■Stormy Days【04】
朝見た時には規定通りに着用されていた祥太の制服はすっかり着崩されて、ブレザーのボタンは外しっぱなし、
ベストとタイは姿を消し、はだけたワイシャツから見えるのは肌。胸元に細めのチェーンに揺れるシルバーのペンダントトップが見えた。
「うわっ、しょ、祥太っ!? いつの間にっ!?」
ずざざっと後ずさりして、何かにすがりたいのか弁当入りのバッグを抱きしめ身構える香穂子。
「なんだよ、人を化け物見たみたいに驚きやがって。いやん、ボク、傷ついちゃう〜」
祥太は口を尖らせたかと思うと、軽く握った両手を口元に当てて身体をくねらせる。
「ばっ、ばかっ! そんな恥ずかしい格好しないでよ、みんな見てるじゃないっ!」
いつの間にか、ふたりが立っている場所を円を描くように遠巻きにして生徒たちが囲んでいた。ヒソヒソと何か囁きあっている生徒もいる。
祥太がグルリと見回すと、目の合った女子生徒から、きゃっ♥、と声が上がる。どうやら登場半日にしてファンができているらしい。
「お前がさせたんじゃねーか」
「なっ、なんであたしがっ!?」
トートバッグをひしと抱きしめながら、香穂子は後ずさる。
「なあ、香穂子、暇なら学校ん中案内してくれよ。どこに何があるのか全然わかんねぇんだ」
香穂子が下がった分だけ、祥太が前に進み出て、ふたりの距離は保たれたままだった。
「ひ、暇なんかないわよ、待ち合わせしてるんだからっ! クラスの人か誰かに頼みなさいよっ!」
「うわっ、冷てぇ。なあ、待ち人って朝のヤツ? あーっ、お前らひょっとすると、らぶらぶぅ〜♥ってやつ?」
祥太は自分を抱きしめて、唇を突き出してキスする真似をする。とたんに周りからドッと笑いが起きた。
「悪いっ!? 祥太には関係ないでしょーが!」
「…… ふ〜ん」
たった今までヘラヘラしていた祥太の顔が、少し真面目になったように、香穂子には見えた。
その時、ジリジリと後ずさりしていた香穂子の背中がひんやりと硬い感触にぶつかった。それは最初に和樹を待ちながらもたれかかっていた柱だった。
香穂子自身は真後ろへ下がっているつもりだったが、詰め寄ってくる祥太に誘導されたのか、ぐるりと回って元の位置に戻ってきたのだった。
「なあ香穂子」
「な、なによっ」
その時、ガチャン、とプラスチックが砕けるような大きな音がホールの中に響いた。
その音に気を取られた香穂子が、音が聞こえた方向に視線を向けた瞬間、ふいに影が差した。
慌てて視線を戻すと、香穂子の頭上に片手をつき、覆いかぶさるようにしている祥太の顔が目の前にあった。
「なっ、なにっ!?」
「─── お前、いい女になったよな」
「は、はあっ!?」
周りを囲む生徒から吹き鳴らす口笛ときゃあーっという声が一斉に上がる。
皆に見られている恥ずかしさと祥太が呟いた言葉に香穂子の頭は完全に混乱していて、言い返す言葉も出てこなかった。
その時、香穂子は二の腕を掴まれて、するりと横に移動した。
「つ、土浦くん!?」
二の腕を掴む腕を辿った先には、土浦梁太郎がいた。
香穂子と同じ普通科在籍だが、同じコンクールに出場したピアニスト。天賦の才能と母親がピアノ教師という家庭環境から、
そのピアノの腕は将来を楽しみにさせるものだった。
「お前、今日の昼休みにカンパネッラのピアノ譜見に来るって言ってたの、忘れたのか?」
「へっ? カンパネッラって……、ラ・カンパネッラ?」
土浦はちらりと祥太の顔を一瞥すると、はぁっと小さく溜息を吐く。
「他に何があんだよ。ほら、行くぞ」
土浦は香穂子の腕をつり上げるようにしてズリズリと引きずっていく。土浦が来た時にできたものだろう、
ギャラリーの環にできた切れ目をすり抜けて。
「つ、土浦くん…っ!?」
土浦は前を向いたままずんずん歩いていく。振り返った香穂子の目には、じゃあな、と小さく手を挙げ、
踵を返してエントランスを出て行く祥太の姿が見えた。
エントランス1階の出入り口から普通科棟の半ばまで進んだ時、土浦は香穂子の腕を放した。
「土浦くん、カンパネッラって!? ピアノ譜って!?」
土浦は額に手を当て、はあぁぁっ、と深い溜息を吐いた。
「あのなぁ…、ああでもしないとお前、あの場から逃げられないだろうが」
「あ……」
「お前なぁ……」
土浦は額に当てていた手を下げ、目を覆ってうな垂れた。
「アイツか? 朝の騒ぎのヤツ」
「うん… って、もしかして見てた!?」
「いや、俺は見てない。サッカー部の朝練があったからな。…が、たぶん全校生徒が知ってるぞ」
「あちゃーっ」
香穂子が額に手をあて、空を仰ぐ。
「おいおい、そんなお気楽でいいのかよ?」
「よくないよくない絶対よくないっ!」
頭をブンブン振る香穂子に、土浦はククッと笑い、香穂子の頭をポンポンと軽く叩く。
「ま、気ぃつけろよ。今日みたいにタイミングよく居合わせられるわけじゃないからな。── 俺の役目でもないし」
最後の一言は、香穂子の耳に届かない小さな呟きだったが。
「とにかく、助けてくれてありがと。あたし、和樹先輩と待ち合わせてるから。じゃっ」
「お、おい、待てよ」
片手を顔の横にシュタッと上げ、今来た道を戻ろうとした香穂子を、土浦が呼び止めた。
「先輩なら職員室にいたぞ。先生と話してた。推薦入試がどうの言ってたから、時間かかりそうな雰囲気だったけどな。何か連絡なかったのか?」
「ああああぁぁぁぁっ、今日、携帯見てないんだぁっ! あーん、こういう日に限ってっ!? ごめん土浦くん、ちょっと見てくるっ!
ほんとありがと、じゃあね!」
土浦はおう、と返事して、バタバタと走っていく香穂子の後ろ姿を見送った。香穂子が見えなくなると、頭をポリポリと掻いて踵を返す。
はぁ、と溜息ひとつ吐くと、買い損ねた昼食を求めてエントランスへと戻っていった。
【プチあとがき】
漢・土浦登場!
ごめんよつっちー、あんたにゃいつもこんな役ばかりでっ。
いつか香穂ちゃんとらぶらぶさせてあげるからねっ!
とはいえ、今回のあなた、余計なことをしてしまいましたね(笑)
ちなみにつっちーが職員室にいる火原を知っているのは、
日直で授業中に使った資料なんかを持っていく手伝いをしたから、ってことで。
【2005/03/29 up】