■Romance Quest【13】
水路は、確かにカーシュの記憶の中にあったもので、フォレストスクウェアの西の外れの洞窟に無事出ることができた。
無事、というのは少し語弊があるかもしれない。
地底湖を出発してしばらく経った頃、カホーナは何かに足を取られて水路に落ちそうになった。
繋いだ手を引っ張る感覚に気付いたカーシュが、カホーナの足に絡まる水中から伸びるモノを抜きざまの剣で切り落として事なきを得たが、
水面を走るようにあとからあとからそれは迫ってきた。ザブンと大きな水音を立て水上に現れたのは巨大な魚。
そのヒレがある部分からは太いものや細いもの、長いものや短いもの、タコの足のような触手がうねっていたのだ。
「うわぁ〜っ!?」
「ひゃあぁっ!?」
相手は水中。引きずり込まれでもすれば、明らかにこちらが不利。慌てて駆け出すが、水路に僅かに張り付くような細い陸地に、
スピードはなかなか上がらない。魔法で応戦している暇はなく、迫る触手はカーシュが身体をひねって何とか切り落とし、ひたすら走る。
そのうち緩い下り坂になり、横を流れる水路が徐々に細くなってくると、触手は追いかけて来なくなった。
どうやらあの巨体が狭くなった水路に阻まれて、追って来れなくなったらしい。
「── もう大丈夫みたいだね」
「し…死ぬかと……思った……」
水路の壁にへばりつくようにして、肩で息を吐く。気が付けば足元の陸地は身体を横にしなければならないほど細くなっていた。
「んじゃ、ここからは水の中を行くよ」
そう言うとカーシュはバシャッと水飛沫をあげ、大人の背丈ほどの幅になった水路に飛び込んだ。
カホーナもそれに倣って意を決して水に飛び込む。
「きゃがぼっ」
足がつくと思った水路は、思いのほか深く、カホーナの口の中に水が流れ込む。
「うあっ、大丈夫!?」
慌ててカーシュが脇を抱え上げてくれたおかげで、カホーナは溺れずに済んだ。
「び…びっくりした……」
水面はカーシュの胸の位置で揺らめいている。そのつもりで水に飛び込んだものの、自分とカーシュの身長差を考えに入れていなかったことに、
カホーナは情けなくて泣きたくなった。
「ほら、肩、持って」
身体を捻りながらカホーナに肩を掴ませると、ゆっくりと水の中を歩き始めた。
* * * * *
「ぷは〜っ、生き返った〜」
「あぁ〜、あったまるぅ〜」
カナジュワスの家に戻ったカホーナとカーシュが、熱いハーブティーのカップを両手で包み込みながら、一口すすって安堵の息を吐く。
西の洞窟からフォレストスクウェアの街に戻り、人に見られないように裏通りを抜けると、カナジュワスの家へと向かった。
まだ太陽は沈みきらない時間。おそらく学院からまだ戻っていないカナジュワスの家に入るのは無理だろうと半分諦めていたが、
無用心にも鍵はかかっていなかった。急いで中に入って手早く着替えると暖炉に火を入れ、カーシュの用意してくれたハーブティーで
冷えた身体を温めていたのだ。
「で、これからどうする?」
3杯目のハーブティーを飲み終えたカーシュが話しかける。
「── もう一度行きたいわね、アズームの屋敷。カーシュには悪いけど、彼は人の『心』を取り出す研究をしていることは間違いないと思う」
2杯目のハーブティーが半分ほど残ったカップの中に映る自分の顔を見つめながら、カホーナが重い口を開く。
「でも──」
「わかってる。今正面から行っても、追い返されるか返り討ちに遭うだけ。相手も警戒してるだろうし。こうなったら夜中に忍び込むしかないかな」
カホーナはカップの中の自分と会話するように、両手で持ったカップを見つめている。
「カホちゃんっ!?」
「ウソウソ、しばらく様子を見てみる。その間に考えるわ。ま、あんまりほっといて、セイモーンに帰られちゃ困るけどね」
カホーナはクスッと笑って、小さく肩をすくめて見せた。その何気ないしぐさにカーシュは目を奪われた。
「……… カホちゃんって、強いよね」
「えぇっ、あたしがっ!?」
自分を指差してすっとんきょうな声を上げるカホーナに、カーシュは大きく頷いた。
「そ、そんなことないわよ── いつもカーシュに迷惑ばかりかけてるし……ごめんね」
いつになくしおらしいカホーナに、カーシュの頬がほんのり赤く染まり、鼓動が早くなる。
「め、迷惑なんて思ってないよっ! おれ、カホちゃんを護るって言ったろ?」
「うん─── ありがと」
そう言ってふんわりと微笑むカホーナの表情に、カーシュは再び目を奪われる。
─── カホちゃんがこういう風に笑うのって、初めて見たかも…。
カーシュはなんとなく照れ臭くて、俯きがちに頬をポリポリと掻いた。
カホーナは再び手の中のカップに視線を落とすと、少し眉間にしわを寄せて呟き始める。
「── とにかく、あの屋敷に『心』を抜き取られた女性がいるということは、屋敷の中に研究室のようなものがあると思うの。
その研究室には、アズームが《ヴァイオリン・ロマンス》を研究するきっかけになった文献か何かがきっとある。
それを見ることができれば、手掛りも見つかると思うんだけど。── それから、リューに借りた本をもう一度読み返してみる。
何か見落とした事があるかもしれないしね。あとは、《邪神ゼラクティオン》のことももう少し調べてみなくちゃ。── でも、まずは───」
ごとんっ
カホーナの呟きを遮る鈍い音に、カホーナがカップに落とした視線を上げると、向かいに座っていたカーシュがテーブルに額を落としていた。
「カーシュ!?」
「あー、腹減ったぁ〜。カナやん、早く帰って来ないかなぁ」
自分の話を聞いていないであろうカーシュの態度に、カホーナは不思議と腹が立たなかった。今、自分がここにいるのは彼のお陰なのだから。
カーシュらしい台詞に、カホーナの顔に笑みが浮かぶ。そう言えば、朝ここを出たきり何も口にせず──水はしこたま飲んだけれど──、
今はすでに夕飯刻を随分過ぎている。空腹から来る軽い胃の痛みが、なんだか嬉しいような気がした。
「ほんと、お腹すいたね」
カホーナもカーシュと同じようにテーブルに額をつける。カーシュのその行動が照れ隠しとは気付かず。
それでも── 赤々と燃える暖炉の火と熱いハーブティーで少し火照った身体に、ひんやりしたテーブルの感触が心地よかった。
* * * * *
「おっ、お前さんたち、帰ってたのか」
通りに面したドアが開き、仕事を終えたカナジュワスが戻ってきた。
「カナや〜ん、ご飯〜」
「す、すみません、鍵開いてたので勝手にお邪魔しました」
テーブルに突っ伏したまま拳をテーブルの上でばたばたしながらカーシュが空腹を訴え、カホーナは律儀に立ち上がってカナジュワスを迎える。
「『開いてた』じゃなくて『開けておいた』だぞ。感謝しろよ〜」
カナジュワスはカホーナにウィンクして見せる。
「えっ!?」
「たぶん戻ってくると思ってな。あー、俺って教師の鑑っ」
「あ、ありがとうございますっ」
「ああ、気にすんな。どうせ盗られるものもないしな」
深々とお辞儀するカホーナに、カナジュワスはひらひらと手を振っておいてタバコに火をつける。
「カナや〜ん、腹減った〜」
カナジュワスは青白い煙をふぅーっと吐くと、
「カーシュ、お前さんはまだまだガキだなー。カホーナを見てみろ。ちゃんと年長者への礼をわきまえ──」
ぐぐうぅ〜〜
ハッとしたカホーナが慌てて自分のお腹を押さえる。カーシュとカナジュワスの視線が集中したその顔は耳まで真っ赤で、
顔を上げられずに深く俯いている。
「ご、ごめんなさい……」
「ははっ、身体は正直だな」
「カナやん、その言い方、なんかエロオヤジっぽい…」
「おいおい、『腹が減って身体が正直に空腹を訴えている』って言って何が悪い。それよりお前さんこそ、
頭ん中妄想でいっぱいだから、
そういう風に聞こえるんじゃないのか?」
ジト目で言い放つカーシュに、冷ややかな視線で応戦するカナジュワス。
「もっ、妄想なんてしてないよっ! ひどいよ、カナやん〜」
顔を赤らめて否定するカーシュ。この勝負は、カナジュワスの勝ちだった。
「こいつはな、シッポ振ってじゃれついてくる犬みたいなヤツだけどな、もしかしたらオオカミかもしれないぞー。気をつけろよ、カホーナ」
「か、カナやんっ!」
カナジュワスはカホーナと内緒話をするように口元に手を添えているが、声をひそめる様子はない。横目で見ながらカーシュの反応を楽しんでいた。
ふっと笑うと灰皿にタバコを押し付け、ひらひらと手を振ってキッチンへと入っていく。
「ちょっくら待ってろ。ウマイもん食わせてやるから。ま、ありあわせだけどな」
「あ、あたし、手伝います!」
「いいからいいから、おとなしく座ってろ。俺の料理の腕はな、相当なもんなんだぞ〜」
すみません、と口の中で呟いて、カホーナはさっきまで座っていた椅子にストンと腰を落とす。
── 咄嗟に申し出たものの、じゃあ頼む、なんて言われなくてよかった。……だって、………お料理なんてやったことないものっ!
一国の姫君のこと、それは無理からぬことではあったが。
しばらく経つと、キッチンからいい匂いが漂ってきた。続々とテーブルの上に並べられていく料理の数々に、自然と口の中に唾液が湧いてくる。
「ほれ、食え」
カナジュワスの一言を合図に、カホーナとカーシュは皿に顔を埋めるようにして料理を貪った。
* * * * *
「んで、どうだった? アズームとのご対面は」
食後のハーブティーを飲みながら、カナジュワスがタバコの煙をくゆらせている。
「カナやん、あいつのこと知ってたの!?」
「ああ。もともとユノークス家はこの街の出身だしな。お前さんも小さい頃のアイツを知ってるんだろ?
前に一度、アイツから聞いたことがある」
カナジュワスはカホーナたちに煙がかからないように口を歪めて斜め上に煙を吐き出す。
「それに魔術学院とユノークス家ってのは結構つながりがあってな。この間も『しばらく滞在するから』と学院に挨拶に来た」
「あ、あの…つながり、っていうのは…?」
カホーナがテーブルに身を乗り出す。
「…ユノークス家は代々学院の出資者のひとりなのさ。おまけにあの屋敷、元は学院の物だったしな。正確には学院の創始者の、だが。
それを昔、ユノークス家が買い取った。アズームがガキの頃、理由は知らんが一家はフロントセイモーンに移り、
以降は別荘として使われている。まあ、今はアズーム専用の別荘になっちまってるらしいがな」
カナジュワスはタバコを灰皿に押しつぶし、面白くなさそうに頬杖をついて、ハーブティーを一口すする。
「へぇ〜、そうなんだ〜」
「お、お前なぁ…」
気の抜けた相槌はもちろんカーシュ。
カナジュワスはテーブルについた肘をずるりと滑らせ、そのまま突っ伏した。
「この街の人間なら誰でも知ってることだろ…って、お前さんにそれを求めるのは酷だったか、悪い悪い」
「ひっでぇ、それどういう意味だよ!?」
頬を膨らませ抗議するカーシュは取り合わず、カナジュワスはカホーナに視線を向ける。
「で、これからどうするつもりだ? アイツとまともにぶつかるのは骨が折れるぞ。学院の教師連中もアイツにはタジタジだからな」
しばらくの間、その場を沈黙が支配した。
暖炉で薪がはぜ、テーブルの上のカップからはハーブティーのいい香りが湯気と共に立ち上っている。
「アズームが『心』を取り出す研究をしているのが事実なら── 彼の研究を止めます」
カップを両手で握り締めるカホーナの力強い口調に、カナジュワスは一瞬目を丸くした。
「それによってお前さんの求める《ヴァイオリン・ロマンス》とやらが手に入らなくなるとしても、か?」
「── それはたぶん大丈夫だと思います」
ふむ、と唸るとカナジュワスは新しいタバコに火を点ける。
「なんで大丈夫なの?」
きょとんとした顔で訊いてくるカーシュに、カホーナはビシッと指を突きつける。
突きつけられたカーシュは、うわっ、と身を仰け反らせた。
「だって、神様って普通『全知全能』なんでしょ? その神様が探せっていうものを一介の魔道士の研究で簡単に創り出せると思う?
だからあんな非道で無駄な研究は止めちゃっても全然問題なしっ!」
カホーナの凄まじい勢いに、カーシュは両手を顔の横まで上げた降参ポーズで、ただコクコクと首を振っている。
「─── なんてね」
カホーナは表情を緩め、カーシュに突きつけていた指を軽く頬に添えると、にっこり笑う。
「か、カホちゃん……・?」
カナジュワスは戸惑い顔のカーシュを一瞥し、吸い込んだ煙を口を歪めて吐き出すと小さく微笑む。
「お前さんのその解釈は間違ってないと思うぞ。それにそのくらいの余裕があれば何とかなるだろ」
「余裕があるかどうかはわかりませんけど………、何とかしなくちゃいけないのは確かですから…」
そう言ってカホーナは小さく溜息を零した。