■【パラレル劇場】死神と人間(8)  東金

【お題】死神と人間の、続かない恋の10題(by 追憶の苑さま)/08:でも、あまり好きじゃない

 事故現場は徐々に騒然さを増していた。
 わらわらと集まってくる物見高い野次馬。 油が燃えるような臭いが鼻につくと思ったら、店にめり込んだトレーラーからどす黒い煙が薄く立ち昇っていた。 早く処理しなければ引火してしまう危険がありそうだ。
 ぼんやりとそんなことを考えていると、道路を斜めに塞ぐトレーラーのコンテナの向こうからサイレンが近付いてくるのが聞こえてきた。 闇に染まり始めた空が不吉に赤く点滅する。
 東金は宙に浮いたまま首に抱きついているかなでの細いウエストをいつしかきつく抱き締めていた。 たしなめるようにそっと肩を押されて、しぶしぶ腕を放してやる。
 ぐるりと辺りを見回すと背後の路肩にタクシーが1台停まっていて、運転手がハンドルに抱きつくようにして事故現場を眺めていた。 かなでの腕を掴んでタクシーに近付くと、運転手は残念そうな顔をしてドアを開けた。
「── 早く乗れ」
 戸惑っている彼女を促して、東金もタクシーに乗り込む。 自宅の場所を告げると、運転手がルームミラー越しに胡散臭そうな顔で無遠慮に東金の顔を眺め回していた。
「……おい、早く車を出せ」
「わ、わかりました」
 同じようにミラー越しに睨み付けると、運転手は怯えたように慌てて車を発進させ、名残惜しそうにUターンする。
 ミラーから送られる視線に苛立ちながら後ろを振り返ると、煙を吐くトレーラーがみるみる遠ざかっていった。 なんとなくほっとしながら前を向こうとして、ちんまりと俯いて座っているかなでに目が止まった。 今にも消えてしまいそうな儚げな様子だった。 なんとなく心がざわめいて、東金は膝の上で揃えられた彼女の手にそっと自分の手を重ねてみた。
 はっと顔を上げた彼女は、やはり泣きそうな表情だった。
 彼女の片手を掬い上げるようにして手のひらを合わせ、指を絡めながらぎゅっと握る。
 瞠目する彼女を安心させるように微笑んでやると、彼女は泣き笑いのような切ない笑顔になった。
 ── そういえば、こいつの姿は他の人間には見えていないんだったな。
 なるほど、運転手の視線の意味がようやく理解できた。 彼には自分ひとりしか見えていないのに、連れがいるような素振りをしていれば変な奴だと思われても仕方ないだろう。 事故現場でかなでを抱き締めていた自分の姿は、よほど滑稽に見えていたに違いない。
 苦笑を浮かべつつ、徐々に冷静さを取り戻してくると、別のあることに思い至った。
 人間の創造物に影響されない彼女。 分厚いコンクリートの壁すらすり抜けられるのに、今このタクシーに乗っているというのは?
 もしかすると律義な彼女は座った格好のまま自力で移動しているのかもしれない、と考えたら笑いが込み上げてきた。 可愛いことをしてくれるじゃないか。
 握った手に更に力を込めた。
 彼女は確実にここに存在している。 手のひらに感じる細い手の感触は紛れもなく現実のもの── 例え他の人間の目には見えていないとしても。
 ほんわりと温かくなってきた心に水を差すように、運転手が話しかけてきた。
「── お客さん、今の事故の瞬間、目撃しはったん?  いやぁ、巻き込まれんでよかったなぁ」
 やたらフレンドリーな言葉は今の東金にとっては氷水を浴びせられたように冷たく響いた。 握った彼女の手が強張るのを感じて、東金は無言のままミラーに映る運転手を睨みつけた。

*  *  *  *  *

 自宅に到着すると、東金は料金を支払ってタクシーを降りた。 かなでが気を利かせてくれたらしく、先に車の鉄のボディを擦り抜けて外に出ていてくれたおかげで、乗り込んだ時以上に運転手からの奇異な視線を浴びることはなかった。
「── 来いよ」
 所在なさげにふよふよと漂っていたかなでに声をかける。 戸惑う彼女に苦笑して、
「心配するな、俺の家だ」
 微かな安堵を顔に浮かべた彼女が宙をふわりと移動してくるのを確認してから両開きの重い玄関扉の片方を開けた。
 ── そうだった。
 思わず苦笑する。
 中に入れてやろうと扉を押さえたまま振り返りかけた時には、彼女は閉じられたままのもう一方の扉を擦り抜けていた。
「── おや、おかえりなさいませ、千秋坊ちゃん」
 海外の高級ホテルのロビーのような広いエントランスで声をかけてきたのは東金家の家政を取り仕切る使用人の一人だった。 東金の両親が結婚した頃に雇われた人物で、彼にとっては祖母のような存在である。
「……ただいま」
 エントランスから緩やかに弧を描いて2階に続く螺旋階段を上がりながら、
「── 茶を頼む」
「外はお寒かったでしょう?  ミルクティーにしましょうか」
「ああ、そうしてくれ」
 ふと足を止め、二人分な、と付け加えた。
 使用人は心得てますとばかりににっこりと頷いて、いそいそとキッチンの方へ向かっていく。 恐らく友人が── 土岐あたりが遊びに来るとでも思ったのだろう。
 一般家庭のリビング3つ分はある自室に入り、ほっと息を吐く。
 ── さて、彼女をここへ連れてきたはいいが、これからどうする?
 考えていると身体は勝手にいつもやり慣れた行動を起こしていた。
 荷物を置き、コートを脱ぐ。 制服も脱いでジーンズとセーターに着替えた。
 クロゼットの扉をパタンと閉めて振り返ると、部屋のドアの前でぼーっと立っているかなでと目が合った。 ひくり、とこめかみを震わせて、東金はつかつかと大股で彼女に近づく。 危険を察知したのか僅かに竦んだ華奢な身体をバフッと抱き締めた。
「……人の着替えを黙って眺めているとはいい趣味だな」
「えっ !?  しゅ、趣味……?  ……あ、人間は『服』を『着替える』んですよね。 はい、知ってますよ」
「……お前だって着替えるんだろう?  いつもその格好ってわけでもないだろうに」
 東金の腕の中から大きく頭を後ろに反らして見上げてくるかなでがきょとんとした顔で小首を傾げた。
「えと、私たちは人間と違って器はなくて……これも身体の一部なんですけど」
 そう言って闇色のスカートを摘まんでみせた。
………………ちっ、脱がせねえのか
 思わず漏れた呟きにかなでがますます不思議そうに首を傾げたその時、コツコツと扉がノックされた。
「── 坊ちゃん、お茶をお持ちしましたよ」
 廊下から声がして、東金は悔しそうに舌打ちした。

 ソファに並んで座り、いい香りの立ち昇るミルクティーを啜る。
 東金はたっぷりのミルクの仄かな甘みだけで十分。 かなではスプーン山盛り3杯を溶かしこんだ、考えただけで気分が悪くなりそうなものを嬉しそうにちびちびと飲んでいた。
 見ている方がほっこり幸せな気分になるような笑顔を眺めていると、ふと疑問が浮かんできた。 壁やら扉やらは擦り抜けることができるのに、どうして飲み食いできる?  初めて逢った時も何も知らず買い与えた缶入りしるこを美味しそうに飲んでいたではないか。
「……美味いか?」
「はい、とっても!」
 両手でカップを持った彼女は極上の笑みを浮かべた。
「時々お役目帰りの方から人間界のものをお土産にもらってたんですけど、どれもみんな美味しくて」
「土産……?」
「人間界で育った魂のかけらなんだからしっかり味わいなさい、って先生が言ってました」
 ── なるほど、そういう理屈か。
 植物だろうが動物だろうが、全て魂が宿っていて。 そこから作られた産物は魂の一部ということなのだろう。 器はない、と言っていたから彼女たちは魂だけの存在ということか。 それなら障害物を擦り抜けられるのも納得できる。 だが──
 見下ろすと隣にいる彼女はちゃんとソファに腰掛けているように見えた。
 東金は彼女の肩をそっと掴む。 ぴくり、と彼女が震える感触が手のひらに伝わってきた。
「お前……その格好、しんどいんじゃないのか?」
「……しんどい…?」
「だから、座ったような体勢のままじゃ辛いだろう?」
「座ってますけど?」
「……は?」
 しばし何かを考えるような素振りを見せた彼女は、あ、と小さな声を上げて、くすくすと笑い始めた。
「意識すれば、ちゃんと人間界のものにも触れるんですよ」
 ほら、と両手にしっかりと持ったカップを掲げてみせた。

 かちゃん、と陶器が触れ合う小さな音。 温かいミルクティーを飲み終えて、カップを置いた。
 ふぅ、と息を吐いたかなでの腰を唐突にさらって引き寄せた。 きゃっ、と可愛らしい悲鳴が上がる。 空気を孕んだ羽根のように重さを感じない身体を膝の上に抱え上げ、少々ボリューム不足な胸に顔を埋めるようにして抱き締めた。 しばらくするとかなでの腕がおずおずと東金の頭を抱えるように回された。
「── どうして俺を助けた?」
 くぐもった声に、かなでがぴくりと反応した。
「……そうしたかったから」
 今の体勢では、彼女がどんな表情をしているのか見ることはできない。 けれどたぶん、泣き笑いのような顔をしているだろうと想像できた。
「そんなに俺にキスしたかったのか?」
 笑いに揶揄を含めながら問いかける。 ぴたりと動きを止めたかなでが、少しの間をおいて落ち着きなくごそごそとし始めた。 拘束した腕に少し力を込めてやると、最後にはうーと唸りながら抱えた東金の頭の上に突っ伏してきた。
「── 最近、わからなくなってきたんです。 魂を刈るのは私に与えられたお役目だってわかってるんですけど…… 私が魂を刈ると、そこに悲しみが満ちるのが辛くて……」
 頭の天辺で彼女の口元がもごもごと動くのがくすぐったい。 けれどそのくすぐったさが妙に心地よい気がして、励まして先を促すようにゆっくりと彼女の背を撫でた。
「……お役目なのに……お役目を好きになれなくて……失うのは辛いことなんだって思うと──」
 震える背中をそっとそっと、静かに撫で続ける。
「── だから、ああしたんです。 そしたら止まってくれるかと思って」
 何のことだろう、と考えたら白い背中を上下していた手が止まっていた。 ああキスの話に戻ってきたのか、と思い当たって、クスリと笑みを漏らす。
「どうして俺が足を止めると思った?」
「え……あ……わ、私がされた時……頭の中が痺れたみたいになって動けなくなったから……」
「── いい判断だったな」
 頭の上で彼女が笑った気がした。
「それに……」
「ん?」
「……人間は、大切に想う相手に『キス』をするんだって聞いたから……」
「っ !?」
 東金はそっと彼女の身体を離して僅かにそっぽを向いたほんのり赤い顔を覗き込んだ。
「……先生から、か?」
 するとかなでは小さく首を振って、
「……学校の友達から」
 もしもあのいかつい顔の男が彼女に『キス』の話を大真面目に語って聞かせていたとしたら、今度会った時に指をさして笑ってやろうと思ったが── できれば二度とお目にかかりたくないものだ。
 はにかんだ彼女の頬を両手で包んで引き寄せて、可愛らしい唇を軽く啄ばむ。 真ん丸になった瞳に思わず吹き出した。
「── もっと痺れてさせてやるぜ?」
 もう一度唇を啄ばんで。
「── もう手放してはやれねえからな」
 ニヤリ、と笑って、何か言いかけた言葉ごと彼女の唇を塞いだ。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 東金さん暴走中〜。
 キス魔、抱き締め魔はデフォルトですから。
 いや、ごめん、ちょっと調子に乗りすぎた(汗)
 お題の意味は相手を想うが故の嘘、じゃないかと思うんだけど、あえて違う意味で(言い訳)
 さて、この後彼らはどうするのか !?

【2010/12/13 up】