■Romance Quest【17】 火原

 その時、ヒュンと小さく鳴る風の音がした。
 カーシュがカホーナの腰の短剣を掴み、振り向きざまにその手を振り上げると、キンと硬い金属音が鳴った。
 アズーム=ゼラクティオンが放つ三日月型の氷の刃を、カーシュが短剣で弾き飛ばしたのだった。
「カホちゃん、下がっててっ!」
 飛んでくる氷のシミターを受け止めながら、カーシュが叫ぶ。
 カホーナが痛みに力の入らない身体を無理矢理動かして床を這うように後ずさりしている間にも、 弧を描いて飛んでくる刃がカーシュの腕や足を浅く傷つけていく。
「クハハハッ、他人を身を挺して守って何になるっ! 自分の他に大切なものなどありはしないっ!」
 アズームの哄笑と共に放たれた氷の刃がカーシュの持つ短剣の刃を砕き、カーシュの腿を深く薙いだ。
「グ…ッ!」
 パックリと開いた傷口から血が迸り、カーシュはその場に膝折れた。
「カーシュっ!!!」
 カホーナは身体の痛みも忘れてカーシュに駆け寄り、倒れこみそうになるカーシュの前に回り込んでその身体を受け止めた。
 カーシュの顔は苦痛に歪み、額にはびっしりと汗が滲んでいた。
「カホちゃん…おれの…後ろ…へ…」
「動いちゃダメ、こんな深い傷でっ」
「だい…じょうぶ、だから」
 立ち上がろうとしてよろめいたカーシュの身体を、再びカホーナが受け止めた。
「……茶番だな、虫酸が走る。…自分がすべてなのだ…他人を想って何になるっ! …お前たちも、異端者扱いして俺を追い出したあいつらも… この世界もっ! すべて壊してやるっ!!!」
 ゼラクティオンの叫びに思わず振り向いたカホーナの目に、氷の三日月刃を放つ彼の姿が映った。
 ── 護られるだけなのは嫌…あたしだって、カーシュを護りたいっ!
 カホーナはカーシュの身体を包み込むように覆いかぶさる。その瞬間、カホーナの身体がまばゆい光を放ち、 背中に直撃したはずの刃ははじかれて床に落ち、砕け散った。
「── な、なにっ!?」
 カホーナはカーシュの身体をその場に横たえると、すっくと立ち上がり、驚愕の声を上げるゼラクティオンに向かい歩き出す。
「── わかったわ、あなたのこと」
「人間ごときに神である俺の何がわかるっ!?」
 ゼラクティオンが絶え間なく放つ刃は、ゆっくりと歩みを進めるカホーナを包む光に弾かれていく。
「あなたはね…… 『愛されたい』のよ。あなたが破壊を好むのは、自分に目を向けて欲しいから…… 可哀相に、兄神たちに愛されていることにも気づかずに」
「違うっ! 俺は…俺は…っ!」
 足を止めぬまま、カホーナは腕を守るように張り付いているヴァイオリンの弦を弾く。カホーナの指が触れた弦は、 役目を果たしたかのように次々と弾け切れていった。
 すべての弦が切れたとき、ヴァイオリンがキラキラと輝く光の粒を放った。光の粒は音を発しながら次第に1本の光の帯となり、 優しい旋律を奏でながらカホーナの身体を包み込んだ。その旋律は、リリからもらった最後の楽譜を音にしたものだった。
 ゼラクティオンは刃を放つのも忘れ、何かに絡め取られたように立ちすくんでいた。
 カホーナはゼラクティオンの目の前まで来ると、光に包まれたその手をそっと彼の頬に添えた。
「── わからない? あなたの兄神たちは、あなたに『愛する心』に気づいてほしいと願って、力を封印して神界から放逐した ── 抹殺することなしにね。大切なものを護りたいと思うこと── 誰かを愛する気持ちは、人に大いなる力を与えるわ。 だから── 人を、兄神たちを、この世界を愛して」
 カホーナの優しい微笑みに、ゼラクティオンは何かを発見したかのように目を見開いた。
 そして、カホーナを取り巻く光の帯はゼラクティオンを包み、部屋全体を真っ白に包み込んだ。

*  *  *  *  *

 ── あぁ、あったかい。やっぱりふかふかのベッドは最高よね。…なんかお腹減ってきちゃったな。 最後に食事摂ってからどれくらい経ったのかな。あー、何食べようかなー。ふふっ、カーシュなら『カツサンド!』って言いそうだけど。
 ── カーシュ…?
 ── カーシュ!

 カホーナはかけられていた布団を跳ね飛ばす勢いで飛び起きた。
 その瞬間感じた眩暈と目の奥を刺したような頭の痛みに、額を押さえて小さく呻いた。
「カホちゃん大丈夫!? あーよかった、目、覚まさないんじゃないかと思って心配しちゃったよ〜」
 ベッドサイドにはニコニコ顔のカーシュが座っていた。
「あ、あたしは、大丈夫… って、カーシュっ! 脚はっ!?」
「うん、ぜんぜん平気。カホちゃんがあいつに向かって歩いて行って、ビカッと光ったと思ったら、おれ、気失ってて。 目が覚めたら、なぜか傷が治ってた」
「そう、よかった……」
 カホーナの口から安堵の溜息が漏れる。
「よくないよ! 何でか知らないけど、カホちゃんの身体はボロボロのままだったんだから!  首にはくっきりと手の跡がついてたし。まあ、魔法医がちゃんと治してくれたからよかったけどさ。 それでもカホちゃん、10日も眠ったままだったんだよ」
 ゼラクティオンに掴まれた首の感触を思い出し、カホーナは小さく身震いした。そっと首筋を撫でてみると、確かに傷らしきものに触れることはなかった。
「そうなんだ…… で、アズームは?」
「ああ、病院に運んだ。あいつも傷ひとつなかったよ。ただ── しばらく前からの記憶がないみたい」
「そっか…… ゼラクティオンに支配されてたってことなのかな。でも、彼にはその方がいいかも知れないわね」
「…… うん」

 しばらくの沈黙のあと、カホーナがクスッと小さく笑った。
「ど、どうしたの?」
「ううん、前にもこんなことがあったなー、と思って」
「あー、カホちゃんが攫われた時、だよね」
「うん。あの時も、目が覚めたらそばにカーシュがいてくれた──」
 カーシュは柔らかく微笑むと、何も言わずカホーナの手を取って優しく包んだ。
 ほっとした途端、カホーナの目に周りの風景が見えてきた。自分が座っているのは天蓋付きの広いベッド、壁には大きな絵が掛けられ、 床には毛足の長い豪華な絨毯が敷かれ、置かれた家具は素人目にもわかる高級感漂うものだった。
 よく見ればカーシュの服装も、見慣れた剣士姿ではなく──。カホーナの頭の中に『?』が渦巻く。
「え、えっと… ここ、どこ?」
「おれん家。ここはいつもは使ってない客間だから、ゆっくり休んでていいよ」
 カホーナがさらに大量の『?』に埋もれた時、部屋の扉が開いて、神経質そうな細身の老人が姿を現した。
「おぉ、カーシュクルさま、お連れの方はお目覚めでしたか。で、この者は誰なのですかな?」
「だーかーらー、旅の連れなんだってばー」
「もうお目覚めでしたら引き取っていただきましょうぞ。庶民にいつまでもここに居られては──」
「今目覚めたばっかりなんだよ? 血も涙もない、っておまえのことだよな、じい」
 ── 『カーシュクルさま』? 『庶民』? 『じい』?
「そうは言われますが、出自もわからぬ者をいつまでも留め置く訳には──」
「カホちゃんはカホちゃん! おれの旅の連れ。それでダメなら、共に戦った戦友だよ。それでいいじゃん」
「ま、まあまあ。あたしの身元が判ればいいんでしょ、あんまし気が進まないけど……」
 『旅の連れ』『戦友』という言葉に少しガッカリしている自分に驚きながら、今にもつかみ合いになりそうに顔を突き合わせて言い合うふたりを見かねて、 カホーナが仕方なく割って入る。まだうまく身体が動かせないため言葉で、だが。
「あたしの荷物、まだカナジュワス先生の家?」
「あ、アズームん家に行く時にトランクから出した荷物? それならこっちに運んであるよ。そっちの続きの部屋の中」
「その中にこれくらいのなめし皮のカードケースがあるの。それ取って来てくれない?」
 両手で四角を作って大きさを示して見せる。
「わかった、ちょっと待ってて」
「なっ、なんとっ! カーシュクルさまに物を取りに行かせるなどと──」
「いいんだって」
 不満そうな『じい』を押し止めるとカーシュは隣の部屋に入って行き、しばらくの後、皮のケースを持って出て来た。
「これ?」
「うん。その中のカードを── その方に見せてあげてくれる?」
 旅の始めにレインシューウィッツの宿でトランクの中身を出してみた時、こんなものがまさか必要になるとは夢にも思ってなかったが──。
「中のカードね……… はい、じい」
「まったくこんなカードが何だというのじゃ──」
 『じい』はぶつくさ文句を垂れながら、カーシュから渡されたカードに視線を落とす。 瞬間、目を見開き、カードを裏返してみたり、窓から差し込む日差しにかざしてみたり── そのうちカードを持つ手がぶるぶると大きく震え出したと思うと、真っ青な顔で床にひれ伏した。
「たたたたた、大変失礼申し上げましたっ! この年寄りの数々のご無礼、何卒ご容赦くださりませっ!」
「うわっ、な、なに!? どうしたの、じい!?」
 カーシュは慌ててしゃがみこみ、『じい』の顔を覗きこむ。
「どうしたの、ではありませんぞ! こ、こちらはヒノレック王国の姫君、カホーナ=リル=ムジカ=ヒノレックさまですじゃぞ!  カホーナ姫さま、こちらはこのフォレスティ王国の第二王子、カーシュクル=ヒハーラッセル=フォレスティさまにございますっ!」
「へー、カホちゃんってやっぱりお姫さまだったんだ〜。いやなんかそうじゃないかとは思ってたんだよね、あのドロドロのお茶とかさー」
「カーシュこそ、縁談に肖像画のやり取りしてるっていうからどこぞのお坊ちゃまかと思ってたけど、いやまさか王子さまだったとはねー。 …あれ? じゃあ、『遺言』のおじいさまが羊の世話って…?」
「ああ、城の北に牧場があるんだ。じーちゃんが王様引退して、そこにいんの」
「なるほどー」
 血の気の引いた顔にダラダラと汗を流して取り乱す『じい』をよそに、あはははは、とふたりは笑い合い、なんとも和やかな雰囲気が流れる。 それを壊したのはさらに慌てふためく『じい』だった。
「何を呑気に笑っておられますのかっ! カホーナ姫さまは、カーシュクルさまが逃げ出── いや、 旅立たれる直前に来ておった縁談のお相手の方ですじゃっ!」
「「……………」」
 カホーナとカーシュは顔を見合わせ、沈黙しばし。
「「ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!」」
 次の瞬間、お互いを指差しながらのふたりの叫びが見事にハモった。

〜つづく〜