■彼と彼女と彼のツレ【23:into the Sky Rock Gate】
その日の午前中、菩提樹寮のラウンジは得も言われぬ奇妙な空気に包まれていた。
神南の部長・副部長が優雅なティータイム。
それはいつもとなんら変わりない。
ただ、それを寮生+臨時寮生が取り巻き、あれやこれやと質問攻めにしているのである。
「おい東金っ!
てめぇ、かなでに何しやがった!」と如月弟が噛み付き。
「……暑さで体調でも崩したのだろうか」と兄が身を案じる。
「千秋、彼女を怒らせてしまったのなら、早く謝った方がいいんじゃないかい」と八木沢が諭す。
この騒ぎの中心人物である彼女は、昨日東金に抱えられて外から戻ってきて以来、共用スペースに一切顔を出していないのである。
そして外での出来事を誰もしゃべってなどいないというのに、皆が原因は東金にあると思っているところが面白い。
そこへ女子寮の方から人影が。
長い髪を揺らして入ってきた人影は、普段何があってもほとんど動じることのない顔をヒクッと引きつらせた。
10人近い男どもの険しい視線を一気に受けたのだから当然だろう。
「……なんだ、支倉か」
急に興味を削がれたように緊張感が薄まった。
「……私で悪かったな」
「で、どうだった?」
昨夜も今朝も食堂に来なかった彼女。
特に心配した如月兄弟が、彼女以外で唯一の女子寮の住人であるニアに様子を見に行ってもらっていたのである。
聞かれたニアはひょいと肩をすくめてみせた。
「いつもは開けっ放しのドアの鍵をがっちりかけていて部屋には入れない。
声をかけても返事すらないな。
携帯も相変わらず電源を切ったままだ。
まるで天岩戸に閉じこもったアマテラスだよ。
まったく、スサノオはどんな悪さをしたんだろうな?」
ニアの興味津々の視線が東金へと向けられる。
彼は一瞬眉をひそめるが、何事もなかったように紅茶を啜っていた。
「── やあ、みんな、おはよう……って、取り込み中かい?」
姿を現したのは、星奏の副部長・榊である。
手に持ったコンビニの袋には、たくさんのカップのアイスクリームのパッケージが透けて見えている。
「珍しいな、大地」
「ああ、今、部室に寄って来たんだ……おや、ひなちゃんの姿が見えないようだけど」
如月兄の問いへの答えに出て来た名前に東金の目が鋭くなった。
隣に座っている土岐も、別の意味で表情を険しくしている。
土岐にとって榊は天敵なのだ。
見て見ぬふりの榊は笑みを浮かべて二人の方へと近づいた。
「……君たち、昨日山下公園でライブをやったんだって?」
「そうやけど……もしかして公園使うのには榊くんの許可が必要やったん?」
「そんなことは言ってないよ。
ただ……ひなちゃんも一緒だったそうだね」
東金はガチャンと大きな音を立ててカップを置き、椅子に深く背中を預けると、長い足をわざとらしい大きな動作で組み替えた。
「── それがどうした?
まさか星奏の生徒は他校とのアンサンブルをしてはならない、なんて規則でもあるのか?」
「だから、そんなこと一言も言ってないって。
二人ともどうしてそんなに喧嘩腰なんだ?」
東金と土岐、二人ともが不機嫌そうにふいっと視線を逸らした。
「大地、小日向が神南のライブに出たことに何か問題が?」
「ああ、いや、それ自体は問題じゃないんだ。
ただ──」
榊は仏頂面の二人を一瞥して、小さな溜息を吐いた。
「今、学校へ行ったら、正門前に興奮気味の集団がいてね。
知った顔を見つけて聞いてみたら、『小日向かなでファンクラブ結成集会』だって言うんだ」
「はぁっ !?
かなでのファンクラブっ !?
なんだそれっ」
素っ頓狂な声を上げた如月弟に、榊はまったくだ、という苦笑で応えた。
「うちの男子生徒を中心に、相当数集まってたな。
ああ、それからそのファンクラブの正式名称は『神南の悪魔から星奏の妖精を護る会』だそうだよ──
君たち、一体どんなライブを披露したんだ?」
苦笑混じりに訊いた榊は、東金の表情の変化を見て訝しそうに眉をひそめた。
不機嫌そうな仏頂面が、不意打ちを食らって放心してしまったように感情を失ったのである。
「── おや?
アマテラスは自ら岩戸を出てきたようだな」
ニアの声に皆が一斉に振り返った。
ブルーの小花柄のチュニックに白いパンツという爽やかないでたちには不似合いな大きなマスクをつけた彼女は、
皆に挨拶をすることも視線を向けることすらせずにラウンジを横切り、食堂の方へと消えていく。
ガタン、と音を立てて東金が立ち上がった。
切羽詰まったような表情の彼に、原因は間違いなく彼にあると誰もが確信した。
と同時に、そこまで切羽詰まる原因とは一体なんだろうと皆が首を傾げていた。
立ち上がったものの、東金はそこから動かない。
痺れを切らした如月弟が食堂へと駆け込んだ。
しかし彼は青い顔ですぐに戻ってきた。
「……おっかねぇ」
「どうした?」
「……包丁持ったまんま、無言で睨まれた」
響也は自分を抱きしめるようにして、ぶるりと身体を震わせた。
相当怖かったらしい。
と、台所の方から音が聞こえてきた。
ダンッダンッダンッ、と激しい音。
とても料理をしているとは思えない音である。
「お、おいっ、支倉っ!
お前見て来いよっ」
「どうして私が?
とばっちりは御免だよ」
「うっわ、友達甲斐のねぇヤツ!」
「そうは言っても、こんな時に部外者が何を言っても聞く耳は持てないものさ。
ここは当事者同士で解決してもらう他にはないだろうな」
当然の如く、皆の視線は東金へと集中する。
居心地悪そうに顔をしかめた彼は、ドスンと椅子に腰を下ろし、皆から顔を背けるようにして頬杖をついた。
膠着状態のまま、30分ほど過ぎただろうか。
漂ってくる香ばしい匂いは、紛れもなく焼き魚。
時折聞こえてくる激しい物音を除けば、間違いなく彼女は料理をしているらしい。
そんな中、ラウンジに携帯の着信音が響き渡った。
持ち主はスカートのポケットから携帯を取り出した。
「── はい」
ニアはちらりと全員の顔を見渡してから、くるりと背を向けた。
「── ああ、わかった、準備しておく」
携帯を切ったニアは女子棟へと戻っていった。
ほどなくして戻ってきた彼女は手に大きなつばの帽子と、何やら小さな容器を持っていた。
帽子をテーブルの上に置くと、容器の蓋をくるくる回して開け、中身を指先に取る。
それを両手のひらになじませながら立ったのは、東金の座る椅子の後ろだった。
「……何の真似だ?」
伸ばされた両手を鬱陶しそうに避けながら、東金はニアを睨み付ける。
「── 彼女からの指令だ。
じっとしていろ」
テーブルに置かれた容器を拾い上げた響也が、ヘアワックス?、と呟いた。
それを聞いた土岐が、ああ、と納得の声を上げた。
ニアの手が東金の髪を撫でつける。
不本意そうではあるが言われた通り大人しくしている彼を皆が不思議そうに見守った。
以前彼自ら変装のためにやったことがあるとは知らないのだから、その反応も頷けるが。
そして彼の頭はあっという間にオールバックになった。
「── あ」
食堂から出てきた彼女に気づいた誰かが声を上げた。
異様に大きなマスクと前髪の間に見える目から表情は窺えない。
手に大きめの袋を抱え、つかつかと歩いて東金の前に立った。
すかさずニアが彼女の頭に帽子をふわりと被せてやる。
彼女を見上げる東金が、こくり、と音を立てて唾を飲み込んだ。
「─── 行きますよ」
一言言って、彼女は踵を返して玄関へ向かう。
東金は何か言いかけて開いた口をきゅっと引き結び、ゆらりと立ち上がって彼女の後に続いた。
かたん、と玄関の扉が閉まる音が聞こえ。
「………うっわ、オッターヴァバッサだよ」
誰かがそう呟いた。
『オッターヴァバッサ』とは、楽譜に書かれた音符の1オクターブ下を指示する演奏記号のことである。
それほど彼女の声は低かった。
いつもは横柄な態度で好き勝手している東金が、彼女の一言に何も反論することなく従っていったのも興味深いことだ。
そして、真相が明らかとなり大騒ぎになるのは、それから約15分後。
榊が差し入れに持ってきたアイスが皆の腹に収まった頃である。
公園にほど近い天音学園に在籍する幼なじみから話を聞いた、と星奏のチェリストが『破廉恥ですっ!』と鬼の形相で駆け込んできたのだ。
【プチあとがき】
よくわかんないサブタイトルですよね(笑)
Sky Rock Gateは天岩戸をまんま直訳(エウレカセブン17話サブタイトルより)
エウレカにハマった頃、サブタイトルをお題にしてSSを書こうとか思ってて。
その頃、将望長編書いてたからやめたけど。
当時、天岩戸ネタは土日で書こうと思ってたんです。
もちろん内容は全然違うけどね。
あー、今回中身が薄い……
【2010/05/06 up】