■彼と彼女と彼のツレ【8:開花】
奏でられる音に目を見張った。
身体のど真ん中をズドンと撃ち抜かれるような、それでいて全身を優しく包まれていくような。
彼女の視線が強い意志を持つ。
それに応えて他のメンバーが小さく頷き、綺麗な音の波が見事に重なり合った。
指揮者のいないアンサンブルでは当たり前のアイコンタクト。
それを受けているのが自分ではないことが、やけに癪に障る。
「── へぇ、星奏もやるもんやなぁ」
隣に並んだ土岐が、ぽつりと感嘆の声を上げる。
だが東金は言葉を返すこともせず、ひたすらにステージを見つめていた。
神南の生徒たちが控えている上手側の舞台袖からほぼ真正面に見える彼女の、微かに柔らかな笑みを浮かべる顔から目が離せない。
いつしか東金の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「ふ……
あいつ、この大舞台で化けやがった」
「ほんま、この短期間であそこまでよう成長したなぁ。
敵ながらあっぱれや」
ステージの上では楽器を下ろした4人が客席に向かって頭を下げていた。
水を打ったように静まり返っていた客席から、一呼吸置いてどよめくような拍手が湧き起こる。
「こりゃ本気でかからんとな」
「当たり前だ──
さて、熱狂のショウタイムの再開といくか」
学校名と演奏曲のタイトルを読み上げるアナウンスに導かれ、東金たちは光眩しいステージへと足を踏み出した。
* * * * *
東金は下手側の袖へと舞台裏を駆け抜けていた。
2曲目はこれまでで一番いい演奏ができたと胸を張って言える出来になった。
この演奏は次のファイナルに続く1曲だ、とか、もしかするとこれがこの夏最後のアンサンブルになるかもしれない、とか、そんなことは一切頭になく。
ただ、彼女の音から受け取った『何か』を、自分も音で表現したい──
そんな衝動に突き動かされて弾き切ったようなものだ。
演奏前に躍り始めた感情は、演奏をすべて終えた今も躍り続けている。
辿り着いた舞台袖、たむろする星奏の生徒たちの隙間を掻い潜り、徐々に起きる小さなざわめきを引き連れ前へ進む。
「── よう」
かけた声に彼女が振り返った。
同時に楽器を携えた他の3人も険しい視線を向けてくる。
彼女はぱあっと笑みを零すと、ちょこちょこと近づいてきた。
「── 間に合ったんだな」
「ほんとですか !?」
よかった〜、と安堵の息を漏らす彼女の顔に笑みの花が咲き綻んだ。
その表情があまりに眩しくて、うっかり動揺した東金はくいっと顎を上げて目を逸らす。
「ま…まだ三分咲きってところだがな」
皮肉っぽい軽口は、完全な照れ隠し。
不満の声が上がるだろうと思いきや、
「よぉし、じゃあ2曲目は目指せ五分咲き!」
彼女は鼻息荒く、きゅっと拳を握り締めた。
「馬鹿、どうせ目指すなら満開を目指せ」
「あははっ、それもそうですね。
はい、頑張ってきますっ」
「ああ」
頭上のスピーカーからアナウンスの声。
かなで行くぞ、と彼女の幼なじみが彼女を呼ぶ。
「── 小日向」
踵を返し、ステージに向かいかけた彼女を呼び止めた。
「── お前の『花』で聴衆を酔わせてやれ」
「はい!」
ステージに飛び出していく彼女を見送って、東金は舞台袖ギリギリのところに陣取る。
ふと見れば、本来自分がいるべき上手側の舞台袖でこちらを指差し笑っている土岐と、苦笑を堪えようとして失敗しているらしい芹沢、
さらに不思議そうに首を捻っている神南管弦楽部の部員たちの姿が見えて、思わず苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
背後で星奏オケ部員たちが、
『あれって神南の東金だよな?』
『ヤなやつそうだけど、意外といいヤツ?』
『小日向とどういう関係 !?』
などとヒソヒソ噂話をしている声が耳に届くはずもなかった。
* * * * *
「わぁ……」
空を見上げる彼女の瞳の中に、キラキラと光が瞬いていた。
セミファイナルの結果発表の後、東金はホールのエントランスで星奏学院の制服の一団を目の端に捕えながらも、悔しがる部員たちに囲まれ動けずにいた。
彼らと違い、東金自身は結果に納得している。
もちろんファイナルに進めなかった悔しさが全くないわけではないが、自分の持てる力を出し切った上であれだけの演奏を聞かされれば納得せざるを得ないだろう。
そんなことより今は、素晴らしい演奏を披露した彼女を称えてやりたい思いの方が強かった。
部員たちに帰りの指示を出し、気づけば星奏の生徒たちの姿はどこにもなくなっていた。
こんなことなら早いうちに携帯の番号を聞き出しておけばよかった──
今さら後悔しても仕方のないことではあるが。
どうせ帰りつく先は同じ場所なのだから、このまま寮へ戻ればいいのかもしれないが、逸る気持ちが必死に彼女の姿を探している。
あちこち探して辿り着いた遊園地の前で、ようやく目的の姿を探し当てた。
花火目当ての人の流れにふらふらと翻弄されている小さな身体。
さっきのステージでの堂々とした演奏姿とはまるで別人だ。
携帯を見ては辺りを見回し、おろおろしている様子が可愛くて、少し離れた場所からしばらく眺めて。
だがあまりに悲壮な顔が可哀想になってきて、彼女の名前を呼んでやった。
「── おい、小日向」
ぴくりと震えて振り返った彼女が半泣きの笑みを浮かべる。
まるで迷子が親に再会できた時のような安堵しきった顔がなんだかくすぐったく思えた。
人の流れに逆らって、少し歩いたところに見つけた公園。
芝生の斜面に並んで座り、空を見上げる。
ドォンと腹の底に響く爆音と、空に散りばめられる一瞬の光の粒。
間にある建造物に遮られて低い位置の光は見えないが、高く打ち上げられた花火は十分堪能できる。
おまけに穴場中の穴場だったのか、狭くもない公園に人影は数えるほどしか見えなかった。
「── で、お前の実験とやらのテーマはなんだったんだ?
今日の演奏からして、一応の成果はあったんだろう?」
はっと振り向いた彼女は、ぱちぱちと目を瞬かせてから、ふと困ったように笑った。
「言わなきゃ……ダメですか?」
「当然だろ。
いろいろとアドバイスしてやった俺には、その権利があるはずだぜ?」
ぎゅっと引き寄せた膝に顎を乗せてしばしの間考え込んでいた彼女は、それもそうですね、と呟くと、足を伸ばして手を後ろにつき夜の空を仰いだ。
「── 『恋』について、ずっと考えてました」
「そ……そういえばそんなことを言ってたな」
そういえば、どころではなく、以前彼女から受けた質問は思い出すたび胸が騒ぐほどにインパクトがありすぎたのだが。
「好きな人ができたら……
きっとその人のこと考えてはドキドキして、今日は会えなかったとか、今日は話ができたとか言って一喜一憂したりするのかなぁって……
それに好きな人にはやっぱり可愛く見られたいから必死に自分を磨くだろうし、だから『女の子は恋をすると綺麗になる』って言われるんですよね、きっと」
「まぁ……そうだろうな」
呆れるほどの一般論。
一応相槌は打ったが、あれだけ必死に考えて辿り着いたのがそこだとすれば、彼女はどれほど恋愛に疎いのだろうかと心配になってくる。
「でも今の私は自分を磨いてる暇はないから、せめてヴァイオリンの腕を磨こうと思って。
その方がきっと喜んでくれると思うし──」
「── ちょっと待て、小日向」
思わず彼女の話を遮った。
その流れはまるで『好きな人』が存在するみたいに聞こえるではないか。
彼女がヴァイオリンの腕を磨いたら喜ぶのは、一体誰だ──
『地味子のくせに、いっちょまえに好きな男でもできたのか?』とでも茶化すことができたらどんなに楽だろう。
悔しいことに、喉の奥を何かが塞いでしまったかのように次の言葉が出てこない。
続く沈黙の中、彼女は身体を起こして少し背中を丸め、伸ばした膝の上に両手を揃えた。
深く俯いた彼女の表情は窺えない。
柔らかそうな髪が夜風に揺られてふわりと踊った。
「……だから、気持ちが届くように、精一杯想いを込めて弾いたんです」
か細い声──
今花火が上がっていれば確実に掻き消されてしまっただろう。
こんなにも彼女に想われている人物に対する嫉妬がこみ上げてくる。
東金は彼女から目を逸らすようにして、立てた片膝を抱え込んだ。
と、袖が微かに引っ張られる感覚。
反射的に目をやったそこに、控えめに袖をつまんでいる彼女の細い指先があった。
「……私の音、届きましたか…?」
「── っ !?」
ぱっと夜空に大輪の光の花が咲く。
一瞬だけ昼間のように照らされた彼女の俯いた横顔は見事なほどに赤く染まっていた。
ドクン、と心臓が叫びを上げる。
遅れてきた爆音が追い打ちをかけて、鼓動の激しさが一層増した。
「お前、俺を……」
「変……ですよね?
出会ってからまだ10日しか経ってないのに……」
「しょっぱなからいきなり演奏をけなされて……
第一印象は最悪だっただろうに。
そんなことがあれば、普通ムカついたり嫌いになったりするもんじゃないのか?」
「それは……最初はショックだったけど……事実だったし……」
ふと言葉を切った彼女が、はっと息を飲んだ。
がばっと東金を仰ぎ見て、袖から離れた手がゆっくりと拳の形に握られ、愕然とした顔の口元に当てられた。
「私って……ドMだったんですね」
「はあっ !?」
そろそろ彼女を引き寄せて抱き締めてやろうかと思い始めた矢先にしみじみと呟かれたこの発言。
脱力する以外に彼に何ができようか。
こめかみにピキッと音を立てて怒りマークが浮かんだ気がした。
「小日向……お前、まさかこの俺がドSだとでも言うつもりじゃないだろうな?」
「えっ、違うんですか?」
「ちゃうわ、アホっ!」
うっかり出現した関西弁と共に、彼の手も出ていた。
伸ばした腕をくいっと彼女の首に引っかけ緩く締め付ける。
弦楽器奏者特有の少し硬くなった指先がぺちぺちと腕を叩いた。
「きゃはっ、苦しいっ、苦しいですっ!」
「俺をドS扱いした罰だ。甘んじて受けろ!」
今、自分の腕の中できゃいきゃいと暴れている小さな身体。
細い首に当たる腕を緩め、身体を包み込むように少し下げる。
込み上げてくる愛おしさに任せ、すっぽりと抱きすくめた。
「と……東金、さん…?」
ぱっ、とまばゆい光に包まれる。
「出会って10日が早すぎると誰が決めた?
俺なんて、初めて会った時からお前のことが──」
遅れてきた爆音が辺りの音をすべて飲み込んだ。
だが、耳元で囁かれた言葉の続きはしっかり彼女の耳に届いたらしい。
ぽんっと一気に顔を赤くして、空気の抜けた風船のようにくったりしてしまった彼女をしっかり胸に受け止めて、東金は満足そうな笑みを浮かべつつその後の花火を楽しんだ。
【プチあとがき】
『穴場』ってどこぉ〜 !?と東金さんに聞きたいんだが。
地元民でもない彼がよくそんな場所を知っていたものだ(笑)
当然あたしも知りません。
そんなこんなで、なぜか小日向さんがコクっちゃいました。
あれ……?
以降、バカップル話。乞うご期待!(笑)
【2010/03/25 up】