■SEASONS【II.Winter(4)】 東金

「……なんや、あんたか」
「なんや、とはご挨拶だわね」
 くすくすと笑いながら、お世辞にもおしとやかとは言えない歩き方で床までの青いドレスの裾を捌きながら近づいてくる。
 整った顔立ちに少し焼けた肌。 ショートにした髪もメッシュを入れたように焼けていて。 身体のラインそのままにフィットしたドレスは、まるで夏の青空を切り取ってきたかのような透明感のある蒼。 すらりとしていながら適度に筋肉のついた身体は、どこかネコ科の肉食獣を思わせた。
 すぐ傍まで来た彼女は、ふむ、と唸ってからかなでの姿を頭の天辺から足の先までじっくりと観察して、
「あのさ……こんなとこに中学生連れてきちゃヤバいんじゃないの?」
 眉間に皺を寄せ、咎めるような視線を土岐へと向けてくる。
「……この子、俺らの1コ下やで…?」
「へっ…………?  そっ、そうなのっ !?  やだ、ごっめーん!  ちっちゃくて可愛いなーと思っただけで、悪気はなかったの!  ほんとにごめんね!」
 ぼそりと真相を呟いてやれば、彼女はかなでに向かってぱちんと手を合わせて拝み倒した。
 ── そういやこいつ、昔から素で失礼な奴やったもんな……確かに悪気はないんやろうけど。
 サバサバした男勝りで、確実に恋愛対象から外れた位置にいる彼女。 初めて会ったのはまだランドセルを背負っていた頃で、1年に一度しか顔を合わせることはない。 だが、裏表のない人柄と物怖じしない行動力は、ある意味『東金千秋タイプ』なので、土岐は彼女のことが嫌いではなかった。
 土岐はこっそりと溜息を吐きながら、背後に半分隠れてしまったかなでを振り返れば、彼女の顔には当然のように困惑の表情が浮かんでいた。
「── あ、私は岩清水麗香。 もうっ、完全に名前負けでしょ〜」
 そう言って顔を扇ぐようにしてぱたぱたと手を振り、あはは、と豪快に笑う。 日焼けをやめて少し髪を伸ばし、ふんわりと微笑めば、決して名前負けなどしていない容姿なのだが── もちろん土岐はそんなことは口には出してはやらない。
 ひとしきり笑ってから、麗香は振っていた手をすっとかなでへと差し出した。
「よろしくね、えっと……」
「あ……小日向かなで、です……よろしく、お願いします」
「かなでちゃん、かぁ。 可愛い名前ね。 うん、あなたにぴったり!」
 にかっと歯を見せて笑った麗香は、おずおずと出されたかなでの手を握り締め、ぶんぶんと振り回す。
「……ところでこの子、どこの子?」
 かなでの手を掴んだまま、こくんと小首を傾げる麗香。
「ああ、小日向ちゃんはな、横浜で千秋が惚れ込んだ最高のヴァイオリニストや」
「ほ、蓬生さんっ……!」
 顔を真っ赤にしたかなではどこかに隠れたいと思ったのか、視線をきょろきょろ彷徨わせたが、逃げようにも手を掴まれたままではどうしようもない。
「え、千秋くん……?  え゛、この子、千秋くんのカノジョ !?」
 素っ頓狂な声を上げ、麗香は再びかなでへ無遠慮な視線を向けた。
「……うっわー、なんか意外…… 千秋くんが選ぶ子って、もっと気が強くてガッツンガッツン言い返してくるようなタイプだと思ってた……」
 相変わらず歯に衣着せぬ物言いをする麗香に苦笑して、
「見た目に騙されたらあかん。 こう見えて小日向ちゃんは根性あるんやで?  千秋が無理難題ふっかけても、きっちり応えてくるしな」
「へぇ……なるほど、それならわかる気がする。 ほんと、最近の若い子って根性ないもんね〜」
 やけに年寄りめいた口調でぼやく彼女自身、十分若い高校3年生なのだが。
 麗香はふいにキラリと目を輝かせ、掴んでいたかなでの手を両手でぎゅっと握り締めた。
「そうだ、かなでちゃん!  ね、私と一緒にテニスやらない?  千秋くんに認められるほどの根性の持ち主なら鍛え甲斐がある!」
「えっ……あ……あの……」
 その時、横合いからにゅっと腕が伸びてきて、オロオロするかなでの肩を引き寄せた。
「── こいつは人の心を酔わせるヴァイオリニストだ。 お前のようにラケット握ってコートを走り回ってる暇はねえ」
 腕の中にすっぽりとかなでの身体を収めた東金が、憮然とした顔で立っていた。

「もう挨拶回りは終わったん?」
「いや、まだだ……どうしても先に挨拶させろってきかなくてな」
 そう言って東金がちらりと振り返った先には、上品な藤色の和服姿があった。 土岐にとっては昔からよく知る人物であるが、言葉で表すなら、色白でどこか儚げな印象を持つ気品のあるご婦人、といったところか。
「あっ、おばさま!」
 麗香がぴょんと跳ねるようにして和服女性の元へ駆け寄った。
「今年もお招きいただいて、ありがとうございます!」
「こちらこそ、来てくださってありがとう。 本当に、会うたびに綺麗になるわね、麗香ちゃん」
「やだもう!  おばさまったらお上手なんだから〜」
 からからと楽しそうに笑う麗香に、女性はたおやかな所作で口元に手を当て笑みを返している。
「あ、あの……?」
 後ろから抱きしめている東金の顔を、かなでが首を捻りつつ仰ぎ見た。
 東金はかなでの肩にぽすんと両手を乗せると、身体ごとくいっと向きを変えさせる。
「── お前に挨拶したいんだと」
 どこか不機嫌そうに呟いて、東金はかなでの肩をトンと押した。
「えっ !?」
 押されたかなではたたらを踏んで懸命に踏ん張る。 手に持ったグラスの中でジュースが大きく波打った。 どうにか零さずに済んでほっと胸を撫で下ろし、大きく息を吐いて顔を上げた時、そこには和服女性の笑みがあった。 女性はさらにニコリと笑みを深くして、
「── 千秋の母です。 千秋と仲良くしてくださってありがとう」
「ぅえっ !?  あっ、はっ、初めましてっ!  こっ、小日向かなでと申しますっ!  東金さ── じゃなくて、ち、千秋さんにはいつも大変お世話になってますっ!」
 緊張と恐縮のあまりカチカチになったかなでが、がばっと勢いよく頭を下げる。 今度こそ、手元からオレンジ色の雫がいくつか飛び散った。
「ふふっ、可愛らしいお嬢さんね。 千秋は我儘に育ってしまったから、いろいろとご迷惑をおかけしているんじゃないかしら?」
「とっ、とんでもありません!  ほんとにお世話になりっ放しで!  むしろあれくらいの我儘なら『ドンと来い!』って感じですから!」
「……おい、誰が我儘だ」
 不服そうに割り込んだのは、当然ながら東金である。
 肩越しに振り返ったかなでが、微かに眉を寄せる。
「え……自覚ないんですか…?」
「ハッ、俺は自分の意思に忠実に行動しているだけだぜ?」
「それを我儘って言うんですっ!」
 叫んだ後、はっと我に返ったかなでの顔からさぁっと血の気が引いた。 ギギギ、と音がしそうな様子で首を元に戻し、ひくりと口元を引きつらせると、東金の母に向かってごめんなさいすみませんと何度も頭を下げる。
 気にしなくていいのよ、と声をかけながら、かなでに頭を下げるのをやめさせようとする東金の母は、やけに嬉しそうに笑っていた。

「……やるなぁ、かなでちゃん」
「言うたやろ、見た目に騙されたらあかん、て」
 感心しきりの麗香に、土岐はくすくす笑いながら答えた。 それから何故か仏頂面の東金に視線を向け、
「── なんやご機嫌斜めやな、千秋」
 東金は面倒臭そうな視線でちらりと土岐を一瞥し、はふ、と疲れたような溜息を漏らした。
「── あいつを俺の名で招待すると言ってから、ずっとあの調子だ。 一体、何がそんなに気になるんだ?」
 そう言って彼が向けた視線の先では、彼の母親がようやく頭を下げるのをやめたかなでの手を取り、笑いながら何やら話しかけていた。
「あったりまえじゃない!  可愛い息子がどんな女の子を連れてくるのか、親なら気になって当然よ」
 無駄に胸を張りながら、麗香が言い放つ。 渋い表情で、東金はジロリと麗香を睨みつけた。 それから再び大きな溜息を吐いて、
「なんでだろうな……あいつのことを自慢したいのに、向こうから訊かれると言いたくなくなるのは」
 東金がこのパーティに個人的に誰かを呼ぶ、というが初めてのことなのは、幼稚園の頃から呼ばれている土岐もよく知っている。 彼の様子からして『個人的な招待客』に興味を持った母親や他の家族たちに根掘り葉掘り聞かれたのだろう。 きっと今もかなでを紹介するよう母にねだられたに違いない。
「そりゃ……相手が親やからこそ照れ臭うて言いにくいんやろ」
「……そういうものか?」
「……たぶん、な」
 曖昧に笑って再びかなでの方へ目を向けた。 ちょうど話が終わったところだったのだろう。 互いに頭を下げ、先に身体を起こした東金の母が彼女に背を向け、他の招待客が集まっているところへと歩いていく。 遅れて頭を上げたかなでがゆっくりと振り返り、よろよろと危なっかしい足取りで戻ってきた。
「お疲れ」
 苦笑を浮かべた東金が、かなでの頭にぽふっと手を乗せる。
「さてと……残りの仕事を片付けてくるか」
「あ……」
 心細そうな声を上げたかなでが、身を翻して父親が談笑しているところへ戻っていく東金の背中を目で追いかけている。
「── きゃあ! 千秋クン!」
 ハートマークをごてごてと飾り付けたような声を上げながら、大して似合ってもいない派手なドレス姿の女が3人ばかり、闊歩する東金に駆け寄ったのはその時だった。
 かなでがぐっと唇を噛んだ。
「小日向ちゃん……」
「……あ、えと、私……ちょっとお手洗いに行ってきますね」
 無理矢理作った笑みを浮かべ、何かを振り払うように踵を返してパーティ会場を飛び出していく。 途中のテーブルに置き去りにされたグラスの中身はほとんど減っていなかった。
「あ、待って、かなでちゃん!  私も行く!」
 ロングドレスを着ているにも関わらず器用にばたばたとかなでを追いかけていく麗香の後ろ姿に、土岐はふと不安にかられた。 某大手製薬会社の社長の一人娘である彼女は、さっぱりした性格と同時にわがままな押しの強さもまた『東金千秋タイプ』なのである。
 とはいえ『お手洗いに行く』と宣言された以上、ついていくわけにもいかず。
「……俺って、こないに心配性やったかなぁ……」
 一人取り残された土岐の呟きを聞く者は、誰もいなかった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 オリキャラオンパレード(笑)
 東金母は、かなでのことを気に入ったに違いない。
 麗香さんの名前の由来は、わかる人にはわかるはず。
 テニスで『麗香』といえば……そう、『お○夫人』(笑)
 さて、彼女は敵か味方か……?
 今頃心配性を自覚した蓬生さん。
 前の長編でもずいぶん心配しまくってたじゃない(笑)

【2010/07/30 up】