■【パラレル劇場】死神と人間(10)
【お題】死神と人間の、続かない恋の10題(by 追憶の苑さま)/10:それでもいつかは手を離さなくては
それからしばらくは東金にとって優しい時間が穏やかに流れていった。
学校が終われば即座に帰宅し、休日は一日中部屋に閉じこもるようになった末の息子を東金家の者たちは密かに心配していた。
季節柄風邪でも引いて体調を崩しているのかと思ったが、食事の席で見る彼は至って元気そうだった。
それどころかこれまでにない上機嫌で、それでいてどこか翳りのようなものが垣間見える。
家族の目には末っ子のやんちゃ坊主の顔がやけに大人びて映っていた。
* * * * *
教科書とノートを片付けて机から離れると、かなでがひょいと顔を上げた。
東金が今日出された宿題に取り組んでいる間、ソファに座って大人しく雑誌を眺めていた彼女。
ようやく構ってもらえるのが余程嬉しいのか、ひょこひょこ動く耳とぱたぱた揺れる尻尾が見えてきそうだ。
その様子に満足げな笑みを浮かべた東金は、彼女の隣に腰を下ろす。
肩を抱き寄せ、くすぐったそうに身を竦めた彼女の微笑みの形の唇を軽く啄ばんでから、膝の上で広げられたままの雑誌に目をやった。
誌面では可愛らしい格好のモデルがポーズを決めている。
もちろんこの女性向けファッション誌は、数日前に東金がかなでのために調達してきたものである。
「どうだ?
着てみたい服はあったのか?」
そこに可愛らしい少女がいれば、可愛らしい格好に飾ってみたいと思うのは当然だろう。
これがいい、と指差したものをすぐさま用意してやるつもりでいる。
そのための資金は十分持ち合わせているし、手段などどうにでもなる。
だが、かなでは寂しげに眉根を寄せ、首を小さく横に振った。
「でも、私は──」
彼女の反応は予想の範疇だった。
彼女の纏う黒いドレスは身につけているわけではなく身体の一部であり、死神には『服を着る』という概念はないらしい。
だが、それ以上は言わせない、とばかりに東金は不意打ちのキスで彼女の口を塞いだ。
「── 気合いで着てみせろ」
顔を覗き込みながらニヤリと笑うと、強張っていた彼女の顔がふと緩んだ。
「じゃあ……これ?」
そう言って細い指が示したのはピンク色の可愛らしいボレロ。
身頃の縁と袖口にファーがついていて、彼女の黒いミニドレスにもよく似合いそうだ。
「ああ、いいな」
誌面に小さく印字されたブランド名を確認し、アパレル関係の知人の伝手を頼って取り寄せるべく電話をかけようと立ち上がった時だった。
窓際に黒い姿が佇んでいた──
『先生』だ。
たった今まで穏やかだった空気が一気に重みを増す。
押し潰されそうなプレッシャーに思わず生唾を飲み込んだ。
背中にとすん、と軽い衝撃。
かなでが隠れるようにしてしがみついてきたのだ。
「……不法侵入は犯罪だぜ?」
にっ、と口の端を吊り上げる。
ただの虚勢でしかないのは自分でもわかっていた。
だが背中の感触が東金の心を奮い立たせる。
「……気は済んだか」
いかつい顔に険しさを顕わに放たれる怒り狂う嵐のようなプレッシャーに反して、『先生』の発した声は静かに凪いでいた。
それは東金へ向けられた言葉ではなく、後ろ──
背後から僅かに顔を覗かせているかなでへ向けたものである。
「……ご、ごめんなさい」
ぎゅっと背中を掴まれる。
『先生』が呆れたような溜息を吐いた。
「……人間の数日など、永き魂の輪廻からすれば瞬きする間にも満たぬ刹那──
今すぐ役目を果たすがいい。
今ならまだ間に合う」
「で、できませんっ!」
『先生』の眉間に僅かに皺が寄る。
それだけで一段と凄味が増した。
「お前が刈らぬなら、俺が刈るまで」
「!」
『先生』の手に黒い柄の美しい大鎌が現れるのと、前に躍り出たかなでが両手を広げて立ち塞がったのはほぼ同時だった。
カツン。
黒い柄の端を床に打ち付ける、軽いようで重たい音が響く。
東金は目の前に見えるふわふわの髪を見下ろしながら奥歯をギリと噛んだ。
動けないのだ。
柄で床を打ったのは、人間の動きを縛る術だったのだろう。
「……その人間の器の使用期限はとうに過ぎた。
後は朽ちていくのみ。
即刻魂を刈らねば、悪しきものへと堕ちる──
いいのか?」
かなでがふるふると頭を揺らす。
眼下で明るい色の髪が左右に揺れた。
「ならば、どうするつもりだ」
『先生』が動く。
黒が近付いてきたかと思えば首筋にひやりと冷たいものを感じた気がした。
気づけば大きく湾曲した巨大な刃が、前に立つかなでごと東金の首を囲んでいた。
いつの間にかかなでの手にも鎌が握られている。
師匠の振るう刃を弾き返そうとでも思ったのだろう。
悲しいかな抵抗は間に合わず、胸元で柄を握り締めるだけに終わってしまっていた。
「……忘れろ、と忠告しただろう」
忌々しいものを見下ろすような視線が東金に注がれていた。
そんなことを言われても──
心底気に入った女をそう簡単に忘れてたまるものか。
想いを込めて睨み返す。
すると『先生』が微かに瞠目し、困惑したように眉根を寄せた。
「……期限が、来ていない……?」
「え?」
訝しげな呟きに反応したのはかなでだった。
『先生』は彼女に咎めるような視線を向ける。
「……この人間に何をした」
「へ?
……いえ、何もしてませんけど……」
「現にこの器の期限は伸びて──
まさか『応急処置』をしたのか !?」
「…………はい?」
かなでの頭がこくんと横に傾いた。
「……稀に使用期限が来る前に器が損傷を受けることがある。
その時は器の口から我らの力を注ぎ込んでやることで損傷を回復し──」
「へぇ、そんなことができるんですかぁ」
「……つい最近、授業で教えたばかりだが」
「えっ、そうなんですか !?」
かくん、と項垂れた『先生』が大きく長い溜息を吐いた。
同時にふっと大鎌が消え失せる。
「……期限のある器から、魂を刈ることはできん」
「── あ……よかった」
心底安堵したようなかなでの声に東金は我に返った。
呼吸まで止まっていたのか、息苦しさに大きく喘ぎ、胸いっぱいに酸素を取り込む。
痛いほどのプレッシャーは消えているが、身体を縛る術は完全に解かれていないらしく、手足を動かすにも一苦労する状況だった。
すっと遠ざかるかなでの後ろ姿。
東金は咄嗟に彼女の細い腕を掴もうとしたが、無理矢理動かした手で掴めたのは彼女の持つ鎌の長い柄の端だった。
「どこへ行く気だ?」
「── 帰ります」
振り返った彼女は晴れやかな顔で笑っていた。
「……理を乱した者は罰せられなければいけないから。
だから、帰ります」
罰──
それは彼女の消滅を意味する。
「お前っ……わかってて俺を助けたのか !?」
「あなたを死なせたくなかったから」
「かなで……」
「でも実は……これからどうすればいいのかわからなくて困ってたんです」
えへ、と笑って肩を竦める。
今の状況には場違いなほど茶目っ気のある可愛らしい笑い方だった。
東金は鎌の柄を掴む手に力を込めた。
この手を放せば、もう彼女とは二度と会うことはできなくなる。
放してなるものか、と更に力を込めて握り締める。
彼女の意思ひとつで存在を消すことのできる鎌。
それを消さずにいるということは、彼女も離れがたく思ってくれているのだろうか。
「……『長生き』、してくださいね」
彼女がすっと鎌を引く。
相当な力で握り締めているにも関わらず、彼女は何気ない動きで東金の手から柄を引き抜いた。
ちり、と手のひらに鋭い痛みが走る。
ぶち、と何かがちぎれる音が聞こえた。
『先生』が軽く振った手で宙に波紋を生んだ。
「── かなで!」
波紋の中に入ろうとしたかなでがゆっくりと振り返る。
東金は彼女の目をしっかりと見つめ、
「今度俺の寿命が尽きる時は──
お前が俺の魂を刈りに来い。
約束を破ったら、針千本飲ませるからな」
「……指切り、してませんよ?」
くすり、と笑みを漏らしたかなでが小指を立てた右手を軽く振ってみせる。
「それでも、だ」
彼女の顔がくしゃりと歪んだ。
泣き顔を見せまいとしたのか、深々とお辞儀をして、顔を見せないまま波紋の中へ飛び込んでいった。
渋面のまま東金に一瞥すら寄越さず『先生』も姿を消すと、宙の波紋も跡形なく消えてしまった。
* * * * *
どれくらい立ち尽くしていただろうか。
『からっぽ』──
ふと頭に浮かんだのは、今の自分を表すのに一番相応しい言葉だ。
数日間に死ぬ予定だった自分は、彼女とキスしたおかげで寿命が延びたらしい。
そのせいで彼女を失うことになったのだから、全く意味のないことに思えた。
いっそあの時彼女に魂を刈られていたほうが──
自嘲の笑みが浮かぶと同時に身体の力が抜けてガクリと膝が折れた。
身体を支えるために床についた手、その指先に何かが触れた。
「……ん?」
それは黒いミニドレス姿の少女を模した可愛らしいマスコット人形だった。
思い出したように痛み始めた手のひらを見る。
小指の下にできた細い擦り傷に血が滲んでいた。
そういえば彼女の鎌の柄の端でこれが揺れていたっけ。
掴んだ柄を彼女が引き抜いた時、ちぎれ落ちたのだろう。
人形を掴んで顔を上げた。
たった数日のことなのに、この部屋にはまだ彼女の気配が残っている。
ソファの上に広げたままのファッション雑誌、お菓子の箱、そして窓辺に置いた鉢には彼女の肌のように真っ白な花弁のヒヤシンスが深い嘆きを叫ぶように美しく咲いていた。
【プチあとがき】
ごめん、超ごめん。
すんごい趣味に走った。
描写不足なのは承知してます。脳内補完よろしくです。
『嘆きを叫ぶヒヤシンス』は、名前の元になったヒュアキントスの神話から。
これにてお題終了です。
が、おまけ1本あります。
悲しいまま終わるわけないっしょ(笑)
【2010/12/23 up】