■拍手お礼連載パラレル劇場『社長と秘書』【21.二択クイズ】 東金

 間もなく昼休みが終わろうかという時間、昼食を少々食べすぎたせいか胃のむかつきを感じた土岐は、常備薬のひとつである漢方系の胃薬の小瓶を手に給湯室へ向かった。 そこには先客── 午後一番のお茶の準備をしている社長秘書の姿があった。
「── ご苦労さん」
「あ、支社長、お疲れさ── どうかなさったんですか !?」
 小瓶の蓋を開ける手元を、かなでが心配そうな顔で見つめている。
「大したことあらへん。 俺、少食やのに、今日は調子に乗って食べすぎてしもたんよ」
 ふふ、と自嘲の笑いを浮かべる土岐の目の前に、水の入ったコップがすかさず差し出された。
「お水、どうぞ。 お薬、早く効くといいですね」
「ありがとう」
 手のひらに出した錠剤を口に放り込む。 たちまち漢方の生薬臭さが口の中に広がった。 それを洗い流すように、受け取ったコップの水をゴクゴクと一気に飲み干した。
 空のコップを受け取ったかなでは、それをコトンとシンクに置くなり、はぁ、と切なげな溜息を吐いた。
「……どないしたん?  やけに憂い顔やね」
「え、あ……すみません。 その……やっぱりいろいろ悩んでしまって……」
「まあ、社内規則違反しとるんや、悩まん方がおかしいなぁ」
「え?  規則違反?」
 見れば彼女はきょとんとした顔で、大きな目をぱちくりさせている。
「……ノンキな子やね。 知っとうやろ、うちは『社内恋愛禁止』── 社長自ら率先して規則破っとるんやからな」
 困り顔で嘆息する土岐に向け、ぱたぱたと虚空を扇ぐように手を振りつつ、ぷるぷると小刻みに首を横にふるかなで。
「ま、まだ規則破ってませんからっ!」
「……は?  まだ、って……あんたら、くっついてしもたんやないん?」
 かなでは再び頭をふるふると激しく振った。 まるで濡れてしまった子犬が、身体の水気を跳ね飛ばそうとするしぐさのようだ、と土岐は思った。
「そ、その……お返事は、今月いっぱいまで猶予をいただいてるんです。 でも……どうして私なんだろう、とか、お返事した後どうなってしまうんだろう、とか考えてると……頭の中がグルグルしてきてしまって……」
 トレイの上にそっとティーカップを置いた彼女は、はぁ、と深い溜息ひとつ、しょんぼりと項垂れてしまった。
 ここ最近の東金の行動を見るに、完全にふたりの恋愛関係は成立したものだと思っていたのに。 社長室で抱き合う彼らの姿を何度目撃したことか。 だが、実状は当事者に聞いてみなければわからないもの── というわけでもないか、と土岐は苦笑した。
 東金はこうと決めたらとことん突き進み、それを楽しみながらも見事に成し遂げてしまうような男である。 『返事の猶予』という鎖にかなでを繋いだ彼は、いつものように勝手気ままにふるまいながら、その鎖を僅かずつ自分の方へ手繰り寄せ、彼女の反応を楽しんでいるに違いない。
 だが、気の毒なことに、罠にかかった無垢な子犬は、駆け引きを楽しむ余裕など持ち合わせておらず、真面目に真剣に頭を悩ませている── はて?  気の毒なのは罠にかけられた彼女なのか、それとも思いの外強敵な獲物を罠にかけてしまった彼の方なのだろうか?
「── なあ、小日向ちゃん」
「はい…?」
「千秋のこと、好きなん?」
「へっ !?」
 ストレートな問いに素っ頓狂な声を上げた彼女の顔が、みるみる赤く染まっていく。 擦れていない初心な反応に、思わず苦笑が込み上げてきた。
「── え、あ、あの……」
「せやったら──」
 真っ赤な顔でおろおろしている彼女を、土岐はふんわりと自分の両腕の中に収めてみた。
「どや?」
「えっ、あのっ、どやって言われても……」
「さて質問やで、正直に選んでや?  1番、俺を突き飛ばして逃げる。 2番、そのままじっとしておく。 さ、どっちや?」
「あ、あのっ……」
「言うたやろ、正直に答えてええんよ?」
 にっこりと微笑んでやると、彼女はぎゅっと縮ませた身体がさらに小さくなるように俯いて、
……すみません、1番……です
 蚊の鳴くような小さな声が返ってくる。
「ほんなら、俺やのうて千秋にこうされてるんやったら?  1番と2番、どっちを選ぶん?」
「あ……」
 悩み続けていた彼女は、どうやら明確な答えを見つけたらしい。

 その時。
「── おい、小日向!  今、神戸から俺の気に入りの茶葉が届いた。 午後はこれを淹れ──」
 近づいてきた声が、間近でぷつりと断ち切れた。
 小さな箱を手にした東金が、愕然とした表情で給湯室の入り口に立ち尽くしていた。 その顔にみるみる暗雲が立ち込め、仁王ですら尻尾を巻いて逃げそうなほどの恐ろしい怒りの表情が浮かび上がる。
「── 蓬生、お前……どういうつもりだ。 誰に許可を得て、小日向を抱きしめてやがる?」
 煮えたぎる怒りに冷たく言い放ち、手に持ったものを床に放り捨てる。 紙の箱がぱんっと軽い音を立てて転がった。
「ああ、ちょっとした確認や。 そのうち俺に感謝することになると思うわ」
 ちっ、と忌々しそうに舌打ちした東金は、かなでの腕を掴んだ。 自動ドアのように土岐の腕がさっと左右に開き、引っ張られたかなでは、きゃっ、と小さな悲鳴を上げ、次の瞬間には東金の腕の中にいた。
「相手がお前でも、許せることと許せねえことがある…………二度と妙な真似をするなよ、蓬生」
「はいはい」
 土岐はひょいと肩をすくめてから、給湯室を出た。
「── 小日向、蓬生に抱きしめられるがままになっているとはどういうことだ?」
「ち、違いますっ、あれはそういうんじゃなくて……」
「ほう……?」
「くっ、苦しいです社長っ!  そもそも社長だって、誰に許可を得て私を抱きしめてるんですかっ!」
「俺はいいんだ。 俺が許可する」
「よくありませんっ!  私の許可を得てくださいっ!」
「……許可を得ればいいんだな?」
「許可するとは限りませんっ!  いい大人なんですから、我儘言わないでください!」
 背後から聞こえてくる痴話喧嘩の声は、なかなかのコンビネーションだ。 だがこの会話が筒抜けになっている秘書課の面々にはしっかり口止めしておかなければ── 支社長室に戻りながら、胃もたれはすっかり消えたけれど、今度はストレスで胃が痛まないか心配になってくる土岐だった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 前回、急展開だったような気がするんですが、実はそうでもなかったという(笑)
 次が最終回の予定です。

【2011/04/19 up】