■SEASONS【IV.Second Summer(3)】
首都圏から少し足を伸ばした高原にある研修施設。
宿泊設備はもちろんフィットネス施設やレジャー施設が充実し、芸術方面に力を入れているのか音響設備の整った立派なホールまで備えている。
ここがこれから10日に渡って開催されるP&S音楽祭の会場である。
最寄りの駅で電車を降りた者のほとんどの目的地が同じ場所であるがため、ぞろぞろと長い列が道路沿いに連なる光景は一種独特の異様さを放っていた。
しかしその異様な行列を目にする近隣住民の視線はどこか温かい。
ここ数年続けて同じ場所で開催されている音楽祭の最終日、一般公開される発表会に足を運び、これから世に出ようとしてる若き音楽家たちの演奏を今年も楽しみにしているのだろう。
施設の建物が見えてくると、金管の豊かな音が聞こえてきた。
既に到着した参加者が待ち切れずに音を出しているらしい。
「はぁ……やっと着いたんやね……駅から送迎バスくらい出してくれてもバチ当たらんと思うんやけど」
街中より幾分涼しい高原地帯とはいえ、降り注ぐ夏の日差しは痛いほどに肌を刺す。
とぼとぼと歩きながらぐったりと項垂れる身体の弱い親友に同意するのも面倒で、そのままチラリと肩越しに後ろを振り返った。
中学生と高校生の混ざった集団の中から聞こえるのは火原と名乗った教師らしくない教師の無駄に元気な声だけだ。
駅前で客待ちしているタクシーを使おうかとも思ったものの、団体行動中のかなでを置いていくわけにもいかずにこうして歩いてきたわけだが、さすがに疲れを覚えている。
ようやく辿り着いた建物に入ると、強い日差しが遮られただけでほっと人心地ついたようだった。
「── じゃ、受付済ませて部屋に荷物を置いたら、ここに集合ね!」
「はぁ?
……なんであんたが仕切ってんだよ」
皆がぐったりしている中で一人あり余った元気を振り撒く火原に、東金は険しい視線を向けた。
「いいからいいから、騙されたと思ってきみもおいでよ。
人との出会いって宝物だからさ」
嬉しそうにそう言いながら、火原は引率してきた中学生たちの受付をまとめて済ませていく。
暖簾に腕押しなやり取りに思わず舌打ちした東金は、くいっと袖を引かれて下を見た。
「……すごい人たちに会わせてくれるそうですよ」
内緒話をするように片手を口元に当てたかなでが、小さな声で囁いてニコリと笑った。
彼女が火原の指示に従う気なら、自分もそうせざるを得ないではないか。
「……わかった、付き合ってやるさ」
ぽふっ、と彼女の頭に手を乗せてから、学生とおぼしき係員のいる受付へと向かった。
* * * * *
「── みんな、こっちこっち!」
相変わらず元気な火原の手招きで向かうのは、研修施設の裏手にある遊歩道。
ところどころにベンチが置かれていて、ゆったりと高原の空気を満喫するのにはもってこいな場所である。
生垣の向こうにはテニスコートも見える。
「あっ、いた!
おーい、お待たせー!」
頭上でぶんぶんと手を振りながら叫んだ火原が、手に提げた重そうなビニール袋をガサガサ言わせて駆け出した。
その先のベンチには人影が2つあった。
「── なんだ和樹さん、ほんとに来たんだ?」
「うわっ、ひどいなー衛藤くん。
だってみんなに会えるんだし、最初に音楽祭の情報教えてくれたの、衛藤くんだろー」
「みんなっつっても俺らだけじゃん──
あ、和樹さん、それなに?」
衛藤、と呼ばれた青年が話をはぐらかすように話題を変える。
子供のようにむくれ顔をしていた火原が慌ててビニール袋をガサッと開いた。
「あっ、飲み物買ってきたんだった!
みんなも1本ずつ取ってね。
おれからのおごり!」
「やった!」
ベンチを立った衛藤が、ふと火原の後ろで固まっている集団へと目を向けた。
彼の視線が止まったのは──
かなでだった。
「あ」
目が合って、かなではぴょこりと頭を下げる。
「お、お久しぶりです」
「香穂子!
さっき話してたヤツ」
衛藤はかなでの挨拶に答えることなくくるりと後ろを振り返り、まだベンチに腰掛けたままの女性に声をかけた。
どこか見覚えのあるその女性はゆっくりとした動作で立ちあがり、ゆっくりと近づいてくる。
「── あなたが小日向かなでさん?」
「は、はいっ!」
「初めまして、日野香穂子です。よろしくね」
にっこり笑ってかなでの手をそっと握ったのだった。
「……あれあれ、マスタークラスの講師とこんなとこでご対面やなんてなぁ。
あの火原っちゅう先生、何者なんやろ?」
東金が考えていたことそのままを、土岐が感心しきりに呟いた。
『衛藤桐也』『日野香穂子』と言えば、星奏学院の卒業生の中でもトップクラスの知名度を誇る若手ヴァイオリニストである。
その彼らから指導を受けられるとあって、今年の音楽祭の参加希望者は過去最多だったと聞く。
そんな二人と親しげに会話している火原という教師。
そんなことよりも今の東金が気になっているのは、かなでと衛藤がどうして「久し振り」なのかだった。
「ね、日野ちゃんは何飲む?
ジュース?
レモンティーもあるよ」
「あ、ごめんなさい。
私はちょっと……」
がばっと開いたビニール袋を火原に向けられて、胸の前で小さく両手を振りながら数歩後退る香穂子。
「あ、ごめん!
好きなのなかった?」
「いえ、そうじゃないんですけど……」
「── にぎやかっすね」
いつの間にやってきたのか、がさりと地面を踏み締め香穂子の前に紙コップを差し出したのはスポーツマンタイプの長身の男性。
香穂子はほっとした顔つきで紙コップを受け取った。
「あっ、土浦!」
「お久しぶりです、火原先輩」
「土浦も来てたんだー。
そっか〜、そうだよね〜」
「……なんですか、その意味ありげな言い方は」
「だってそうじゃん。
新婚さんだもん、日野ちゃんと離れたくなかったんでしょ」
「っ……そういう訳じゃないんですが……まあそれも一因というか……」
真っ赤になった頬をぽりぽりと掻いている土浦という男の脇をぐりぐりと肘でつついている火原。
「そうだ!
ねえ、今日の夕飯、みんなで一緒に食べようよ!
いろいろ話したいこともあるし!」
その時だった。
香穂子ががばっと口元を手で覆い、受け取ったばかりの紙コップを土浦に返して駆け出したのは。
「おい、慌てず走れよ。
俺も行こうか?」
大丈夫、と答えながら、香穂子は建物の方へと走っていった。
「土浦ぁ……言ってること矛盾してるよ。
それより日野ちゃん、体調悪いなら休ませてあげたほうがいいんじゃない?」
「まあ、休ませてやりたいのは山々なんですが……」
「大丈夫だよ、日野ちゃんの分も衛藤くんが引き受けてくれるって!」
「和樹さん……勝手に決めんなって」
「いや、本人もヴァイオリン持ってる時は大丈夫って言ってるし……その……ただの『つわり』っすから」
更に真っ赤になった顔をあさっての方向へ向けてぼそっと呟かれた土浦の一言に、その場は(といっても火原と衛藤に限るが)時間が止まったかのように固まった。
「……それって、日野ちゃん、お母さんになるってこと?
土浦がお父さん……?」
「……ええ、まあ」
「うわああああっ!
おめでとう土浦ぁ!」
火原はがしっと掴んだ土浦の手をぶんぶんと振り回す。
「そ、そういうことなんで、あいつの前で食い物の話はNGってことで。
今は果物くらいしか受け付けなくて、これもグレープフルーツを絞っただけのヤツなんですよ」
手の中の紙コップを軽く揺らして、土浦は溜息を吐く。
「そっかぁ……じゃあもう少しして落ち着いたら、みんなでお祝いしようよ!
ね、こっちにはいつまでいるの?」
「ああ、それは──」
「── 人を引き連れて来ておいて、何なんだあいつらは」
「まあええやないの、おめでたいことみたいやし」
「付き合ってられねえ……戻るぞ」
手を握り合ったまま興奮気味にしゃべっている男二人と、その横でなぜか頭を抱えてしゃがみ込んでいる男を放置して、東金は踵を返して建物の方へと向かう。
彼がかなでの手を引っ張っていったので、自然と高校生たちもぞろぞろとついてきた。
中学生3人は引率の教師を置いて行けないと思ったのか、その場に残っている。
「……でも、素敵ですね」
「なんだ、お前も結婚したくなったのか?
それとも子供か。
どっちもすぐに実現させてやるぜ?」
ぽつりと呟くかなでに、東金はニヤリと笑ってそう答えた。
現実的に今は無理なことなのはわかっているが、いくらか本音も混ざっている。
「千秋……そういうナマナマしい会話は周りに人がおらん時にしてや……」
呆れた声に後ろを見れば、赤い顔の高校生たちがバツが悪そうに視線を逸らしていた。
純情なことだ、と東金は喉を鳴らして笑う。
「……かなで?」
東金は思わず眉をひそめた。
きっと同じように照れて真っ赤になっているであろうと思って覗き込んだ彼女の顔には、春以来時折見られるようになった思い詰めたような表情が浮かんでいたから。
【プチあとがき】
ふっふっふー、出しちゃったよ土日+衛藤(笑)
というわけで、ここから本格的に東かなと土日のコラボ話になります。
まあ、基本的に東かなメインですが。
香穂子さん、凛々香ちゃんご懐妊中。たぶん時期は合ってるはず。
いろいろと苦手な方はごめんなさい(汗)
【2010/10/14 up】