■拍手お礼連載パラレル劇場『社長と秘書』【14.連鎖】 東金

「だ、大丈夫なんっ !?」
 土岐は自分の二日酔いも忘れ、かなでに駆け寄った。 理由は違えど、土岐が同じように戸口に凭れかかっていたのはついさっきのこと。 他人事ではないように思えたのかもしれない。 せめて椅子に座らせてやろうと、身体を支えてやる。
「す…みません……」
「ここまで来れるんやったら、そのまんま家に帰ったらよかったのに」
「だい、じょうぶ、です。 タクシー……使いましたから」
「せやったら尚のこと家に帰れば──」
「あー、そうだ……支社長、昨日のおつりから千円お借りしました……お財布の中、お金入ってなくて」
「ああ、そんなん気にせんでええ」
 背後から二の腕を支えられながら、えへへ、と自嘲めいた乾いた笑いを浮かべるかなで。 微妙に会話が噛み合っていないのは、彼女の容態の悪さのせいだろう。 酒に酔ったように呂律の回っていないしゃべり方と、完全に開くことのできないまぶたがそれを物語っている。
「あ……鍵……鍵、返さなきゃ……」
 ごそごそとバッグの中を漁り、じゃーん、と効果音が聞こえそうな勢いで取り出したのは、土岐が預けた東金の部屋の合い鍵だった。 ヘロヘロになりながらもわざわざ返しにくるとは、なんとも律義なことである。
「アホな子やねぇ……そんなん元気になってからでええのに」
「大丈夫、です。 ちゃんとしっかり戸締り確認してきましたから」
 どこか誇らしげに言う彼女。 相変わらずの会話のズレっぷりに土岐は苦笑混じりの溜息を吐きつつ、後ろから手を差し出した。
 その時。
 出された手のひらに鍵を乗せようとして、ほんの少し身体を捻った彼女がぐらりと傾いだ。 スローモーションのようにゆっくりと倒れ──
「── っと」
 とす、と軽い音を立てて途中で止まる。 いつの間にか近寄ってきていた東金が胸で受け止めていた。
「ったく……部屋で大人しく寝てりゃいいものを」
「……千秋がそれ言うたらあかん。 小日向ちゃんがこんなんなったの、誰のせいや」
 ちっ、と舌打ちしてバツが悪そうにそっぽを向く東金。 自分のせいだという自覚はあるらしい。
「医者には見せたん?」
「……いや」
「病院連れてった方が──」
 バタバタと慌ただしい足音が聞こえ、会話を遮られた二人は戸口へと目を向けた。 現れたのは──
「かなでっ、いるのかっ!  ぬわっ !?  くそっ、このセクハラ社長っ!  かなでから離れやがれっ!」
 見覚えのある少年が肩で息をしながら、びしっと指を突き付け大声で捲し立てた。 今の状況── 女子社員と社長が抱き合っているように見える状況では、セクハラと罵られても仕方ない。
「お前は……ああ、小日向の知り合いか」
「知り合いじゃねぇっ!  お……幼馴染みだっ!」
「で?  その幼馴染みがここに何をしに来た?」
「何って……そいつ昨日アパートに帰ってないみたいだし、ケータイにも出ねぇから……何かあったのかと思って様子見に来たんだよ!」
「……ふぅん」
 いきり立つ少年に対峙する東金の口元がくいっと持ち上がったのを、土岐は目撃してしまった。 東金はみるみる自信を漲らせ、挑発するかのように笑みを深めていく。 あーあ、あの子も可哀想に、と気の毒に思うと同時に、東金がふっと鼻で笑うのが聞こえた。
「── 小日向はうちの社員だ。 勤務時間内の社員の面倒は全て社が見る。 部外者は出て行ってもらおうか」
「はぁっ !?  この会社じゃセクハラすんのが『面倒見る』ってことなのかよ !?」
 東金は少年を無視し、視線を土岐の方へと向けた。
「蓬生、車だ。 手配だけでいい、お前はここに残れ」
「……俺、帰ってええって言うたのに……千秋のいけず」
「仕方ねえだろ。 トップが二人とも不在じゃマズイだろうが」
「わかったわかった、行っといで」
 野良犬でも追い払うかのようにひらりと手を振ると、東金はにやりと笑ってかなでをひょいと抱え上げた。
「おいっ、お前何して── どうしたんだよ、かなで !?」
 彼女の異変に気づいて少年が駆け寄った。 ぐったりと抱え上げられた彼女は熱が上がってしまったのか、赤い顔を辛そうに歪めている。 呼吸も苦しげで浅かった。
「どうしたもこうしたもねえ、風邪でぶっ倒れたこいつを病院に連れて行くところだ。 邪魔してないで、学生は学生の本分へ帰れ」
「なっ !?  ……俺も一緒に行く。 午前中の講義、ねぇからな」
「午前も残りあと僅かだが……それでもいいなら好きにしろ」
 東金は少年に一瞥を投げかけて、すたすたと部屋を出ていった。
「くそっ……何なんだよ、あいつ!」
 拗ねたように唇を尖らせた少年が一言吐き捨て、後を追って駆け出した。
 ぷっつりと断ち切られたように静かになった社長室。 土岐は疲れの滲んだ溜息を吐いた。 途端蘇ってきた二日酔いの胸焼けにもう一度うんざりと溜息を吐いて胃の上をぐっと押さえ、車の手配をすべく秘書課へと向かった。

*  *  *  *  *

 微かな消毒薬の臭いがした。 少し前までよく知った声が聞こえていたような気がするのだけれど。 ゆっくりと目を開けると、見知らぬ天井が見えた。
「…………あれ……?」
 自分の声のはずなのに、どこか遠くから響いてくる。
「── なんだ、起きたのか。 まだ寝てていいぜ」
「あ、はい…………え……ええっ !?」
 意外な声が聞こえて、かなでは飛び起きようとした。 だがズキリと痛んだ頭にうっと呻いて、ぼすっと枕へ逆戻り。 気が付けば自分の腕から細いチューブが伸びていた。 辿っていくとすぐ傍に見えた銀色の細い棒に透明の液体が入った容器がぶら下がっている。 どうやら自分は今病院のベッドに寝かされていて点滴を受けているらしい、と理解した。
「あ、あのっ、どうして──」
「朝起きたら、お前が倒れてたんだよ」
 窓際のパイプ椅子に座っていた東金が組んでいた足を解いて立ち上がり、椅子をベッドの側に移動させて腰を下ろした。 呆れたような苦笑いを浮かべている。
「え……ご迷惑おかけして……すみません……」
 かなではもそもそとブランケットを引っ張り上げ、顔の下半分をすっぽりと隠す。 看病しに行ったはずなのに、気づけば逆に看病されているとは── 情けなくて涙が出そうになった。
「『風邪は他人にうつすと治る』というのは本当なんだな…………悪かった」
 苦笑を浮かべていた東金が、ふいに神妙な表情になって頭を下げた。 まさかこんなふうに謝られるとは思わず、かなではドギマギしながら首をふるふると横に振る。
「い、いえっ!  私こそ、勝手に余計なことしてご迷惑かけて── 本当にすみませんでした」
「まあ、過ぎたことをネチネチ言いたくはねえが……確かに勝手な行動だな」
「うっ……すみません……」
 かなではさらに深くブランケットに潜る。
「秘書だからといってプライベートなことでまで働かせるつもりはない。 今回に限り、厚意は厚意として受け取っておくとして……どうして昨日のうちに帰らなかった?」
「え……」
 咎めるような視線を受けて、かなでは戸惑った。 事実を言っていいのだろうか?  もしかすると彼はたかが臨時秘書に自宅で一晩過ごされたことに不快感を感じているのかもしれない。 だが疚しさの一点もない純然たる事実なのだから、ここはきちんと告げておかなければ。
「あの……帰ろうとしたんですけど……その……」
「なんだ、いいから言ってみろよ」
 一層険しさを増す視線に射抜かれて、かなでは身を竦めた。 いっそこのままブラケットを頭まですっぽり被ってしまいたい。 けれど意を決して、こくんと唾を飲み込んでから口を開いた。
「……帰る前に、社長の頭を冷やすタオルを替えて……そしたら腕を掴まれて……無理に引っ張って起こしちゃったら申し訳ないと思って、しばらく待ってるうちに……眠っちゃったみたいで……」
「掴まれた?  ……俺に、か?」
「……はい」
 おずおずと、それでもしっかりと頷くと、東金はしばし考え込んでからハッと何かに気づいたように瞠目して、苦い表情が浮かんだ顔をついと背けた。
「すすすすみませんっ!」
 今度こそ、かなではブランケットをがばっと頭まで被った。 たぶん自分は何も悪いことはしていないと思うけれど、途轍もない罪悪感に押し潰されそうだった。
 ぎしり、と椅子が軋む音がした。 ブランケットから目だけ出してそっと様子を窺うと、窓際に立って外を見ている東金の後ろ姿があった。
「── 冷蔵庫にあったスープ……お前が作ったのか?」
「え?  ……はい、そうですけど」
 唐突な話題転換に頭がついて行けない。 余計なことをするな、と今度こそ怒鳴られるのだろうかと身構える。 重い沈黙が圧し掛かる心臓が痛い。
「何度も謝るほど申し訳ないと思っているなら……あのスープをもう一度作りに来い。 それで許してやる」
「………へ?」
「う、美味かったからな── ああもう、いいからもう少し寝てろ!  後で家まで送ってやるからっ」
 すたすたと部屋を横切り、視線を向けることなく勢いよく出て行った東金を、かなではぽかんとして見送る他なかった。
「えと……もしかして怒ってるんじゃなくて……照れてる……?」
 尊大で傲慢だと思っていた人物の意外な一面を垣間見たようで、なんだか気が抜けてしまった。 かなではぷっと小さく吹き出して、せっかくだからお言葉に甘えさせてもらおう、とゆっくりとまぶたを閉じることにした。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 疑惑の真相・第二弾?
 大して明かされてもいないけど(笑)
 あ、東金さんがちょっとデレた(笑)

【2011/02/22 up/2011/03/07 拍手お礼より移動】