■SEASONS【I.Autumn(2)】 東金

「── じゃあ、この曲なんかどうかな」
「その曲にはハープが必要だな」
「うちのオケ部にハープ奏者はいませんが」
「だったらグロッケンかなんかで代用すりゃいいんじゃね?」
「それも悪くはないが、やっぱり音色が違うからなぁ」
 行き当たりばったりの上り新幹線に飛び乗って、新横浜駅前で乗り込んだタクシーを飛ばして辿り着いた菩提樹寮。 飛び込んでみれば、聞こえてきたのは呑気に選曲の相談をしている声で。
 寮に入って最初に聞こえた愛らしい声と、ラウンジのテーブルのひとつを囲む5つの頭の中に明るい色のふわふわの頭を見つけて安心はした。 今はすでに午後11時に近い。 こんな時間にまだ帰っていない、なんて事態になっていた方が問題だ。
 さすがに力が抜けて、持っていた通学カバンがドサッと音を立てて床に落ちた。
「── おや?  珍しい顔だね」
 テーブルから顔を上げた榊と目が合った。 彼はパチパチと目を瞬いて、ふ、と優男風の笑みを浮かべる。
「ハァ?  珍しくもなんともねぇよ。 毎週毎週来やがって」
「え…?」
 つられるように顔を上げたかなでが、一瞬きょとんとしてからぱあっと花が咲き綻ぶように表情を明るくした。 席を立ち、ぱたぱたと駆け寄ってきてガシッと手を掴む。
「聞いてください、東金さんっ!  来週の土曜日、コンサートすることになったんです!  近くの施設の子供たちも呼んで、チャリティーコンサートなんです!」
 何がそんなに嬉しいのか、彼女は目をキラキラさせている。
「………で?」
「私、ここ最近、演奏を聞いてもらうのがすっごく楽しくて!  調子もすごくいいんです!」
 彼女は浮かれるほどに楽しいらしい。 ふと、両手で掴んでいる東金の手をゆっくりゆらゆらと揺らしながら、はにかむように頬を染めて、すぃっと視線を落とした。
「でね、この前『勉強に専念してください』って言っておいて申し訳ないんですけど……今度の土曜日、聞きに来てくれませんか?  話し合いが終わったら電話しようと── あれ?」
 すっと顔を上げたかなではぱちぱちと瞬きを繰り返し、こくんと小首を傾げた。
「── 東金さん、どうしてここに?」
 すっかり力の抜けた東金は、彼女の肩にゴチンと額を落とした。

*  *  *  *  *

 コンサートは交響曲を1曲と、アンサンブル数曲で構成するらしい。
 アンサンブルはコンクールで弾いた曲からチョイスするので問題はないが、交響曲の方は1週間で仕上げなければならないから大変だ、と言いながら彼女は嬉しそうに笑っていた。
 それはいい。 いいのだけれど気に入らない。
 何が気に入らないかと言えば、そのコンサートが天音学園との合同開催ということ。
 どういう意図があるのかは知らないが、天音側から申し出があったのだという。
 ── 天音にはソロファイナルで競った宿敵・冥加玲士がいる。
 今回の話はそれぞれの学校のトップが決めたことらしいが、学校運営に関わる冥加はそのトップの一人のはずである。 建前は『全国優勝を競った学校がせっかく近くにあるのだから』ということらしいが、一体何を企んでいるのか── 東金は苛立ちのあまり思わず下唇を噛んだ。
 そして彼が苛立っているのにはもう一つ理由があった。
 如月兄により1年のチェリストと共に今回のコンサートの責任者に指名されたかなでは、打ち合わせのために天音へ行ったらしい。 夕方電話をかけた時、ちょうど天音の校舎に入る直前だった。 電話から聞こえた男の声は、案内役として迎えに出てきていた天宮という男。 コンクールにも出場していたと聞いて思い出した。 中性的な掴みどころのない容貌に反して、ピアノの腕は確かだと感じていたから。
 天宮のことを話していた時、ふとかなでが難しい顔をした。 どうした、と問い質せば、彼女は慌ててかぶりを振って、なんでもありません、と取り繕ったのだ。
 さらに唇をぐっと噛み締めた。 じわり、と微かに鉄の味がした。

「── えらい不機嫌やね。 みんな怯えてしもて、まともな練習にならんわ」
 ちろり、と視線を向けると、パート練習をしていた部員たちが楽器を抱き締めるようにして身を竦ませた。
 文化祭のステージには1・2年生で編成したオケが上がる。 他にアンサンブルが数組。 図らずも彼女のコンサートと似たような構成だった。
 9月に入って3年は引退。 完全に引退した者もいれば、後輩の指導のため顔を出す者もいた。 窓際に寄せた椅子にふんぞり返って外を睨みつけていた東金と、苦笑しながら彼に声をかけてきた土岐は後者である。 もちろん文化祭の目玉イベントとして、アンサンブルのうちの1曲には二人が参加することになっていた。
 今は月曜日の放課後、部活真っ最中の音楽室。
 結局金曜日は菩提樹寮に一泊した。 横浜にいる理由を突っ込んで聞かれることもなく、ほっとしたような淋しいような。 聞かれたところで『お前が男と一緒にいたから心配になって横浜まで来た』なんて言えるはずもないのだが。
 土曜の朝は練習のため学校へ向かうかなでとは寮の前で別れ、昼には神戸に戻っていた。 その後はガツガツと勉強に集中することで気を紛らせた。 夜になって送られてきたメールの文面がやたら楽しそうなのがやけに悔しかった。
「小日向ちゃんが天音とコンサートするんが、そないに気に入らん?」
 コンサートのことは朝一番に教室で話してある。 『俺も聞かせてもらお』と一緒に行くつもりでいるらしい。
「ああ、気に入らねぇな」
 ぶっすりと吐き捨てると、土岐の苦笑はさらに深まった。
「それなら、うちもやったらええやん」
「はぁ?」
「星奏のアンサンブルの子ら、うちの文化祭に招待して1曲演奏してもろたら?」
「………………なるほど」
 すっくと立ち上がった東金がにやりと笑う。
「よし、校長に掛け合うとするか。 行くぞ、蓬生」
「はいはい」
 すっかり機嫌を取り直し、意気揚々と音楽室を出ていく東金。
 その後ろをついて行きながら土岐の顔にはまたもや苦笑が浮かぶ。 たった1曲弾くためにわざわざ神戸まで呼び付けられることとなる彼女たちには申し訳ないが、今はどす黒いオーラで部員たちを怯えさせる東金をどうにか浮上させることが最重要事項なのだ。 音楽室にいる部員たちがあからさまにほっとした顔をしていて、思わず吹き出しそうになった。

*  *  *  *  *

 水曜日の放課後、コンサートで演奏する交響曲の練習が星奏学院の講堂で行われた。
 1週間で交響曲を仕上げるなんて無謀なようにも思えたが、初合わせにしてはまずまずの出来。 星奏は音楽家を多く輩出した名門であり、天音は少数精鋭を売りにしているだけのことはあって、個々の技術レベルに問題はない。 あとは指揮者を中心に、いかに呼吸を合わせていくかが残された課題だった。
「── 小日向さん」
 練習を終え部室に戻ろうとしたところで名前を呼ばれ、振り返ったかなではヒクリと口元を引きつらせた。
 声をかけてきたのは天宮 静。 天音学園のピアニストである。
 実はかなでは彼のことが苦手だった。
 出会ったのは星奏に転校してきてすぐ、忘れていた課題の練習をしようと向かったスタジオ。 彼が予約していた部屋を空室と間違えて使ってしまった上、一緒に練習させてもらったのが最初だった。
 その時の気まずさがまだ抜け切れていないし、無事に課題に合格できた礼を言っておこうと二度目に会った時に言われた言葉への困惑があった。
 『僕は君に恋をしてみることにしたよ』
 そんなことを言われても、好意を寄せる相手すらいなかった当時ですら戸惑ったのに、『大好きな人』が存在する今は迷惑でしかない。 できればもう出会いたくない人物だった。
「あ、えと……お疲れさまです」
「ふふ、僕は疲れてなんかいないよ。 演奏していないからね」
 柔らかな微笑みを湛えながら屁理屈を言う彼に、かなでは頭を掻き毟りたくなった。
「やっぱりいいね、オーケストラは。 僕はピアノだから、加われないのがとても残念だよ」
「はぁ……」
 どうやってこの場を逃れようかと必死に考える。
 と、カツン、と硬い靴音が響き、廊下の奥に人影が現れた。
「天宮、先に戻── 小日向?」
 くっと眉根を寄せるのは、天音学園室内楽部部長・冥加玲士。 白い長ランの裾をなびかせ近づいてくる彼には出会うたびに蔑むような鋭い視線を向けられてきたが、今回のコンサートの件で再会した時にはずいぶんと印象が変わったように思えた。 コンクールの頃はひたすら怖かったのに、秋になって会ってみればそうでもなかったというか。 単にコンクール=戦いという特異な時期が終わったからだろう、とかなでは自分なりに解釈して納得していた。
 お疲れさまでした、とかなでが頭を下げると、冥加はああ、とだけ言って近づいてきた。
 ちなみに、オケでのヴァイオリン最前列はコンマスを務める如月 律、冥加、2ndのかなで、如月響也の順に並んでいる。 最初は響也がかなでの席だったのだが、彼が異常なほどにその席を拒んだため、現在の並びで落ち着いたのである。
「ねえ冥加、アンサンブルのメンバーをシャッフルしてみない?」
「……何故だ?」
 眉間の皺を深くした冥加に、天宮は楽しそうな笑みを浮かべ、
「僕も小日向さんと一緒に演奏してみたいだけだよ。 簡単でしょう?  小日向さんと冥加が入れ替わればいいんだから」
「……交響曲の完成度を高めねばならない今、そんなくだらんことに時間を割いている暇はない」
「意地悪だなあ、冥加は。 自分は小日向さんと隣同士でオケができるくせに」
 天宮がクスクスと笑うと、冥加の目つきが一段と鋭くなった。 怖くないかも、と改めた印象を、やっぱり怖い、と改め直さなければならなくなりそうだった。
「いい加減にしろ、天宮。 用がないならさっさと帰れ」
「冥加はまだ帰らないのかい?」
「……俺は星奏の理事長と話をしてくる」
 長ランの裾を翻し、踵を返す冥加。 どんなに怖くてもいいから、今は『小日向、お前もさっさと帰れ』と言って欲しかったと思うのはわがままだろうか。
── おーい、かなでーっ! 置いてっちまうぞー!
 泣きたくなってきたところに廊下の向こうから聞こえてきた幼なじみの声は、まるで颯爽と現れた救世主のように思えた。
「は、はーい! 今行くー!」
 一応返事をしておいてから、天宮へとちらりと視線を向けた。 彼はクスクスと笑いながら、
「いいよ、行っても。 お疲れさま」
 潔いほどあっけなく引き下がり、出口の方へと歩いていく。
 一瞬気が抜けたものの、やはりほっとした部分が大きくて、かなでは呼ばれた声の方向へ向かって駆け出した。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 あたしは一体何がしたいんだーっ !?
 そんな感じで(笑)
 冥加スキーさん、天宮スキーさんには非常に申し訳ない。
 天宮がただのヘンな人になってるし。
 冥加さんに至っては、勝手に恋の音ポロンポロン鳴りまくり、
 勝手に親密度アップ、勝手に『俺のファムファタル』。
 それにちょっと気付いたけど認めたくなくて悶々としてるおちゃめさん設定(笑)
 ありえねー(笑)

【2010/05/24 up】