく見開いた目をぱちぱちと瞬いた後、千秋の顔と真っ赤な薔薇を交互に何度も見比べて急におろおろし始めた。
「えっ……あ、あの……その……ご、ごめんなさいっ!」
 かなでは勢いよくがばっと頭を下げる。 ぴくり、と千秋の頬が引きつった。
 ── この俺様からの贈り物を拒否するだと…?  素直にありがとうと言って受け取ればいいものを。
 自分こそ素直に言えないくせに、随分勝手な言い分である。
「貴族の方にあんな粗末なものをお出しして……後で考えたら本当に恥ずかしくて……『無礼者!』って怒られてもおかしくないのに、お礼をいただく資格なんて私には……」
 ほうきの柄をきゅっと抱き締めるようにして俯くかなで。 目尻に浮かんだ涙が今にも零れそうになっている。 彼女の『ごめんなさい』がただの拒否ではなかったことに、千秋はなぜかホッとした。
 確かに先日ここで食べた食事は粗末なものだった。 炒めたソーセージと野菜スープに貰い物のパン、たったそれだけ。 千秋の家で使っている下働きの者でももっといいものを食べている。
 だが程よくスパイスの効いたソーセージは彼女の手作りで焼き加減も抜群、しっかり煮込まれたスープは野菜の優しい甘みが滲み出していて、焼き立てのパンはふかふかして香ばしくて。 空腹だったからという理由だけでなく、本当に心から美味しいと思える食事だったのだ。 そうでなければ礼をしようなどと考えることなどないはず──
「── だったら処分しておけ」
「ええっ !?  捨てちゃうんですか !?」
「受け取れないというなら仕方ないだろう?  持ち帰ったところで途中で捨てるだけだ」
「そんなぁ…………捨てちゃうなんて、かわいそう」
「そう思うなら受け取ればいいだろう?」
 かなではしばし逡巡して、じゃあ、と腕を伸ばしてきた。 その腕にそっと花束を押し付ける。
 おっかなびっくりの様子で花束を抱えた彼女は、おずおずと真っ赤な花弁に顔を近づけた。 目を瞑って思い切り息を吸う。
「── ふわぁ〜、いい匂い……ありがとうございます!」
 満面の笑みを向けられて、千秋の胸がとくんと音を立てた。
「── 端からそうやって素直に受け取ってりゃいいものを
 何かを誤魔化すようにもごもごと口の中で呟いていると、かなでがきょろきょろと千秋の背後を気にし始めた。
「あの……もう一人の方は…?」
 今日も親友と一緒に来たと思ったのだろう。 小首を傾げながら訊いてくる。
「今日は俺一人だ── 馬の遠乗りを兼ねてな」
 兼ねるもなにも、花を渡すのが目的だというのに、またも口から出るのは素直じゃない言葉だ。 そもそも遠乗りでわざわざ国境を越えるなんて、いくらなんでも遠すぎるにも程がある。
「馬 !?  馬がいるんですか!」
 キラキラと目を輝かせたかなでは、抱えた花束を抱き潰しそうな勢いだ。
 ── 美しい花よりも馬の方に食いつくのか、この女は。
 さすがの千秋もそれを口に出すことはしなかったが、少々呆れたことは間違いない。
 だが──
「……見たいのか?」
「はいっ!」
 何気なく口にした言葉に、打てば響くような元気な返事が返ってきた。
「じゃあ……見せてやるよ」
 扉に手をかけ、外に出ようとすると、
「ああっ!  ちょっと待ってくださいっ!  お花、活けてきます!」
 ばたばたと慌ただしく奥に駆け込んでいくかなでの後ろ姿に思わず笑いを誘われた。 本当に屈託のない明るい娘だ。 普通は貴族を前にすると身分の差に委縮する者が多い。 そんなことに頓着しない大らかな性格なのか、それとも単に無知なだけなのか。
 視線を巡らせると作業の手を止めてこちらを見ている老人と目が合って、千秋は小さな咳払いをひとつ、工房の外へと出た。

*  *  *  *  *

「── わぁわぁわぁっ!  馬って大きいんですね!」
 黒に近いダークグレーの艶やかな毛並み。 ブラッシングを欠かさないたてがみや尻尾が美しく風になびく、千秋自慢の愛馬だ。 人間からすれば巨体とも言える身体を見上げるかなでが子供のようにはしゃいでいる。
「なんだ、馬を見るのは初めてなのか?」
「見たことはありますよ、北に少し行ったところにある大きな牧場に子供たちと一緒に遊びに行った時に。 でもこんなに近くで見るのは初めてです」
 かなでが馬の鼻面に手を伸ばす。 すると馬は何をされるのかと警戒したのか、少し後退った。
「あっ、ごめんね。 あの……撫でてもいいかな…?」
 かなでは申し訳なさそうな真剣な顔で馬に問いかける。
 馬はまるで彼女の言葉を吟味するかのようにじっと見つめた後、すっと首を下げて彼女に顔を寄せた。 彼女の指先がそっと馬の鼻筋に触れる。 それから手のひらでゆっくりと撫でた。
「わぁ……すべすべ。 ふふっ、可愛い」
 こうして愛馬を誉められるのは、自分まで一緒に誉められているような気がして嬉しいものだ。
「── 乗ってみるか?」
 千秋は馬の背に乗せられた美しい装飾が施された鞍をぽんと叩く。
「えっ、いいんですか!  ……あ、でも私、馬には乗ったことなくて……」
 ふ、と口の端を上げ、千秋は鐙に足をかけた。 ひらりと軽い身のこなしで馬に跨る。
「ほら、手を貸せ。 ここに足をかけろ」
 手を差し伸べながら、爪先でゆらゆら揺れる鐙を指し示す。
「あ、はい」
 掴んだかなでの腕は存外に細かった。 彼女の足が鐙に乗ったのを確認して、思い切り引っ張り上げる。
「きゃっ !?」
 横座りに座った彼女が小さな悲鳴を上げてしがみついてきた。
「きゃーっ、すごーい、高いー!」
 しがみついたまま下を見下ろしてはしゃいでいるかなで。 ふわりと微かな甘い香りがした。 さっき渡した薔薇の花の匂いが彼女に移ったのだろう。 耳元で響く声はうるさいと思えど、不思議と嫌な気はしない。
 だがこんなふうに他人と接した記憶のない千秋は戸惑っていた。 他人はおろか、血の繋がった家族ともじゃれるような戯れ方をしたことはない。 貴族にとって血の繋がりは、これまで積み上げてきた富と名声を引き継いでいくためのもの。 もちろん全ての貴族がそうとは限らないけれど。
「いいから少し落ち着け。 落馬しても知らないぜ」
「あっ、ご、ごめんなさいっ!」
 すっかりおとなしくなった彼女の腰にしっかりと腕を回し、もう片方の手で手綱を握る。 腹を軽く蹴ると、馬は軽快な蹄の音を鳴らしながらゆっくりと歩き始めた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 第3話でござる。
 どうなんでしょう、こういうの需要ありますか?
 書きながら気持ちが揺らいでまいりました(汗)

【2011/08/26 up】