■【パラレル劇場】死神と人間(2)
【お題】死神と人間の、続かない恋の10題(by 追憶の苑さま)/02:変わったひと
「── はふぅ〜、寒い日はやっぱりこれに限りますね♪」
渋い赤に和柄が入った缶の中身をちびりと舐めるようにして飲み、至極幸せそうに息を吐く少女。
不思議なことに、この寒さの中でも彼女の吐いた息は全く濁らない。
にこにこと嬉しそうに赤い缶を弄ぶ少女を、東金は呆れた眼差しで見下ろした。
* * * * *
「── そんな格好で寒くないのか?」
特に感情も籠っていない口調でそう尋ねると、少女の目に溜まっていた涙がぶわっと決壊した。
「ふえぇぇぇぇんっ」
幼児のような遠慮のない泣き声を上げ始めた彼女。
これだけ大きな声で泣かれては人を集めてしまいそうだ。
このままでは『こんな暗がりに女を連れ込んで何をしてるんだ』などとあらぬ疑いをかけられかねない。
東金は咄嗟に肩に置いていた手で彼女の後頭部を掴み、そのまま彼女の顔をぼふっと自分の胸に押し付けた。
「んぶっ」
「何が悲しくて泣いてるのかは知らねえが……まるでガキだな」
「んっ! むむっ!」
泣きじゃくりながらも抗議する余裕はあるらしい。
もっとも顔全体を塞がれているせいで何と言ったのかまでは聞き取れなかったが。
「いいからさっさと泣きやめ。
でないと話にもならねえ」
「んう〜っ」
再び堰を切ったように泣き始める少女。
どこの誰かも知らない、まったくの初対面の女が自分の胸で泣いているという今の状況が、東金の心を奇妙に波立たせ始めていた。
泣き声が治まり、すんすんと鼻をすする音だけになった頃、東金は彼女の腕を掴んで路地を抜けた。
少し歩いたところに小さな公園があるのを知っていたからだ。
辿り着いた公園は昼間ならば子供たちが賑やかに遊んでいるのだろうが、日の落ちた今は誰の姿もない。
申し訳程度の照明が灯された無人の公園はやたら物哀しく見えた。
公園の入り口に自動販売機を見つけてそこへ向かう。
さすがに身体が冷えてきたのでホットドリンクで暖を取ろうと考えたのだ。
俯いたまますっかりおとなしくなった少女は今更逃げ出すこともないだろう。
掴んでいた腕を放してやり、ポケットから財布を取り出し、自販機に小銭を投入する。
コーヒーの見本缶の下の赤く点灯したボタンを押そうとして、ふと手を止めた。
「お前はどれにする?
好きなのをえっ」
少女の方を振り返った東金は、続けようとした『選べ』という言葉を飲み込んで半歩ばかり後退った。
さっきまでえぐえぐと泣き続けていた彼女が、涙でぐちゃぐちゃになった顔の上についた大きな瞳をキラキラと輝かせていたからである。
『今泣いたカラスがもう笑った』という比喩をそのまま体現しているような変わり身の早さに思わずたじろいでしまったのだ。
「いいんですか?
ほんとにいいんですか?」
胸元でぎゅっと両手を握り締め、更に瞳を輝かせている。
「……ああ、いいぜ。
どれでも好きなのを選べよ」
「ありがとうございますっ!」
彼女が押したボタンの上の見本は『しるこ』と書かれた赤い缶だった。
温かい飲み物を手に公園内のベンチへと移動した東金は、おもむろに着ていたコートを脱いで少女へと差し出した。
「ほら、これでも羽織ってろ」
「え……?」
きょとんとした顔で小首を傾げる彼女が身に纏っているのは黒いベアトップのミニドレス。
惜しげもなく晒されたデコルテが目のやり場に困るだけでなく、無駄に露出した肌は見ているだけで寒々しい。
それならいっそ本当に寒いほうがまだマシだ。
「あ、えと……私、寒くありませんよ?
というか、人間界の気候は私には関係ありませんから」
── 今、彼女は何と言った?
「……『人間界』だと……?」
疑問が思わず口から滑り出た。
その瞬間、彼女はハッと慌てて口元を手で押さえる。
もう一方の手に力が籠り、赤い缶をぎゅっと握り締めた。
「……はっ、まるでお前自身『人間』じゃねえみたいな言い方だな」
ゆっくりと俯いた彼女はしばらくの沈黙の後、
「……あなたのおっしゃる通りです。
私は……『人間』ではありません」
ぽつり、と言葉を絞り出した。
「まさかその姿で自分は犬か猫だとか言い出すんじゃないだろうな。
冗談にしても笑えねえ」
笑えない、と言っておきながら乾いた笑いを漏らす東金を遮るように、彼女が『私は』と続けた。
「私は──
人間の皆さんが『死神』と呼ぶ存在なんです」
* * * * *
『人間』というものは──
いえ、人間界の全ての生き物は『肉体』という器の中に魂が入れられて初めて生命活動が行えるんです。
その『肉体』には形作られたその瞬間から『使用可能期間』が決められています。
どういう基準で決まるのかは、私も知りません。
使用可能期間が終わるということを、人間は『死』と呼びます。
私たちの役目は『死んだ』肉体から魂を切り離すこと。
切り離されないまま朽ちていく肉体に留まってしまった魂は他者へ害を成すものに変わっていきます。
人間が『悪霊』と呼んで恐れている存在です。
そんな悲しい存在を生み出さないため、私たちは魂を『刈る』んです。
刈られた魂は少し休んでから、新しい命として人間界に戻されます。
ずっとずっと昔から、それが繰り返されてきたんです。
── え?
私たちの世界の名前、ですか?
明確にはありませんけど……
『人間界』も人間の数が一番多いから便宜上そう呼んでるだけで、正式な名前ではないそうですから。
* * * * *
「── でもおかしいなぁ……私の姿は人間には見えないはずなのに」
ひとしきり語った後、彼女は訝しそうに首を傾げながらぼやくように呟いた。
直後はっと顔を上げ、訴えるような眼差しで東金の方を振り仰ぐ。
「あの、あの、今の話、内緒にしててくださいね!」
「言えるか、アホ」
そんなフィクションのファンタジー小説のような話を真面目にすれば、気でも狂ったかと心配されるのがオチだ。
となると今の話を真面目に語る彼女が狂っているのか、それとも半信半疑ながらも意外にすんなり受け入れている自分はやはり狂っているのか。
「うぅ、どうしよう……人間に見られたってバレたら先生に怒られちゃうかも……」
「は?
……先生?」
意外な言葉が出てきて東金は首を傾げた。
すると彼女は心外そうに眉をひそめて、
「あのー、人間の皆さんは私たちのことを誤解してらっしゃるみたいなので言っときますけど、私たちも皆さんとそれほど変わらない生活してるんですよ?
学校もあればお店もあって。
お役目だって魂を新しい肉体に入れたり魂を刈ったり……休んでいる魂のお世話をするお役目もありますし。
私は学校で魂を刈る勉強してるんですけど、今日は卒業試験の前の実技小テストだったんですから」
頬を膨らませ、拗ねた口調で反論してくる少女。
東金は思わず吹き出してしまった。
「ぷっ……ははっ、テストなんてあるのか?
確かに俺たちと変わらねえな。
で、さっき撫でていた犬が今日のお前の獲物だった、ってわけか」
「獲物って……まあ、そういうことですけど」
むぅ、と唇を尖らせながら、彼女は持っていた赤い缶のプルリングを引っ張った。
かぱっ、と小気味よい音が鳴る。
「── はふぅ〜、寒い日はやっぱりこれに限りますね♪」
すっかり冷めてしまったしるこを一口飲んだ彼女が満足そうに息を吐いた。
そのしぐさと物言いに思わず呆れ返る。
「お前……寒くない、とか言ってなかったか?」
「気分ですよ、気分。
人間界のことはちゃんと学校で習ってますから」
「……大丈夫なのか、その学校は」
「えっ、何か違ってますか !?」
「いや、間違っちゃいねえが……間違ってるといえば間違ってるだろ」
混乱してしまったのか、愛らしく小首を傾げた彼女がくすっと笑みを漏らす。
「変な人」
「なんだと?
人を変人扱いするな。
変と言えば、お前の方が余程変だろうに」
と彼女は唐突にベンチから立ち上がった。
視界の端で短いスカートの裾がふわりと揺れる。
機嫌を損ねたのかと思いきや、振り返った彼女は少し寂しそうな笑みを浮かべていた。
「おしるこ、ごちそうさまでした。
今日のことは、くれぐれも秘密ということでお願いしますね」
そう言って彼女は再び背を向ける。
腕をすっと動かしたかと思うと、彼女の向こう側の空間に波紋のような歪みが広がった。
「おい、ちょっと待て」
彼女が姿を消そうとしているのだと直感して、東金は思わず立ち上がって呼び止めた。
「俺は東金千秋。
お前の名は?」
肩越しに振り返った彼女はしばらく逡巡した後、
「……かなで、です」
「……気が抜けるほど普通の名前なんだな」
「もう……やっぱり変な人」
苦笑した彼女の唇が何かを紡いだが、声は聞こえなかった。
一歩前に出た彼女の身体は空間の波紋に吸い込まれていく。
黒ずくめの姿が完全に見えなくなると、波紋自体も一瞬にして消えてしまった。
すべてが常識ではありえない出来事の連続だった。
夢を見ていたのか。
さっき掴んだ細い腕の感触は、まだ生々しく手に残っている。
ベンチを振り返れば自分では絶対に買わないであろうしるこの赤い缶が寂しく置き去りにされていた。
誰もいない公園でぽつんと佇む東金の耳の奥で、最後に彼女が紡いだ『さようなら』という声が今になって何度も響いていた。
【プチあとがき】
いろいろと説明不足なところが山ほどあるんですが……
まあ追々に、ということで。
世界観はBLEACHとかときめきトゥナイトとかに影響されてますね、完全に(笑)
【2010/12/02 up】