■【パラレル劇場】死神と人間(3)
【お題】死神と人間の、続かない恋の10題(by 追憶の苑さま)/03:恐ろしくないと笑う
あれから3日──
あの奇妙な出来事が現実のものだったのか、時間が経つにつれ曖昧になってくることに東金は焦燥感を覚えていた。
現実だったという証に彼女が残した赤い缶でも持って帰っていればよかったが、何故かそうはしなかった。
考え方によっては、あの出来事がただの白昼夢(既に日は落ちていたけれど)だったから手元に証拠が残っていないのだとも言える。
考えているうちますます曖昧になっていくと同時に、ますます鮮明になっていくのはぽやんとした雰囲気を持つ彼女が浮かべた寂しげな笑顔。
── 中途半端なままうだうだと考えているのは一番嫌いだ。
東金は一縷の可能性に賭け、行動を起こすことにした。
* * * * *
清潔感のある白い建物に囲まれた中庭。
花壇の中に緩やかなカーブを描く遊歩道が整備されている。
冬のこの時期、花は咲いてはいないが、白と紫の葉牡丹の落ち着いた色合いが花壇を美しく飾っていた。
ここは神戸市内で一番規模の大きい総合病院。
気候のいい頃ならこの中庭では患者がリハビリを兼ねて散歩したり、見舞い客と語らう姿が見られるのだろうが、冬の夕方にはそんな姿はどこにも見られなかった。
東金はそびえ立つ白い建物を見上げる。
自分でも不謹慎であることは重々解っていた。
彼女の仕事は人の臨終と共にある。
その機会が最も多い場所は病院しかないと思ったのだ。
だが待てよ、と彼は地面に視線を落とし、眉間に皺を刻んだ。
先日出会った彼女の仕事相手は犬だった。
もしも動物の魂専門だとしたら……それなら動物病院を見張ってみるか、と薄い苦笑を浮かべる。
再び建物を見上げた。
「── っ!」
茜色に焼けることなく夜の色に染まりかけた空が、水面に小石を投げいれたかのように丸く歪んだ。
そこからするりと滑り出た黒い姿。
── 違う、彼女じゃない。
肌が見えるのは首から上だけ、というまさしく黒ずくめの姿はどう見ても体格のいい男のものだ。
屋上に着地したのか、男の姿が建物に隠れた直後、空の歪みからもう一人が現れた。
その姿が誰であるかを認めた瞬間、東金は病院の建物へと駆け込んでいった。
誰もいない屋上の一画はさしずめ物干し台の林のようだった。
天気の良い昼間ならば入院患者の洗濯物が風になびいていたことだろう。
東金は休憩用のベンチに腰を下ろし、カバンから読みかけの文庫本を取り出して適当に開くと栞を挟んだページが勝手に開いた。
本に視線を落としながらも活字を読み進めることなく、周囲の気配を読み取ろうと感覚を研ぎ澄ます。
15分ほど経った頃、ふいに空気の肌触りが変わった気がした。
文庫本から目を上げると、黒い姿が2つ、植物の芽生えのようににゅっと床から生えてきた。
東金はゆっくりと首を回す。
読書に疲れた人が小休止して首の凝りをほぐしているようにしか見えないはず──
ただし視線は彼女の背へと据えたままだ。
ゆっくりと振り返った彼女が、信じられない、とばかりに瞠目した。
「── どうした」
男が低い声で問いかける。
体格のいい身体に纏う黒い衣装は長ランのようにも見えた。
膝下まである上着の深くスリットの入った裾が大して風もないのにふわりとなびく。
撫でつけた髪の一部がいかつい顔の前で触角のように揺れていた。
「あ、あのっ、今日はありがとうございましたっ!
そ、それでっ、も、もう少しこっちを見学してから帰ろうと思うんですけどっ」
わたわたする彼女の姿に思わず笑みが漏れそうになった。
男がこちらを見たのがわかったが、何事もなかったかのように再び膝の上の本へ視線を戻す。
「……いいだろう」
「あ、ありがとうございますっ!」
「ただし余計な真似はするな。
卒業試験に落ちるようなことになっても俺は知らんぞ」
「はいっ!」
実際に目にしたわけではないが、男は姿を消したらしい。
寒さとは別の肌を刺すようなピリピリした感覚がなくなったような気がした。
「── もう、どうしてここにいるんですか」
顔を上げると目の前に黒いミニドレスのかなでが困惑した表情で立っていた。
「お前に会いに来た」
「え」
彼女の柔らかそうな頬にほわんと朱が差した。
ニヤリと口の端を上げ、
「── と言ったらどうする?」
「……………もうっ!
からかわないでくださいっ!」
ぷっくりと頬を膨らませた彼女に、東金は声を上げて笑った。
「── で、さっきの男は?」
「あ、私の先生です。
先生をしながら現役でお役目もこなしてらっしゃるので、今日は見学させてもらったんです」
ベンチの隣に腰かけた彼女はニコニコしながら言うが、それはこの病院で誰かが臨終の時を迎えたということに他ならない。
うすら寒いものを感じないわけではないが、彼女と人の『死』が頭の中でまだ完全に結びついていないせいか、現実的な恐怖はなかった。
「はっ、てっきりお前は犬猫専門の死神だと思ってたぜ」
「違いますよぉ。
決められた地区の魂は全て等しくお役目の対象になるんです。
ただ、知性が発達すると共に器と魂の結びつきが強くなるから、切り離すのにちょっとコツがいるっていうか……
この間の小テストは犬でしたけど、卒業試験はちゃんと人間の魂を刈るんですよ」
生き生きと語る彼女の表情はくるくると変わっていく。
見ているだけで面白い。
「へぇ」
相槌と共に互いの声がぷつりと途切れ、ひょぉと冷たい風が吹き抜けていった。
「あのぉ……」
「ん?
なんだ?」
おずおずと上目遣いの視線を投げかけながら、彼女は不思議そうに小首を傾げる。
「……こんな話聞いて、怖くないんですか?」
「怖い?
何が?」
「人間は『死』を恐れるものなんでしょう?」
「一般的にはな。
だがどんな風に怖いかは、実際に死の淵に立ってみねえとわからん」
「近しい誰かが死ぬと『悲しい』んでしょう?」
「そうだな。
泣きわめいて、しばらく立ち直れねえヤツもいる」
他人事のように言う彼女の言葉と、自分が口にした『泣きわめいて』という言葉にどこかズレを感じた。
初めてかなでの姿を見た時、彼女は自分が魂を刈った犬を撫でながら泣いてはいなかったか?
「お前だって犬の魂を刈った時、悲しかったんだろう?」
「え?」
ぱちくりと大きな目が瞬いた。
「そ、それは……でも……器の使用期限が終わっただけで……」
「だがお前は犬に詫びながら泣いていた。
それが『悲しい』ってことだろうが」
彼女にとって『死』は器と魂を切り離す、ただの仕事。
なのに『悲しんでいた』ことに混乱してしまったのだろう。
ついにうーうーと唸りながら頭を抱えてしまった。
「あの……」
頭を抱えたまま、うるうるした瞳を向けてくる。
「ん?」
「……私のこと、恐ろしくありませんか……?」
東金は思わずぶはっと吹き出した。
「はははっ、お前のことが恐ろしいなら、この世の中全てが恐ろしいぜ」
見開いた大きな瞳から涙が一粒零れ落ち、光りながら風にさらわれていく光景がやけに美しく思えた。
【プチあとがき】
さて問題です、『先生』は誰でしょう?
──はい正解(笑)
触角のような前髪で二足のわらじ、といえばあの人しかいませんね。
あの制服を真っ黒に染めたと思ってください。
【2010/12/03 up】