■SEASONS【II.Winter(3)】
手元のカップの中の紅茶があと2口ほどになった頃、ぼんやりと窓の外を眺めていた土岐は近付いてきた賑やかしい声に思わず入り口へと意識を向けた。
「── そんなんでお前、大丈夫か?
期末試験の成績、言ってみろよ」
「っ……き、企業秘密ですっ!」
「ハッ、何が企業秘密だ。
そんなことじゃもう俺に『勉強しろ』なんて言えないぜ?」
「でもっ、中間試験よりは上がってました!」
仲良く手を繋いでカフェに入って来た二人に、土岐は苦笑しながら手を上げて、ここにいるとばかりにひらりと振る。
密室から戻って来た二人のどちらかが──
主に彼女だろうが──
赤い顔をしていたり、目を潤ませているようなことがあれば、ツッコんでからかい倒してやろうと考えていたのだが、どうやらせっかく考えた企みは企画倒れに終わりそうだ。
軽口を叩き合う二人には、勘繰りたくなるような妖しい雰囲気のかけらも見当たらない。
「あっ、お待たせしてすみませんっ」
繋いでいた手を照れるでもなくごく自然にするりと離して、かなでが駆け寄ってくる。
テーブルを挟んだ向かいの窓際の席に座ると、追いついた東金は彼女の隣の椅子に腰を下ろした。
やって来たウェイトレスにレモンティーを2つ注文し、腕時計を見やって、まだもう少し時間があるな、と呟いた。
「── あ、そうだ。
完成したら工房に来てほしいって、おじいちゃんが」
紅茶が運ばれてきてしばらくしてから思い出したように彼女が切り出したのは、彼女の実家に注文してあるヴァイオリンの話である。
ある日、『俺は新しいヴァイオリンを買う。お前はどうする?』と唐突な内容の電話を受けた。
詳しく聞いてみれば、東金は彼女の実家が営むヴァイオリン工房にわざわざ出向いていて、すでに注文を済ませたという。
いつもながらの行動力に驚きはしないがさすがに少々呆れていると、電話の向こうから聞き覚えのある可愛らしい声が聞こえてきた──
示し合わせたわけでもないのに、たまたま用事で帰省していた彼女と顔を合わせたなんて、どこまで彼は強運に恵まれているのか。
あれこれ考えるのも面倒臭かったので『千秋と同じでええよ』とその電話であっさり答えた、というのが1ヶ月半ほど前の出来事。
その後、演奏に出向いた星奏学院の文化祭でかなでと顔を合わせた時、ありがとうございました、と何度も頭を下げられて少々辟易したが、
『今度5兄弟でヴァイオリン・カルテットやりましょうねっ!』と余りに嬉しそうに笑う顔を見ていたら、思わず釣られて笑ってしまったのは記憶に新しい。
「別に構わんが……家に送ってくれていいぜ?」
「えと、弾いてみてもらって微調整したほうがいいだろうし、何本か弓を用意しておくから弾き比べてみて一番相性がいい弓を選んでほしいって──
本当はお届けしなきゃいけないんですけど、おじいちゃん一人で工房やってるからお店空けられなくて……
あっ、その代わり、弓はサービスしますって言ってました」
「サービスは嬉しいんやけど……弓の値段も馬鹿にならんやろ」
弓の値段はヴァイオリン本体の三分の一、とどこかで聞いたような気がする。
それをサービスするとは──
思わず眉間に皺を寄ながら視線を向けた東金も、同じように眉根を寄せてかなでの方を覗き込んでいた。
と、ふと彼の眉間から皺が消え、何か悪戯を思いついたような笑みが浮かぶ。
ふと漏れそうになった溜息を思わず飲み込んだ。
「── おい、かなで。
サービスならじいさんからより、お前からにしろよ」
「……へ?」
きょとんとしたかなでが東金の方へ顔を向ける。
彼の顔が思いの外近くにあったせいなのか、彼女の顔がぼふんと桜色に染まった。
「わ、私からのサ、サービスって……た、例えば……?」
「そりゃあ……聞かなくてもわかるだろ──
なあ、蓬生?」
「……俺に振らんといて」
飲み込みきれなくなった溜息がついに口から漏れた。
東金は何やら楽しそうに、ニマニマした笑みを張り付けた顔をぐいぐいと彼女に近づけていく。
ますます顔の赤みを増しながら大きく背中を反らした彼女の後頭部が、ごちん、と窓にぶつかった。
ぷ、と吹き出した東金は乗り出していた身体を椅子に戻し、のけ反りきった彼女の腕を引っ張り起こしてやる。
「── 俺のために1曲演奏するとか、俺のために美味いものを作るとか……やれることはいろいろあるだろうが」
土岐は力が抜けそうな身体を支えるためにテーブルに頬杖をついた。
いちいち『俺のために』がつくところが彼らしい。
「そっ……それならそうと最初から言ってくださいっ!」
「なんだ、じゃあお前が今想像した『サービス』を言ってみろよ。
受けてやってもいいぜ?」
「し、知りませんっ!」
完全に拗ねてしまった彼女がぷいっと赤い顔を背けた。
そんな彼女を見る東金の目が楽しくて仕方ないと言っているように見える。
土岐はひたすら『どこか他の場所でやってくれ、このバカップルめ』と心の中で悪態をつきながら、すっかり冷たくなったカップの中の残りわずかな液体をずずっと啜った。
「── あ」
窓の外へと顔を向けていたかなでが声を上げた。
その方向に見えるのはホテルの入り口である。
車寄せに1台の黒塗りの高級車がすうっと滑り込んだ。
「わぁ……高そうな車……」
「ああ、たぶんうちの客だろう」
東金が答えるとほぼ同時に、ドアマンが恭しく扉を開けた車から正装した人が降りてくる。
人を吐き出した車はすうっと滑り出し、入れ替わるようにまた別の車が入って来た。
「あぅ……なんだか緊張してきちゃった……」
「なんでお前が緊張するんだよ。
せっかくのクリスマスパーティだ、しっかり楽しめよ」
くつくつと笑いながら、東金はテーブルの上の伝票を手に取り立ち上がる。
最後通牒を突き付けられたような悲壮な顔のかなでもよろよろと席を立った。
土岐はなんとなく不安を感じて、二人の背中に向けて知らず溜息を投げかけた。
* * * * *
クロークにコートを預け、パーティ会場であるバンケットルームへと入るとむせ返るような花の匂いに頭がくらっとした。
奥に膝の高さほどの簡易ステージが設けられ、それをぐるりと豪華な生花が取り囲んでいる。
同じようなステージが脇にもうひとつ。
こちらに花の飾りはなく、ただ椅子が4つほど置かれていた。
招待客の大部分は既に揃っているのだろう。
室内のがやがやとした喧騒が耳元でわだかまった。
パーティはブッフェスタイルの立食形式である。
壁際に並べられたテーブルには色とりどりの料理が並び、その場で調理した肉料理をサーブするためのシェフの姿が数人見えた。
招待されているのは財界・政界の有力者たちなのだから、必然的に年齢層も高くなる。
いっそ結婚披露宴のような指定席にしてゆっくり料理を味わえばいいのに、とも思うが、わざわざ立食にするにはそれなりの理由があるらしい。
自然とできた談笑の輪の顔ぶれで、それぞれの力関係や勢力図がある程度把握できるのだという。
そこから辿る人脈は今すぐ役に立たなくても、いずれ必要になる情報となるかもしれないのだ、と以前聞いたことがあった。
もちろん立ちっ放しで疲れた人のための椅子は会場の隅に用意はしてあるけれど。
「── じゃあ俺は、一通り挨拶を済ませてから戻ってくる」
「え」
その場を離れようとした東金の言葉に不安そうな声を上げたのはもちろんかなでだった。
「すぐに戻るさ」
彼女の頬を指先ですっと撫でてから、東金は土岐の方へと視線を向けた。
「蓬生、妙な奴が近寄ってきたら、さっさと追い払えよ」
「妙な奴……て、招待客やろ」
「だからだよ」
ニッと口の端を上げて踵を返した彼は、一応理解しているらしい。
こういうパーティというものは夫婦で参加することが多い。
だがいつの頃からか、息子や娘を連れてくる招待客が増え、東金家のクリスマスパーティは暗黙のうちに『お見合いパーティ』のようなものになっていたのである。
ざっと見回してみても、顔ぶれの半分は着飾った若い男女。
この場で出会った相手なら、結婚相手としては申し分ないのだ。
それが将来が約束された東金家の子息なら尚のこと。
そんなパーティにかなでを招待すると聞いた時には耳を疑ったが、なるほど彼女を連れ歩いて、既に決めた相手がいると知らしめるのが彼の目的らしい。
一昨年あたりから増え始めた、自慢の娘を押し付けようとしてくる親馬鹿共にはうんざりしている様子だったから。
ステージの上に人が上がり始めると、ウェイターたちが人の間をすり抜けるように巡回して飲み物を配り始めた。
土岐もウェイターが差し出すトレイの上からオレンジジュースを2つ取り、ひとつをぼんやりしているかなでに手渡した。
頭上から何やらゴトゴトと音が降ってくる。
スイッチの入ったマイクを触る音だと気づいて目を向ければ、ステージには数人が飲み物を手に並んでいた。
ついさっきまで傍にいた深紅のスーツ姿もそこにある。
その中の白髪交じりの壮年の男が一歩進み出て、中央のマイクスタンドの前に立った。
「あ……」
隣でかなでが小さな声を上げた。
「ああ、あれが千秋の父親や」
彼女の耳元に小声でそっと囁くと、ああ、と納得したように大きく頷いた。
東金の父は、東金が年を取ったらこうなるだろう、と思わせるほど彼に面差しがよく似ていた。
そこにいるだけで感じる圧倒的な存在感もしかり。
その上、奔放な息子と殴り合いの喧嘩をすることもあれば、審査員を務めたコンクールで我が息子に0点をつけることも躊躇わない。
揺るぎない筋の通し方は、さすがは多くのグループ会社のトップに君臨する大人物である。
女性の声でアナウンスが入った。
飲み物が手にあるかどうかの確認である。
トレイを持ったウェイターが更に忙しそうに歩き回る。
そしてアナウンスはパーティの主催者の挨拶を促した。
『── 聖なる夜にこうして集えたことに感謝し、今宵は心ゆくまで楽しんでいかれますよう── 乾杯!』
会場中から『乾杯』の声が次々に上がり、グラスが合わさる涼やかな音がハンドベルの演奏のように聞こえてくる。
「……小日向ちゃん、俺らも乾杯しよか?」
ステージの方へ表情のない視線を向けたまま、ぼんやりしているかなでの肩を軽くつつく。
ぴくっと身を震わせて見上げてきた彼女が、硬い笑みを口元に浮かべて、おずおずとグラスを差し出してきた。
「ほな乾杯」
グラスを合わせると、チン、と澄んだ音がして、中のオレンジ色が揺れた。
それを合図にしたかのように、人のざわめきに紛れながら弦の音色が聞こえてきた。
明らかにスピーカーからではない音の源を探すと、さっきまで無人だった脇のステージで弦楽四重奏団が生演奏をしていた。
大人物もただの人の親なのかもしれない、と土岐はこっそり苦笑した。
去年まではスピーカーから流していたBGMを、息子が本格的に音楽をやることに決めた途端生演奏に変更するとは。
恐らく生演奏に興味津々でうずうずしているであろう隣の人物に目を向ければ、彼女は何も耳に届いていない様子で、ただステージの方向を見据えていた。
ステージから降り、父親に連れられ挨拶回りを始めた深紅をじっと見つめている。
その目に浮かぶ色は、見惚れているというようなものではなく、どこか昏いものを帯びていた。
「小日向ちゃん?」
「…………」
反応のない彼女の名をもう一度呼ぶと、我に返った彼女はぱちぱちと目を瞬いて、
「あ……えと、お腹空きましたね。
さ、食べますよっ!」
せやな、と苦笑混じりに答えて料理の並ぶ方へ向かおうとした時。
「── うわっ、蓬生くん!
今年は女の子連れなんだ、珍しい〜!」
ふいにかけられた声に振り返ると、青いドレスを纏った女性が大人びた目に子供のような悪戯っぽい光を湛えて立っていた。
【プチあとがき】
あれっ? 土岐かな?
いや、もちろん違います(笑)
ゲームのおまけイベでは2人揃ってパーティに招待しようとしてましたが(汗)
まあ、あくまで東金ルートですので。
そんなわけで、パーティの意味合いもこんな捏造設定となりました。
……ありがちだけど。
ああ、またオリキャラ出しちゃった。
つか、あたしは一体何を書きたいんだろう……
【2010/07/21 up】