■SEASONS【III.Spring(3)】 東金

 最初のセレクションまであと2日となった月曜日。
 今日は伴奏者との仕上げに入るかなでの練習を見てやることになっている。 それぞれの演奏の完成度とバランス。 客観的に聞かなければ判断できないものをアドバイスしてやるのが目的である。
 それにしてもつくづく面白いコンクールだ、と東金は思った。 普通、一度負ければ次はない。 なのに星奏学院で行われる学内コンクールは4回のセレクションで総合順位を決定するという。 考えてみれば4回演奏するのがわかっているのだから、ある意味計画が立てやすくていいのかもしれないが。
 今のところ、第1セレクションは長調の軽やかな曲、第2では短調の切ない曲、第3では技巧的な難易度の高い曲にしようというプランを立てている。 最終セレクションはそれまでの経過を見て決めるつもりだ。 同じような曲調一辺倒では飽きられてしまうだろう。 順位をつけられるためとはいえ舞台に立って演奏する以上、審査員を含めた聴衆の心を捕らえてこそ意味があるのだ。
 かなでとの約束は4時半。
 人の演奏に口出しする以上、自分の腕を磨くことを疎かにするわけにはいかない。 東金は約束の時間まで大学内の練習室でみっちり練習してから星奏学院高校へと向かった。

 勝手知ったる校内、まっすぐ向かった練習室棟の入り口でかなでと待ち合わせ、練習中の個室へ。
「── お待たせ〜」
 扉を開けて部屋に入りながら、かなでが元気に声をかける。 続いて東金が部屋に入ると、ピアノを弾いていた女子生徒が手を止めてバッと立ち上がった。
「えっ、あっ──」
 立ち尽くす女子生徒は東金の顔を凝視したまま、頬を真っ赤に染めて口をパクパクさせている。 こんな反応は今に始まったことではないので特に気にはならないが── これから練習を見てやろうと言うのにそんな反応されたのでは、なんとなく面白くない。 思わず眉間に皺を寄せると、女子生徒は我に返ったようにかなでに飛びついて、広くもない部屋の隅に引っ張っていった。
「── どういうこと !?  練習見てくれる人って東金さんだったの !?  やだ、聞いてないよぉ〜!」
「え、そうだっけ?  あ、でも大丈夫。 最初はちょっと厳しくて怖いなーって思うかもしれないけど、根は優しくていい人だから」
「そ、そういう問題じゃなーいっ!  私、東金さんのファンなんだもん!」
「え……そ、そうだったの……?」
「も、もちろん小日向ちゃんのカレシだってことは知ってるけど!  でもでもっ、緊張しちゃって弾けないよぉっ!」
 女子二人、ぼそぼそと内緒話をしているつもりらしいが、狭い室内で内緒にできるはずもなく。 会話はすべて丸聞こえである。
「……おい、さっさと始めろ」
「はーい。 じゃあ、頭から通してみよう?」
「は、はいっ!」
 東金は壁に立てかけてあったパイプ椅子を持ち出し、どさりと腰を下ろして二人の演奏に耳を傾けた。

 そして1分半以内という規定時間に編曲された短い演奏が終わったところで、東金は頭を抱えることになった。 ピアノ伴奏が人に聴かせるに足る出来だとはお世辞にも言えない状態だったからである。
「はぁ……」
 わざとらしい溜息を吐き、処置なしとばかりに額に手を当てる。
「かなで……今からでも伴奏者の人選を考え直した方がいいんじゃねえのか?  まあ、端から勝負を捨てる気なら、そのままでも構わんがな」
 そう言い放つと、むっとした険しい顔つきでかなでがギロリと睨んでくる。 そんな顔も可愛くて思わず口元が緩んできそうになるが、ここは気合いで引き締めて。
 ほぼ同時にピアニストがばっと両手で顔を覆って啜り泣き始め、東金は思わず舌打ちする。 不出来な演奏を指摘されて泣くくらいなら、もっと練習に励むか、元より伴奏者など引き受けなければいいのに。
 ふと影が差した。 かなでが険しい顔つきのまま目の前に立ちはだかっていたのである。
「── 伴奏者を替えるつもりはありません」
「勝負は捨てる、ということか?」
「違います!」
 もうっ、と不満のこもった声を上げながら、かなでは東金の腕を引っ張った。 無理に立たされ、バランスを崩したパイプ椅子がカシャンと金属音を立てる。 彼女はそのまま東金を練習室の外へと連れ出した。
 廊下に出ると、かなでは厚い防音扉を力いっぱい押し閉めて。 それからくるりと東金の方へと向きを変えた。
「あんなにきついこと言わなくてもいいじゃないですか!」
 じんわりと涙の浮かんだ目で睨み上げてくるかなではいつになく激しい剣幕で迫ってきた。
「ハッ、俺は事実を言っただけだぜ?」
 怯むことなく切り返す。 本番2日前で今の調子なら、本気で優勝なんて狙えるはずもないのだから。
「あの子はうちのクラスのピアノ専攻の中で、一番上手な子なんです!  今はちょっと緊張しちゃってたけど、さっきまでちゃんと弾けてたし!」
「俺ひとり聞いてたくらいで緊張してんたんじゃ、大勢の聴衆の前でなんて演奏できねえだろ」
「誰だって憧れの人が近くにいたら緊張します!  それに自分の好きな人が大事な友達を悪く言うのは我慢できません!」
 彼女の目に溜まった涙は今にも零れ落ちそうだった。 せめて練習不足を指摘する程度に留めておいたほうがよかったのかもしれない。 自分だって大事なツレを悪し様に言われたら黙っていないだろうし。 だが間違ったことを言ったつもりはないし、この程度のことで弾けなくなるようでは厳しい音楽界で成功することなどあり得ない。
 お互い黙りこくってしばし。
 ふぅ、と息を吐いたかなでが、ごめんなさい、とぽつりと漏らした。 表情から険しさが消え、申し訳なさそうな微かな笑みが浮かんでいる。
「あとは自分たちで練習します。 録音して聞いてみれば、直さなきゃいけないところもわかると思うし。 練習をみてほしいって頼んだのは私なのに……ごめんなさい」
 律義にぺこりと頭を下げ、それと、と呟いて彼女は俯いた。
「……友達が自分のカレシに憧れの眼差しを送っているのを見るのは、ちょっと妬けちゃいますから」
 俯いた顔を少し上げ、上目使いで照れ臭そうに笑うかなで。
 その顔のあまりの可愛さに、本当なら有無を言わさず抱き締めたいところなのだが、さすがに場所を考えた。 彼女の頭の天辺にぽふっと手を乗せて、乱暴に掻き回す。
「きゃっ !?  ち、千秋さんっ !?」
「……お前、成長したな」
「えっ?」
 きょとんとして小首を傾げる仕草に、思わず小さく吹き出して。
「お前は何かあると、一人でネガティブに考え込んで、ひたすらどん底に落ちて自滅してただろ。 落ち込む前にそうやってはっきり気持ちをぶつけてくれたほうが、余程気分がいいぜ」
「千秋さん……」
 ほっとしたような顔になるかなでにニッと口の端を上げて見せ、彼女の頭の上でぽふぽふと手を弾ませる。
「さて、帰って練習でもするか」
「せっかく来てもらったのにごめんなさい」
「まあいいさ。 その代わり、しっかり曲を仕上げろよ」
「はい!」
 もう一度、小さな頭をぽんと軽く叩き、東金は踵を返して練習室棟の出入り口へと向かう。
「── あ、今日の晩ご飯、何が食べたいですか?」
「任せる。 お前が作るものにハズレはないからな」
 ひらりと手を振って歩き続けると、後ろから『頑張ります!』と声が聞こえた。 彼女が頑張るのは練習か、それとも夕食か── どちらにせよ、今日の夕食も、明後日のセレクションも楽しみにしながら東金は家路に就いた。

*  *  *  *  *

 うららかな日差しの中に夏の到来を感じ始めるようになったある日。 星奏学院の理事長・吉羅暁彦はずっと睨み合っていた書類から目を上げ、外から聞こえてくる様々な楽器の音色に耳を傾けた。
 この学院に棲みつく妖精の気紛れで開催される学内コンクールも既に2回のセレクションが終了した。 ここまでのセレクションでは上位3位までを昨年夏のコンクールメンバーで占める三つ巴の様相を呈している。
 我儘な妖精に振り回されているであろう参加者たちを気の毒に思いながらも、自らが参加させられた学生時代に思いを馳せれば、普段いかめしさを崩さない表情に懐かしさが浮かんだ。
 そんな穏やかな気分を打ち消すように、机の上の電話が耳障りな音で鳴り始めた。 外からの電話だと知らされ、回線を繋ぐように告げる。
「── お待たせしました。 理事長の吉羅ですが」
 名乗った相手は経済界では名の知れた人物だった。 味方につければ学院の運営にも有益だろうと思われるが、もしも今援助など申し入れられたとしても何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。 吉羅と電話の相手とは全く面識がないのだから。
 疑心暗鬼になっている吉羅が聞いたのは、意外な言葉だった。
「は……?  小日向かなで、ですか?」
 電話の相手は『小日向かなではどういう生徒なのか』と聞いてきたのである。
 理事長である吉羅は、全生徒の顔と名前を把握しているわけではない。 だがその名前はつい最近耳にしていた。 開催中の学内コンクールの2回のセレクションで2位、1位と順位を上げた将来有望なヴァイオリニストの卵だ。
「── プライバシーの問題もありますので、成績等に関してはお答えできかねます。
 ── は?
 ……でしたら実際にお聞きになるとよろしいでしょう。 現在、当学院では一般公開でのコンクールを開催しておりますので──」
 吉羅はこれからのセレクションの日程を告げて電話を切り、不可思議な問い合わせに首を捻りながら、次に処理しなければならない書類を引き寄せた。 だがじっと書類を見つめながらも、これを縁に新たな事業展開ができないものか、と様々な計算が彼の頭の中で渦巻いていた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 おりょ? アヤシイ展開になってきましたぞ?
 これから一波乱、かな。
 まあ、種明かしは追々。
 学内コンクール参加者同士の恋愛ではないのでイベント考えるのが難しいっす。

【2010/09/01 up】