■彼と彼女と彼のツレ【21:計画発動】 東金

 熱く長かった戦いの日々が終わって一夜明けて。 既に眩い日の光に照らされた外では、過ぎ行く夏を惜しむかのようにツクツクボウシが声を限りに鳴き叫んでいる。
 朝と呼ぶには少し遅く、昼にはまだ早いという時間、菩提樹寮を慌てふためく足音が駆け抜けた。
「── ご、ごめんなさいっ!  お待たせしましたっ!」
 『俺を焦らして、そんなに楽しいのか?』とでも言って困らせてやろうと思っていたのに── 転がるようにラウンジに駆け込んできた彼女を見た瞬間、用意していた台詞はあっという間にどこかへ霧散してしまった。
 グリーンのギンガムチェックの膝上丈のワンピース。 その上に乗っかるのは明るい色の髪の彼女の頭。 配色がまるで向日葵だ。 いつだったか、そう例えたのをそのまま具現化したかのように。
 どれだけ鳴らしても電話に出なかった彼女は、着信音にも気づかないほど熟睡中だったらしい。
 ふわっとした明るい髪は、いつにも増してふっくらと膨らんでいた。 いかにも寝起き直後であることを主張しているように見えて笑いを誘う。 だが、髪を整える暇すら与えなかったのは誰あろう自分自身である。 彼女を起こしに行かせた猫女── 着信音がうるさいとわざわざ文句を言いに来た── がどう伝えたのかは知らないが、彼女なら人を待たせるのをよしとせず、慌てて部屋を飛び出してくるに違いないのだから。
 昨日の祝賀パーティで着ていた純白のドレスもよく似合っていて、思わず息を飲んで見惚れてしまった。 会場を抜け出して『秘密の花園』のような美しい庭園で語らった甘いひと時を思い出すたび、知らず口元が緩んでくる。
 けれどやはり彼女には今の格好の方が似合っている気がする。 ドレスが似合わないとかではなく、彼女の親しみやすさを表しているというか。
 ── 女の服装になんか興味のかけらもなかった自分がこんなことを考えているとは。
 つまるところ、どんな服を着ていようが中身が彼女ならそれでいいという考えに至るほど、彼女に溺れきっているわけである。
「……あの……東金さん…?」
 きょとんとした表情で見上げてくる彼女の顔。
「あの……何かご用でしたか?」
「あ」
 考えてみれば、今日の約束を取り付けていたわけではないのだ。 何時まで寝ていようが、電話に出まいが、それで文句を言われるような筋合いは彼女にはない。
「……用がなきゃ、顔を合わせることもできないのか?」
 滑り出た自分の声が思いの外拗ねていることに驚いて、慌てて口を噤んだ。
 呆れられるかと思いきや、彼女はぶんぶんと派手に頭を横に振る。 それだけで抱き潰してしまいたいほど愛おしさが込み上げてくるとは、完全に末期症状だ。
「…………行くぞ」
 彼女の腕を掴んで玄関へと歩き出す。
「えっ、行くって、どこへ?」
「行けばわかる」
「ま、待ってくださいっ、荷物取ってきますから」
「手ぶらでいい」
「駄目ですっ!  ……女の子は出かける時に持ってなきゃいけないものがあるんですっ
 少し顔を赤らめ、小声になる彼女。 なんとなく意味がわかったような気がして、気恥かしさに慌てて手を放した。
「……3分待ってやる。 さっさと取って来い」
「はいっ!」
 彼女にすれば理不尽であろう要求にも元気に返事をして、女子棟へと戻っていった。

*  *  *  *  *

 3分の制限のところを2分40秒で戻ってきた彼女を連れて向かったのは、駅前にある貸しスタジオだった。
「── ああ、小日向ちゃん、よう来たね」
 入った一室で土岐と芹沢に迎えられ、大きな目をパチクリさせている彼女。
「あ、あの、ここで一体何を…?」
「取って食うたりはせえへんよ。 安心して入っておいで」
 くすくす笑いながら手招きしている彼の方へ、とてとてと歩いていく。
 『安心しろ』と言われれば本当に安心して近づいていってしまう彼女の素直さに、もう少し警戒心を持つよう後で説教してやらねばと苦笑しながら、 東金は横に控えている芹沢の方へ足を進めた。
「── 芹沢」
「はい」
 芹沢がすかさず差し出した物を受け取って、そのまま彼女へと押し付けた。
「え……え…?」
「お前のものだ。開けてみろよ」
 それは見た目から中身が容易に想像できるもの。 というより、それ以外が中に入っているほうが奇妙だという代物である。 彼女はおろおろしながら受け取って、言われるままに近くに合ったテーブルの上にそっと置いて蓋を開けた。
「あ、あのっ、これ──」
 ばっ、と振り返った彼女が驚きと困惑の混ざった顔で見つめてくる。
「ああ、俺のカンタレラの色違いだ」
 彼女に渡したのはヴァイオリンケース。 中身はブラウンのボディを持つサイレントヴァイオリンだった。
 数日前、彼女の練習に付き合った帰り道に思いついた計画のひとつ。 街に向かった東金は、彼女を飾る可愛らしい浴衣と、このヴァイオリンを購入したのである。
「このグレードはカンタレラと蓬生のアブサントの他にはその色しかなくてな。 もっとお前に似合うビビッドな色があればよかったんだが」
「……あぶさんと…?」
「── ああ、言うてなかった?  『アブサント』いうんは俺のヴァイオリンの名前や。 そういう名前の強〜いお酒があるんよ」
 微笑みを浮かべ、土岐が口を挟む。
「へぇ……」
「ちなみに芹沢クンの使てるキーボードは『セバスチャン』── もちろん千秋の命名やで」
 がばっと口元に両手を当てた彼女が芹沢へと目を向けた。 彼が不本意そうに視線を外した途端、堪えきれずにぷっと吹き出した。
「……なんで笑う…?」
「だって……だって……っ」
 必死に笑いを堪える彼女は可愛い顔を愉快に歪ませて。 背後で土岐までがクスクス笑っているのが聞こえてきて、東金は不機嫌そうに顔をしかめた。
「お前らの笑いのツボは理解できねえが…… まあいい、小日向、それはお前にやる」
「えっ、こ、こんな高価なもの、いただけませんっ!」
「いいから使え。その代わり──」
 言葉を切って視線を向けるだけで、芹沢が1冊の使いこまれた薄い冊子を東金に手渡した。 さっきのヴァイオリンケースと全く同じように、冊子は彼女へと向けられる。
「今日中に弾きこなせ。 もちろん、そのヴァイオリンを使ってな」
 彼女が受け取った冊子は楽譜である。 表紙に書かれたタイトルは── 『死の舞踏』だった。
「俺が2ndを弾く。お前が1stだ」
「えっ、で、でもっ」
「条件は同じだぜ?  俺も2ndを弾くのは初めてだからな」
「そ、そうじゃなくて!」
「── 千秋、もしかして小日向ちゃんに詳しいこと話しとらんのとちゃう?」
 ツレのやんわりとしたツッコミにはたと気づく。 いろいろあって話したような気になっていたが、彼女本人にはきちんと説明していなかったことに。
「あー……今日中にパートをマスターしろ。 明日1日でアンサンブルを仕上げる。 そしてあさって── この夏の横浜最後のライブ、ラスト1曲はお前にも出てもらうからな」
 きょとんとして、大きな目をパチパチと瞬かせ、こくんと唾を飲み込んでから、
「えーーーーーーーーっ! 私がですかーっ !?」
 絶叫がスタジオに響き渡った。

「── あの、ひとつ聞いてもいいですか…?」
「なんだ?」
「えと、もしかして……この子にも名前……ついてたりします?」
 初めて手にする電気仕掛けのヴァイオリンを抱きかかえるようにして、彼女が不安そうに尋ねてくる。
「え?  ── ああ、当然だろ」
 彼女の口元がヒクッと引きつる。 後ろで土岐がぷぷっと吹き出した。
 本当に失礼な反応をする奴らだ── 少々イラッとしながらも、彼女を見据えてニッと口の端を上げる。
「お前にふさわしい名をつけてやったぜ。 そいつの名は── 『プリマドンナ』だ」
 彼女の顔がぱあっと色づいていく。 喜んでくれたか、と安心したのも束の間、彼女は困ったように眉根を寄せた。
「── あの、私、バレエ習ったことなんてありませんけど…」
 ズルッと肩が落ちそうになるのを必死に堪え、はぁ、と大きな溜息を吐く。
「アホかお前は……プリマドンナと言えば、普通オペラの主役のソプラノのことだろうが」
「えっ、そうなんですか !?」
 ガタン、と音が聞こえて振り返ってみれば、ツボにはまって笑いすぎた土岐が捩れて痛む腹を押さえてうずくまっていた。

〜つづく〜

【プチあとがき】
 ごめん、エンディング妄想はすっ飛ばしました(汗)
 あれはあれで、もう完成形だということで。
 ここからは完全オリジナル妄想。
 音楽ものなんだから、それらしいことは織り込まないと。
 そして、執事といえばセバスチャン(笑)
 あたしにもネーミングセンスはありません(断言)

【2010/04/29 up】