【パラレル劇場】貴族と町娘(1)
【お題】音楽用語のお題(by 恋したくなるお題さま)/10:soundscape 《音の風景》
「── 工房?」
ヴァイオリン工房に行ってみないか、という友人の誘いに、千秋は訝しげに眉をひそめて聞き返した。
「人から聞いた話なんやけどな、東の国に腕のいい職人がおるんやて」
「へぇ、それは興味深いな」
愛用のヴァイオリンの琥珀色の艶やかな表面を柔らかい布で拭い、丁寧にケースのくぼみに収めた千秋がニヤリと笑う。
いつだったか、新しいヴァイオリンが欲しい、と漏らしたのを聞いていた友人が情報を仕入れてきてくれたらしい。
ここは西の国の首都にある音楽学校。
主に貴族の子息・息女が通う、由緒正しき学び舎である。
国王の覚えもめでたい上級貴族を父に持つ千秋だが、父の威光だけでなく、傲慢とも言える態度とそれを許して余りある才能と恵まれた容姿のために、
学友はおろか教師たちからも一目置かれる存在だった。
現に今も教室の端に固まった女子生徒たちがこちらをちらちらと見ながら、何やらきゃあきゃあと騒いでいる。
「なんでも裏通りにあるちっこい店らしいわ」
友人・蓬生が上着の内ポケットから取り出した四つ折りにした紙を指に挟んで差し出してきた。
彼は下級貴族の一人息子。
身分は違えど妙に馬が合うため一緒に行動することが多い。
彼ら二人が並び立つさまは、まるで一幅の絵画のようだ、とうっとりした顔で賞賛する女性は数多である。
受け取った紙を開いてみると、簡単な地図が書いてあった。
「どないする?」
「そうだな……行ってみるか」
* * * * *
目指す街は東の国の地方都市。
西の国と国境を接している街だから、馬車を飛ばせば半日で到達できる距離だ。
到着してみれば、特に栄えているわけでも寂れているわけでもない、これといって特徴のないのどかな町だった。
ただ、町の規模の割に綺麗に整備された石畳の街路はそれなりに美しい。
水の豊かな土地なのか、石を組んで造った噴水のある広場のようなものが町のあちらこちらに見受けられた。
「── で、工房はどこにあるんだ?」
おそらく町のメインストリートであろう、幅の広い道の路肩に停めた馬車から降り、ぐるりと辺りを見回しながら千秋が言う。
「おかしいなぁ……たぶんここらへんで間違いないんやけど……」
蓬生は辺りを見回しては地図を睨み、地図を左右に回転させて見てからまた辺りを見回す、という行動を数回繰り返した後、
「……たぶん、あっちや」
彼が指差したのは、建物と建物の間に伸びる細い路地。
疑わしげな視線を向けてみるも、蓬生はそれには気づかず路地に入っていく。
路地を中ほどまで進むと、向こうから賑やかな人の声が聞こえてきた。
どうやら楽しそうにはしゃぐ子供たちの声だった。
それに混ざって聞こえてくるのはヴァイオリンの音色。
薄暗い路地を抜けた先は小ぢんまりした噴水広場になっていた。
裏通りにまで噴水を造るとは、この町の人間はどれだけ噴水が好きなんだ、と千秋の口から知らず呆れ混じりの溜息が漏れた。
『広場』といいながらもさほど広くもないその場所を何人もの子供たちが楽しそうに駆け回っている。
幾人かは小さな身体に合った分数ヴァイオリンを手に、ギコギコと耳障りな音を鳴らしていた。
聞こえていたのはこれか、と千秋は蓬生と顔を見合わせ苦笑した。
突如、きゃーっと悲鳴が上がった。
ヴァイオリンの弓を大きく振り回し始めた男の子から、女の子たちが逃げ出したのだ。
その時、
「── こら、弓は振り回すものじゃなくて、ヴァイオリンを弾くためのものでしょ」
いきなり現れた大人が振り回されていた弓の先を掴んで、男の子をやんわりとたしなめる。
大人、と言っても恐らく自分たちと同じ年頃──
可愛らしい顔立ちの娘だった。
いきなり現れたように見えたのは、彼女が子供たちの目線に合わせるようにしゃがみ込んでいたからのようだ。
にっこり笑った娘は、ふくれっ面の男の子の頭をぽんぽん、と優しく叩くと、持っていたヴァイオリンを構えた。
弦の上をすっと弓が走る。
音が鳴りだした途端、子供たちはぱあっと顔を輝かせ、彼女の周りに集まった。
自然と円になり、歌を歌いながらくるくると彼女の周りを回り始めた。
ヴァイオリンを持っていた子たちも楽器を置いて、次々と円の中に飛び込んでいく。
狭い広場に響くのは、初めて聞く曲だった。
この地方に伝わる民俗音楽のようなものなのだろう。
明るく素朴なメロディは彼女たちにとって生活に密着した音楽なのに違いない。
「── 工房の場所、あの子らに聞いてみよか?」
一歩踏み出した蓬生の腕を、千秋は緩く掴んで引き止めた。
「まあ待て。
他者の演奏を無理に止めるのはマナー違反だぜ──
それがどんなに稚拙なパフォーマンスでもな」
蓬生は千秋の顔を見て、思わず苦笑した。
『稚拙』と言っておきながら、その目はやけに輝いている。
まるで新しいおもちゃを目の前にした子供のような嬉しそうな顔だ。
娘の演奏は稚拙と言っては失礼なほど素晴らしいものだった。
恐らく自己流で演奏技術を習得したのだろう。
学校で教師たちから厳しく指導された『演奏するための演奏技術』ではなく、ただ音楽を楽しむための演奏技術であることは、そののびやかな音にそのまま表れている。
口には出さないが、二人揃って一抹の反省のような気持ちを抱いていたのは事実だった。
裏通りの噴水広場と子供たちの歌声とダンス、そして娘の奏でる音色がひとつの風景となって、成績に一喜一憂するギスギスした学校生活を送る二人の心をひどく穏やかにさせていった。
【プチあとがき】
なんかまた始めちゃった、てへっ♪
というわけで、パラレルです(笑)
設定はタイトル通り。
一応中世ヨーロッパ的な雰囲気で読んでいただけるとよろしいかと。
名前はカタカナにすると分かりづらいので、漢字そのままにしております。
10個のお題で書きますので、全10話の予定。
しばしお付き合いくださいませ。
【2011/08/18 up】