■【パラレル劇場】死神と人間(5)  東金

【お題】死神と人間の、続かない恋の10題(by 追憶の苑さま)/05:向こう側の君

 あれから更に3日が過ぎたが── 指切りの約束はまだ果たされていなかった。

 いつ、どこから、どんな風に彼女は姿を現わすだろうか。 考えるだけで楽しくなった。
 ああ、あいつはどうも律義なところがあるようだから、玄関でチャイムを鳴らすことはないにしても窓をノックしてくるかもしれない。
 そんなことを思い付いて以降は窓辺で過ごすことが多くなった。
 外を眺めながら、病院の屋上での出来事を思い出す。
 彼女は突然のキスに酔ってしまったのか、ふらふらと千鳥足のようなおぼつかない足取りで宙の波紋に倒れ込んでいったのだ。
 ふと、ガラス窓に映り込む自分の顔に気づいて東金は驚いた。 身支度をする時に見る鏡の中の自分よりも数段柔らかい表情。 彼女の来訪を待ちわび、外を眺めては顔を緩ませているとは。
 ── 俺は恋する乙女か。
 初めて発見した意外な自分の一面に向けツッコミを入れる。
 ── 誰が『乙女』だ、誰が。
 苦笑しながらツッコミを上乗せした。
 ── かなで、早く俺に会いに来い。
 確かなのは、今ケルビーノに『恋とはどんなものかしら』と歌いかけられたなら、満足のいく答えをいくらでも語って聞かせてやれそうだということだった。

*  *  *  *  *

 結局、かなでは未だに姿を見せることはなかった。
 待つのは性に合わないという自覚のある東金は、当然の如く自ら動く。 向かったのは先日の病院の屋上。 他に心当たりがないのだから仕方がない。
 日が落ちていく時間帯、どんどん気温が下がっていく冬の屋上には当然ながら誰の姿もない。 前回と同じく東金はベンチに陣取り、膝の上で文庫本を開いた。
 吹き抜ける風が冷たい。 いつもより服を着こんできてよかった、と思いながら、辺りが薄暗くなってきた頃には読む振りをしていただけの本の内容に引き込まれてしまっていた。
 本への集中がふと途切れた時、活字を追うのにまだ不自由しない明るさがあるはずなのに、急激に眼前が闇に覆われた。
 ── やっと現れたか。
 視線を上げた東金の片方の眉が不快げにぴくりと吊り上がった。
「お前には用はないぜ」
 東金はすぃっと目を細めつつ言い放つ。
 目の前に立っていたのは闇黒の衣装に身を包んだ、いかつい顔の男だった。
「……『あれ』は他の者に預けた。 貴様がいくら待とうがここには来ぬ── さっさと失せろ」
 見下ろしてくる大柄な男は眉根をきつく寄せ、苦々しげに吐き捨てる。 東金は負けじと睨み上げながら、口元に不敵な笑みを浮かべた。
「可愛い生徒を『あれ』呼ばわりか?  やけに傲慢な教師だな。 そもそも俺とかなでが会うことはお前には関係ねえ。 お前の方こそとっとと失せろよ」
 男の顔に人を見下したような、憐みを含んだ笑みが浮かんだ。
「フッ……ごく稀に、貴様のように我らの姿を目にする者がいる。 だからこそ、人間界に我らのことが断片的にでも語り継がれてきたのだろう。 だが──」
 すっと笑みを消し、男は再び険しい表情になった。 ゆっくりと持ち上げた手に大鎌が現れる。 かなでが持っていた簡素なものとは違い、漆塗りのような艶のある黒い柄の中ほどまでが凝った銀細工に飾られた美しい鎌だった。 彼女のものよりも更に一回り大きな湾曲した刃が東金の喉元に突き付けられる。
 刃だけでなく、刺すようなプレッシャーが東金に圧し掛かっていた。 ぎりり、と噛み締めた奥歯が鳴った。
「── 脅しか?  そんなもん俺には効かないぜ。 お前らは寿命が来た人間の魂しか刈れないってことは承知済みだ」
 だが反撃は不発に終わった。 男は眉ひとつ動かすことなく、ただ冷たく東金を見下ろしたまま。
「……記憶を削り取ることなど造作もない── あれに免じて貴様に選ばせてやる。 自ら忘れるか、俺に記憶を消されるか──」
 ちっ、と口の中で舌打ちする。 彼女のことを忘れられるはずがない。 記憶を消されるなんて真っ平御免だ。
「── あれは類稀な能力を持っている。 いずれは良い刈り手になるだろう。 貴様如き人間に惑わされ、潰させるわけにはいかん──」
 独白のように呟いた男の顔が苦しげに歪んだ。 おそらく教師として愛弟子である彼女のことを気遣っているのだろうと解る苦悩の表情だった。
「……おい、『潰れる』ってのは具体的にどういうことだ」
「貴様がそれを知っても、どうすることもできん」
「いいから言え。 俺がどう動くかの判断材料にする」
 男の渋面がさらに渋さを増す。 しばし考えた後、重い口を開いた。
「── 必要以上に人間に関わった者は魂の循環者としての理を乱すとみなされ── 良くて幽閉、最悪の場合……滅される」
「滅される……消される、ということか?」
 男は返事をすることも、身体を動かすこともなかった。 だが沈黙は肯定に他ならない。
「── あれのことを思うなら……忘れてやることだ」
 ふいに男の身体が床へ沈み込んでいった。 これから彼は『仕事』を始めるのだろう。
「……かなでが…………消される……?」
 呆然と呟いた自分の声に東金は身を震わせた。
 住む世界は違えど、感情を持ち合わせ、学校に通って勉強している彼女は自分と何一つ変わらないと思っていた。 だが、その『住む世界が違う』というのが自分と彼女とを隔てる大きな壁だったのだ、と今更ながらに思い知らされ、激しく動揺している。
 頬に当たる寒風が、東金の心の中にまで冷たく吹き抜けていた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 折り返し地点までやってきました〜。
 衝撃の事実発覚(笑)
 意外といい先生だったという(笑)
 ケルビーノは『フィガロの結婚』の登場人物。
 『恋とはどんなものかしら』はコルダ2でおなじみかと。
 さあ、これからどうなるっ !?

【2010/12/08 up】