■拍手お礼連載パラレル劇場『社長と秘書』【4.初仕事】
「元の部署の後始末しといで」
土岐にそう言われて一旦人事課に戻ったかなで。
入社3ヶ月にして社長秘書に大抜擢、妬み混じりの嫌味のひとつも聞かされるかと思いきや、同僚たちは皆同情の眼差しを向けてきた。
「頑張ってね、小日向さん。
社長ってさ、見た目は抜群にいいんだけど超ワガママって話だから」
返す言葉もない。
たった今、そのワガママを痛感してきたばかりなのだ。
そうなんですよ、と肯定することもできず、苦笑いで曖昧に濁してデスクに戻った。
後始末、と言われても社長が本社に戻ればまたこの部署に帰ってくるのだから、不在の間必要な書類が誰でもすぐに見つけられるように整頓してあればいいはずである。
元々新人のかなでが多くの重要書類を所持しているわけでもなく、普段から見苦しくないようデスク周りは整えている。
仕事をしやすいように持ち込んだ僅かな私物をまとめ、重い気分を引きずりながら上の階へと戻った。
秘書課の奥の支社長室に戻ろうとエレベータを下りた廊下の奥から、小日向さん、と声をかけられた。
にこやかに手招きしていたのは秘書課長。
恐る恐るついていき、招き入れられたのは応接室だった。
まさかいきなり来客の対応をさせられるのか、とドキドキしていると、
「しばらくここが臨時の社長室になるから。
こっち、あなたのデスクね」
示されたのは入り口近くのシンプルなデスク。
電話とノートパソコンが置いてある。
応接セットは壁際に押し込められ、奥の窓際にも同じデスクがあった。
どうやらあちらが社長用のデスクということなのだろう。
臨時社長室なのだから仕方ないとしても、社長が使うにはやけに貧相に思えた。
来客対応ではなかったことに胸を撫で下ろす。
だが応接室を臨時社長室にしてしまって、来客があったときどうするのだろう?
疑問に思ったけれど、たかが一社員の自分が心配することではない、とかなでは悩むのをやめることにした。
秘書課の人たちがどうにかするのだろうから。
「はい、これ。
あなたの仕事」
そう言って渡されたのは結構な厚みのある紙の束。
手書きの文字がびっしりと埋まっている。
「このパソコン使ってね。
社長の名前のフォルダ作って、ファイル名は今日の日付でいいわ。
秘書課のプリンタに無線LANで出力するよう設定済みだから、プリントアウトしたら社長に目を通してもらって」
「は、はいっ!」
てきぱきと出された指示を頭の中で反芻する。
どんなに理不尽な配置転換であろうとも、与えられた仕事はきちんとこなさなければ。
かなでは根が真面目であり、意外にも見た目からは想像できないほど芯が強い。
そんな彼女を秘書課長が満足そうに見ていたことに、当の本人は気づかなかった。
「── 小日向さん、そろそろお昼行かない?」
秘書の一人が誘いに来てくれたのは、慣れないキーの感触に指先がようやく慣れてきたころだった。
入力を初めて約1時間。
その間臨時社長室に人の出入りがなかったおかげで、すっかり集中していたらしい。
「あ、ありがとうございます。
すぐ行きます!」
一応電源を落としてパタンと閉じる。
バッグを手に、廊下で秘書課の女性陣と合流した。
向かうのは社の2Fにあるカフェテリア風の社員食堂。
リーズナブルな値段の割に一流レストランにも負けていない料理を出す社食のランチタイムはいつも大混雑だ。
日替わりランチのトレイを持って席についたちょうどその時、かなでのバッグの中で携帯が鳴り始めた。
しまった、今日はマナーモードにするのを忘れていた。
「出ていいのよ。
今は休み時間ですもの」
出ようか無視しようか迷っていたかなでに笑いながら声をかけてくれたのは同席していた秘書課長。
すみません、と頭を下げて席を立つ。
社食の外の廊下で鳴り続けてくれていた電話に出た。
「も、もしもしっ!」
『── 悪ぃ、今忙しかったか?』
「あ〜ん、響也ぁー」
『お、おいっ、どうしたかなでっ !?』
電話の相手は如月響也。
おむつの頃からの付き合いの幼なじみである。
市内の大学に通う彼とはアパートの部屋が隣同士。
双方の親たちは、都会で一人暮らしをする娘の身の安全の確保に安堵し、ずぼらな息子の食生活が乱れずに済むことに安心しているらしい。
「もー、ちょっと聞いてよぉ」
かなではいきなり社長秘書を命じられたことを手短に話し、夕飯のメニューのリクエストを聞いて電話を切った。
愚痴の続きは夕飯の時に聞いてもらおう。
大きな溜息を吐いたかなではとぼとぼと社食へ戻っていった。
タイピングは嫌いではないので苦ではなかったけれど、いかんせん量が多かった。
もう少し早く打てればよかったのだろうが、入力完了したのは定時まであと15分にまで迫ってしまっていたのだ。
プリントアウトしたものをクリップで留め、支社長室へ向かう。
おそらくそこにいるはずの社長のチェックを受けるためである。
「あ、あの、文書の入力が終わりました」
「……思ったより早かったな」
「え」
東金はかなでの手から紙の束をすっと抜き取り、ぱらぱらと中に目を通していく。
途中3回ほど何かを書き入れてから、バサリとかなでの手へと戻した。
「変換ミスが2ヶ所、名称の間違いが1ヶ所。
修正して20部コピーしろ」
「す、すみませんっ!
に、20部ですねっ」
20部とはいえ、これだけの枚数コピーして綴じるとなれば結構な時間がかかるはず。
どんなに急いでも残業決定だ。
げんなりしながら支社長室を出ようとすると、地味子、と東金に呼び止められた。
── 『地味子』ってやっぱり私のこと、だよね……
すがるように書類を抱き締め、ゆっくりと振り返る。
「それは明日に回せ」
「……え?」
「それより茶だ。
今度はセイロンでな」
「っ!」
── やっぱりこの人、ワガママですーっ!
泣きそうになりながらも、かなではがばっと頭を下げてから支社長室を飛び出したのだった。
【プチあとがき】
あぅ、東金さんの出番、少なすぎ(汗)
【2010/10/29 up/2010/11/08 拍手お礼より移動】