■拍手お礼連載パラレル劇場『社長と秘書』【11.臨時ナースのお仕事】
しんと静まり返った中に一人残されたかなでは、改めて部屋の広さにしばし呆然とした。
ふと我に返り、自分が何のためにここにいるのかという自覚を新たにして、ぐるりと辺りを見回す。
目指すはキッチンだ。
モデルルームのようなまっさらなキッチンで、いちいち『失礼します』と呟きながらあちこちの扉を開けてみる。
いかにも高級そうな食器類に溜息を漏らし、使われた形跡のない調理器具を確認して頭の中で献立を組み立てる。
冷蔵庫には予想通り食材は入っておらず、中身はアルコール類とミネラルウォーターのペットボトルだけだった。
預かったお金と鍵を握り締め、薬局とスーパーをハシゴして必要なものを揃えてきたかなでは早速料理に取りかかった。
といっても凝ったものを作るわけでもなく、研いだ米とたっぷりの水を入れた鍋を火にかけてしまえば、とりあえず準備は終了だ。
あれこれ味のついたものよりも、今はまだシンプルなお粥の方がいいはず。
夜には多少調子が良くなっていてくれればいいけれど──
夜は鶏肉と根菜とお豆腐とふわふわ卵のスープを作る予定。
胃にも優しく、身体も温まるはずだ。
お粥が炊き上がった頃にはもう昼をずいぶん過ぎてしまっていた。
買い物の帰り道、慣れない場所で少々迷ってしまったせいである。
茶碗が見当たらなかったので仕方なくスープカップにお粥をよそい、ほぐした梅干しを乗せて寝室へと運ぶ。
朝ここにきた時には身体を丸めて寝ていた東金だったが、今は医者に打たれた注射が効いて多少楽になったらしく、身体を伸ばした仰向けの状態で眠っていた。
せっかく眠っているのに起こしてしまうのは気の毒な気もするが、しっかり薬を飲んで早く回復してもらわねば。
かなではサイドボードにトレイを置くと、彼の枕元を覗き込んだ。
「社長?」
「……………………ん」
一応返事があったことにほっとする。
目の上まで覆った濡れタオルを取ると、少し前に替えたばかりだというのにすっかり温もってしまっていた。
まだ熱は下がっていないらしい。
「社長、少し食べてください」
「…………いらん…」
「お薬飲む前に胃に何か入れないと」
「……いらね……て……言ってる……だろ……」
「駄目です、一口でもいいですから食べてください」
「……………」
はふ、と溜息ひとつ、かなではトレイをベッドの空いたスペースに移動させた。
お粥をひと匙すくい、ふぅふぅと息を吹きかけ冷ましてやる。
「はい、口を開けてください」
東金は目を開けることなく不機嫌そうに顔をしかめたが、しばらくすると僅かに口を開いた。
かなでは喉に詰まらせないように注意しながら、少しずつお粥を彼の口に運んでやる。
まるで雛鳥にエサを与えているみたいだ、と思った瞬間、なんだか可笑しくなった。
カップの中のお粥が半分ほどになると東金は拒否するように顔を背けた。
とりあえずこれくらい食べていれば大丈夫だろう。
薬局でもらってきたカプセルをひとつ彼の口に押し込んで、吸い飲みの口を押し付ける。
中身はスポーツドリンク。
念のため、と買ってきておいた吸い飲みが役に立った。
彼がごくりと飲み込んだのが確認できると、かなではほっと息を吐いた。
食器を下げ、水で冷やしたタオルを額に乗せてやると、東金はすでに寝息を立てて眠っていた。
食べるだけで疲れてしまったのかもしれない。
かなではそっと寝室を後にした。
自分用に買った昼食(もちろん自分のお金で購入した)を済ませてしまえば、時々額を冷やすタオル替えることくらいしかすることはなく。
次は夕食の準備だが、下ごしらえに取りかかるにはまだ少し早い。
申し訳ないと思いつつ、かなでは部屋の中を探検することにした。
探検、と言っても広いリビングの中だけにするつもりだけれど。
どっしりとした書棚の中を覗き込む。
普段ここに住んでいるわけではないというのにたくさんの本がある。
タイトルだけではよくわからないが、経営学やスポーツ、音楽に関するものまでバラエティーに富んだラインナップのようだった。
臨時とはいえ『社長秘書』の肩書きを貰った以上、会社経営について少しは知識を持っておかなければならないだろう。
そう決意したかなでは経営学の本の中でも読みやすそうに思えた1冊を手に取り、ふかふかのソファに腰を下ろして読み始めた。
はっと気が付くと部屋の中は薄暗くなっていた。
慌てて時計を見るともう6時近い。
「やだ、私ってば寝ちゃってた !?」
普段読まない経営学の本を読んでいるうち眠り込んでしまったらしい。
活字というものはある種の睡眠薬のようなものだ。
特に難しい内容だとその効果は絶大で、さらに速効性も加わるようだ。
看病しなければならない病人をほったらかしにして眠りこけるとは。
自己嫌悪に陥りつつ寝室に飛び込みタオルを替えてから、キッチンへ駆け込んだ。
簡単なメニューでよかったと思いつつ、手早く野菜を刻んでいく。
お粥は昼に多めに炊いておいてよかった。
なんとなく喉がむず痒い気がして、んんっ、と咳払いした。
きっと口を開けて寝ていたせいで喉がからからに乾いてしまったのだろう。
冷蔵庫からミネラルウォーターを拝借して喉を潤してから、スープ作りに本格的に取りかかる。
スープが完成すれば、後は食べてもらって薬を飲ませたら役目は終了だ。
出来上がった食事を持って寝室へ。
昼と同じようにサイドボードにトレイを置いて、眠る東金に声をかける。
「あの、社長?
晩ご飯ですけど……」
「……ん」
昼よりも早い反応が返ってきた。
彼が自ら額の上から取り去ったタオルを受け取りサイドボードへ置く。
「具合はいかがですか?
起きられるなら起きていただいた方がいいんですけど……」
すると東金はもそもそと動き始めた。
むくりと起き上がった彼の見事なまでの鳥の巣頭に思わず吹き出しそうになる。
ずっと寝ていたのだから仕方がないとはいえ、いつも会社で見る彼とはまるで別人のような無防備な姿に、失礼とは思いながらもこっそり笑ってしまった。
「ご自分で食べられますか?」
「……ん」
「じゃあ──」
かなでは洗面所で見つけて持ってきておいたバスタオルを彼の膝の上に敷き、その上に同じスープカップが2つ並んだトレイを乗せた。
今度こそ用途通りに使われているカップの中のスープはやけどしないよう少しだけ冷ましてある。
もうひとつのカップのお粥も同じく。
「ゆっくりで大丈夫ですから、しっかり食べてくださいね」
スプーンを手に取った東金にそう声をかけ、トレイが膝から滑り落ちないように支えてやった。
まだぼんやりとしていてだるそうではあるけれど、着実にカップの中身は減っていく。
全てが胃に収まり、渡した薬を彼が飲み込むのを見届けてからトレイをサイドボードへと移す。
と彼はもそもそとベッドに潜り込んでいった。
かなでは思わずクスッと笑みを漏らした。
この調子なら明日の朝にはちゃんと起きることができる程度には回復しているだろう。
きっと毎日多忙を極める彼にはこんな休息が必要だったのかもしれない。
熱はどうだろう?
病人とはいえ大して親しくもない男性に触れるのは気が引けたけれど、勇気を出してそっと額に手を当ててみた。
ずいぶん下がって、今は微熱程度だろう。
ほっと胸を撫で下ろしながら、食器をキッチンへ戻しに行った。
今朝、電話を受けた時にはどうしようかと思ったけれど。
洗い物を済ませてから、もう少し冷やしておいたほうがいいだろう、とタオルを冷やして寝室へ戻る。
そっと額にタオルを乗せた。
「それじゃあ私は帰りますね」
無言で帰るのも悪い気がして、小さな声で囁いた。
聞こえていなくてもいいと思っていた。
「………う」
小さく唸って東金が頭を動かした。
その拍子に額のタオルが滑り落ちる。
「わわっ、ごめんなさいっ」
せっかく眠ったところを起こしてしまった申し訳なさに思わず詫びて、落ちたタオルを乗せ直そうと手を伸ばす。
「えっ」
かなでの手首はいつの間にか布団から出ていた東金の手に掴まれていた。
「あ、あのっ……………ど、どうしようっ」
掴む彼の手の力は意外に強くて、少々引っ張ったくらいでは離してもらえそうになかった。
【プチあとがき】
またまた間が開いてしまいました、ごめんなさい(汗)
東金さん、まだまだ風邪っぴきでございます(笑)
なんだかんだで頭の中で妄想し続けていたらしく、
思ったよりすんなり書けました。
クオリティの低さには目をつむってやってください(汗)
【2011/02/08 up/2011/02/13 拍手お礼より移動】