■拍手お礼連載パラレル劇場『社長と秘書』【6.不機嫌】 東金

 翌朝、出社したかなでは秘書課に顔を出し、既に出社している秘書たちへと挨拶をしてから新たな職場となった『社長室』へと向かった。
「── おはようございまー」
 ぽかんと口を開けたまま、かなでの動きがぴたりと止まる。
 『重役出勤』という言葉がある。 かなではトップの人間というものはどの会社でもゆっくりご出勤なさると思い込んでいた。 だが彼女の頭の中ではまだ無人のはずの社長室では、既に社長が仕事真っ最中といった様子でパソコンに向かっていたのである。
「── ああ、おはよう」
「す、すみませんっ!  遅くなりましたっ!」
 キーを叩く指を止めることなく挨拶を返してきた東金に、かなでは思わずがばりと頭を下げる。 すると彼はちらりと自分の腕時計に目をやり、そのまま訝しげな視線をかなでに向けてきた。
「遅い……?  ……まだ始業17分前だが」
「そ……そうですか」
 東金の言う通り、決して遅刻などしているわけではない。 だが、なんとなく咎められたような気分になって、もう一度『すみません』と口の中でもごもごと呟いたかなでは、ぺこりと頭を下げて自分の席へ着いた。
 ……社長、やっぱりまだ不機嫌なのかな……?
 おずおずと様子を窺うと、東金は黙々とパソコンのキーを打ち続けていた。 ディスプレイに表示されている文字を目で追うその表情からは感情は読み取れない。
 彼が不機嫌らしいのは、昨日の夜の食事の席からだった。

*  *  *  *  *

 会社の前で慌ただしく響也と別れ、乗り込んだタクシーが向かったのは横浜でも有名な高級料亭だった。
 上品な和服姿の女性に案内され通されたのは、普段の生活とは別世界のような落ち着いた和室。 部屋は三人で使うにはもったいない広さ── 恐らく20人規模の宴会をしても十分すぎる広さだ。 ぐるりと見回すと床の間には立派な掛け軸と美しい生け花が飾られていた。
 黒光りするどっしりとしたテーブルは大木をざっくりと縦割りにした一枚板で作られているようだった。 縁に木の肌がそのまま残っている。
 男性二人がさっさと向かい合わせの席に座ったため、残った席はひとつ。
 ── 私は一応東金社長の秘書だから……そうなるよね。
 かなでは緊張しながら、空いている東金の隣の席に腰を下ろした。

 年齢不詳な美人女将のご丁寧な挨拶を合図に続々と運ばれてきた料理はあっという間にテーブルいっぱいになってしまった。
 どうやら彼らは日本酒を嗜むらしい。 皿の合間に高そうな焼き物のお銚子が3本。 身体を乗り出してそのうちの1本を手に取った。
「ど、どうぞ」
 まずは隣の席の東金にお銚子を向ける。 無言で差し出されたお猪口に酒を注ぐ手が震えるのがなんとももどかしい。
 それからテーブルをぐるりと回って土岐のお猪口に酒を注ぐと、手からひょいとお銚子を取り上げられた。
「あんたも一杯どや?」
「わ、私はお酒はちょっと──」
 かなでは胸の前でぶんぶんと両手を振る。 ふ、と土岐が苦笑した。
「俺らは俺らのペースで飲むからお酌はせんでええよ。 あんたはご馳走をしっかり楽しんでや」
「はぁ……ありがとうございます」
 自分の席に戻ったかなでは、座椅子の上にぺたんと腰を下ろした。
「それじゃ、横浜でのプロジェクトの成功を祈って── 乾杯!」
 二人は酒、かなではお茶で乾杯して食事が始まった。
 上品な京懐石は素材の味を活かした薄味仕上げなのに、出汁が効いていてとても美味しいものだった。 料理が得意なかなでは一品一品感心しながら箸を進めていく。
 男二人はずっと仕事の話ばかり。 聞いても意味がわからないかなでが話に参加できるはずもなく、おかげでしっかりと料理を味わうことができたのではあるが──
 ── これって『懇親会』?
 かなでは美味しい料理を楽しみながらも、ふと首を傾げる。
 よく響也からも『お前はニブい』と言われるけれど、そんな彼女でもはっきりと分かったのだ。 時々気を使って土岐が話しかけてくれるのと、東金が自分の存在をまるきり無視していることが。

*  *  *  *  *

 そんなこんなで昨夜はそれほど遅くなることもなく、タクシーでアパートまで送ってもらったのだけれど。
 ── やっぱり怒ってるのかな……?
 どうやら東金社長は時間に厳しい人らしい。
 考えてみれば昨日は待たせてしまうことが続いてしまったのだ。 明日に回せと言われた仕事を片付けようとして待たせてしまったし (前もって「この後食事に行くから」と言っておいてくれればよかったのに)、 響也と話している時間も待たせてしまった (そんなに長い時間じゃなかったはずだけど)。
 ── うん、でも時間にルーズなのは社会人として失格だよね。 もっと気を引き締めなきゃ。
 すっくと椅子から立ち上がったかなでは、
「お茶、淹れてきますね」
 そう言い残して社長室を出た。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 極端にツンな東金さん(笑)
 彼の真意とは?

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