■彼と彼女と彼のツレ【12:温泉を楽しもう】
土岐が大騒ぎする東金を無視して運転を続けたおかげで、その後10分ほどで宿に到着し。
風情ある老舗の宿の通された部屋はそれは立派なものだった。
急な予約の客によくぞこんなにいい部屋を宛がったものだ。
もしかすると芹沢が予約の時に使った『東金』の名前が少なからず効果を発揮したに違いない。
まずはざっと汗を流して、浴衣でゆったり豪華な食事。
それからもう一度温泉を堪能したのち帰途に就く、という計画。
日が暮れてからの日帰り旅行にしてはなかなかのハードスケジュールである。
男3人が部屋に戻ると、広いテーブルの上にはすでに色とりどりのご馳走が隙間なく並んでいた。
「はぁ……風呂上がりの一杯ができんのは淋しいなぁ」
「アホ、帰りの車は誰が運転するんだ」
「……そういう問題ではないのでは」
グリン、と同時に振り返った二人に半眼で睨まれた芹沢はゴフッと喉を詰まらせて、なんでもありません、と目を逸らしつつ付け加えた。
テーブルを挟んで2つずつ並べられた座椅子に腰を下ろす。
暗黙の了解で東金の隣が空席として残された。
お連れさんお待ちになりますか、と年配の仲居が尋ねてくる。
東金が、すぐに戻るだろう、と答えると、仲居は1人用コンロの中の固形燃料に火をつけて回り、ごゆっくり、と微笑んで部屋を出て行った。
「── すみませんっ、お待たせしました!」
仲居と入れ替わるように部屋に飛び込んできたのは、もちろん彼女である。
「── っ」
遅い、と苦言を呈してやろうと開いた東金の口は、開いたままでピタリと停止した。
彼女の纏う浴衣は白地に紺の濃淡の変則的なストライプ。
その上に淡い藍色の花が舞っている。
好みで選べる浴衣には、他に女が喜びそうなカラフルなものもあっただろうに。
単色でまとめたシンプルな浴衣は、彼女の清楚さを実によく引き立てていた。
そして湯上がりでほんのり桜色に染まった頬。
浴衣の裾から覗く足は当然素足である。
露出の多い服装よりも何故かドキドキする。
「へぇ、ええもんやねぇ、女の子の浴衣姿は」
「……ああ、よく似合ってるぜ──
和服はメリハリのない体型の方が似合うというが、本当なんだな」
「うわっ、ひどーい!」
照れ臭さを誤魔化す揶揄にぷくっと頬を膨らませた彼女は、空いている席を見て何かを躊躇った。
その視線は東金の上を通り過ぎて土岐へと向かう。
「あ、えと……」
「ふふっ、息抜きに来たんやから、手足伸ばしてゆっくり寛いだらええよ。
誰も行儀悪いなんて言わへん」
どこかピントがずれているようにも聞こえるアドバイスに彼女はほっとしたように表情を緩めて、ぎこちなく座椅子に腰を下ろした。
言われた通り足を伸ばして。
テーブルも広いし、正面に座る芹沢はきっちり正座しているから邪魔にはならないだろう。
だが妙な不自然さに胸がざわついた。
「み、皆さんも浴衣似合いますねっ。
今日の私服も大人っぽいですけど、なんだか別人みたいでドキドキしちゃいますっ」
違和感を覚え始めた東金には、彼女のはしゃぎ方もどこか不自然に思えてくる。
「そう言ってもらえるんは嬉しいなぁ──
ほな、みんな揃ったことやし、冷めんうちに食べよか」
土岐の一声で、寮生活では決してお目にかかることのない豪華な夕食が始まった。
* * * * *
食事の後は計画通り、腹ごなしの温泉である。
男湯と女湯の入り口に挟まれた一間ほどのスペースに掲げられた木のプレートの前でなんとなく4人の足が止まった。
食事の前に来た時には気にも留めていなかったが、湯の効能が達筆な字で書いてある。
「……へぇ、肩こり、腰痛、慢性胃腸病に擦り傷、切り傷──
いろんなもんに効くんやねぇ」
読み上げて感心しきりの土岐が、後ろにいた彼女に振り返り、
「ほな小日向ちゃん、しっかり湯に浸かって、しっかり癒されておいで」
肩越しに妖しい笑みを浮かべてそう言うと、さっさと男湯へと入って行く。
彼女の表情を窺おうと東金が視線を向けた時には、彼女はすでに女湯の暖簾をくぐってしまっていた。
小判型の桶をぽんと置いたような総ヒノキの浴槽。
桶といってもゾウ1頭が余裕で入れそうな大きさである。
コの字型の木の樋からは絶えることなく湯が流れ込んでくる。
この辺りの宿は皆『源泉かけ流し』が売りなのだ。
絶え間なく湯が溢れつづける浴槽の縁に腕をかけ、そこに顎を乗せてゆったりと外の景色を堪能している土岐。
湯の中で横座りしている上に長い髪が濡れないようにタオルを巻いているので、知らない人が見たら混浴かと誤解するような妖しい雰囲気を醸し出している。
すっかりくつろいでいる土岐とは対称的に、東金は見事な仏頂面。
座っている場所までがちょうど点対称の位置。
湯船の壁に背中を預けて腕を組み、険しい顔で前を見据えている。
その視線に映っているのは土岐の後頭部なのか、それともその向こうの景色なのか。
『温泉でのんびり』というより『滝壺で修行中』と言った方がふさわしいようなオーラを放っている。
一方的な緊張感漂う部長と副部長に挟まれた芹沢は、二人のどちらにも近づかない位置をキープしながら、懸命に己の存在を消すよう努めていた。
「はぁ……
夏の温泉もええもんやねぇ。
身体の芯から癒されとう気がするわ」
「蓬生……癒されるのはお前の勝手だが──
その前に、腹の中のもん、全部吐け」
恫喝にも近い低い声。
土岐は肩越しにちらりと振り返り、微かに口の端を上げた。
「せっかく美味いもん食うたのに……
いややわ、もったいない」
「言葉通りに取るな、アホ。
俺に黙っていることを吐けと言ってんだよ」
土岐は足を伸ばしながらゆっくりと身体の向きを変える。
壁面にもたれて両肘を浴槽の縁にかけた。
「……何のことやろ」
「とぼけるのもいい加減にしとけ──
今日のあいつは俺と目を合わせようとしねえ。
そのくせ助けを求めるようにお前を見る。
何があった? ……小日向に」
意外なことを耳にしたとばかりに瞠目した土岐は、ぱちぱちと目を瞬いた。
「あれ……?
『小日向と』──
て聞かんでもええん?」
「俺を見くびるな。
最初は全く疑ってなかったわけでもねえが……
もしもお前と小日向がどうこうなったんなら、お前は完璧に隠す。
だがお前はずっと何かをほのめかすような態度だ。
なら何か隠しているのはあいつで、お前はそれを知ってて黙ってるってところだろ」
腕を下ろした土岐はそっと湯をすくって顔にパシャッとかけた。
水滴を手のひらで拭って、ニヤリと笑う。
「── あれあれ、見破られてしもたわ。
よう解ったなぁ、千秋」
「ハッ、よく言うぜ。
俺の目の前で、これ見よがしに小日向を構っていたくせに」
「そんなつもりはなかったんやけどなぁ……」
苦笑した土岐は、すいっと湯の中を移動して東金の隣へ並んだ。
腰を落ち着けた時には彼の顔から笑みは消え、いつになく真面目な顔つきになっていた。
「── 話す前に、一つ言わせてもろてもええ?」
「……なんだ」
「千秋、寮の中でくらいはかまへんけど、外であんまり小日向ちゃんとイチャつくんはやめたほうがええよ」
東金千秋という男は、己の欲求に素直な人間である。
古い内装が気に入らなければ金に物を言わせて即刻総取り替えするし、喉が渇けば所構わずお茶を淹れろと命じる。
愛おしいという気持ちが高まれば、TPO関係なしに彼女を抱き締めたりしていてもおかしくない。
「……公衆の面前でそんなことするか」
ふいっと顔を背ける東金。
湯のぬくもりとは違う熱に耳まで赤く染まっている。
『ラウンジでアイスクリーム』の一件やら、寮内でのもろもろを思い出しているらしい。
「……ほんまにないんか?
肩抱いたり、抱き締めたりとか」
「うるせえな、俺だって人の目くらい気に── あ」
「……なんや……やっぱり心当たりあるんやないの」
「あれはっ……
抱き締めたというより、思わず抱き寄せてしもたいうか……」
もごもごと心許なげに呟く彼は、今にも湯の中に潜ってしまいそうだった。
まるで悪戯を咎められている子供のように見えた。
土岐は父親めいた気分になって、大きな溜息を漏らした。
「……それが原因やな」
「はあっ !?
それがどう小日向の隠し事につながる?」
「── 千秋、小日向ちゃんの膝におっきい絆創膏貼ってあったの気づいとう?」
「なんだあいつ、転んで怪我でもしたのか?
どうせ俺のことばかり考えながらぼんやり歩いてたんだろ。
だがそれで転んだからといって、俺のせいにするんじゃないだろうな」
本当に子供だ──
土岐は再び溜息を吐いた。
彼女には偉そうに『自己認識』を説いたくせに、彼自身の自己認識が甘すぎる。
彼は『魅せ方』は熟知していても『見られ方』を理解していない。
「たまたま街で見かけたんやけどな──
ほんまに楽しそうに歩いとったよ。
たぶん公園に向かう途中やったんやろな」
東金がぴくりと身じろぎした。
「そしたら前から来た二人連れに足引っ掛けられて、こかされてん。
可哀想に、固い地面とごっつんこや。
ま、その二人連れは引き止めて説教しといたけどな──
二人とも、俺らのライブで見かけた顔やった」
ここまでストレートに言えば、伝わらない訳がない。
東金が派手な水しぶきをあげて立ち上がった。
「千秋、どこ行くん?
女の子のお風呂は長いて相場が決まってるで?
それとも、女湯に乱入でもする気なん?」
「っ……」
東金はザブザブと湯船を横切って、ドプンと飛び込むように湯に身体を沈めた。
さっきまで土岐がしていたように、浴槽の縁にもたれて外を見る。
「……ほんまにええ子やなぁ、小日向ちゃんは。
ソロ決勝の邪魔しとうないから黙っといてって言われたのに、ついしゃべらされてしもうた。
悪いことしたなぁ、小日向ちゃんに」
土岐はわざとらしく声を張る。
さすがにあざとかったか、ちらりと後ろに視線を寄越した東金が拗ねたようにふいっと顔を逸らした。
今、彼はどんな顔で景色を眺めているのだろう──
向こうに回り込んで見てみたい衝動に駆られたが、親友の名誉のためにも我慢することにした。
こみ上げてくる笑いに肩が揺れる。
それに合わせて波立つ水面がなんだか楽しい。
「── 千秋」
「……ん?」
「今の俺らはちょっと見目がよくて楽器ができる、ただの高校生や。
けど千秋の場合、いずれ別の大きな肩書がつく。
その時、あの子を守ってやれるのは千秋だけやで。
手放す気ぃないんやったら、肝に銘じとき」
「……言われなくてもわかってるさ」
殊勝な声音が返ってくる。
土岐の口から漏れた、安堵とは別の何かが混ざった溜息が、湯煙の白に溶けていった。
【プチあとがき】
車で温泉宿に乗りつけるのに制服じゃマズかろう。
ということで私服でお出かけしてます。
まあ、神南の制服はぱっと見、制服には見えませんけどね。
そして入浴シーン(笑)
誰かあたしのためにコミカライズしてくれませんかね?
絶賛募集中です(笑)
あー、この回は難産だった……
【2010/04/05 up】