■拍手お礼連載パラレル劇場『社長と秘書』【10.鬼の霍乱?】 東金

「── うわぁ……大きなマンションですねぇ……」
 20階建ての建物を見上げながら溜息混じりに感嘆の声を上げるかなでに、土岐は思わず苦笑した。 横浜に住んでいればこの程度の高さなんて、それほど珍しくもないだろうに。
 そもそも彼女をここに連れてくるつもりはなかったのだ。
 ちょっと様子を見てくる、と言った土岐に、同行を申し出た彼女。 社に留まらせようとあれこれ理由をつけてはみたものの、連れて行ってください、の一点張りだった。 恐らく電話を受けた責任感からなのだろうが── どうやら可愛い顔に似合わず頑固者らしい。
「ほら、小日向ちゃん、こっちやで」
「あ、はいっ!」
 土岐は来訪者用のインターホン操作パネルを無視してエントランスを突っ切り、奥に続くガラス扉に設置されたパネルに暗証番号を打ち込んだ。
 シュッ、と音を立てて扉が開く。 土岐はかなでの背中をそっと押して、通るように促した。 扉を抜けたそこはエレベーターホールだ。
「あの……やっぱり『社長さん』ってすごいところに住んでるものなんですね……」
「住んでる、いうほどここにはいてへんけどな。 横浜に来た時のホテル代わりや」
「え……そのためだけにマンションを?  買うにしても借りるにしても、ホテルを使ったほうが経済的じゃないんですか?」
 チン、と軽やかな音と共に目の前の扉が開いた。 二人して中の箱に乗り込み、土岐は『20』と書かれたボタンを押す。 扉が閉まった直後、ぐっと押さえつけられるような感覚で上昇を始めた。
 一般的な経済観念を持っているらしい彼女は、少し物憂げに眉を下げ、小首を傾げている。
「── 心配してくれてるん?」
「心配っていうか……」
「ふふっ、小日向ちゃんが頭悩ますことないんよ。 このマンションのオーナー、千秋なんやから」
「……………ええっ !?」
 かなでが目を白黒させるとほぼ同時、目的の階に着いたエレベーターの扉が開く。 土岐は呆然としている彼女の腕をやんわりと掴んで廊下に出た。
 長い廊下の中ほどに少し離れて並んだ2つの扉。
「あの……ここって2つしかお部屋がないんですか?」
「この階はな。 下は各階10戸て言うてたかな」
 土岐はポケットから出したキーケースからひとつ鍵を選び出し、奥側の扉を開けた。
「千秋ー、邪魔するでー」
 一声かけてずかずかと上がり込んだ室内はとても明るかった。 カーテンが閉まっていないということは、暗くなる前から寝込んでしまったのだろうか。 明るいがゆえに部屋はとても広々として見える。 あまり物が置かれていないというだけでなく、5戸分のスペースを1つにしてあるのだから、リビングだけでもちょっとした会社のオフィスにできるほど広いのだ。
 部屋の入り口でぽかんと口を開けているかなでに苦笑を誘われながら、土岐は奥の一室の扉を開けて中を覗き込んだ。
「あー、完全にダウンしとるなぁ」
 大きなベッドの中ほどに、こんもりとしたシーツの塊ができていた。

「── あの、支社長……無理に連れてきていただいたのに、今頃こんなこと伺うのも変だとは思うんですけど……」
 念のため、と往診を頼んだ医者が『ただの風邪』と診断し、注射を1本打って帰った後、おずおずとかなでが訊いてきた。
「ん?  なんや?」
「社長にはどなたかお世話してくださる方がいらっしゃるんですよね……?」
 軽く握った拳を顎に当て、難しい顔をしているかなで。 まるで探偵が事件の真相を推理しているように見えた。
「お世話……て、恋人、とか?」
「はい。 お部屋もとっても綺麗だし……今朝の電話もその方と間違えたんじゃないかなって……」
 眉間に皺を寄せて申し訳なさそうに俯く彼女が可笑しくて、土岐は思わず吹き出してしまった。
「し、支社長?」
「ふふっ、堪忍な。 小日向ちゃんがあんまり可愛いことで頭悩ませとうもんやから」
 ぽっと頬を赤く染める様子に、土岐はさらに笑みを深める。
「半分正解で、半分間違いや」
「え……?」
「週に2回、ハウスキーパーが来るんよ。 散らかさん限り綺麗なまんまや。 間違い電話の方は正解── たぶん俺に電話しよう思うたんやろな。 俺、見た目通り身体が弱くて、いろいろ薬揃えててなぁ」
「え……」
 訝しげに眉をひそめる彼女に、
「俺の家、隣なんよ」
 そう言ってうっそりと笑いかけた。
 途端ぽかんと口を開けたかなでのキュートな間抜け顔が、一瞬にしてキリリと引き締まる。 にやにやと笑っていた土岐が、思わず笑うのを忘れて目を瞬いてしまったほどの変貌ぶりだった。
「── 支社長」
「な、なんや……?」
「小日向かなで、本日欠勤させていただきます」
「は……はぁ?」
 彼女は胸元でぎゅっと力強く拳を握り締めた。
「支社長はこの後、取引先との会合があるんですよね?」
「あ……まあ……せやな」
 実は彼女の言う通り、約束の時間は30分後に迫っていた。 直接向かわなければ間に合わないだろう。 一応そのつもりで準備して会社を出てきてはいるが── 社長と連携して動くことの多い支社長のスケジュールまで把握しているとは、なかなか社長秘書らしくなってきたではないか。
「お薬も取りにいかないといけませんし、お薬を飲むなら少しでも胃に何か入れないと……」
「せやけど──」
「大丈夫です!  仕事はまだまだですけど……家事は得意なんです。 社長がお腹を壊すようなものは作りませんから」
「いや、そういう意味やなくて……」
「もし社長にどなたか特定の方がいらっしゃるなら、余計な真似はしちゃいけないと思ったんですけど」
 凄まじい気迫で訴えてくる彼女が、ふいにクスリと笑みを漏らした。
「── 社長ご自身が迷惑だと思われるかもしれませんね」
 こうして言い合っている間にも、約束の時間は刻一刻と迫ってきていた。
 はふ、と諦めの溜息を吐いた土岐はキーケースから1本の鍵を外し、医者が書いた処方箋の上にコトンと置いた。
「あんたには負けたわ……今日は有休にしたる。 千秋んこと、頼むな」
「はいっ!」
 一番近いスーパーと調剤薬局の場所、マンションに入るための暗証番号を教え、一万円札を1枚預けてから土岐は部屋を出た。
 静かに扉を閉め、深い溜息を吐くと、
「── 『迷惑』どころか大喜びかもしれへん……ええんかなぁ…?」
 ぽつりぼやいてから、急ぎ足でエレベーターへと向かった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 更新ペース上げるはずだったのに……
 風邪っぴき東金さん、塊状態でしか登場させられませんでした(汗)
 東かなのはずなのに東金さんが出て来ないとはこれいかに。
 やんちゃな弟分と可愛い妹分がいちゃこらするのを
 呆れ笑いで見守ってる蓬生さんが好きなのよ(言い訳)

【2011/01/29 up/2011/02/08 拍手お礼より移動】