■Romance Quest【16】 火原

 短い通路を通り抜けると、薄暗い部屋に出た。
「── なによ…これ」
 窓のない広い部屋の壁面には、ギッシリと本が入れられた書棚や怪しげな実験器具が詰まった棚。 そして、フロアにはいくつもの透明なガラスの容器が整然と並んでいた。弱い照明の中で浮かび上がるガラスケース群は、 まるでたくさんの棺桶が並んでいるようにも見えた。何かの液体で満たされたそのケースの中には──静かに横たわる、人。 2つのケースが対になるように置かれた容器に、人間がひとりずつ入っている。女はさらわれてきた街の娘たち、男は服装からしてアズームの下で働く 神官たち。下から湧く細かな泡になぶられて、衣服や髪の毛が緩やかになびいている。 ケースに満たされた液体はぼんやりと光を放ち、なんとも不気味な光景だった。
 カホーナは思わずガラスケースに駆け寄る。何かの防御魔法がかけられているのか、ケースに触れた瞬間、指先に痺れが走り、 カホーナは慌ててケースから手を離した。
「な、なんなのよこれはっ!?」
「気に入ってくれたかな? 僕の研究室だよ」
 カホーナが振り返ると、アズームは満面の笑みを湛えていた。
「『心 出逢いし刻 形になりてその手に掴まん』── 取り出した心を出逢わせても、形になってくれないんだ。何が足りないんだろうね」
 口元に手を添えて、眉をひそめてアズームが呟く。
「… 狂ってるわ。足りないとか、そういう問題じゃない。こんなことで《ヴァイオリン・ロマンス》は生み出せないわ!  こんな研究、やめてもらうわよっ!」
 カホーナは腰の短剣を抜くと、逆に握った柄をガラスケースに打ちつける。いくら力を込めて打ちつけても、ケースにはヒビどころか、 小さな傷ひとつ付くことはなかった。
「そんなことをしても無駄だよ」
 ニヤリと笑ったアズームがゆっくりと歩き出し、カホーナの背後で止まる。
 アズームはカホーナの体越しに腕を伸ばし、そっとガラスケースに触れる。
「僕の裡なる声が囁くんだ。《ヴァイオリン・ロマンス》を求めよ、とね。だからこの研究はやめないよ」
 中の液体がぼんやりと光量を増し、液体に漂う女性の身体がピクリと震えた。
「ダメっ!!」
 アズームの手を跳ね除け、カホーナは部屋の反対側に回り込む。
 短剣を鞘に収め、ベルトにつけたケースをひと撫でし、ヴァイオリンを手にすると弦の上で弓を走らせる。
「こんなのダメだってばっ! ── スフォルツァンド・ヴォルケーノっ!!」
 中の人間に直撃しないよう、ガラスケースの端に向けて魔力を解き放つ。強烈な爆発が巻き起こした煙がもうもうと部屋の中に立ち込めた。

 煙が次第に治まると、クスクスと笑いながらアズームの姿がはっきりと見えてきた。
「無駄だって言っただろ? この装置は僕の魔力で強化されてるんだ。その程度の魔法じゃ壊せないよ」
 治まった煙の中に佇むガラスケースには傷ひとつなく、元のままそこにあった。
「そんなっ……」
「君がマジカル・ヴァイオリニストだったとはね。…やっぱり君にはパートナーではなく、 研究材料になってもらったほうがいいのかもしれないな」
 不敵な笑みを浮かべるアズーム。カホーナの額を汗が伝わり落ちる。
「── きっぱりお断りよっ!」
 カホーナはベルトにつけたトランクを外すと、横に放り投げた。ゴトンと重い音を立てて床に落ちた時にはトランクは元の大きさに戻っている。 アズームから視線を外さぬまま、留め金を爪先で蹴り上げると、蓋がパカンと跳ね上がった。
「はあぁぁぁぁっ!」
 トランクからカーシュが飛び出す。そのままの勢いで剣を振り抜き、カホーナの前に躍り出た。
「アズームっ! お前……っ!」
「カーシュ……そんなところにいたのか。君の気配はあるのに姿が見えないから、どこに潜んでいるのかと思っていたよ」
 アズームは驚くことも怯むこともなく、笑顔を浮かべたまま佇んでいる。
「君はその剣を僕に振り下ろすことができるのかい?」
 うっ、と唸ってカーシュは剣先を少し下げた。だが、それも一瞬。アズームを見据え、剣をチャキッと構え直し、きっぱりと言い放つ。
「おれは、カホちゃんを護る! 相手がおまえでもな!」
「か、カーシュ!?」
 カーシュの宣言に、カホーナはカーシュの背中をきゅっと掴む。
 それに応えるように、カーシュはアズームを見据えたまま少しだけ首を捻り、
「大丈夫。まかせて!」
 と笑顔で呟く。
 そんなふたりをあざ笑うように、アズームはその手を上に掲げる。そこにはキラキラした光が集まり、金色の棒状のものが姿を現した。
「マジカル……フルート………!?」
 ズザザザザッ
 振り下ろされたフルートから数十本の鋭い氷の刃が撃ち出され、後へ飛び退いたカーシュが今までいた場所に刃が突き刺さる。
「── そっちがその気なら遠慮はしねぇよ! はぁっ!!」
 居合いと共に、両手に持った剣を左の腰に構えながらカーシュがダッシュをかける。胴を薙ぐべく振り抜いた剣をアズームはフルートで受け止めた。 カーシュは合わさった剣とフルートを中心に身体を躍らせアズームに爪先を蹴り込むが、その爪先が当たる寸前にアズームは軽々と身をかわした。 間髪入れずにカーシュは剣を振り下ろすも、アズームは再びフルートで受け止める。 体勢を整えようと間合いを取れば氷の刃がカーシュに向けて撃ち出される。
「くそ…っ!」
 カーシュは後に大きく飛び下がり、向かってくる氷の刃を剣で斬り飛ばしながら、ギリリと奥歯を噛みしめた。

 カホーナには何も手出しが出来なかった。攻撃魔法を放てば、動き回っているカーシュに当たる可能性がある。 そんなのは愚の骨頂だ。
 その時、カーシュが駆け出し、剣を振りかぶって高く飛び上がった。
 ── 今っ!
 弓をひと薙ぎすると、床に突き立てる。
「エネルジコ・アースクエイクっ!」
 カホーナが放った地面を揺るがす魔法がアズームの体勢を崩した。
 その瞬間、カーシュの剣がアズームの胸を貫いた。

*  *  *  *  *

 辺りの空気は、鼓膜に痛みを感じる程に静まり返っていた。
「カホちゃん……警備兵、呼んできてくれるかな。大通りに出て、北へ少し行けば、ここから一番近い詰所があるから」
 胸に剣が突き立ったまま横たわるアズームのそばに膝をつき、カーシュが静かに呟く。少し青ざめてはいるものの、 その表情からは感情は読み取れなかった。
「…… カーシュ、大丈夫?」
「おれ? おれは……… だいじょうぶ、だよ」
 視線を上げぬまま無理に作った微かな笑顔が痛々しかった。幼い頃の友人を手にかけたのだから、その心の痛みは計り知れない。
「じゃ、行ってくるね」
「……うん」
 カーシュはアズームの蒼白な顔を見つめたまま動かない。
 カホーナはそんなカーシュが気になって、しばらく様子を見ていたが、そうしていても事態が変わるわけでもなく、警備兵の詰所へ向かうことにした。 部屋を出ようと出口に向かいかけた時、不意に背中に冷たいものを感じて振り返った。その直後──
「きゃあっ!」
 突然の爆風に吹き飛ばされ、カホーナはそのまま背中から壁に激突した。

「な、なに……っ!?」
 失いそうになった意識をかろうじて引き戻し、チカチカする目を無理矢理開く。
 部屋の反対側で、本棚にもたれかかって落ちてきた本に埋もれているカーシュが後頭部をさすっている姿が見えた。
 そして2人の間には── 胸からカーシュの剣を生やしたまま、まるで肩から紐で吊るされた操り人形のように、アズームが宙に浮いていた。
「なんで!?」
「どうして!?」
 アズームから吹き付ける風で壁に貼り付けられたまま、カーシュとカホーナの驚愕の声が重なる。
 さっき2人を飛ばした突風も、アズームが発する圧力が作り出したものらしかった。
 そうしているうちに、アズームの胸に刺さった剣がスルスルと抜け、カランと音を立てて床に落ちた。
 そして、顎を胸に埋めるように垂れていた頭が、ゆっくりともたげられた。
「……フフ…ッ……ハハハッ……ハアーッハハハハハッ!」
 高らかな哄笑と共に強まった風が鼻腔を塞ぐ。
 息ができず、苦しさを通り越して頭がボーっとしてきた。
 そして、ひとしきりの哄笑が消えると、不意に風も治まった。
「アズーム…、あなた、一体……!?」
 宙に浮かんだまま、アズームの顔がゆっくりとカホーナの方へ向く。乱れた長髪が頬にかかり、その双眸は血の紅に光っている。 鬼気迫る様相に背筋が凍った。そして、カーシュが穿ったはずの胸の傷は、そこにはなかった。
「アズーム? … 俺の名は── ゼラクティオン。かつて神と呼ばれた者……」
「な…っ!?」
 カホーナとカーシュは同時に息を飲んだ。

「外に出られたか? いや、まだ完全ではない。── クククっ、そうか、お前たちか」
 アズーム、いやゼラクティオンはブツブツと呟きながら、感覚を確かめるように見下ろす両手をワキワキと動かしていた。
 カホーナは動けぬまま、その様子をじっと見つめていた。
 突然、アズーム=ゼラクティオンが勢いよく宙を滑る── 壁に寄りかかりかろうじて立っているカホーナへ向かって。
 バンッ!
 耳元で発した凄まじい音に、カホーナは思わず目を瞑った。
「── !?」
 おずおずと開いた目の前にはアズームの紅い瞳、顔の両側にはアズームの手が伸びていた。
 今の衝撃で壁が砕かれたのだろう、ぱらぱらと何かが落ちる小さな音が耳元で聞こえている。
「足りん… 全く足りん…… 人間の心が俺の『封印』を解くはず── お前の『心』、俺が戴くっ!」
 アズーム=ゼラクティオンの目がクワッと開き、血の輝きが増した。
 襲ってくる恐怖に、カホーナは目を閉じることも忘れていた。
 ── イヤ… っ!!
 カホーナが声にならない声で叫んだ時、首筋に鋭い痛みを感じ、身体が横に向かって落ちていく感覚を覚えた。
 そして止まった瞬間、目の前にカーシュの構える剣の鋭い先端がきらりと光った。
「うわっ!」
 カーシュが慌てて剣を引っ込め、後へ飛び下がる。
 後から迫ってきたカーシュに気づいたアズーム=ゼラクティオンが、カホーナの首筋を掴み、振り向きざまに前に突き出し── カホーナを盾にしたのだった。
「あ…っぶねーっ。お、おまえっ、何てことしやがんだっ! カホちゃんを放せっ!」
「クククッ、そのまま剣を前に出せば、俺に傷を負わせることができたやも知れぬものを… 愚かな」
 ゼラクティオンの握力が強まり、その爪が食い込むカホーナのうなじに赤い一筋が流れ落ちる。 首の骨を折られそうなほどの圧力に、カホーナの意識は遠のきそうになった。手足は痺れ、感覚も薄れていく。
「── んなことできるかっ!」
 カホーナの苦痛の表情と、攻めあぐねている今の状況に、カーシュに焦りが生まれていた。
 ── どうすれば…っ!?
 その時、カホーナが残った気力を振り絞り、動いた。右手に持ったヴァイオリンの弓を後ろ突き立てる。
「くっ……」
 ゼラクティオンの口から小さな苦鳴が上がる。
 並の剣より鋭い弓の先がゼラクティオンの腹に刺さっていた。しかし、カホーナを差し出すように掴む腕が作った距離と、 すでに感覚のほとんどない手での弱々しい一撃のせいで、その傷はさほど深くはない。
 それでも多少のダメージにはなったのか、ゼラクティオンは苦々しげに弓を引き抜く。と同時に弓は握力のなくなったカホーナの手を離れた。
「人間ごときが……」
 吐き捨てるように呟くと、ゼラクティオンは弓を握る手に力を込めて砕き折り、無造作に投げ捨てた。 そしてカホーナを掴む手を憎々しげに思い切り横に振った。
 ゼラクティオンの手を放れたカホーナの身体は壁に向かって飛ぶ。カーシュは剣から手を離すとカホーナに向かって駆け出した。 なんとか間に合いカホーナを抱きとめると、頭をかばうように抱え込んで床を転がり、壁にぶつかって止まった。
「カホちゃん大丈夫っ!?」
「…な、なんとか……」
 そう答えたものの、カホーナは首筋の激痛と全身に広がる痛みに、いっそ気を失ってしまったほうがどんなに楽だろう、とズキズキ痛む頭の片隅で考えていた。

〜つづく〜