■Romance Quest【18】
それから1週間の間、カホーナの体力の回復を待つ間にありとあらゆることが行なわれた。
ヒノレック王国にカホーナの無事としばらくフォレスティ王国に滞在する旨を伝える使者が送られ、
カーシュ王子が縁談相手の姫を迎えに行き成婚間近と城内及び城下町に噂が流れ、
カホーナの部屋が王族のプライベートルームが並ぶフロアに新たに設えられ、
せっかく姫がいるなら婿入り先での結婚式の前にこちらでも披露宴をと勝手に準備が進められ、
『姫をよろしく』というヒノレック王の書簡を使者が持ち帰り、
カホーナのドレスが何着もあつらえられ、
城の料理人は栄養たっぷりの食事に腕を振るい、
毎日欠かさずカーシュが訪れるカホーナの部屋からは楽しげな笑い声が絶えず、
そして── カホーナは完全に体力を取り戻した。
カホーナが元気になるや否や、歓迎の昼餐会、お茶の会、晩餐会が毎日繰り返された。当然のごとく、カホーナはすべての宴に引っ張り出されていた。
王族・貴族の女性たち主催の宴が多いためか男性の姿はほとんどなく、もちろんカーシュとも顔を合わせることはなかった。
飲んで、食べて、話をしながら笑顔を作り、くたくたになって自室のベッドに倒れこんで、泥のように眠りに落ち、翌朝を迎える。
そんな毎日を過ごしていた。
そんなある日の夜。王家筋の貴族の奥様主催の晩餐会をそっと抜け出したカホーナが、バルコニーで夜風に当たっていた。
お酒を飲んだわけではなく、部屋に立ち込めるアルコールの臭いと、
着飾った女性たちにこれでもかと振りかけられた香水の強い匂いに酔ってしまったのだ。
バルコニーの手摺りに身体を預け、少し冷たさを感じる空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
ドレスに合わせて結い上げた髪からほつれ落ちた後れ毛が、一陣の風になぶられて肌をくすぐる。
「いい風……」
「ほんと、気持ちいいよね」
ひとりごとに返事をされて驚いたカホーナが振り返ると、いつからいたのか、そこには王子の正装姿のカーシュが立っていた。
いつもと違う雰囲気に、お互いにちょっと照れ臭い。
「カーシュ……」
久しぶりにその名前を呼んだ気がした。懐かしい、というほどの期間会っていないわけではなかった。それでもなんだか懐かしかった。
この広い城の中で知っている人はカーシュひとりだけだ、というのも理由のひとつかもしれない。
とにかく懐かしくて、カホーナの大きな瞳が涙で潤んだ。
振り返るカホーナを見つめるカーシュも嬉しい驚きを感じていた。凛々しい魔法戦士姿のカホーナしか見たことはなかった
(一度だけ見たパジャマ姿を除き)が、目の前にいるカホーナは可憐な深い紅色のドレスを優雅に纏い、目を潤ませながら立っている。
カーシュは驚きに見開いた目を眩しげに細め、ゆっくりとカホーナに歩み寄るとその両腕でふんわりと包み込んだ。
「か、カーシュっ!?」
身体を硬くしてカーシュの腕から逃れようとするカホーナを、カーシュは逃がさないようにと腕に込める力を少し強めた。
「最近会ってなかったからさ、おれ、すっげーカホちゃんに逢いたかったんだ」
静かに紡がれるその言葉にカホーナの鼓動が跳ね上がる。身体から力をすっと抜いて、カホーナはカーシュの胸に額をぴたりとくっつける。
ブレストプレートを外して華奢に見えたその胸は、案外たくましくてカホーナは驚いた。
「うん…… あたしも、かも」
その瞬間、カーシュはカホーナの両肩をがしっと掴むと、寄り添っていた身体を引き剥がすようにしてカホーナの顔を覗きこんだ。
「それほんと!? よかったー、なんかおればっかりカホちゃんに逢いたいって思ってるんじゃないかって、心配してたんだ。
カホちゃんもって聞いて安心したよ〜」
さっきまでのロマンティックな雰囲気はどこへ行ったのやら、いつものように屈託のない笑顔のカーシュだった。
あまりの変わり身の早さに、カホーナはクスッと笑みをこぼす。すぐに腰に回されたカーシュの腕がなんだかくすぐったい。
「なんかごめんね、大騒ぎしちゃっててさ。みんなお祭りとか宴会とか大好きな連中ばっかりなんだよな」
「ううん、ちょっと疲れたな、って思っただけ── あ、城の人たちはみんなよくしてくれるから、文句を言いたいわけじゃないのよ。
でも── カーシュの顔見たら、ちょっとホッとした」
そう言って見上げたカーシュの顔は、愛しいものを見守っているような、甘く優しい笑顔だった。
その笑顔に頬の熱さを感じたカホーナは思わず視線を外してしまった。
「ね、カホちゃん」
名前を呼ばれて顔をあげた瞬間、何かがカホーナの唇を掠めた。何が起きたのか理解できず、
感触の残る唇に触れながら見上げると、あさってのほうを向いたカーシュの照れ臭そうな顔がみるみる赤くなっていく。
それでやっとカーシュにキスされたんだと気が付いた。
「ば… ばか…っ」
照れ隠しに再びカーシュの胸に顔を埋める。
不意にカホーナは足元をすくわれてバランスを崩したかと思うと、ふわりと宙に浮く感覚を覚えた。
気が付くとカーシュの両腕に抱きかかえられていた。
「これがほんとの『お姫さまだっこ』、うん」
ひとり納得しているカーシュに、カホーナは思わず吹き出した。そして、ゆっくりとカーシュの首に腕を巻きつける。
ほんのりと赤味を帯びていたカーシュの顔が、さらに赤く染まっていった。
「そうだっ! ね、今からまた一緒に旅しない?」
「えぇっ!? それはいくらなんでもマズイでしょ!? それにこの格好じゃ……」
「大丈夫、カホちゃんの荷物は魔法のトランクに入れて、おれがちゃんと持ってるよ。カナやん家にでも寄って、着替えてから街を出ればいいし。
それに… おれたちって、親公認の仲、らしいしさ。どこかから手紙の1枚でも書いとけばいいって。ね、行こ?」
カーシュの瞳が切なげに揺れる。
カホーナはその瞳に吸い寄せられるように小さく頷いた。
それを合図に、カーシュは『さっきの表情は何!?』と抗議したくなるような満面の笑みでニカッと笑い、バルコニーの手摺りに足をかけた。
「えっ!? ちょっと、ここ2階…っ」
カホーナの抗議もなんのその、カーシュはバルコニーからひらりと身を躍らせると、ほとんど音も立てずにふわりと着地する。
カーシュは身体を起こし、よっ、とカホーナを抱えなおすと、城下町フォレストスクウェアへ向かって駆け出した。
風のように走るカーシュの首筋にかじりつきながら、カホーナはクスッと笑った。
── これが、《ヴァイオリン・ロマンス》なんだよね、リリ?
そんなふたりを見送るように、光の粒が舞った。その中で4枚羽根の小さな妖精が満足そうに笑うと、くるりと宙返りして光と共に消えていった。