■Stormy Days【08】
最後の授業が終わったら、すぐに香穂子の教室へ向かおうと思っていた。
「なんでこんな時に限って、掃除当番なんだよーっ!」
焦りながらも手早く掃除を済ませると、和樹は普通科棟へと走った。
2年2組の教室に飛び込むと、そこには誰もいなかった。香穂子の席に目をやると、荷物はない。
「うぅ、やっぱ携帯壊れたの、イタイよなぁ」
ごそごそとポケットを探り、少し欠けてしまったボディをぱかんと開くと、やはり黒く消灯したままのディスプレイ。
ガックリと和樹の肩が落ちる。
「落ち込んでる場合じゃないぞ! 香穂ちゃん探さなきゃ!」
たたんだ携帯をポケットに落とすと、和樹は音楽室に向かって走り出した。
バンッと大きな音を立てて扉を開き、和樹が音楽室に入ると、数人の生徒が一斉にこちらを向いて、口元にぴんと立てた人差し指を当てた。
「しーっ! 静かにしろってよ!」
「わ、わりぃ……」
後ろ頭をわしわしと掻きながら、ぐるりと辺りを見回すと、いつもなら様々な楽器の音が溢れているはずの室内は妙に静かで、
和樹の気分はますます滅入った。
「他のみんなは?」
和樹の小声での問いに、ホルンをケースから取り出そうとしていた男子部員が無言で指差す。
その方向に目をやると、黒板にたどり着いた。
○天気がいいので外でパート練習!
○音楽準備室 入室禁止!
大事な話中につき、オケ部員は静粛に!
見慣れた音楽教師のやる気のなさそうな文字が黒板に書かれていた。その文字の下に、違う筆跡で各パートの練習場所も書いてある。
「はぁ? なんだよそれ」
眉をひそめる和樹に、男子部員が小さな声でささやく。
「俺もついさっき来たからよく知らないんだけどさ、日野ちゃんと小笠原先生が中にいるらしいよ」
「えっ、香穂ちゃん来てるの!? あー、よかった〜」
男子生徒の制止も聞かず、思わず準備室の扉に駆け寄ると、和樹は細く扉を開けた。
そこから見える後ろ姿は紛れもなく香穂子。腰掛けた椅子の背もたれに、赤いサラサラのロングヘアが揺れている。
その向こう、窓際に置かれたパイプ椅子に足を組んで座っているのは、誰あろう祥太だった。
「──なっ」
なんであいつと香穂ちゃんが一緒にここにいるんだよ。
思わず出そうになった言葉を飲み込んだ。
「─────、嫌いなのか?」
「嫌いなわけないじゃない。大好きだよ。ずっと─────」
細く開けた隙間から聞こえてきたふたりの会話に和樹は愕然とした。
───もしかして、それって…。
『俺のこと、嫌いなのか?』
『嫌いなわけないじゃない。大好きだよ。ずっと好きだったよ』
和樹の頭の中で、ふたりの会話はそう補完されてしまっていた。
* * * * *
香穂子が音楽準備室から顔を出すと、広い音楽室には誰の姿もなかった。
「よかった…包帯見られずに済むわ。今のうちに帰っちゃおっと」
保健室から戻った後、クラスメイトたちに散々聞かれた『どうしたの?』と『大丈夫?』。
怪我の程度の割りに大げさに巻かれた包帯を心配してくれるのは申し訳なく、うんざりもしていた。
できることなら、もう誰にも見られたくない。
一大事の如く心配するであろう和樹には、一番見せたくなかった。
手早く楽器をケースにしまい込むと、左手でカバンとケースをまとめて掴み、音楽室を出ようとしてふと足を止める。
「あ、先輩には帰るってメール送っとかなくちゃ」
カバンから携帯を取り出し、メールを打ち始める。
──用事ができたので、先に帰ります。
『用事』の部分に一抹の後ろめたさを感じつつ。
「よし、送信、っと」
携帯をカバンにしまい、帰ろうとした時、音楽室の扉が開いた。
「あれぇ、日野先輩、帰っちゃうんですかぁ?」
クラリネット片手に、1年生の女子部員が入ってきた。学年では香穂子の方が先輩だが、オケ部在籍でいうと彼女の方が先輩だ。
急に声をかけられて、こっそり帰ろうとした後ろめたさからか、香穂子の心臓が跳ね上がる。
「あ、うん、そそそそうなのっ。ど、どうしたの、何か忘れ物?」
「リードが割れちゃって〜。スペア取りに来たんですぅ。あ、先輩、手どうしたんですかぁ?」
指摘されて、慌てて右手を後に隠すが、時すでに遅し。
「あ、うん、何でもないんだ。全然大したことないんだよ。じゃ、じゃあねっ」
「お疲れさまでしたぁ〜。………って、ヘンな日野先輩」
バタバタと走り去る香穂子の背中を見送りながら、女子部員は首をかしげて呟いた。
【プチあとがき】
ニアミスあーんど早とちり。
不安があるときって、どうしてもネガティブ思考になっちゃいますよね。
【2005/06/14 up】