■SEASONS【I.Autumn(7)】 東金

 ステージを降り、皆と一緒にリハ室に戻って来たかなでは、まずはトイレに行くことにした。
 手早くヴァイオリンを片付け、貴重品や携帯を入れたバッグを手にリハ室を抜け出して。 用を足してトイレから出ると、すみません、と背後から声をかけられた。
「……はい?」
 そこにいたのは神南の女子生徒。 頭の高い位置で結んだツインテールの可愛い少女である。 管弦楽部員ではなさそうだ── 全員の顔をすべて覚えているわけではないが、ツインテールの部員はいなかったはずだし。
「あのっ、演奏、とても素敵でした!」
「あ、ありがとうございます」
 かなではふにゃっと笑い、誰だろう?と思いながらも律義にぺこりと頭を下げる。
「そ、それでっ!  折り入ってあなたにお願いしたいことがあるんですけどっ!」
「は、はい…?」
「ちょっと一緒に来てくださいっ!」
 かなでの腕をがしっと掴んだ女子生徒は、いきなり廊下を走り出す。
「え、えっ !?  ちょ、ちょっと、どこへっ !?」
 転んで痛い目を見ないようにするためには、引っ張られるまま足を動かす他なかった。

 そして連れて行かれたのは、校舎の1階の一番西端にある特別教室。
 『男子立入禁止!』と大きな文字の書かれた張り紙がしてある扉の前まで来ると、ちょっと待ってて、と女子生徒は中へ入っていった。 彼女が扉を開けた瞬間、中からガヤガヤと喧騒が押し寄せてくる。
 しばらくして戻って来た女子生徒は、手に白いもこもこしたものを抱えていた。
「これなんだけど……」
 ばさっと広げて掲げながら、それをぐいっと押し付けるように寄せてくる。
「ね?  あなたのためのものとしか思えないの!  だから、お願いします!」
「で……でも、私、ここの生徒じゃありませんし……」
「そんなの気にしなくてもいいってば!」
「いや、そういうわけには……」
 じりじりと後退りするかなでの持つバッグの中で、携帯が着信を知らせるメロディーを奏で始めた。
「あっ、ちょっとごめんなさいっ」
 ワラをも掴む思いで慌ててバッグから携帯を取り出して、迫り来る女子生徒にくるりと背を向ける。
「も、もしもしっ!」
『── おい、何ひとりでフラフラと』
「助けてください東金さんっ!」
『助けてくれって……お前、今どこだ !?』
「どこって、ええと……」
 ぐるっと辺りを見回して、扉の上の札を見つけた。
「……『家庭科実習室』、の前です」
「ね、ねえっ!  もしかしてその電話、あの東金先輩から !?」
 くいくいっと袖を引っ張られ、振り返ればすぐ目の前で女子生徒が目をキラキラさせている。
「そ……そうですけど…」
 答えた瞬間、女子生徒はかなでの手から携帯を抜き取って、
「とっ、東金先輩ですかっ !?  お願いです、先輩からも彼女を説得していただけませんか!  私、2年12組、手芸部の──」
 興奮気味に説明する女子生徒を、ただぽかんと眺めていたかなで。 逃げるチャンスは今しかないのだが、自分の携帯は彼女が持っているのだから逃げるわけにもいかず。
「── はい!  開始は2時です!  ありがとうございました!  よろしくお願いしますっ!」
 目の前に相手がいるわけでもないのに、電話で話しながらぺこぺこと頭を下げている女子生徒。 彼女の浮かれたような声とその内容で、かなでは完全に逃げ道を失ったことを悟り、がっくりと床に膝をついた。

 そして小一時間後── 女子生徒群に寄ってたかっていじられ、支度をさせられたかなでの前に、他の女子生徒に先導された東金が姿を現した。
 互いの姿を一目見た瞬間、はっと息を飲んだ二人の間に流れる時間は刻む事を忘れ、呆然とした赤い顔で見つめ合うことしばし。
「な── なんですか、その格好はーっ !?」
 一足先にフリーズから抜け出したかなでの叫びが家庭科実習室に響き渡った。

*  *  *  *  *

 2時。 かなではチャペルにいた。
「── お前、そういうのも似合うな」
 すいっと目を細め、口元に笑みを湛えた東金が隣をゆっくりと歩きながらぽつりと漏らす。
「あ、ありがとう……ございます」
 言われたかなでは恥ずかしそうに真っ赤に染まった顔を俯けた。
 東金の言う『そういうの』とは、彼女が身に纏っている真っ白なドレスのこと。 チュールを幾重にも重ねたふんわりしたスカートは膝上のミニで、そこから伸びるすんなりした脚と、元々華奢なウエストをことさら細く見せていて。 同じチュールで作った白い花が、チューブトップの胸元をボリュームたっぷりに飾っている。
 腰の後ろの大きな飾りリボンは、まるで天使か妖精の羽根のように見えて愛らしい。
 胸元を飾るチュールの花と同じものが細い足首に巻かれたリボンの上に一輪、肘までの白い手袋をした手に持ったブーケも同じく、 そして頭の天辺の花冠にも使われている。
 ふんわりと頭にかけられた上品なレース使いのヴェールが、動くたびにふわふわと揺れた。
 ── そう、彼女が纏っているのは、いわゆる『ウエディングドレス』なのである。
 このチャペル、今は神南高校手芸部による作品発表会場となっていた。
 今年のテーマは『自分が着たいウエディングドレス』。
 被服科があるわけでもないのにやたら本格的なこの催しに半ば拉致のようにかなでを引っ張り出した女子生徒は手芸部員だった。 『自分で着たいドレス』というテーマで作ったにも関わらず、たまたま見かけたかなでの容姿が自分のドレスに余りにもイメージがぴったりで、どうしても彼女に着てほしかったらしい。
 着せられた本人の感想はどうであれ、確かに製作者が絶賛するほどドレスはかなでによく似合っていた。 まるで彼女のために誂えたかのように。 一目見た東金が息を飲んで絶句し、顔を赤らめ、しばらく言葉が出なかったのも仕方のないほど。
 そしてその東金といえば、嬉しくて仕方ないといった顔でかなでの隣にいる。 かなでに『なんですか、その格好は』と言わしめた、艶やかなシルバーのタキシードを身に纏って。
 どこから調達してきたのかと聞けば、事情を聞いてすぐに家から届けさせたと答えが帰ってきた。 さすがお坊ちゃま、こういう正装をする機会がしばしばあるらしい。
 それはいい。 いいのだが──
「……結局、どうして東金さんがそんな格好をすることになったんですか」
「そりゃあ、花嫁の隣には花婿が必要だろう?」
「……花婿役の人なんて、他にひとりもいませんけど」
「花嫁姿のお前の隣に俺がいなくてどうする」
「どうもしませんよ……ただドレスを見せるだけじゃないですか」
「ハッ、ウエディングドレスを着てヴァージンロードを一人で歩くつもりか?」
「だーかーらー!  模擬結婚式とかじゃなくて、ファッションショーなんですってば!」
 チャペルの中央を縦断する通路をゆっくりと歩きながらの言葉の応酬。
 『東金千秋特別出演!』と手芸部員が触れ回ったものだから、彼のファンが大挙して押し寄せたチャペルは黄色い声で騒然としていた。 おかげで普通に会話するのでは声が聞こえなくて、自然と互いの耳元に口を寄せてしゃべることになる。 その様子がまた二人の仲睦まじさを強調しているように見えて、さらに会場は喧しいほどの悲鳴が溢れるという悪循環に陥っていた。
「もう……どうして断ってくれなかったんですかっ」
「── 見たかったんだよ、お前のドレス姿を」
 パールピンクに染まった唇を尖らせながらのぼやきに返って来たのは、余りも優しい甘さを含んだ声。 はっと隣を見上げると、
「── 綺麗だな── 想像以上だ」
 東金は普段なら少し意地悪く笑っているはずの顔に、珍しくはにかんだような笑みを浮かべていた。 照れ臭さが伝染してしまったのか、思わず顔を赤らめて俯いてしまったかなでは、もうそれ以上文句を言うことができなくなってしまった。

 聖母マリア像が優しく見下ろす無人の祭壇の前で向かい合う。
 『半分は終わった』と少し息を吐き、向きを変えようとしたかなでは思うように動くことができず焦った。
 思った以上に近くにいた東金の腕が、彼女の腰に回されていたのである。
「え、な、ちょっ」
 整然と並ぶ椅子の間の通路を祭壇まで歩いたら、一旦向かい合って、そこからすぐに元来た道を歩いて戻る、という段取りだったはず。
 かなでがオロオロしている間にも、東金の空いた手が顔を覆うヴェールを捲り上げていく。
「ちょ、な、何してるんですかっ !?」
「結婚式と言えば、誓いのキスに決まってるだろ」
「は……はぁっ !?  だ、だからっ、結婚式じゃなくて、ファッションショーなんですってば!」
「俺はこの後市役所へ直行してもいいんだが……お前、印鑑は?」
「持ってるわけありませんっ!」
 二人のコントじみたやり取りに、チャペルは悲鳴と笑いが混ざり合う。
 その間にも東金はかなでとの距離を更に縮めていく。
 その時。
 パシッ、と乾いた音がして、チャペルの中は一瞬しんと静まり返った。
 掌底を東金の顎に入れ、砲丸投げのフィニッシュポーズのような格好のかなでが彼の接近を突っぱねていたのである。
「お、お前……そこまでして拒否するのか…っ」
 首をのけぞらせつつ、必死に接近を試みる東金。 だが、いくらかなでの細腕とはいえ、ぴんと突っ張った腕はびくともしない。
「そうじゃなくてっ!  もうっ、この前せっかく芽生えた分別はどこに落としてきたんですかっ!」
「そんなもん知るか…っ」
「知るか、じゃなくて、さっさと拾ってきてくださいっ!」
 直後、荘重であるはずのチャペルは大爆笑に震えたのだった。

*  *  *  *  *

 それ以降口を利いてくれないままかなでは横浜に帰ってしまい、文化祭に招いたことを少し後悔した東金だったが──
「── 10年以内には必ず『本物』を着せてやるさ」
 手芸部員たちとの記念写真のついでに撮ってもらったツーショット写真を眺めながら、綺麗だけれどちょっと不機嫌な花嫁の顔をツンとつついてニヤリと笑った。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 引っ張った割に大したネタじゃなくてごめんなさい。
 いやぁ、お騒がせな人たちだな(笑)
 あたしの書くドレスがいつも同じような形になってるのは、完全な趣味です(笑)
 とにかく、かなでちゃんしか見えてない東金さんが好きです(笑)

【2010/06/21 up】