■SEASONS【I.Autumn(4)】 東金

 週明け。
 星奏学院オーケストラ部では、新体制の人事が決定された。
 新しい部長には如月響也。
 転校してきたばっかでムリ!と拒否しまくったものの、コンクール経験を生かして部の牽引を、とあれこれおだてられ、調子に乗った勢いで引き受けてしまっていた。
 サポートする副部長には水嶋悠人が満場一致で選ばれた。
 直後、新部長と新副部長が理事長室に呼び出され、伝えられたのは神南高校への出張演奏。
 ホットライン的ルートから事前に情報を得ていたので即答で断るはずだった。 だが、鋭い刃物のような顔つきの理事長が不敵な笑みを浮かべ『全国の頂点の実力を知らしめてやるのはどうかね?』と囁いたことで、 直情型の新部長のやる気に火がついてしまったのは当然の成り行きかもしれない。

*  *  *  *  *

 水曜日の放課後、かなでは街に出ていた。
 そろそろ習慣になりつつある、不動産屋巡りである。
 残念ながらめぼしい物件は見つからなかったものの、最近ではお茶菓子を用意して来店を待ってくれている店主との他愛のない雑談がメインになっていた。
 この後かなではもう一つの大事な用事を済ませなければならない。
 次の土曜日、10月1日は東金千秋の誕生日なのである。
 何を贈れば喜んでもらえるだろうか?
 いわゆる『お金持ち』である彼は身の回りの物も質の良いもので揃えている。 目も肥えているであろう彼を満足させるプレゼントを買うには、かなでの潤沢とは言えない小遣いではとても足りそうになかった。
 それでも今日は何としても選んで送っておかなければ、誕生日当日に間に合わなくなってしまう。 頭が痛い悩みだけれど、くすぐったくて嬉しい悩みでもあった。
 少々上の空な雑談を終えて不動産屋を辞した。 弱い冷房の入っていた室内から一歩外に出ると、9月も終わりだというのにむっとした焼けたアスファルトの臭いがして鼻梁に微かな皺が寄る。
「── あら、小日向さん…?」
 声に振り返ると、愛らしい少女が微笑んでいた。
 白い詰襟タイプのボレロ風の上着に、膝上丈のボックスプリーツのスカートももちろん白である。 一見マーチングバンドのコスチュームのようにも見えるそれは天音学園の制服だった。
「あ、枝織ちゃん、こんにちは」
 こんにちは、と嬉しそうに笑って近づいてきた彼女は天音学園中等部に通う冥加枝織。 この可憐で清楚な少女があの冥加玲士の実の妹と知った時には相当驚いたけれど。 夏のコンクールの頃に知り合い、今は街で出会って互いに時間があればお茶をする程度には親しい間柄である。
「小日向さん、もしかして寮を出られるんですか?」
 たった今かなでが出てきた店の看板をちらりと見やって、枝織が尋ねてくる。
 かなでは顔の前でパタパタと手を振って、
「ううん、私のじゃないの。 春から横浜に住む予定の人に頼まれてて」
 これ以上突っ込んで質問されたら何て答えようか、とドキドキしていたかなでだったが、それは杞憂に終わった。 ふと、黙り込んだ枝織の表情に影が差したのである。
「枝織ちゃん、どうかしたの?」
「え…?」
「なんだか元気がないみたい」
「あ……」
 と、枝織はふぅ、と憂鬱そうな息を吐いた。
「最近、兄様の様子が変なんです」
「え、冥加さんが…?」
「ええ……夏のコンクールが終わった時も似たようなことがあったんです。 けれど、あの時は『憑き物が落ちた』っていう感じだったのでそれほど心配はしていなかったんですが、今回は……『魂が抜けた』っていう感じで。 練習にも身が入らないみたいですし、お仕事でも他の理事の方にご迷惑をおかけしているらしくて」
 切なげに眉根を寄せて俯く枝織。 兄の異常に心を痛めているのが見た目にもよくわかる。
 かなでの知る冥加は、いつもギラギラとした射抜くような視線の持ち主である。 コンサートの準備で会った時は、そのギラギラは和らいでいたものの、それでも意志の強い光はそのままだったはず。 『魂が抜けた』冥加の姿が想像できなくて、かなでは首を傾げた。
「そう……それは心配だね」
「……そういえば、天音と星奏の合同コンサートの日からでしたわ。 小日向さん、あの日兄様に何があったか、ご存知ありませんか?」
 そう聞かれて思い返してみるも、かなでには全く心当たりがなかった。 まさか自分の発言── 『お付き合い』宣言── が原因だなんて毛筋ほども思っていない。
「コンサートは大成功だったし……帰り道で何かあったのかな…?」
「……そうですか……申し訳ありません、小日向さんにまでご心配おかけして」
「ううん、力になれなくてごめんね── でも、困ったな」
 思わず呟いたかなでの言葉に、きょとんとした枝織がわずかに眉をひそめた。
「あの、兄様が何か……」
「うん、『次は国際コンクールで冥加玲士を倒す!』って頑張ってる人がいるんだ」
 あ、しまった、とかなでは自分の口を慌てて手で塞いだ。 実の妹に向かって『倒す』というのはさすがにマズかったかもしれない。
「まあ!」
 心配をよそに、枝織はぱっと顔を明るくした。
「もしかしてそれは、ソロで兄様と同率優勝なさった方ではありませんか?」
「う、うん、そうなんだ」
「そう言ってくださる方がいらっしゃるのに、今の兄様では勝負していただく価値もありませんわね」
 ……可愛い顔をして、言うことはなかなか辛辣である。
「ま、まあ……冥加さんにも頑張ってもらわないと……ね」
 口元をヒクつかせながら答えると、枝織がぱちんと手を叩いた。
「そうだわ!  そのコンクール、小日向さんも出場なさいません?」
「え……?」
「夏のコンクールの頃の兄様はとても生き生きしていました。 小日向さん、あなたとステージで競えるのを楽しみにしていたからですわ」
 確かに、出会うたびに挑発じみた言葉を投げかけられていたような気もするけれど。
「えと……うん、考えてみるね」
「よろしくお願いします!  では私は早速、腑抜けた兄様のお尻をひっぱたいてやりますわ!」
 ごきげんよう、とお辞儀をしてから軽やかな足取りで去っていく枝織の後ろ姿に、かなでは思わず溜息を吐いた。
 なんだかややこしいことになってきた気がする。
 けれど、自分もヴァイオリンを極めたいと思っている以上、実力を測る場に出なければならない日がいずれ来る。 それなら同じステージで彼らと競ってみるのも面白いかもしれない。 それに少し高い場所に目標を置けば、向上心も高めることができるだろうし。
「── うん、頑張ろう!」
 考えると少しワクワクしてきて、枝織に負けないくらい軽い足取りで次の目的地へと向かった。

 結局、その日も納得いくプレゼントを選ぶことができなくて、寮の自室で頭を抱えるかなでだった。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 冥加さんフォロー話(笑)
 天音の女子制服は捏造です、もちろん。
 次は東金さんの誕生日話の予定。
 今回ちょっと短くてごめんなさい。

【2010/06/02 up】