■彼と彼女と彼のツレ【3:才能】
「── 蓬生、何が言いたい…?」
彼女が去った後、気づけば肩を震わせて笑いを堪えているツレを、東金は恨めしそうに睨みつけた。
「ふふっ、『聞きたいことがある時は菓子折り持ってこい』やなんて……
そんないけずなこと言わんと、手取り足取り優しく教えたったらええのに」
そう言って、土岐は口元を手のひらで覆って、ぶくくっ、と笑う。
「っ!
……人に何かを乞う時は、その見返りを差し出すのが常識ってもんだろうが」
「つまり『何か持ってきたら何でも教えたるで』いうことやろ?」
「なっ !?
だ、誰がそんなこと言ったっ !?」
「いやぁ、なかなかのフェミニストぶりやったで。
うんうん、女性に優しぃするのは男の義務やしな」
「あーもううるせぇっ!
撤収っ!」
彼女に出会ってからのこの数日、調子が狂ってしょうがない──
東金は苛立たしげに頭を掻き毟った。
* * * * *
菩提樹寮に差し入れの肉が届き、皆でバーベキューを楽しんだ翌日。
使った皿などは昨夜のうちにあらかた片付けておいたが、コンロやテーブルなどの大きいものは明るくなってから、ということになっていたので、朝から皆で手分けをして片付けた。
それも一段落して、たまたま台所の前を通ったら、そこに彼女がいた。
腕組みして床の上の段ボール箱を見下ろしている彼女は、何やら悩んでいるらしい。
少々気まずいこともあってそのまま通り過ぎようかと思ったら、足元にあった椅子をうっかり蹴ってしまった。
ガンッ、と大きな音に思わずドキリとする。
ばっと振り返った彼女の口元が、ひくっ、と引きつった。
「── こんなところで油を売ってるヒマはないんじゃないのか?」
仕方なくそう言い放つ。
ツレが言うように優しく教えてやりたいのは山々なのだが、彼女が今抱えている問題は人に教わって解決できるような類のものではない。
自分の演奏に何を求めるのか──
その答えは人それぞれであり、自分を理解することでしか得られない。
悟りを開くようなものなのである。
と、困ったように顔を歪めた彼女が段ボールへ手を伸ばした。
「あの……昨日のお野菜がまだ残ってて……」
「……は?」
昨日のバーベキュー、野菜を用意したのは東金と彼のツレである。
高級かつ新鮮なものをふんだんに調達したのだが、用意した量もさることながら食べざかりの男子のほとんどが肉に群がったせいで消費しきれなかったらしい。
「……なら夕食の材料に流用させればいいだろうが」
「それはそうなんですけど……」
よいしょ、と可愛らしい掛け声と共に箱から出した彼女の手には丸々とした大きなかぼちゃがひとつ。
「これ、私がもらってもいいですか?」
小首を傾げ、へらりと笑った。
「……好きにすればいいだろ」
「わぁっ、ありがとうございます♪」
ぴょん、と跳ねんばかりに喜ぶ彼女の可愛らしさに、東金の心臓もぴょこぴょこ跳ねている。
大事そうにかぼちゃを抱えて台所を出て行った彼女。
姿が見えなくなった代わりに、声が聞こえてきた。
「あ! 八木沢さんっ! ちょっと今いいですか?」
「え……あ、はい、僕でお役に立てるのでしたら」
ちっ、と舌打ちして、さっきうっかり蹴ってしまった椅子を、今度は自分の意思で蹴りつける。
「── 『妬いてます』って顔に書いてあるで」
耳元で聞こえた囁きに振り返ると、ニンマリとしたツレの顔。
思わず飛び退った足に段ボールが当たる。
中でふっくら艶やかなナスとぎっしり実の詰まったとうもろこしがゴロンと転がった。
「ぬおっ !?
ほ、蓬生っ !?
どこから湧いたっ !?」
「『湧いた』って……
失礼な。
あーあ、小日向ちゃんに俺の千秋を取られてしもたようで、なんや妬けてまうなぁ…」
「だっ、誰がお前のだっ!
アホなこと言うとらんと、さっさと練習行くでっ!」
「はいはい、お供しましょ」
クスクス笑う声を背後に聞きながら、通り抜けたラウンジで彼女と八木沢が楽しそうに話しているのが見えて、東金の苛立ちは最高潮に達してしまっていた。
* * * * *
そして翌日。
飽きることを知らない夏の太陽は今日も容赦なく照りつけて。
楽器にもよくないだろうと室内練習に切り替えた神南チームは、寮で優雅に午後のティータイム中だった。
そんなまったりとした時間の中、ぱたぱたぱた、と軽やかな足音がラウンジに近づいてくる。
「── あ、よかった」
にこり、と笑った彼女は外から急いで帰ってきたらしく、額に汗が光っている。
ラウンジのテーブルのひとつに荷物を置くと、そのまま奥へ駆けていった。
しばらくすると、カチャカチャとガラスが合わさる涼やかな音が聞こえてきた。
音は彼女が持っているトレイから聞こえてくる。
「どうぞ、召し上がれ♪」
テーブルの上に置かれたトレイには、ガラスの器。
中には鮮やかなオレンジが半透明の厚みのある膜に包まれた物体が入っている。
「……なんだ、これは?」
「かぼちゃのあんの葛まんじゅう、です。
八木沢さんにお願いして、作り方教えてもらって……
『菓子折り』じゃないんですけど」
彼女は言いながら3人の前に器を置き、空になったトレイを胸に抱えて、えへっ、と笑った。
なるほど、昨日の楽しそうな談笑に見えたのはこのレシピのためで、あのかぼちゃがこれに化けたらしい。
器を取ろうとしたちょうどその時、バタバタと喧しい足音が飛び込んできた。
「あーっ! なんか食ってやがるっ! かなで、オレのはっ!」
「冷蔵庫にあるよ」
「やりぃ!」
如月弟はそのままの勢いで台所へ。
すぐさま戻ってきた彼は、東金たちの前に置かれたのと同じ器を手にラウンジの椅子にどかっと腰を下ろすと、小さなフォークを突き刺した葛まんじゅうをパクリと一口かぶりついた。
「── うまいっ!
なにこれ、かぼちゃ?
すげー、『夏のデザート』って感じだよな!」
二口で食べ終えた彼は、ごっそさん、とテーブルに器を置く。
「けどさ、かぼちゃと言えばパンプキンパイだろ」
「それはハロウィンに作るってば」
「やった!
お前が作るパンプキンパイ、絶品なんだよな〜。
楽しみにしてるぜ!」
そして如月弟は入ってきた時と同じようにバタバタと寮を出ていった。
ラウンジが一瞬にして静まり返る。
「── じゃあ、私も練習の続き、行ってきますね」
そう言って、彼女もまた姿を消す。
ラウンジに静かなティータイムが戻ってきた。
「弟くんはほんまに元気やねぇ。
小日向ちゃんも素直すぎるくらい素直や。
千秋の言うた『菓子折り』を真に受けて──
って千秋、どないしたん?」
ガラスの器を睨むように見つめていた視線を上げると、土岐が微かに眉をひそめていた。
── 当然のことなのに。
自分がここに来る前に流れていた彼らの時間があったことも、夏が終わり自分がここを去った後にも彼らの時間は流れ続けることも。
そんな当たり前のことを、今初めて気づいたように打ちひしがれている自分がいた。
ゆっくりと器を手に取り、小さな竹のフォークで切り取った葛まんじゅうのひとかけらを口に入れた。
ほのかな甘みの滑らかな葛の舌触りと、素材を生かした優しい甘さのかぼちゃ餡がよくマッチしている。
「……………うまいな、本当に」
ちゃんと飲み込んだはずなのに、なぜか何かが喉に詰まったような息苦しさが残っていた。
【プチあとがき】
あ、東金さんが落ち込んだ(笑)
彼は傲慢に見えて、結構繊細だと思うんだ。
【2010/03/11 up】