■SEASONS【II.Winter(6)】 東金

「── かなでは?」
 椅子に座ってぼんやりしていた土岐の元に、東金が戻ってきた。
 一言目にそれか、と苦笑しながら、挨拶は終わったのか、と尋ねる。 東金はうんざりしたように顔を歪め、クソ親父どもめ、と吐き捨てた。
「口を開けば『うちの娘が』だ……鬱陶しい」
「仕方ないやろ。 何年も前からこのパーティはそういう使われ方しとるんやし」
 土岐が苦笑を深めれば、東金は苦虫を噛み潰したようにますます表情を苦く歪めた。
「それで、かなではどこへ行った?」
「あー……さっきから麗香に引っ張り回されて、あの辺うろうろしとったわ」
 『あの辺』と指差した方向に東金が視線を向ける。 ステージの上で楽器を持った四人が集まって何か話しているのが見えた。 次の演奏曲の相談だろうか。 残念ながら彼女の姿は見えなかった。
「……ったく、面倒な奴に気に入られやがって」
 東金は呟いて、くるりと踵を返す。 向かったのは並べられた料理の方だった。 女の子二人に置いてけぼりにされてしまった土岐もパーティが始まって以来飲み物しか口にしておらず、相伴に預かることにした。 手にした取り皿に料理を乗せていく。
 ようやく次の演奏曲が決まったのか、カルテットが曲を奏で始めた。
 さっきまではせっかくの生演奏だというのにただのBGMとして聞き流していたであろう客たちが何故かざわめき始め、何事かと二人は揃って後ろを振り返る。 ステージの上に、さっきまでなかったはずの黄色いドレス姿があった。
「── っ !?」
 聞こえる曲はヴィヴァルディの『冬』。 夏のコンクールの地方大会の課題曲として提示された数曲のうちの1曲である。 神南は特殊な編成だったため別の曲を選んだが、彼女たち星奏学院は弦楽四重奏に編曲されたこの曲を演奏したのを録音で聞いている。 その時2ndヴァイオリンを担当した彼女が今、元来ヴァイオリン協奏曲であるこの曲のソロパートを弾いていた。
「── なんて顔で弾いてやがる」
 眉間に皺を寄せ吐き捨てた東金がダンッと皿を置き、つかつかとステージの方へと歩いていく。 土岐も慌てて皿を置き、後を追った。
「……すごい」
「上手いわね」
「誰、あの子?」
「……なんだかブリザードの中に放り出されたみたい」
「寒い……というより、痛い」
 客の間を擦り抜けていくうち、そんな感想が聞こえてくる。
 確かに夏以降更に腕を上げた彼女の演奏は『上手い』のだろう。 だが、彼女の普段の演奏を知っている者が聞けばすぐにわかる── 彼女らしくない演奏だった。
 ぎゅっと目を瞑り、眉根を寄せてひたすら弓を動かしている。 ステージの真ん前に東金が陣取ったことにすら気づかずに。
 彼女の音はまるで吹雪の向こうから迫ってくる得体の知れない何かにひどく怯えているようで。 その恐怖に耐えきれなくなってヒステリックに泣き叫んでいるような痛々しい演奏だった。
 演奏を終えたかなでがヴァイオリンを下ろすと、余興のひとつだと思っている客たちが彼女に向けて拍手を送った。
 慌ててぺこりと頭を下げ、顔を上げた彼女はようやく目の前の東金の姿に気づいたらしい。 ギクリと身を竦ませ、逃げるようにステージを去ろうとした。
「── かなで」
 ひた、と足を止めたかなでがゆっくりと蒼褪めた顔を向けてくる。
「感情を曲に乗せるのはいいが、感情に流された演奏はするな。 聴衆を悪酔いさせてどうする」
 浴びせられた厳しい言葉に、かなでは俯き唇を噛む。
「ごめん千秋くん!  私が無理にねだったの!  かなでちゃんは悪くないから!」
 二人の間に漂う只事ではない空気に慌てた麗香が、背中にかなでをかばうようにして東金の前に飛び出した。
「……お前は引っ込んでろ」
 かなでに視線を据えたままの東金は、麗香を一瞥すらせず冷たく一蹴する。
 さらに言い募ろうと東金が口を開いた時、
「……顔を洗ってきます── お騒がせして、すみませんでした」
 呟いたかなでが深く頭を下げた。
 ステージを下り、地元では楽器道楽で知られるこのホテルの支配人に、ありがとうございました、とヴァイオリンを差し出した。 あのヴァイオリンは支配人のものだったのだろう。 戸惑いを隠しきれない表情で受け取った支配人が何か声をかけようと口を開いたけれど、かなでは振り切るように身を翻して、そのまま会場を出ていった。
 ちっ、と苦々しげに東金が舌打ちする。
「千秋くん!  追いかけなきゃ!」
 麗香の声にも彼は動かない。 余程彼女の演奏に不満を募らせて意固地になっているのかもしれない。
「……とにかく場所移そか。 このままここにおったら、ええ見世物や」
 ゴシップめいた出来事に興味津々な眼差しを送ってくる招待客に向け、土岐は端正な顔に思わず気が抜けるような柔らかい笑みを貼り付けて、動こうとしない東金の背中をぐいぐい押して扉へ向かう。
 廊下に出て扉が締まる直前、中から気を取り直したように弦の音が聞こえてきた。 同時にパーティ特有の浮かれたような喧騒が戻る。
 恐らくそれほど大きな問題にはならないはずだ。 客たちは『可愛らしい少女が大勢の前で叱責された』と同情しているだろう。 もしあの二人がいつもの親密さを披露していれば、『東金家の子息を娘婿に』と意気込んでいる親たちと、親に言われてその気になっている娘たちが黙ってはいないだろうから。
「……せやけど、なんで小日向ちゃんが演奏することになったん?」
 腕組みをしていまだ不機嫌そうな顔で突っ立っている東金へちらりと視線を走らせてから、土岐は一緒についてきた麗香に問いかけた。
「……私、お手洗いに行くって出ていったかなでちゃんを追いかけたじゃない?  トイレに姿はないし、探してみたらロビーでしょんぼりしてたから、励ましてあげたくて……話聞いたら、ヴァイオリンのコンクールで優勝したっていうから」
 責任を感じているのか、麗香は蒼褪めた顔で俯きがちに経緯を語る。
「それで演奏持ちかけたん?」
「だって、好きなこととか得意なこととかやってると楽しくなるじゃない?  だからかなでちゃんにヴァイオリン弾かせてあげたら元気になってくれるかな、って……」
 土岐はズキズキと痛み始めたこめかみを押さえ、はぁ、と大袈裟な溜息を吐いた。 彼女なりの厚意なのだろうが、あまりに短絡的すぎる。
「── そもそもなんであいつが落ち込むんだ?  さっきまで普通にしてただろう」
 割り込んできたのは東金だった。 ずっと黙りこくっていたのは、今の事態を引き起こした原因を彼なりに分析していたからなのだろうか。
「なんで、じゃないわよ!  千秋くんのせいじゃない!  いつまでもあの子ほったらかしにして!  招待したんなら責任持ってエスコートしなさいよ!」
 激しい剣幕の麗香に詰め寄られ、東金は若干身を反らしながら迷惑そうに眉間に皺を刻む。
「いつまでも、って程の時間でもないだろ」
「それでも!  女の子は自分のカレシに他の女がきゃあきゃあ群がってるのを見たら気分悪くなることくらい理解しなさいよ、この朴念仁!」
 渾身の叫びに麗香は肩を大きく上下させて荒い息をする。 目元にうっすら涙が浮かんでいるところを見ると、彼女は相当かなでに肩入れしているらしい。
「── そういうことか」
 すっと目を細めた東金が、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。 余裕のある身のこなしで麗香から離れて、すたすたと歩いていく。
「ちょ、ちょっと!  どこ行く気よ!」
 土岐は東金の後を追おうとした麗香の腕を掴んで引き止めた。
「……千秋に任せとき」
「でも、かなでちゃんを探すなら私も──」
「あの格好で外には出られへん。となると──」
 そう言って土岐は少し歩いてエントランスホールが見渡せるところまで出ると、軽く顎をしゃくってみせる。 訝しげについてきた麗香と共に向けた視線の先、突き当たりに見えるフロントに東金の後ろ姿があった。 フロントマンがにこやかに手で示したのはエレベータがある方向。 東金は迷いなくその方向へ向かっていった。 彼女が部屋に戻っていると考え、一応フロントで確認したのだろう。
「あとはあの二人の問題や」
 パーティの空気に飲まれてネガティブになったかなでが、その原因の一端をけしかけられれば落ち込んで当然だろう。 コンクールもヴァイオリンも、彼女にとってはすべて『東金千秋』に直結しているのだから。
 素直すぎて思い詰めやすい彼女の落ち込み方が異常なまでに激しいのは、夏の横浜滞在中に目撃して知っている。 ちょっとしたきっかけを与えてやれば、あっけないほど簡単に立ち直ることも。 その時きっかけを与えてやったのは土岐だったが、今回は東金本人でなければならない。
 土岐は苦笑を浮かべて、スーツのポケットから携帯を取り出した。 短い文面を打ち込んで、メールを送信する。 畳んだ携帯をポケットに戻した土岐は、踵を返してクロークへと足を向けた。
「あんたはパーティに戻り」
「えっ?  ほ、蓬生くんは?」
 クロークで番号札と引き換えに受け取ったコートを羽織りながら、
「俺?  俺は帰るわ」
「ええっ !?  な、なんで !?」
「あんなことがあって平気な顔で戻って来れるほど、小日向ちゃんは厚かましい子やないしな。 俺はここで姿消しといたほうがええような気がするんや」
「ど……どういう意味?」
 きょとんとする麗香に苦笑だけ返し、ほなまた来年、とひらりと手を振り、ホテルを出て駐車場に停めてある愛車の元へと急ぐ。
「……巣にかかった蝶々を前にして舌舐めずりしとる蜘蛛の食欲を刺激してしもたかもしれへんな」
 寒空の下での土岐の呟きは白くわだかまることなく冷たい風に流されていった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 曲は『冬』でございました。
 ゲーム中では音ゲーのためかテンポが遅いのでちょっとヌルイですが、
 今回のかなでさんはテンポ早めな上、走り気味な演奏をしたと思ってください。
 さあ、話がアヤシイ方向へ進み始めましたよ、予告通り(笑)
 『次はこうなるんですか?』という予測や『こうなるといいな』という希望は
 心の中に収めておいてください。
 決してそういうコメントを管理人に送ってはいけません。
 正解だった場合、失意のあまり続きが書けなくなる可能性があります(笑)

【2010/08/09 up】