■彼と彼女と彼のツレ【18:祭の夜(2)】
参拝を済ませ、『吉』『小吉』という当たり障りのない結果の出たおみくじを木の枝に結びつければ、後は屋台巡りを堪能するのみである。
屋台の定番・アツアツのたこ焼きを頬張って、次に足を止めたのはこれまた定番・お面の屋台の前。
「面か……なるほど、祭りにはふさわしいな」
ずらりと並ぶカラフルな顔を隣で興味深そうに眺めている彼女の肩を抱き寄せて、
「よし、小日向、俺に似合う面を選べ」
「え」
驚いた彼女は目を丸くして見上げてくる。
それはそうだろう。
こんな安っぽいプラスチックの面が『東金千秋』に似合うとは、自分ですら思っていない。
果たして彼女はどんな答えを出すだろうか?
面の並ぶ棚へと目を戻した彼女は人差し指を顎に当ててしばらく悩むと、その指である一点を指差した。
素直すぎるほど素直な彼女には、『選べ』と言われて『選べない』という答えを返す考えはなかったようだ。
「これなんてどうですか?」
「ほぅ……それは本気で言ってるのか…?」
ヒクリ、と東金のこめかみをひきつらせたのは、可愛らしくデフォルメされたタヌキの面。
「はい、タレ目なところがそっくりですよ?」
そう言ってニコリと笑う。
面と向かって『タレ目』呼ばわりされたのは初めてだった。
が、怒る気になれないのは、言ったのが彼女だからに違いない。
それでも気に入らないものは気に入らなかった。
東金は彼女の肩を抱き寄せていた手をぐいっと伸ばし、抱きつくようにして彼女の可愛い鼻をむにゅっと摘まんだ。
途端、ふぎゃっ、と悲鳴が上がる。
「い、痛いですっ!」
「俺のどこがタヌキだっ!
だいたいよく見てみろ。
タレてるのは目の周りの模様だけで、目自体は真ん丸だろうが。
もう少し物事の本質を見極めるようにしたほうがいいと思うがな」
「ごめんなさいごめんなさいっ!
次はちゃんと選びますっ!」
さすがに失言だったと思ったのか、本気で慌てている彼女。
摘まんでいた鼻を解放してやると、彼女は別の面に手を伸ばした。
「じゃあこれ!」
「お前……俺にケンカ売ってるだろ…?」
彼女が手に取ったのは、すぼめた口を横に捩じらせた、おどけた顔のひょっとこの面だった。
「違いますよぉ……
ひょっとこって見た目はユカイですけど、元は『火男』っていう火の神様なんです。
炎メラメラで情熱的な感じがぴったりだと思ったんだけどな……」
そういう由来を聞いてしまったら、これ以上拒絶できないではないか。
「……だったら、お前にはこれだな」
鮮やかな黄色の髪の妖精のような面を棚から取り、彼女の手からひょっとこを抜き取って、店の主人に代金を支払った。
彼女の後ろ頭に妖精の面を被せ、額の上でわざとパチンとゴムを弾く。
「いたっ!」
「あー悪い、手が滑った」
「むぅ」
頬を膨らませて上目使いに睨んでくる彼女を笑いながら、自分も後ろ頭にひょっとこの面を被った。
えへ、と嬉しそうに笑った彼女の手を取って、次の屋台へと歩き出す。
「それにしても、よく知ってたな……ひょっとこの由来とか」
「昔、おじいちゃんが話してくれたことがあって。
小さい頃はおじいちゃんの工房に入り浸ってたから」
「工房?」
「はい、うちのおじいちゃん、ヴァイオリンの職人なんですよ」
「へぇ……じゃあ、お前のヴァイオリンも?」
「もちろんおじいちゃん作です。
あと、響也たちのも。
3兄弟なんですよ」
するりと出たライバルたりえる名前に思わず眉をしかめた。
自分は彼女と出会ってまだ20日ほど。
彼らは物心つくかつかないかの頃からずっと彼女と共に育ってきた。
そのことに嫉妬を覚えないと言えば嘘になるが、それは変えようのない事実なのだから仕方ない。
唯一の救いは彼女が屈託なく言った『3兄弟』という言葉。
それは彼女の彼らに対する認識にもそのまま当てはまると考えてよさそうだと思えた。
「── じゃあ、そのうち俺も1挺注文するかな」
「ほんとですかっ!
おじいちゃん、喜びます!」
そして彼女は言った。
「── これで4兄弟ですねっ!」
前言撤回──
こちらが深読みしてやきもきするほど、彼女の中では深い意味はなかったらしい。
次に目に止まった屋台はチョコバナナ。
わぁ、と感嘆の声を上げた彼女のキラキラした目はいかにも『食べたい!』と言っているようだった。
「……食うか?」
「はいっ!」
素直な反応に思わず笑みが零れる。
人気があるらしく、チョコバナナの屋台の前は大混雑。
彼女を待たせ、一人で買いに行った。
店主とちょっとした賭けをして、1本分の代金で2本入手し戻ってくると、彼女は女二人と立ち話をしていた。
クラスメイトにでもばったり出くわしたのかと、しばらく待ってやることにした。
チョコバナナを両手に持って女を待っている、という自分の行動は想定外で、なんだか可笑しい。
笑いを噛み殺しながら、早く話が終わってくれないかと彼女の様子を窺う。
── が、どうにも雰囲気が怪しすぎる。
こちらに背を向ける彼女の表情はわからないが、彼女と話す女二人の顔はどう見ても『和やかに談笑』とは思えないものだった。
一人が彼女に詰め寄り、もう一人が慌てて止めようとしている、といったところか。
ゆっくりと近づいていくと、彼女たちの会話が聞こえてきた。
「── どうやってあの二人に取り入ったのか知らないけど、ホントあんたって目障り!」
「ちょ、もうやめときなさいってば」
「だって許せないじゃない!
千秋クンも蓬生クンもみんなのものなんだから!」
聞こえた声に、東金は舌打ちした。
おそらくあれが以前彼女に怪我をさせた意地悪女二人組らしい。
怒りの炎がメラメラと燃え上がってくるのを感じた。
静かに彼女の背後に立った東金は、女たちから顔が見えないように俯きつつ、彼女の身体に腕を回して抱きしめた。
ぴくっと身体を震わせた彼女の耳元で、
「ほら、口開けろ」
そう囁いて、チョコバナナの先を彼女の唇に押し当てる。
前歯でほんの少し齧り取られ、バナナの淡いクリーム色の断面が現れた。
東金はすっと顔を上げて女二人の顔を一瞥し、同じバナナを一口齧る。
「ちょっと……あなた何よ……」
怪訝な顔で問う女は髪型と衣装の違いに惑わされたのか、しばらくしてようやく目の前の男が誰なのか気づいたらしい。
きゃ、と声を上げかけるが、彼に睨み付けられ慌てて自分の両手で口を覆う。
口の中のバナナを飲み込んだ東金は、
「── 誰が誰のものだって?」
いかにも不機嫌そうに、低い声で言い放った。
* * * * *
女二人は目の前の光景を呆然と見つめ続けることしかできなかった。
片手に持った2本のチョコバナナを松明のように掲げ、彼女の首に巻き付けた腕を決して解こうとしない彼。
困り切った顔でその腕から必死に逃げようともがく彼女。
二人は鼻先を突き合わせ、ぼそぼそと小声で会話をしている。
いかんせん距離が近すぎて、小声の会話は丸聞こえだった。
「お前、何変な奴に捕まってんだよ」
「変な奴……って、東金さんのファンの人たちです! ファンサービスしなくていいんですかっ !?」
「ハッ、人を傷つけた挙句、まだネチネチと嫌味を言ってくるような奴なんざ、俺のファンとは認めねえ」
「でもっ!」
その時、彼がにゅっと首を伸ばした。
「「あっ」」
二人組の声が見事にハモる。
元々彼らの間の距離は僅かしかなかった。
彼が首を伸ばすことで、ほんの一瞬ではあったけれど彼らの距離がゼロになる。
「───── っ !?」
「お前、困った顔も可愛いな」
ニヤリと笑った彼が、次の瞬間グッと苦鳴を上げて頭を逸らした。
彼女が突き上げた掌底が彼の顎に綺麗に決まったのである。
戒めを解かれた彼女は彼を置き去りにしてぷりぷりと怒りながら歩いていく。
慌てて追いかける彼。
「なっ、何しやがるっ!
あやうく舌噛むところだっただろうがっ!」
「人前でキスしちゃだめって、何度言ったらわかるんですかっ!」
「したくなったらする、それが俺のポリシーだ。
潔く諦めろ」
「諦めませんっ!
恥ずかしいからやめてくださいっ!」
「せっかくの祭りの夜にそう怒るな。
ほら、次はじゃがバタ行くぞ」
「えーっ、さっきたこ焼き食べたじゃないですか」
「甘いものの後はしょっぱいものが欲しくなるだろ」
「もうお腹いっぱいですっ!」
「チョコバナナは欲しがったくせにか?」
そして二人はじゃれ合いながら、祭りを楽しむ人混みに紛れていった。
「……もう、私、訳がわかんない」
「……私も」
彼女たちは『遠くから眺めているだけに留めておいたほうがいい男もいる』ということを痛感し、そんな男に捕まってしまった彼女が本当に気の毒に思えて、心の中で真剣に詫びるのだった。
── ほんのちょっぴりだけ、羨ましいと思わなくもないけれど。
【プチあとがき】
ごめん、なんかちょっとふざけすぎた気がしないでもない……
かっこいい東金さん像をぶち壊してごめんなさい。
うちの東金さんが壊れてるってことで許してね(汗)
ひょっとこの由来は諸説あり。
なんでも吸収しちゃう小日向ちゃんは、掌底突きもマスター済み(笑)
【2010/04/21 up】