■Romance Quest【14】 火原

 その夜。
 光量を落としたランプの明かりが、部屋の造作をぼんやりと浮き上がらせている。
 カホーナはベッドにもぐりこむと柔らかな光の中で天井を見上げ、これまでのこと、これからのことに思いを巡らせていた。
 一国の姫である自分のもとにいきなり現れたリリと名乗る4枚羽根の妖精に無理矢理《ヴァイオリン・ロマンス》探しの旅に放り出され、 やたら能天気な青年剣士と出会い、死にそうな目に遭いながら、どういう訳か元魔道士の聖職者と対決しようとしている。
 人に話しても信じてもらえそうにない出来事の連続に、カホーナは小さく自嘲の笑みを浮かべた。
 考えなければならないことがあまりにも多すぎる。
 アズームの研究を止める方法。
 《ヴァイオリン・ロマンス》の正体と在処。
 頭の使い過ぎからか、頭の奥がズキズキと痛み始める。
 今日のところは諦めて眠ろうとランプに手を伸ばした時、見覚えのあるキラキラが視線の端を掠めた。
「……リリ?」
 ベッドの上に身体を起こして名前を呼ぶと、キラキラに包まれた4枚羽根── リリが姿を現す。
「カホーナ=リル=ムジカ=ヒノレック、オマエに特別な楽譜を渡すのだ」
「…特別?」
 リリが手にしたスティックを振ると、カホーナの手元に数枚の紙が出現した。
「今は弾きこなせないかもしれない。けれど、『その時』が来たら、それはオマエにとって大いなる力となるのだ」
「大いなる…力……」
 リリは満足そうに頷くと、くるりと宙返りをしてその姿を虚空に溶け込ませていく。
「しっかりと譜を読み込んで、しっかりと練習しておくのだ。頑張れ〜なのだ!」
「ちょ、ちょっと待ってっ! ひとつ…じゃなくて、ふたつ、聞きたいことがあるのっ!」
「な、なんなのだ〜」
 消えかけた身体を再び出現させた迷惑顔のリリに、ダメモトで質問をぶつけてみる。
「ねえ、《ヴァイオリン・ロマンス》ってどんな形してるの? ヒントでいいから教えて?」
 リリはその質問に困ったように眉をひそめ、腕を組んで考え込んでいる。
「それは……… 我輩にもわからないのだ。そのカタチは人によってそれぞれ違うのだ」
「人によって違うって── じゃあ探しようがないじゃない!?」
 カホーナの剣幕に臆することもなく、リリは両手を腰に当て、胸を張る。
「大丈夫なのだ! 時が来れば見つかるのだ!」
「じゃあ、こんな面倒くさい旅に出なくても、待ってれば手に入ったってこと!?」
「そ、そうではないのだ! 《ヴァイオリン・ロマンス》を見つけるまでに起こる出来事は、起きるべくして起きることなのだ!  何事も待っているだけではダメなのだ!」
 更なる剣幕で詰め寄るカホーナに、リリは両手をブンブン振りながら力説する。
「うっ……、それは一理あるかも…」
 言いくるめられたようで少し悔しさを感じながらも、わからないものは仕方ない、と質問を切り替える。
「じゃあ、《邪神ゼラクティオン》のこと、何でもいいから教えて?」
「なんでオマエがその名を…!? そうか、それをムジーク様は心配しておられたのだな……」
「な、なによそれ………」
 リリは再び腕を組み、俯きがちに何かを考え込んでいる。
 そして、ふぅっ、と深い溜息を吐くと、重い口を開いた。

「…… ゼラクティオン様── 《邪神ゼラクティオン》は、ムジーク=コンクレスト様の双子の弟神なのだ。
 神々は皆、平和を愛し、音楽を愛で、地上の人間たちを愛している。
 しかしどういう訳かゼラクティオンは破壊と混沌を好んだのだ。
 そして、神々はゼラクティオンの神としての能力を封印し、地上へと放逐した。
 人間として転生しながら『愛する心』を得てほしいという願いを込めて。
 しかし、数百年に一度、封印が弱まる時期があるのだ。
 今までは何事もなく過ぎていたが、何かのきっかけで封印が解ける可能性もあるのだ。
 今回も何事もなく過ぎてくれればよいのだが……」

 宙に浮かんだまま腕組みして滔々と語り続けるリリと向かい合うように、ベッドの上に正座して同じ腕組みで話を聞いているカホーナ。
 前にアズームからも同じようなことを聞いている。
 けれど、聞いた印象がどこか違うのは何故なのだろうか。
 カホーナは組んだ腕をほどき、そのまま片手を顎に当てて考え込む。
「ねぇ……、神々は怒りにまかせてゼラクティオンを追放したんじゃないの? 厄介払いするために」
「そんなことはない。… 確かに怒りの感情が全くなかったわけではないが……、それよりも愛する心を知ってほしいという気持ちのほうが はるかに大きかったのだ」
 ─── アズームの話とは少し食い違いがある。ならば──。
「じゃあ、《ヴァイオリン・ロマンス》がゼラクティオンの復活を解いちゃう、とかってアリ?」
「むむっ、そんなことは聞いたことはないが…もしかすると、《ヴァイオリン・ロマンス》のエネルギーがゼラクティオン復活のきっかけに なることも無きにしも非ず、なのだ。とにかく頑張って見つけるのだ〜」
「待ってっ、もうひとつっ!」
「うー、聞きたいのはふたつと言ったのだ」
 身体を翻したリリに掴みかからんばかりに詰め寄るカホーナに、リリはぶちぶち文句を言いながらもその場に留まった。
「そう堅いこと言わないで。したくもない旅してあげてるんだから、それくらい協力してよ」
「あぅー、何なのだ」
「《ヴァイオリン・ロマンス》って、魔道の研究から生み出せるものなの?」
 リリはポカンとした顔でカホーナを見下ろしている。
「なんなのだ、それは? 人間の使う魔道ごときで生み出すのは不可能なのだ。 ── いやまあ、『人間が生み出す』ということ自体は間違ってはいないのだが……」
 台詞の最後の方は、リリが口の中でモゴモゴと言いよどんだため、カホーナの耳には届いていない。 それ以前に、カホーナは考え込むあまり自分の世界に入っていたため、どちらでも同じことではあったが。

「それじゃあさ─── って、いないじゃない、もうっ! 逃げたなーーーっ!!」
 カホーナは、すでに姿のない妖精に向かって怒りをぶつける。
 その時、部屋の外でバタバタと大きな足音が響き、いきなり扉が開かれた。
「カホちゃんどうかしたうわぁっ!?」
 開かれた時と同じようにいきなり扉を閉めてしまうカーシュ。
「どうかしたのはカーシュでしょ? まだ寝てないから入ってもいいわよ。それより今、リリがね──」
「あ、明日聞くっ! 明日聞くからっ!」
「どうしてよ。いいじゃない、今でも」
「だだだだって、か、カホちゃんパジャマだしっ」
「あ……」
 はたと自分の姿を見れば、カーシュに言われた通りパジャマ姿だった。寝ようと思っていたのだから、パジャマなのは当然なのだが。
 カホーナが着ているのは、淡いピンク色のベビードール風の可愛らしいパジャマ。リリからもらった魔法のトランクに入っていたもので、 旅の当初から着ているもの。しかし、戦士姿のカホーナしか見たことのないカーシュが面食らってしまうのは仕方ないことかもしれない。
「じゃあ明日話すわ。おやすみなさい」
「お、おやすみっ」
 扉の外の気配が消えると、カホーナはクスッと小さく笑って、ベッドにもぐりこんだ。

*  *  *  *  *

「はあぁぁぁぁぁっ」
 テーブルに突っ伏して、カホーナが深い溜め息を吐く。
 手には濃紺の厚い表紙の一冊の本。毛羽立ったその表紙と、茶色く変色したページが、その本がこの世に存在する時間の長さを物語っている。 リューに借りた《ムジーク=コンクレスト》伝承の本だった。
 地下水路から脱出したのが2日前。その夜姿を現したリリに渡された楽譜の譜読みに、昨日丸一日を費やした。
 そして今日は、ほとんど役に立たなかったリリとの会話で得られなかった手掛りを探そうと、 カホーナの手にはその本がテーブルに立てるようにして握られている。
 ところが── 何度読み直しても、音楽は楽しい、音楽は人を幸せにする、音楽神《ムジーク》が信仰される所以ととなった偉業の数々、 などが難しい言い回しで延々と書き連ねられているだけだった。
 本をパタンとテーブルに倒し、突っ伏したままで手のひらをテーブルの上に滑らす。その手が開かれていた裏表紙の表面をなぞり──。
「──!?」
 カホーナは伝承本を手元に引き寄せると、厚い裏表紙の内側の表面をそっと撫でた。指先が僅かな段差を感じ取る。
「カーシュっ! ちょっと来てっ!」
 出勤前のカナジュワスから家の掃除を命じられたカーシュが、モップ片手に顔を出す。頭にかぶった真っ赤なバンダナが、 新緑の色のカーシュの髪の毛に映えて、なんとも可愛らしい。
「どうしたのーカホちゃん?」
「これ見てっ! ここに何か入ってるっ!」
 カーシュもおずおずと手を出し、裏表紙をそっと撫でる。
「ほんとだ── 紙を折りたたんだもの、かな?」
 カーシュは真面目な顔でカホーナの瞳を覗き込む。
「リューには悪いけど、開けてみる。カーシュ、ポットにお湯沸かしてくれる?」
「えっ、なんでお湯!? お湯かけちゃうの?」
「そんなことしたら、本が台無しじゃない。昔、何かの本で読んだことがあるの。蒸気で糊をふやかして、この紙をはがしてみる」
「わかったっ!」
 カーシュは慌ててキッチンへと走った。

*  *  *  *  *

 カホーナは震える手で四つ折にされた紙を開いていく。
 もちろんそれは伝承本の裏表紙から取り出した紙だった。
 裏表紙の中から取り出された紙はほとんど変色もしておらず、手書きの文字のインクがほんの少し滲んでいるだけで、 まるで当時の空気までが一緒に封印から解かれたようなような気分だった。
 顔を寄せ合って覗き込んだその紙には、一篇の詩のような文章が書き綴られていた。

    音楽を愛でし者 その心に大いなる力を持てり
    その力 紡ぐ音色にて解き放たれん
    その音色 音楽神の祝福ならん
    弦の響きに導かれ 心 出逢いし刻(とき) 形になりてその手に掴まん
    人に幸福をもたらし 何者にも屈せぬ力となれり
    その名は《ヴァイオリン・ロマンス》
    形はあれど 触れざりしもの
    出逢いし心と共にあり 輝ける宝とならん

「── もしかして……」
「── 《ヴァイオリン・ロマンス》についての記述……?」
 カホーナとカーシュは同時に顔を見合わせる。
 折り目のついた紙を持つカホーナの手が小刻みに震えている。
「最初の3行は魔法の発動についての記述ね。何かの本の一節を書き写したものかしら。── もし、この文章をアズームが知っているとしたら、 彼が『心』を研究する理由になるわね。ううん、たぶん彼はこの文章を読んでる。これは手書きよ、どこかに原本か別の写しがあってもおかしくないわ。 それで彼は《ヴァイオリン・ロマンス》が欲しくなったのよ。 『幸福』『屈せぬ力』『宝』なんて言葉があれば、力を求める者なら何が何でも手に入れたくなるでしょうね」
 はふ、と小さな溜息を吐いて紙をテーブルの上に静かに置くと、カホーナは腕を組んで親指の爪をギリリと噛む。
「けどさ、こういう見つかり方したモノってさ、ふつー『えっ、そうだったのっ!?』とか『まさかっ、そんなことがっ!?』とか 『急展開! このあとどうなる!?』みたいになるってのがお約束だよね。なんか理不尽だよなぁ」
 真面目くさって呟くカーシュの言葉に、思わずプッと吹き出した。
「えーっ、なんでそこで笑うわけ〜?」
「そんな都合よく事が運ぶわけないじゃない。今までこれだけ理不尽な目に遭ってきたんだもの。 もうひとつ理不尽なことが増えたって、何とも思わないわよ。── ま、ちょっとは期待してたけど」
 カホーナは肩をすくめて小さく苦笑するが、すぐに真剣な表情に戻って再び爪を噛む。
「でも…結局この記述じゃ《ヴァイオリン・ロマンス》がどんなモノなのか、わからない……。『出逢う』ってことはふたつに分かれてて、 それを組み合わせるかしたときに『形になる』ってことかしら……」
 搾り出すように言葉を吐くカホーナの肩に、カーシュがそっと触れる。
「……カーシュ…」
「おれ、いろいろ考えるのは苦手だけどさ……身体動かすことだけは任せて、ね」
 カホーナの顔を覗きこんでそう言うと、カーシュはニカッと笑う。
 うん、と返事をして視線を落としたカホーナは、ふいに顔の前に現れた影と、眉間に感じる温かい感触に、再びカーシュに視線を戻した。
 目の前にはカーシュの腕。眉間の感触はカーシュの人差し指だった。
「なんとかなるって。もう少し気楽にいこうよ。── ここ、シワ寄ってるよ?」
 カホーナは額に伸ばされたカーシュの手をそっと両手で包む。
 増していく不安に、カーシュのいいかげんとも取れる励ましが不思議と頼もしかった。
 眉間に感じるカーシュの指の温かさがなんだか嬉しかった。
「カーシュの場合は『気楽』じゃなくて『お気楽』ね」
 怒って跳ね除けられることを覚悟していたのか、クスッと笑ったカホーナの反応にカーシュは戸惑った。
「ど、どう違うんだよ〜」
「ちょっとしたニュアンスの違い、かな」
 カーシュはひんやりした手で自分の手を包みながらクスクス笑うカホーナを見つめたまま、頬が熱くなるのをどうすることもできなかった。

〜つづく〜