■SEASONS【III.Spring(1)】 東金

 5月9日、水曜日── 新年度を迎えてから早一ヶ月。
 浮かれ気分のゴールデンウィークが過ぎ去った星奏学院は休み疲れと休み明け特有の陰鬱さの中に、全く別の浮き足立ったような空気が満ちていた。

 連休前に出された課題曲の実技テストを5時間目に控え、かなでは昼休みの練習室で曲の最終仕上げをしていた。
 休み中はあまり練習できなかったけれど、運の良いことに弾き込んだことのある曲だったので、思ったよりも上々の仕上がりだ。 前に弾いた時よりも技術力が向上しているし、元々好きな曲なので気持ちも乗せやすい。
 気がつけば昼休みは残り10分。 もう1回弾いたら音楽室に移動しよう、とヴァイオリンを構えたその時だった。
「── あれ……?」
 視界の端をチカチカと光がかすめたような気がした。 疲れたのかな、と手の甲で目をこする。 まぶたを上げたその目の前を間違いなく光のかたまりが横切って、天井近くまで昇っていった。
「えっ?」
 声を上げるとほぼ同時、光がぽんっと弾けたその場所に──
『── お?  おおっ !?  お前、我輩の姿が見えるのだな !?』
 ── 背中に羽根の生えた小さな生き物が嬉しそうな満面の笑みでふよふよと浮かんでいた。
「……ティンカーベル?  ……あれ?  どこかで見たことあるような……」
『むむっ、失礼なやつなのだっ!  我輩の名はリリ、この学院に音楽の祝福を与えるファータなのだ!』
「……………あーっ!  正門前の銅像だ!」
 ぷんすかと怒りをあらわにしていた小動物は、指差し叫ぶかなでの声にずるっと肩を落とし、力が抜けたのか50センチばかり落下した。
『……なかなか肝の据わったやつなのだ……』
 疲れたように呟いて、リリは羽根をはたはたさせてまた天井近くへと舞い戻る。
「あの……リリ、さん…?  私に何かご用ですか?」
 するとリリは手にしたスティックをびしっとかなでに向けて、
『参加者が揃ったのだ!  学内音楽コンクール、開催なのだーっ!』
「えっ?  ええっ !?」
 何のことかわからず混乱するかなでの目の前で、リリはくるりと宙返りひとつ、パッと姿を消した。
 去年の夏、転校してきて以来『星奏学院に棲む音楽の妖精』の噂は何度も聞いていたけれど、まさか本当に存在していたとは──
 驚きと感動が複雑に入り混じる中、呆然と立ち竦んでいたかなでの耳に昼休み終了のチャイムが鳴り響く。
「えっ、うそっ!  もう1回弾きたかったのに〜」
 大慌てで楽器を片付けた手がふと止まる。
「……そうだ、後で千秋さんにも教えてあげようっと♪」
 くすっと笑ったかなではパタンと閉めたヴァイオリンケースを抱えて練習室を飛び出した。

*  *  *  *  *

 その日の放課後、学内コンクール参加が決まった生徒が音楽室に集合していた。
 集まったのは7人。 3年生はかなでと、今年度も同じクラスになった如月響也。 2年生は水嶋悠人と他2人。 1年生からは2人が参加している。
 コンクールなら普通楽器ごとの部門で競うはずだ。 なのにここにいる生徒の専攻する楽器はかなでと響也以外見事にバラバラだった。 せめて弦楽器と管楽器に分けるべきではないだろうか、と皆の顔に困惑が浮かんでいる。
「── 揃ったかー?  じゃあ説明始めっぞー」
 白髪混じりでがっちりした体格をしたジャージ姿の教師が丸めた紙の束を手に音楽室に入ってきた。 見た目はまるで体育教師だが、担当教科は音楽理論、オケ部の顧問をしている渡辺という名の教師である。
「ほれ、如月。 これ、皆に配れ」
「うっす」
 バトンリレーのように紙の束を渡された響也が不安顔の生徒たちに一枚ずつ配っていく。 一番上の大きな文字は『星奏学院学内音楽コンクール参加要項』となっていた。
「渡辺先生、違う楽器ばかりでどうやって審査するんですか。 こんなやり方では意味がないと思いますが」
 眉間に皺を寄せた悠人が教壇に立った教師へ疑問をぶつけた。
「だよなー。 ま、そういう質問は、お前さんたちを選んだ『本人』に直接聞いてくれや」
「うわー、無責任だな、おい」
 紙を配り終えた響也が席に着きつつ呆れ声を出した。
「とにかく、だ。 セレクションは4回、各セレクションで順位が付けられる。 で、4回目の最終セレクションで総合順位が決定されるって寸法だ。 演奏曲は自由。 ただし規定時間が──」
 説明が続く中、外から黄色い歓声のような悲鳴のような声が微かに聞こえてきた。 防音完備のはずの音楽室にまで聞こえてくるのだから相当な大音量なのだろう。 バンッと勢いよく扉が開いてダイレクトに届いた声は確かに耳を塞ぎたくなるほどの大音量だった。
「── かなでっ!」
「えっ !?  ち、千秋さんっ !?」
 ずかずかと室内に入ってきたのは東金だった。 続いて土岐が入ってきて扉が閉まると黄色い声は一気にボリュームを下げた。 どうやら彼ら二人が黄色い声を巻き起こした原因で、それを引き連れつつここまで乗り込んできたらしい。
「ど、どうしたんですかっ !?」
「どうした、じゃねえだろっ!」
 東金は駆け寄ってきたかなでの額にいきなり手を当て、もう一方の手を自分の額に当てる。
「……熱はないな」
 ほっと小さく息を吐き、今度はかなでの身体をぺたぺたと触っていく。 その光景はまるで厳戒態勢中のボディチェックのようだった。
「── 小日向ちゃん、久しぶりやね」
「あ、蓬生さん。 お久しぶりです」
「連休は温泉行ったんやて?  楽しかった?」
「はい!  お食事も美味しかったし、露天風呂からの景色がとっても素敵でした!」
「それはよかったなぁ。 ああそうそう……お土産、ありがとう。 小日向ちゃんが選んでくれたって聞いたんやけど」
「あ、あははっ……私は選んだだけで、お金は千秋さんが出してくれましたから」

「── 響也先輩、あれを許しておいていいんですかっ !?  女性の身体をああも無遠慮に触るとは……なんて破廉恥なっ!」
 今度はかなでの背後に回り込んでの丹念なボディチェックは続いている。
「……いや、あの状況で平然と会話を続けられるかなでの神経のほうが信じらんねぇ……」
 ぼそぼそと囁き合う二人の周囲では、他のコンクール参加者たちが目の前で繰り広げられる光景を直視できずに赤い顔を必死に逸らしていた。

「── もうっ、いつまで触ってるんですかっ!」
 くるりと振り返ったかなでが、行き場を失って宙に浮いたままの東金の手をぺちりと叩く。
 ── 反応遅すぎだろ、とこっそり響也がツッコんだのは言うまでもない。
 叩かれて揺れた手を伸ばし、東金はそのままばふっとかなでを抱き締めた。
「── 痛いところはないんだな?」
「な、ないですけどっ!  ど、どうしたんですか千秋さんっ !?」
 かなでは身体中をくまなく触られていた時よりも明らかに動揺して、抱きついている東金の背中をタップする。
「……お前が『妖精を見た』とか妙なメールを送ってくるからだろ。 旅疲れか?  それとも現実逃避したくなるほど辛いことでもあったのか?」
「…………はい?」
「── おい、かなでっ、『アレ』のこと、東金にしゃべっちまったのかよ !?  他のヤツには言うなって口止めされただろーがっ!」
 抱き締められたままきょとんとするかなでを責めたのは響也だった。
「えっ、私、そんなこと聞いてないよ?」
「はぁっ !?」
「前に千秋さんが正門前の妖精像のこと気にしてたし、せっかくだから教えてあげようと思って」
 かなでは全く悪びれることもなく、ニコニコと楽しそうだ。
 実際彼女は口止めなどされていないのだ。 コンクール出場者が揃ったことで舞い上がったリリは、彼女にそれを告げることなく姿を消してしまったのだから。 明らかにリリの落ち度である。
「……てことは、妖精の話は本当なのか…?」
「はい♪」
「…………」
 東金が難しい顔で黙りこくった時、ダンッと大きな音が響いた。 混迷を打破するべく、教師・渡辺が教卓を両手で勢いよく叩いた音だ。
「おーい、小日向……彼氏と温泉旅行も結構だが、わざわざ転校してきた立派な志をきっちり貫けよー」
「えっ、違います違います!  二人きりで行ったんじゃありません!」
「ほぅ?」
「えと、うちのおじいちゃんがぎっくり腰になっちゃいまして。 千秋さんに話したら、温泉で湯治させてあげようって言ってくれたんです。 もう、うちのお母さんったら広いお風呂ではしゃいじゃって〜」
「なるほど、家族旅行か。 さすが、『神南の王子様』は太っ腹だなー」
 揶揄たっぷりの言葉と共に笑みを含んだ視線を投げかけられて、東金はフンと鼻を鳴らしてあしらった。 ニヤリと挑戦的に口の端を上げて、
「理解したなら、部外者はこれ以上の口出しは遠慮してもらおうか」
「おーっと、部外者はお前さんたちの方だぞー。 ほれ、コンクール参加者でもうちの生徒でもない人間はさっさと出てってくれよ」
 諦めたような舌打ちひとつ、東金は腕の中からかなでを解放した。
「── 帰る時は電話しろ。迎えに来る」
 耳元で囁いて、彼女の頬をすっと撫でてからくるりと踵を返す。
 そして闖入者二人が姿を消し、何とも言えない微妙な空気の漂う中、学内コンクールに関する説明会は再開されたのだった。

*  *  *  *  *

「──へぇ、聞けば聞くほどおかしなコンクールだな」
「ですよねー」
 東金のマンションで夕食をつつきながら、かなでは彼が去った後に受けた説明を話して聞かせていた。
 ちなみに今日のメニューは焼き魚定食とでもいうべき純和食である。
 初めは週末にここに来て、東金に食べてもらう1週間分の食事を作り置きしておこうと考えていたかなでだったが、 いざやってみるとそれは思っていた以上に大変な作業だった。 まず1週間分の献立を考えるだけでも一仕事だったのだ。
 いろいろと試行錯誤した結果、今は2日に1回に落ち着いた。 一緒に夕食を食べ、翌日の食事を作っておく、くらいのペースがかなでにとっても楽だった。
 何よりせっかく近くに住んでいるのだから、会えるのなら毎日でも会っていたいというのが本音である。
「学内行事とはいえ、コンクールと名がついてるんだ。 出るからには優勝を狙っていけよ。 協力はいくらでもしてやるから」
「はい!  実は早速演奏しようと思う曲の楽譜をいくつか持って来たんです。 選曲の相談に乗ってください」
「ああ、いいぜ」
 ── こうしてかなでの学内コンクール優勝を目指す日々は幕を開けたのだった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 コルダの春といえば、学内コンクールでしょ。
 というわけで、次世代キャラコンクール編でございます。
 今回はプロローグみたいなもんで。
 でも次の展開はまだノープラン。
 どんなイベントを起こしてほしいか、アンケートでも取ろうかなぁ(汗)
 渡辺先生は、土日「夏の想ひ出」参照。
 後々書き直す可能性あり、ですな……

【2010/08/23 up】