■拍手お礼連載パラレル劇場『社長と秘書』【16.重大決定】 東金

 手を打とうにもどういう方向へ持っていけばいいのか決めあぐね、相変わらず挙動不審な行動の続く秘書に何も切り出せないまま数日が経過した。
 彼女なりに頭の切り替えは一応できているのだろう。 今のところ目立ったミスもなく仕事をこなせてはいるが、このまま放置していればいつ重大な失態をしでかしてしまうかわからない。 会社にとっても、彼女にとってもこのままでいいはずがない。
 部屋の対角線上にある秘書のデスクを見やる。 彼女は今、プロジェクト関係で交換した名刺のデータベース化作業の真っ最中だった。 真剣な表情で名詞とディスプレイを交互に見つめながら、意外に速い指捌きでキーを打つ彼女の集中を途切れさせてしまうことに若干の申し訳なさを感じつつ、重い口を開いた。
「── 小日向」
「はっ、はいっ!  お、お茶ですねっ、淹れてきますっ!」
「おい、ちょっと待て」
 弾かれたように立ち上がり、部屋を飛び出そうとする秘書を制止する。 ぴくりと肩を震わせて動きを止めた彼女が、ギギギ、と音がしそうな様子でゆっくりと振り返った。 その顔に浮かぶのは怯えの色。 東金はげんなりと重い溜息を吐いた。
「……何杯茶を飲ませる気だ……俺の腹をやかんか水筒だとでも思っているんじゃないだろうな?」
「えっ、あっ……す、すみません……」
 そうなのだ。 ここ数日、声をかけるたび目を合わせようともせず給湯室に逃げ込む彼女。 おかげで常時水っ腹状態が続いている。 もちろん嫌なら飲まなければいいのだろうが、こんな時でさえ彼女の淹れる紅茶は非常に美味しいので、つい口にしてしまうのだ。
 顔が見えないほど深く俯いてしまった彼女の、あまりにしょんぼりした姿に再び溜息を吐いて。
「……そろそろ出る時間だ。 支度しろ」
「あっ、す、すみませんっ!」
 腕時計で時間を確認してギョッと目を見開いて、かなではばたばたとデスク周りを片付け始める。
 どうしてもプロジェクトに引き込みたい企業との約束の時間が迫っていた。 『社長のスケジュール管理をする秘書が、社長に指示されてどうする?』と小言のひとつも言いたいところではあったが、東金はぐっと言葉を飲み込んだ。 何度も交渉してやっと取り付けたアポ、無駄に時間を消費して遅刻するなどもっての外だった。

*  *  *  *  *

 30分後── かなではとあるビルの屋上にいた。
 生憎の曇天ではあったけれど、青々と茂る緑に心が落ち着く。 社長と共に訪れた企業のこのビルの屋上は、環境に配慮した屋上緑化が進められていた。
 その社長は今、このビルを所有する企業の会長との密談中。 秘書とはいえ第三者を一切排除して一対一で話したい、とのことらしい。 『うちの屋上の緑はいいですよ』と自慢する会長に、体良くここへと追いやられてしまったのだ。 椅子にふんぞり返って自慢するだけあって、確かに屋上とは思えない見事な空中庭園と言えた。
 とりあえず今はすることがない。
 綺麗に整えられた花壇が見渡せるように置かれたベンチに腰を下ろし、ぱらぱらとスケジュール帳をめくってみる。 書かれた文字も頭に入らず、ただページをめくるだけの単純作業をしながら溜息を吐いた。
 この数日の息苦しさに押し潰されそうだった。 女子社員たちから向けられる視線が痛い。 何より、社長室で社長と二人きりになった時の心臓が張り裂けそうな痛みは、いつまで耐えることができるだろうか。
 今の空のようにどんよりした気分で、知らず溜息を漏らしたその時、
「── あれ?  君、どこの部署の子?」
「え……?」
 顔を上げると、ネクタイはきちんと締めているもののワイシャツの袖を肘まで捲り上げた男性が3人、ベンダーのカップを手にベンチを囲むように立っていた。
「見かけない顔だね」
「あ、もしかして社外の人?」
「へー、どこの会社から来たの?」
 C&Hコーポレーションが接触に来ているというのはまだ秘密にしておきたいという意向だと聞いている。 おろおろしながら、どう答えようかと考えているうち、男のうちの一人がベンチに座るかなでの隣に腰を下ろした。 ほとんど飲み会のようなノリで、かなでの背中に当たる背もたれに腕を回してくる。
「あ……あの……」
「よかったら今度合コンしない?」
「おっ、いいねぇ」
「んじゃメルアド交換しようぜ」
 勝手に話を進めていく3人に取り囲まれながら、かなでは『誰か助けて!』と心の中で叫ぶことしかできなかった。

*  *  *  *  *

 年老いた会長は持ちかけたコンセプトには理解を示したものの、結局首を縦に振らせることはできずに密談は終了した。 終わってみれば話を始めてから1時間も経っていなかった。
 徹底的に無駄を省いて要点だけを説明した。 プロジェクト参加により発生する利益、起こり得るリスク。 後はそれを天秤にかけ、どちらに傾くかを判断するのみだ。
 返答は後日改めて、ということになった。
「── ではご自慢の屋上へご案内いただけますか」
「おお、そうですな。 可愛らしい秘書さんが待ちくたびれておいでかもしれませんな」
 屋上緑化がよほどの自慢なのだろう、話を向けただけで皺だらけの顔を緩ませた会長は、率先して屋上への道案内を始めた。

「── なんか奥ゆかしくていいな〜」
「確かに!  うちの女子、『私が私が』みたいなヤツばっかだもんなー」
「ねえねえ、今度の週末とか、どう?」
 屋上に続く扉を開けた瞬間、耳に飛び込んできた声に東金は思わず眉をひそめた。
 見事と言っていい庭園の中、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた男たちに囲まれ困り果てていたのは、間違いなく自分が連れてきた秘書だったのである。
「ほぅ…………うちの秘書が大変お世話になったようで」
 自分より少し背の低い会長を冷やかな視線で見下ろせば、彼は自社の社員の下劣な振る舞いを咎めもせず、信じられないといった表情でただ呆然と見つめるだけ。
 東金は今にも爆発しそうなほど煮えくり返る感情を無理矢理噛み殺し、ゆっくりと歩を進めた。
「── 小日向、帰るぞ」
 かけた声に反応してガバッと顔を上げた時の彼女の表情を、東金は忘れることができないだろう。
「す、すみませんっ、私はこれで失礼しますっ」
 ベンチから立ち上がり、律儀にも男たちに深々と頭を下げたかなでが駆け寄ってくる。
「……ったく、何をやってるんだ、お前は」
「す、すみませ── ひゃっ」
 頭を下げようとした彼女の腰に腕を回し、支えるというより半ば抱えるようにして屋上を出た。 ばたん、と重い扉が閉まる瞬間、老会長が不届き者たちに落とした雷── 叱責する怒鳴り声が僅かに聞こえて、すぐに途切れた。
「あ、あ、あ、あのっ、しゃ、社長っ !?」
「ん?  なんだ」
「こ、こ、こ、この、手は──」
 下へ降りる階段を歩きやすいように少し緩めてはいるが、東金の手はまだかなでの腰にある。
「……いいからさっさと歩け」
 彼女が俯いたままなのをいいことに憮然とした声を出してみる。 けれど口元が緩んでくるのをどうしても止められなかった。
 かけた声に顔を上げ、自分の姿を認めた時の彼女の表情── ほっとしたような嬉しそうな笑み。
 その瞬間、東金は自分が進むべき方向を確実に決定したのだった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 またまたすっかり間が開いてしまいました(汗)
 この間にいろんなことがありましたね。
 でもみんなで頑張っていきましょう!
 萌えは最強の元気の素ですよ!

【2011/03/20 up】