【パラレル劇場】貴族と町娘(2)
【お題】音楽用語のお題(by 恋したくなるお題さま)/08:absolute 《完全無欠の》
楽しい音楽と子供たちのダンスが続く中、仲間に入れてと言わんばかりに鐘の音が荘厳に鳴り響いた。
近くの教会が鳴らす時報の鐘。
太陽が空の一番高い位置にある今は正午を知らせるものだ。
だが残念ながら鐘の音は仲間に入れてはもらえなかった。
「── はい、みんなー!
お家に帰ってお昼ご飯にしましょうねー」
演奏をやめた娘が子供たちに向かって呼びかける。
子供たちは元気に手を上げ、はーい!、と答え、それぞれの家の方へと蜘蛛の子を散らすように一斉に駆けていった。
何人かは広場に面した家のドアに勢いよく飛び込んでいく。
まるで学校のようだった。
ただし校舎などない、青空教室のようなものだ。
ただ今日は休日だけれど、普段もこんな光景がいつも見られるのだろうと確信できた。
正規の学校には通っていない子たちだということは、彼らの継ぎ接ぎだらけの服装を見れば一目瞭然だった。
広場の片隅に残っていた数人も、丁寧に楽器をしまったケースを大事そうに抱えながら一人二人と姿を消していく。
子供たちを見送った娘が広場に一人取り残された。
誰かに向けたわけでもなくにっこりと微笑んで、持っていたヴァイオリンを慈しむようにケースに収める。
彼女は子供たちにもそのように教えているのだろう。
さっき目にした子供たちの楽器の扱い方の丁寧さがそれを表していた。
と、裏口のひとつが開いて恰幅のいい女性が姿を現した。
「ああ、よかった。
まだいたね」
「どうかしたの、おばさん?」
小首を傾げた娘に、女性が布巾を被せたバスケットを差し出す。
ふわりと風にめくれ上がった布の下に見えたのは、こんがりとキツネ色に焼けたシンプルなパン。
「ほらこれ、持っていきな。
焼き立てだよ」
「わあっ、いい匂い!
いつもありがとう!」
娘は受け取ったバスケットに近づけた顔をぱあっと輝かせる。
「礼を言わなきゃいけないのはこっちのほうさ。
いつもうちの子の面倒見てくれてありがとうね」
「ううん、午前中くらいしか遊んであげられなくてごめんなさい」
「何言ってんの、大助かりだよ。
パン屋の朝は戦争だからね」
ふふっ、と二人は笑い合い、娘は片手にバスケット、もう片方の手にヴァイオリンのケースを提げて広場を去っていった。
「── そこのご婦人」
娘の後ろ姿を見送ってから裏口に戻ろうとした恰幅のいい女性──
会話から察するに、パン屋のおかみなのだろう──
を千秋が呼び止める。
「ん?
……あたしのことかい?」
振り返ったおかみはきょろきょろと辺りを見回し、千秋の姿を見つけると訝しげに眉をひそめた。
「ひとつ尋ねたいんだが」
警戒心剥き出しの視線を向けられているのもお構いなしにつかつかと歩み寄り、千秋はヴァイオリン工房の場所を訊いた。
* * * * *
ヴァイオリンの形の小さな木の看板の下にある古びたドアを押し開けると、木とにかわとニスの匂いが一気に押し寄せてきた。
踏み入れた狭い店内の壁一面に設えられた棚に整然と並んだ艶やかなヴァイオリン。
奥に見える釣り棚には制作途中のものがいくつかぶら下がっている。
作業台の上には今まさに木を削っていたという状態のまま道具が置かれ、雑然と木くずが散らばっていた。
だがそこに人の姿はない。
「── 誰かいないのか!」
恐らく生活スペースに繋がっていると思しき通路の方へ向かって声をかける。
と、奥からガタガタと慌てたような物音が聞こえ、はーい、と声がした。
間違いなくさっき広場でヴァイオリンを弾いていた娘の声だった。
それは当然のこと。
工房の場所を尋ねたパン屋のおかみに『今あたしと話してた子を追いかけてごらん、あの子の家が工房だから』と教えられてここに来たのだ。
「いらっしゃいませー」
娘がひょこっと顔を出した。
肩までの柔らかそうな髪がふわりと踊る。
一瞬戸惑った表情をしてからニコリと笑い、何をお求めですか?、と可愛らしく首を傾げた。
「ヴァイオリンが欲しい」
千秋はぶっすりと答えた。
何を、と聞かれて『ヴァイオリン工房に肉を買いに来る奴がいるのか?』と意地悪な屁理屈を思い浮かべてしまったからだ。
だがよく考えてみれば工房には弓もあるし、張り替え用の弦だけを買い求める者もいるだろう。
それに数は少ないがヴィオラとスタンドに立てられたチェロもある。
少々罰の悪い思いになって、千秋は思わず顔をしかめた。
「えと……そちらの中から選ばれますか?
それともオーダーメイドなさいますか?」
困惑気味の笑みを浮かべながら、娘が棚を指差した。
「……当然、オーダーメイドだ」
千秋は取り繕うように顎をつんと上げて言い放つ。
「か、かしこまりました…………えと、あのぅ」
不安げな声に視線を向けると、娘が祈るように胸元で手を握り締め、上目使いにこちらの様子を窺っていた。
「……なんだ?」
「あの……西の国の貴族の方、ですよね…?」
「ああ、そうだ」
身分というのは纏う衣装ですぐにわかる。
広場にいた子供たちが貧しい家に生まれたとすぐにわかるのと同じだ。
そしてここ東の国と西の国では文化の違いから服の形が多少異なる。
「……どこか他の工房さんとお間違えになってるんじゃ……?」
「いや、間違えてはいない。
ここの職人は腕がいいと聞いて、わざわざ来てやったんだ」
気を悪くするかと思いきや、娘はぱあっと顔を輝かせた。
さっき広場で受け取ったバスケットに顔を近づけ焼き立てのパンの香ばしい匂いを嗅いだ時と同じ、嬉しそうな笑みだ。
どうやら感情が素直に表情に出る娘らしい。
「あ、ありがとうございますっ!
おじいちゃーん!
お客様よーっ!」
がばっと勢いよく頭を下げた娘が通路の奥に駆け込んでいった。
時を置かず姿を現したのは、豊かな口ひげを蓄えた優しそうな老人だった。
* * * * *
物の価値というものは必ずしも値段に比例しない、という良い例だと千秋は思った。
何挺か試し弾きしたヴァイオリンはどれも好みの音色で、響きも深い。
国境を越えて腕の良さが伝わって来ているのも頷ける。
なのに無名に近いというのが不思議でならなかった。
これほど出来のいいヴァイオリンならもっと高額でも買うに値するし、宮廷音楽家御用達としても十分通用するだろう。
次に自分が手にするヴァイオリンに相応しいと思えた。
柔和そうでいてしっかりと職人気質の頑固者らしい老人が並べた木材からひとつを選び、細かいオーダーを決めていく。
小さくて寂れた工房のようだがちゃんと客はいるらしく、出来上がりは今作っているものを仕上げてからになるため半年先になるらしい。
「── あの」
注文をし終えたところで遠慮がちな声が聞こえてきた。
娘が柱に半分身を隠すようにしてこちらを見ている。
「お客さんたち、お昼ご飯は済まされました?」
この工房に来たのは正午少し過ぎ。
どこかで腹ごしらえしてから来ればよかったのだろうが、意図せず道案内を務めることになった娘を見失わないように追って来たのだ。
それからかれこれ1時間半ほど経っただろうか。
「いや……これからだが」
すると娘の顔に笑みが広がった。
「あの、よかったらうちで召し上がりませんか?
大したものはありませんけど」
「これ、無理を言うてはいかん。
うちでお出しできるようなものなど、かえってご迷惑じゃろう」
老人がやんわりと娘をたしなめる。
寂しげに顔を曇らせた娘は、
「でも、おじいちゃんの腕を誉めてくださったのが嬉しくて……何かお礼がしたいの。
貴族の方のお口に合うかはわからないけど、誰でもみんなお腹は空くんだもの。
お腹空いてる時は、何を食べても美味しいって言うじゃない?」
ひょいと肩をすくめ、娘はくすくすと笑った。
つくづくよく笑う娘だ。
「娘さん、気ぃ遣わんといてや。
この辺の名物料理を出す店の場所を教えてくれたらええよ」
「あ……そうですね……」
娘がしょんぼりと項垂れた。
何故だか心の中がざわざわと波立っていく。
「── いや、そちらがご迷惑でなければ頂こう」
「ち、千秋 !?」
単に庶民の食事というものに興味が湧いただけなのかもしれない。
だがどうしてだろう、嬉しそうに奥へ案内する娘の笑顔を見るとざわめいていた心がすうっと凪いでいく。
これまで信じて疑うことのなかった身分の差。
生まれた時から当たり前で、完全であり不変であると思っていた見えないけれど確実に存在する厚くて高い壁。
そこに小さな亀裂が走った瞬間だったと知るのは、千秋が引き返すことはおろか立ち止まることすらできなくなってからのことだった。
【プチあとがき】
なんかちょっとお題から外れてる気がしますが(汗)
まあ、かなでちゃんの笑顔に千秋さんがきゅんきゅんしちゃったってことで(笑)
【2011/08/22 up】