■彼と彼女と彼のツレ【4:質問】
あまりの暑さにぐったりとして、憎らしいほど眩しい太陽から逃げるように菩提樹寮に戻ってきた土岐。
住んでみればそこそこ居心地のいい狭苦しい部屋へ戻る途中、可愛らしい声がある2文字の言葉を紡いだのが耳に入って、思わず足を止めた。
見ればラウンジの一席では午後のティータイムが催されているらしく、テーブルの上には2客のティーカップとお茶受けの菓子が並んでいる。
そのテーブルを挟んで座っているのは、とても珍しい組み合わせのふたりだった。
「── 『恋』……ですか…?」
「はいっ」
完全に思考停止しているらしい彼が呆然と呟くと、身を乗り出した彼女が大きくうなずいて。
組み合わせもさることながら、彼らの間に流れる空気があまりに異様すぎて、土岐は思わず吹き出した。
「あ、蓬生さんだ。おかえりなさい!」
振り返った彼女はにぱっと笑い、小さく手を振りながら迎えてくれる。
「ただいま── なんや艶っぽい話が聞こえたような気ぃしたけど、お邪魔やった?」
「いいえ、全然。
ちょっと質問してただけですから」
「……『音楽に恋は必要か』……だそうです」
思考停止からなんとか復活した芹沢が、土岐のために紅茶を淹れながら忌々しげに吐き捨てる。
なるほど、それで彼は困った顔をしていたのか、と納得する。
可愛らしい女の子からそんな質問をされたら、戸惑うか勘違いするかのどちらかだろう。
芹沢の場合は前者だったらしい。
「ふぅん……
けど、なんでそんなことを聞こう思うたん?」
「えと……ちょっと前に出会った人がそんなこと言ってて」
彼女曰く、転校早々出された課題の練習のために訪れたスタジオで出会った男に『恋愛ごっこ』を持ちかけられたらしい。
「……そんなアホなこと言うてナンパする男もおるんやねぇ」
「ナンパっていう感じでもなかったですけど……
あの人はあの人なりに真剣だったみたいだし」
土岐は絶句した。
この子はどこまで純真なのだろうか。
いつか痛い目を見るのではないかと心配になってくる。
「小日向ちゃん、あんたはもうちょっと男を見る目を養うたほうがええで」
「うわ、ひどっ!
その人とは2回くらいしか会ってませんよ。
好きでもない人とおつきあいなんてできないし……
天音の人だったらしくて」
「へぇ……そうなん?」
天音学園といえば星奏学院の近くに数年前にできた新設校で、今回のコンクールにもダークホース的にセミファイナルに勝ち上がっている学校だ。
さすがの彼女も敵と慣れ合うのは気が退けたのだろう。
とはいえ自分たち神南もセミファイナルで直接対決するれっきとした敵同士なのだが、その辺りは彼女は気にしていないらしい。
敵のひとりが淹れてくれた紅茶をおいしそうに一口すする。
「── で、昨日その人を街で見かけて、思い出して。
ピアノの人だったから、同じピアノの芹沢くんなら気持ちがわかるかなーと思って聞いてみたんです」
「なるほどねぇ……
で、それ聞いてどうするん?」
「私の「花」を見つけるヒントになるかなと思って」
そう言ってクスクス笑う彼女を見て、土岐はまたも絶句する。
かちゃん、と陶器が鳴った。
目の前に置かれたカップから、ふわりといい香りの湯気が立ち上っていた。
「……千秋の言うたこと、まだ気にしとったんやね……
まぁ、あれだけ言われてしもたら、気にするなて言うほうが無理かもしれへんけど」
「そうですね。
あの後『あれが今のお前に一番必要なものだ』って律にも言われちゃって、ダブルパンチでちょっとヘコみました」
眼鏡を上げるしぐさをしながら堅物そうな男の口真似をして、クスクスと笑う彼女。
「でも、東金さんって面白い人ですよね。
私は敵なのに、なんだか気にかけてくれてるみたいで」
「っ……
あんだけ言いたい放題言われて、なんでそう思うん?」
「わーっ、やっぱり蓬生さんってひどい!
私のこと、なんだと思ってるんですかっ!
私にだって、ただのイヤミかそうじゃないかくらいわかりますぅ!」
「うわっ、堪忍やっ! 落ち着こ、な?」
頬を膨らませて立ち上がり、ぶんぶんと拳を振りまわす彼女を必死に宥めて。
急に彼女は空気の抜けた風船のようにぽすんと椅子に腰を落とし、ふぅ、と溜息を吐いた。
「……でも今は避けられてるみたいで……
せっかくいろいろアドバイスしてくれてるのに、私がなかなか『花』を見つけることができないから、呆れちゃったのかな……」
しょんぼりと俯いて、再び溜息を吐く。
小さな身体がますます小さく見えた。
今度は土岐が溜息を吐いた。
思わず抱き締めてやりたくなる保護欲を息と一緒に無理矢理吐き出して。
彼女がこれを狙ってやっているとしたら、たいした演技力の持ち主だ。
無意識の行動だとしたら──
彼女の場合、確実にこちらだろう──
彼女は天然の『魔性の女』だ。
前言撤回しなければならない──
彼女の男を見る目は意外にも確かなものだ。
ツレの言動をきっちり理解している彼女に敬服すらした。
人を見る目を養わねばならないのは自分の方だったのかもしれない。
「小日向ちゃん……」
すっと顔を上げた彼女が勢いよく立ち上がった。にっ、と笑って、
「私、練習してきます!」
紅茶ごちそうさま!と言い残し、彼女は勢いよく駆けていった。
* * * * *
「……ほんま、おもろい子やねぇ──
なぁ、千秋?」
彼女の去っていったのとは逆の方向へ呼びかけると、げふんげふんと不自然な咳払いが聞こえてくる。
姿を現したのは、ほんのり赤く頬を染めた東金千秋、その人である。
「……気づいてたのか」
「まぁな……隠れとらんと、出てきたらええのに」
「フン……『蓬生さん』とか呼ばれて鼻の下伸ばしてるお前の顔を見てるのが忍びなくてな」
「ふふ、妬いとるん?」
「なっ !?
な、なんで俺がそんなことで妬かなきゃいけねぇんだよ」
「名前で呼ばれたかったら、そう言うたらええやん。
俺は初日に言うたで、『蓬生さんて呼んでくれてええよ』て。
素直やなぁ、あの子だけや、ほんまに『蓬生さん』て呼んでくれるのんは」
「──!」
東金はさっきまで彼女が座っていた椅子にドサッと腰を下ろし、そのタイミングでテーブルにそっと置かれたカップを口に運ぶ。
途端、あぢっ、と顔をしかめる彼の動揺っぷりがあまりに可笑しくて、必死に笑いを噛み殺す芹沢は丸めた背中をぷるぷる震わせ、土岐は物静かな彼には珍しく腹を抱えて大笑いしたのだった。
【プチあとがき】
「カリスマ」より。
東金さんの『かなでLOVE』はダダ漏れのようです(笑)
【2010/03/13 up】