■【パラレル劇場】死神と人間(9)
【お題】死神と人間の、続かない恋の10題(by 追憶の苑さま)/09:触れ合うぬくもりの違い
翌日の東金は、授業の時間がこれほど長いものだと初めて痛感することになった。
仮病を使って学校を休むことも考えたのだが、やれ病院だ薬だと騒がれるのも面倒で、いつも通り家を出た。
不在の間誰かが自室に入ったとしても、自分以外の目には映らない彼女の姿は誰に見咎められることもない、というのは考えてみればありがたいことだ。
4時間目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
授業の緊張感が霧散して、楽しいランチタイムの到来に教室内がにわかに活気づく。
── やれやれ、ようやく半日か。
今の彼は早く自宅に戻りたくて仕方がないのである。
「── 今日は久しぶりに上機嫌やな」
声の聞こえた方向を見上げると、面白がっているような目で見下ろしている土岐の顔があった。
「……そう見えるか?」
「せやな……昨日までは『この世の終わり』みたいな顔してたわ」
「……本当に昨日終わる予定だったらしいがな」
「ん?」
土岐の訝しげな顔に、思わず自嘲の笑みが浮かぶ。
「何でもねえよ」
ガタン、と椅子を揺らして席を立ち、今の時間校内で最も混雑している場所であるカフェテリアへ向かう。
「── そういえば昨日、この近くで大きい事故があったんやってな」
並んで廊下を歩きながら、思い出したように土岐が呟いた。
ギクリ、と心臓が音を立てて縮んだ気がする。
「夜のニュースでやっとったんやけど、見んかった?」
ニュースを見るも何も事故の瞬間の現場にいたのだ。
そもそもあの事故は自分に死をもたらすために起きたもの──
完全な当事者なのである。
「── もしかすると、今日は葬式でお前と会っていたかもしれねえな」
自分の葬式では、やはり彼が友人代表の弔辞を述べるのだろうか、と考えれば可笑しくなった。
死に直面したはずなのに、なんと曖昧な恐怖なのだろう。
痛い思いをしなかったからなのか、それとも彼女と再会したからなのか。
くっ、と笑みがこぼれた。
「なんや、まさかうちの生徒が巻き込まれてたん?
突っ込まれた店が半壊、死者なしで運転手が軽い怪我、とか言うてたはずやけど」
思ったほどの被害が出ていなくてよかった、と思う反面、巻き添えを食った運転手と店の者には申し訳なくなってくる。
さっきから断続的に込み上げてくる笑いは治まりそうにない。
「── ああそうだ、蓬生。
放課後、車を出せ」
「ん?
ああ、ええけど……どこ行くん?」
「カンタレラを引き取りに行く」
「へ……?
昨日楽器屋行くて言うてへんかった?」
それ以上何も答えず、ニヤリ、と笑って足を速めた。
目前に迫ったカフェテリアからは楽しげな喧騒が聞こえていた。
* * * * *
放課後、土岐の運転する車で市街地へ向かった東金は、楽器店で修理の終わったヴァイオリンを受け取った後、3軒ほど店を回って帰宅した。
まずは書店。
自分が学校へ行っている間彼女が暇潰しできるよう、女性向けの雑誌を何冊か購入した。
今日のところは最近買った音楽雑誌しかなかったから。
次はパティスリー。
神戸には全国に、いや全世界にも自慢できる有名なスイーツ店が多くある。
どうやら彼女は人間界の甘味が好きなようだから、といくつか見繕った。
そして、パティスリーの隣にある花屋で見つけたのは、小さな植木鉢で誇らしげに咲く真っ白い花弁のヒヤシンス。
紫やピンク、いろんな色がある中で、白が一番彼女に相応しいと思えた。
不吉さを思わせる真っ黒な衣装より、抜けるように白い肌の方が印象的だったからだ。
明らかに女性へのプレゼントだと解る3点セットを用意した彼を土岐は物言いたげに見ていたが、そんな視線は一切無視。
荷物を手にさっさと車を降りて玄関へ。
振り返りながら広い敷地を門へ向けて走っていく車を見送って、悪いな、と呟いた。
彼女のことを話したところで、会わせてやることができないのだから仕方がないのだ。
運よく誰にも会わずに自室へ辿り着いた。
とはいえ普段から花束やら差し入れを山ほど持ち帰っているのだから、この程度の手荷物では誰に見られたところで気にされないのは確かだろうが。
かちゃり、とドアを開けた。
「── あ、お帰りなさい」
ぴょこん、とソファから立ち上がるかなで。
東金はほっと息を吐き出した。
彼女への贈り物を揃えつつ、帰ったらもう彼女の姿はないのではないかという不安が大きくなっていたからだ。
自分から姿を消すか、あるいはいかつい顔の教師にあちらの世界へと連れ戻されているか。
どちらにしてもありえない話ではない。
「……ただいま」
東金は抱えた荷物をテーブルに下ろすと、近付いてきたかなでを引き寄せて、腕の中へと囲い込んだ。
ひゃっ、と小さな悲鳴を上げた彼女がもぞもぞと落ち着きなく身じろぎする。
やがて大人しくなると、コートの背中をぎゅっと掴まれる感覚が生まれた。
なんとなく勝負に勝ったような気がして、東金は知らず口元を綻ばせた。
* * * * *
1日が暮れてベッドに潜り込む。
腕の中には抱き枕──
もちろんかなでの華奢な身体があった。
人間には不可欠な睡眠は、彼女には不要のもの。
眠る、という概念すらないらしい。
「── 昨夜は一晩中、何をしてたんだ?」
昨夜半ば強引に抱えて眠った彼女は、今朝目覚めた時にも腕の中にいた。
何をしていた、なんて聞くのも変な気もするが。
人間界の物質を自由自在に通り抜けられるのだから、夜中には腕から抜け出して朝方戻ってきていたのかもしれない。
いや、律義な彼女のことだ、一晩中じっと抱き締められていたに違いない。
そう考えるとなんだか可笑しい。
ふと、かなでの顔が曇った。
ほんの一瞬のことだったけれど、それは明らかに不安の表情だった。
だがすぐに笑顔を浮かべ、
「……ケーキ、美味しかったです。
お花も綺麗……ありがとうございました」
問いへの答えではなかったけれど、東金は問い返さなかった。
彼女が浮かべた不安は、自分が持つ不安と同じだろうから。
「ああ、お前が喜んでくれたなら用意した甲斐があったな」
華奢な身体をぎゅっと抱き締める。
抱き締める感覚はあるのに彼女の温度を感じることができない。
泣き出したくなるほどの切なさに襲われて、抱き締める腕に更に力を込めた。
【プチあとがき】
シリアスなシーンを書き続けていると、ほのぼのしたシーンが書けなくなるのか?
突っ込みどころは華麗にスルーでね♪
ヒヤシンスの花言葉:初恋、控えめな愛らしさ、悲しみを超えた愛 など。
【2010/12/19 up】