■SEASONS【II.Winter(2)】
パーティは神戸市内の某高級ホテルが会場となっていた。
「……てっきりホームパーティだと思ってました……」
ベルボーイに恭しく出迎えられたエントランスで、かなではその豪華さに飲まれたように立ち竦み、呆然と辺りを見回しながら呟いた。
「まあスペース的には家でもできなくはないが、特定とはいえ多数が出入りするとなるとセキュリティの問題が出てくるからな」
「な……なるほど……」
東金は持っていたかなでの荷物──
小さなボストンバッグと着替えた服の入ったブランドショップの紙袋──
をベルボーイに預けながら答えてやると、彼女は感心したように細く長い息を吐き出しながら、改めて辺りに一周視線を巡らせた。
そんな様子に思わず苦笑しつつ、東金はフロントへ向け歩き出した。
フロントマンに名前を告げてカードキーを受け取り、かなでに向かって、行くぞ、と声をかける。
「へ……?
えと……どこへ…?」
「今夜泊まる部屋だ」
「!!」
ちょこちょこと近づいて来ていた彼女はぴたりと足を止めると、ずざざっと後退った。
瞳が零れ落ちそうなほど大きく目を見開いていて、その顔は見事に真っ赤に染まっている。
「……なんだ、横浜に帰るつもりだったのか?」
『お前が泊まる部屋』と言うべきところ、わざと『お前が』を抜いたのである。
リザーブした部屋は、もちろん彼女ひとりが泊まるため。
案の定誤解してくれたらしい彼女ににやりと笑みを向けながら訊く。
「いっ、いえ……どうしたらいいのか、ごっ、ご相談しようかと……」
「俺が招待したんだ、そのくらいの準備に手抜かりはないぜ?」
「えっ、あっ、えと……っ」
顔はおろか、耳まで赤く染めてしどろもどろになる彼女が可笑しいやら可愛いやらで、東金は思わずぷっと吹き出した。
「まあ、明日の朝は早めに迎えに来てやるさ。
帰りの新幹線の時間まで、たっぷり神戸のクリスマスを堪能させてやる」
「迎え…?
………………あ」
自分の勘違いを悟った彼女が、別の意味で顔を赤くする。
あはははは、と乾いた笑い声を上げながら再びちょこちょこ近づいて来て、
「あ、明日、楽しみです!」
にこりと笑う。
「おい……せっかく呼んでやったんだから、今日のパーティもしっかり楽しめよ」
「あ……はい」
すみません、と口ごもる彼女の背中に手を添え軽く押した。
── 『その気』が全くないと言えば嘘になる。
もしかすると今夜は彼女の全てを手に入れる、いい機会なのかもしれない。
だが今は、彼女が傍で笑ってくれていれば、それでいいような気がしていた。
無理に急いでもいい結果が出ない事柄は世の中には山とあるのだから。
そこのカフェにおるわ、と苦笑を浮かべた土岐が離れていった。
わかった、と答えてから、彼女の背中に置いた手をすっと滑らせ腰に回して耳元に屈み込む。
「── なんならご期待に応えてやってもいいぜ?」
小さな声で囁くと、かなでは着ている厚いコート越しにでも分かる程かちんこちんに身体を硬直させた。
返って来た予想通りの反応に、喉の奥でくつくつと笑いながら、
「ほら、荷物置きに行くぞ」
彼女の身体をほとんど抱えるようにして、営業スマイルの中に苦笑を紛れこませたベルボーイが扉を開けて待っているエレベータに乗り込んだ。
「── わーっ、広ーい!」
東金の感覚からすれば決して『広い』とは思えない部屋を見回して、かなではきゃっきゃとはしゃいでいた。
「……そこまで喜ぶほどの広さじゃないだろ」
「でも寮の部屋より広いです!」
「まあ……」
夏の1ヶ月ほどを過ごしたあの狭苦しい部屋を思えば確かに広いけれど。
縦長の部屋にダブルベッドとテーブルセット、チェストや冷蔵庫が置かれていても、まだ十分なスペースがあるのだから。
「本当はスイートを取ってやりたかったんだが、さすがに時期的に取れなくてな」
クリスマスシーズンのホテルは高級な部屋から埋まっていく傾向にある。
一年前から予約の入っている部屋もあるらしい。
このホテルもそうだったらしく、希望の部屋を取ってやることができなかったのだ。
「そ、そんな!
一晩寝るだけなのに、もったいないですっ!
……ほんとは今日も、近くのビジネスホテルを教えてもらおうと思ってたくらいで……」
「それがさっき言ってた『ご相談』か?」
こくん、と頷いた彼女は、だって、と言葉を濁した。
「……いつもの新幹線代も食事代も、今日だってドレスと靴とコートとバッグとアクセサリ……」
俯きがちに呪文のように呟いた彼女はふと顔を上げ、
「……あの、出世払いでもいいですか……?」
「……お前、俺に借金でもしてるつもりか?」
「だって……」
東金は、はふぅ、と深い溜息ひとつ、かなでに近づきそっと抱き寄せる。
「……足代は俺がお前に会うため、そのドレスは俺が見て楽しむため──
全部俺のためだ。
二度と借金だとか考えるなよ。
まあ、ヴァイオリニストとしての出世は大歓迎だがな」
顔を覗き込みながら、真面目な声音で告げる。
かなでは赤くなった顔を少し逸らして、
「うぅ……やっぱり俺様……この前うちに泊まった時は、借りてきた猫みたいに大人しかったのに……」
「あのな……俺は初対面の人間の家で好き勝手するほど間違った人間じゃないつもりだが」
「でも、寮では好き勝手したじゃないですか……」
「寮は個人の家じゃないだろ。
それに一泊するのとしばらく滞在するのとじゃ意味が違う」
「でも──」
彼女の口が紡ぎかけた続きの言葉を、東金は自分の口で封じた。
せっかく綺麗に施されたメイクを崩してしまわないように軽く触れるだけではあったけれど、効果は覿面だった。
顔の赤みを増して黙り込んだ彼女に向かって、
「俺は俺だ──
変える気も改めるつもりもない」
「っ……」
「お前は、そういう俺に惚れたんだろう?」
ニッと口の端を上げてやると、彼女はうろたえたように視線を泳がせてから、
「………降参、です」
はぁ、と溜息を吐いた彼女の唇にもう一度触れてから、腕を放してやった。
「ほら、さっさと下に降りるぞ」
「あ、はいっ」
かなではショップの紙袋からドレスに合わせて調達した可愛らしいバッグを取り出すと、ちょこちょこと小走りで駆け寄って来る。
「おい……コートは置いていけよ」
「あっ、そうですよね」
彼女はまだ来ていた今日新調したばかりのコートをふわりと脱いだ。
さっき僅かな時間しか見られなかった鮮やかなゴールドイエローが目に飛び込んでくる。
少し視線を移すと、クロゼットにコートを仕舞う彼女の細い腕から華奢な肩にかけての白が眩しく見えた。
なんとなくいけないものを見てしまったような気になって、彼女から視線を外す。
とそこにあったのは部屋の一部を堂々と占領しているダブルベッド。
ますます居心地悪くなって、くるりと踵を返して部屋に背を向けた。
「── お待たせしました!
……あれ?
どうかしたんですか?」
「な……なんでもねえよ」
下から覗きこんでくる彼女の顔をまともに見ることができなくなって、ぶっきらぼうにそう言って先に部屋を出た。
「── あの……」
エレベータへ向かう長い廊下を歩いていると、彼女がおずおずと口を開いた。
「ひとつ聞いてもいいですか?」
「……ああ」
「あの、スイートルームって、どうして部屋なのに『スイート』なんですか?」
あまりにもお約束すぎる問いかけに、東金は危うく躓きそうになって慌てて体勢を整えた。
いまだにそういう間違いをしている人間がいるのかと呆れもするが、彼女らしいといえば彼女らしいというか。
「そりゃ恋人同士が甘いひとときを──」
「あっ、やっぱりっ !?」
「なわけねぇだろ」
「え……?」
隣を歩いていた彼女の足がぴたりと止まった。
だが東金はそのまま歩き続け、
「『sweet』じゃなく『suite』。
お前、コンクールの頃『ホルベルク組曲』の楽譜持ってただろうが」
「え……あっ、リゴードン?
……スイートルームのスイートって、組曲のsuiteだったんですか !?」
「音楽やってるなら常識だろ」
エレベータまで辿り着いた東金はボタンを押してから振り返った。
「── 早く来い」
足を止めたまま目をぱちぱちと瞬いているかなでに声をかけ、すっと手を差し伸べる。
ぱっと笑みを浮かべた彼女がまるで飼い主を見つけた子犬のように嬉しそうに走り出した。
ようやく追いついてきた彼女が差し出した手に掴まるとほぼ同時にエレベータの扉が開く。
そのままその手を引いて、中へ乗り込んだ。
「── ふふっ、ひとつ賢くなりました」
「ハッ、この程度のことで喜んでるようじゃ出世なんて無理だな」
「えーっ、ちゃ、ちゃんと出世できるように頑張りますってば!」
奥のガラス窓の向こうで上へと流れていく景色を見ながら、くすくすと笑い合う。
『俺は俺だ』なんて偉そうなことを言ったのはついさっき。
けれど夏以前の自分と今の自分とは、きっと大きく変わっているに違いない。
以前なら『そんなことも知らないのか』とバッサリ斬り捨てているだろうが、彼女を相手にすると『しょうがないな』と笑っている自分がここにいるのだから。
ぐん、と重力を感じて静かにエレベータが止まる。
ほんの少しくすぐったいような気持ちで彼女の手を握り直し、くいっと引っ張ってフロアへと降りた。
【プチあとがき】
えと……まだパーティが始まりません(汗)
次こそは。
ここ最近、他のゲームやらに浮気をしていたら、
ただでさえ掴み切れていなかった『東金千秋』像がますますわかんなくなってきました。
コルダ3再プレイせねば。
【2010/07/08 up】