■Romance Quest【12】
おもむろにアズームが口を開く。
「君は《邪神ゼラクティオン》を知っているかな?」
「へ?」
カホーナの質問を無視するような答え── ではなく逆に問われて、思わず気が抜けた返事をしてしまい、心のなかで歯噛みする。
「ゼラクティオンはね、ムジーク=コンクレストの弟神なんだ。まあ、ムジーク同様、彼の存在も人々の忘却の彼方だけれどね」
音楽によって人々の心に安らぎと幸福をもたらすムジーク=コンクレスト。
自分の欲望のためには人々の命すら犠牲にしてしまうゼラクティオン。
兄弟でありながら相容れぬ関係。
当然の如く、ゼラクティオンは神々からの怒りを買い、その能力を封印されて神界から追放された。
そして、神々から地上の人間への祝福である《ヴァイオリン・ロマンス》をゼラクティオンが手にした時、その封印は解かれ、
再び彼は破壊と欲望の追求を始めるだろう。
以上がアズームが語ったところである。
初めて耳にした《邪神ゼラクティオン》の話に、カホーナは不覚にも聞き入ってしまっていた。
── 《ヴァイオリン・ロマンス》が神からの祝福であるならば、なぜ神はあたしにそれを『探せ』というのか。
邪神ゼラクティオンの話をするアズームの意図は何なのか。ムジーク=コンクレストが実在する(らしい)んだから、ゼラクティオンもおそらく
実在するんだろう。ゼラクティオンは本当に復活するために《ヴァイオリン・ロマンス》を狙っているのか。
── そもそも《ヴァイオリン・ロマンス》って一体なんなの!?
カホーナの頭の中には疑問が渦巻き、ほとんど混乱状態だった。
「それじゃ、僕は仕事があるから、これで失礼するよ」
「ま、待ってっ! もうひとつ── もうひとつだけ聞かせてくださいっ!」
衣擦れの音をさらさらと立てながら身を翻したアズームを、カホーナは慌てて引き止めた。
アズームはこちらに向き直り、カホーナに静かな微笑を送っている。カホーナはコクリと音を立てて唾を飲み下すと口を開いた。
「『心』── 人の心って、取り出すとどんな形になるんですかっ」
ほんの一瞬だけアズームから微笑が消え去り、すぐにまた笑みをその顔に纏う。
「場所を変えよう。彼女に案内させる。─── ただ、急ぎの用があるから10分ほど待ってもらうよ」
「── わかりました」
アズームは後に控えていた女神官に頷いてみせると、法衣を翻して奥の扉に入っていった。
「どうぞ、こちらへ」
相変わらず無表情な女神官に促され、大広間を後にする。迷路のような廊下をしばらく進んだ奥の扉の前で神官は止まり、
扉を開けて黙って待っている。この部屋へ入れ、ということなのだろう。カホーナたちが部屋へ足を踏み入れると、神官は静かに扉を閉めた。
部屋は最初の応接間の半分ほどの広さしかなかった。しかし決定的に違うのは広さではなく、調度が何も置かれていない、ということだった。
簡単な腰掛けひとつ置かれていない。
「何よこの部屋。人を待たせるんなら、椅子くらい用意しときなさいよね」
「うわ〜、ほんとに何にもない」
部屋の中を見回しながら、ぶつくさ文句を垂れてみるが、それで状況が変わるはずもなく。
腰の位置から天井近くまである窓から外を眺めてみた。そこには広い中庭が広がり、道路は見えないところから、
ここは屋敷の裏手にある部屋なのだろう。
カホーナはくるりと向き直り、窓を背にして大きくひとつ背伸びをする。カーシュは部屋のほぼ中央であぐらをかいて座り込んでいた。
「それにしてもここの神官たち、ほんとに気味が悪いくらいに無表情よね」
「ほんとほんと。なんか『心ここにあらず』って感じだね」
カホーナはハッと息を呑む。
「……… まさか……」
「なに? どうかした?」
ぽかんとしているカーシュに、カホーナは奥歯をギリッと噛みしめ、喉の奥から答えを搾り出す。
「ここにいる、無表情の神官たち─── 『心』を抜かれた被害者かもしれない…っ」
「ええっ!?」
慌てて立ち上がり、バタバタとカホーナに駆け寄るカーシュ。
「もちろん確証はないけど…… あの無表情さは尋常じゃないもの。心のないアヤツリ人形状態なのかもしれないわ」
「……おれ、あいつがそんなことするようなヤツだとは思いたくないな」
腕を組んで暗い顔をしているカーシュの気持ちを思うと、カホーナもこれが嘘であってほしいと願った。
「── カーシュ………」
カホーナがカーシュの腕にそっと手を触れた時、ガクンと床が揺れた。
「何!?」
その瞬間、ふたりの足元の床がフッと消失した。
「─── っ!?」
「うわっ!?」
咄嗟にカーシュがカホーナの腕を掴んで引き寄せ、胸の中に包み込みながらも、なすすべもなく落下していく。
一瞬の後、激しい衝撃と共に口の中に大量の水が流れ込んできた。
迫ってくる死を感じながら、カホーナの意識はここで途切れた。
* * * * *
頬に感じる冷たい感覚に、カホーナは目を覚ました。
眼を開き、最初に見えたのは、揺らめく光に照らされた、心配そうに自分を見つめるカーシュの顔。
「……カーシュ…?」
再び頬に冷たい感触が落ちてくる。
それは、ずぶ濡れのカーシュの髪を伝わり落ちる水滴だった。
「カホちゃん大丈夫っ!?」
「あたし、……生きてるんだ」
くぐもって聞こえる自分の声に内心驚きながら、カーシュと同じく自分もずぶ濡れになっていることに気付いて、急に寒さが襲ってくる。
「よかったー。カホちゃん、目を覚まさなかったらどうしようとか思っちゃったよ」
カホーナは起き上がろうと思ったが、冷え切った身体は思うように動かない。外されたマントが丸められて、
枕代わりに頭の下に置かれていた。そのまま頭だけを動かして辺りを見回す。
どうやらここは自然にできた地下水路のようだ。巨大な空間は、暗いこともあって天井までどれくらいの距離があるのかすらわからない。
こんな場所の真上に屋敷があって、よく落ちずにいるものだ、と感心してしまったカホーナは、自分の呑気さに自嘲気味な笑みを浮かべる。
横を流れる水路は、水路というよりも小さな湖ほどあり、落ちた時に岩や何かにぶつかっていないところを見ると、結構な深さがあるのだろう。
その周囲に細く連なる僅かな陸地に、カホーナは横たわっていた。
そばには小さな焚き火が暖かな柔らかい光と熱を周囲に放っている。
そのまま視線を巡らせ自分の足元の方に目を向けた時。すぐそこに見えたのは、自分の胸が形作る2つの隆起の間に置かれたカーシュの手。
どこにそんな力が残っていたのかわからないが、カホーナは昆虫のようにズササッと後へ下がり、自分を抱きしめるようにして胸元をかばう。
「ひっ、人が意識がないのをいいことにっ、む、む、─── 身体触るなんて、卑怯じゃないっ!?」
カーシュは真っ赤になってうずくまるカホーナと、地面に向けて伸ばされた自分の手を交互に見つめて、
「わっ、ち、違うって! カホちゃん、水をいっぱい飲んじゃったみたいだから、吐き出させようとしてっ!
そんな、変なことしようとしてたんじゃないってっ! おれがカホちゃんにそんなことできるわけないでしょ!?」
大慌てのカーシュは、ぶんぶんと両手を振って、力いっぱい否定する。
「本当、でしょうね?」
「ほんとだって! ホントにカホちゃん、いっぱい水吐き出したんだよ」
ジト目で問いただすカホーナに、カーシュは拳を握り締めて力説する。
「じゃあ、そういうことにしときましょ」
「ちぇっ、信じてないくせに─── それならホントに触っとけばよかったよ」
唇を尖らせて、悔し紛れとはいえ、とんでもないことを小声で口走るカーシュ。
「はい?」
「いえいえ、なんでもありませーん」
カーシュは地面に落ちていた小さな木屑を拾い上げると、地下に広がる湖面に向かって投げ入れた。
「さてと、ここから脱出しますか」
「それより、先に着替えた方が良くない?」
自分を抱きしめるようにしてうずくまるカホーナが、震えながら訴える。
「んー、でも、この先で1ヶ所水に入らなくちゃ進めないとこあるよ?」
「えっ、カーシュ、この場所知ってるの!?」
「たぶん。昔遊んだのがこの水路ならね。水の流れに沿って行けば、西の洞窟に出るはずなんだけど」
「あ、それで木屑を?」
「うん。向こうに流れてったから、たぶんそっちが出口。それに、こんな水しかないところに木屑、ってことは誰か人が入ったことがあるってことだしね」
自信満々に言い放つカーシュを、カホーナは目を丸くして見つめる。
「えっ、どうしたの、カホちゃん」
「あ、ううん。珍しくカーシュが頼もしく見えるなー、と思って」
「珍しく、って── ひどいなぁ。じゃあ、いつもはおれが頼りないみたいじゃない?」
後頭をわしわし掻きながら、カーシュは拗ねたように口を尖らせる。
「あれっ、違ったっけ?」
さっきのお返しとばかりに、カホーナが意地悪くニヤリと笑う。
「うわ、カホちゃんってば意地悪さんだなぁ。もうちょっと頼ってよ〜。おれだって男なんだしさ〜」
── それは痛いくらいわかってる。だって、いつも迷惑かけてばかり。頼ってばっかりだもの。
「カホちゃん?」
下唇を噛んで膝に置いた拳を握り締めるカホーナの顔を、気遣わしげにカーシュが覗きこむ。
「な、なんでもないっ。風邪引いちゃう前に、ここを出るわよ」
カホーナは勢いよく立ち上がったものの、寒さでこわばった身体がいうことを聞かず、よろけて倒れそうになる。
咄嗟に出されたカーシュの手に掴まり、倒れこむことだけは防げたが、足元はおぼつかないままだった。
「行こう」
すがるように掴まっていたカホーナの手を持ち替えると、そのまま手を引いてカーシュは歩き出した。