■彼と彼女と彼のツレ【6:言葉の威力】
夕食を取るために訪れた食堂は閑散としていた。
といっても同じ時間にみんな揃って『いただきます』と手を合わせるわけではなく、決められた食事時間の幅の中で各自都合のよいタイミングで食べているのだから当然といえば当然。
その上、収容可能なキャパシティに比べ、利用者の絶対数が格段に少ないことも原因の一つだろう。
夕方から駅前のスタジオでソロの練習をしていた東金に残された夕食時間は残り30分ほど。
厨房のカウンターで食事を受け取ってぐるりとフロアを見渡せば、寮内の紅二点が楽しい夕食の真っ最中だった。
願ってもない巡り合わせに、東金は迷わずふたりの元へと近づいた。
「よう、地味子。
お前もこの時間か──
って、おい !?」
東金がテーブルにかしゃんとトレイを置き、椅子を引いて座ったのと入れ替わりに、隣の席の彼女がすっと席を立ち、トレイを持って去っていったのだ。
まだ食事の半分ほどしか消費されていないにもかかわらず、である。
「── 君も相当嫌われたものだな」
食器を返却し、脇目も振らず食堂を出ていく彼女の後ろ姿を呆然と見送る東金に向け、ネコを彷彿とさせる少女がくすりと笑った。
「彼女とはそう長い付き合いでもないが……あんなにも負の感情を顕わにしたのは初めて目にしたな」
そこまで言われるとは、彼女は一体どんな表情をしていたのだろう?
── 東金からは入れ替わりに立ち去った彼女の表情は一切見えなかったのだ。
「いつもぽやんとした彼女をあれほど怒らせるとは、君は一体何をしでかしたんだ?」
そう問いかけられても、東金にはまったく心当たりがない。
昼間、妙な質問を投げかけられて以降、彼女とは顔を合わせていなかったのだから。
「── そういえば……
彼女はこの後、買い忘れたものを調達しにコンビニに行くと言っていたな……」
ニアがぽつりと漏らしたその時、玄関の扉がガタンと大きな音を立てた。
「夜道は物騒だ。
彼女ひとりでは心配──」
ニアの言葉が終わる前に東金は席を立ち、玄関へ向けて駆け出していた。
取り残されたニアは、同じく取り残されてしまった手つかずの夕食のトレイをちらりと眺めて嬉しそうに目を細めると、自分の食事を口に入れる作業を再開した。
* * * * *
足早に夜道を歩く彼女の10メートルほど後方をついていく。
まるでストーカーにでもなったようで気分が悪いが仕方ない。
彼女が入っていったのはニアの情報通りコンビニだった。
続けて中に入ると、自動ドアの音に反応したのか、文房具コーナーを見ていた彼女が顔を上げ、目が合った。
驚いたように目を見開いた彼女がふぃっと顔を逸らす。
東金の口元がヒクッと引きつった。
今から急いで帰っても、あのトレイは片付けられているに違いない。
夕食食いっぱぐれ確定だ。
せっかくコンビニに来ていることだし、仕方なく前から興味のあったピロシキを買ってみることにした。
店の奥の飲み物コーナーからペットボトルを一つ取ってレジに向かおうとした時、ちょうど買い物を済ませた彼女が店を出るところだった。
急いで支払いを済ませて店を飛び出すと、彼女の後ろ姿が遥か前方に小さく見えた。
開いた距離を縮めるため、東金は走った。
足音に気付いて肩越しに振り返った彼女が脱兎の如く駆け出す。
だが彼女がいくら頑張って走ろうと、あっけなく距離は縮み、東金は彼女を捕獲することに成功した。
「この東金千秋様をシカトするとはいい度胸だな。
そうまでするには正当な理由が───」
掴んだ細い手首をぐいっと引っ張り引き寄せる。
勢い余ってドンッとぶつかってきた彼女がキッと顔を上げた。
その顔に、東金はハッと息を飲んだ──
彼女は泣いていた。
「放して…ください…っ!」
胸に手を突っ張り逃れようとしながら、俯いた彼女は震える声で訴える。
涙も声の震えも悲しみから来るものではない──
怒りだ。
考えてみれば、ついさっきニアもそんなことを言っていたではないか。
「おい……
何があった…?」
「……ずるい………
卑怯です……
確かに星奏と神南は直接当たる敵だけど……
あんな精神攻撃しなくったって、ステージの上で正々堂々と戦えばいいじゃないですかっ!」
ばっと顔を上げた彼女の怒りに燃える瞳が、街灯の明かりに照らされてギラリと光った。
「何の……話だ…?」
「とぼけないで!」
呆気にとられた瞬間、彼女にどんっと突き飛ばされた。
緩んだ拘束を逃れた彼女がそのまま寮に向かって走り去っていくのを、東金はただ呆然と見送ることしかできなかった。
* * * * *
「── 千秋、夕飯も食べんとどこ行っとったん?
……って、どないしたん?」
おざなりなノックをして勝手に部屋に入ってきた土岐が目を丸くする。
東金が机に突っ伏し、頭を抱えていたからである。
机の上に放り出されたコンビニ袋の中では、買った時にはアツアツだったピロシキがすっかり冷たくなっていた。
「………わからねぇ…」
「はぁ…?」
「ずるいだの、卑怯だの、正々堂々戦えだの……
訳がわからねぇ……」
『なんやの、それ』と笑われるかと思ったが、土岐の反応は違うものだった。
「あー……小日向ちゃんやろ」
がばっと顔を上げると、土岐がバツの悪そうな顔で首筋を撫でている。
「蓬生……何か知ってんのか?」
「知っとうもなんも、俺が原因やろな」
「……なんだと…?」
土岐はこの部屋に来た時の彼の定位置になりつつあるベッドの上に腰を下ろして、ゆったりと足を組む。
「榊くんにちょっと意地悪して遊んでたら、小日向ちゃんに見つかってもうて」
「意地悪?
その程度のことで俺は卑怯者扱いされたっていうのか…?」
あー、と唸って、土岐は撫でていた首筋にかりっと爪を立てた。
「ほら、榊くんて演奏経験も高校からみたいやし、ヴィオラ替えて他の編成にしたほうがええんとちゃうか、て助言してやっただけなんやけどな」
「……そこに小日向が居合わせたのか」
「まぁ……そういうことになるなぁ」
口元をへらりと笑みの形に歪ませる土岐。
その笑みが癇に障った東金は、思わず土岐の胸倉を掴み上げていた。
地方大会を勝ち抜き、これからセミファイナル、ファイナルを目指して日々練習を重ねているアンサンブルのメンバーをそんな風にけなされたら激怒して当然だろう。
自分だって土岐や芹沢を悪し様に言われるようなことがあれば、さっきの彼女のように怒りに目をギラつかせるに違いない。
だが、そこではたと気がついた。
彼女を直接傷つけたのは自分だ。
「花」がないと言い放ち、地味な演奏だと言って地味子と呼んでいる自分が一番彼女を悲しませているはず。
前向きに自分の花を探す彼女の姿を見て忘れていたが、部屋でひとり泣いていたのかもしれないと思うと胸が痛い。
土岐の胸倉を掴んでいた手が力を失い、ぱたりと落ちた。
「……あいつが泣いていいのは……俺のヴァイオリンを聞いた時だけだ……」
「……千秋?」
怪訝そうな土岐の問いかけに答えず、東金は椅子に戻った。
頭の後ろで手を組み、深く背もたれに身体を預けて壁を睨みつける。
ギシッ、と椅子が軋みを上げた。
「蓬生……そんな小細工で崩した相手に勝っても、胸張ってファイナルのステージに上がることはできねえ」
「……そうやな」
「明日、朝イチで榊に詫び入れとけ。
小日向のフォローは──
俺がやる」
頼むな、と小さな呟きの後、静かに部屋を出ていく土岐を背中で見送り、東金は大きな溜息を吐いた。
【プチあとがき】
あれ? うっかりシリアス。
【2010/03/20 up】