■Romance Quest【11】
「魔法戦士とプリーストとは、また珍しい取り合わせだな── っておい、お前さん、カーシュか?」
ボサボサの髪をひとつに纏め、無精ひげを生やした男が、火の消えた紙巻タバコを下唇に張り付かせたまま、ぽかんと口を開けている。
「久しぶり、カナやん♪」
「いいのか、こんなところにノコノコやってきて。お前さんが街を出てから大騒ぎに───」
「あーっ、その話はいいんだってっ! それよりさっ、カナやんに聞きたいことがあるんだけど」
無精ひげの男の言葉に大慌てで割り込むカーシュ。
家の中に招き入れられると、そこらじゅうに染み付いたタバコの臭いが漂ってきた。
「ほぅ。女連れで凱旋して、プリーストに仮装したカーシュクルさんが、しがない教師の俺に何を聞きたいんだ?」
そう言うと、男はカーシュの後に立っていたカホーナにちらりと視線を動かす。
「あ、この子はカホちゃん。訳あって一緒に旅してるんだ。んで、こっちはカナやん。おれの魔術学院の頃の先生なんだ」
カーシュが初対面の2人をこれ以上ないほど簡単に紹介する。
「カホーナ=ヒノレックです。夜分にお邪魔してすみません」
「ヒールス=カナジュワスだ。お前さんも大変だな、こんなヤツと旅するハメになっちまって」
「あ、あははっ」
昼過ぎにフォレストスクウェアに着いたものの、カーシュの変装が見破られないとも限らないということもあって、人通りが少なくなるまで
街の外で時間を過ごした。
この街のどこに《主教》が居るのかあてはなかったが、フロントセイモーンの寺院の受付嬢の話から推測するに、寺院あるいは《主教》個人は、
フォレストスクウェアの魔術学院と交流があるらしい。受付で口から出任せで魔術学院の話をしたものの、実際にはそんなものはない、なんてことに
ならなくてよかったと、今さらながらにカホーナは胸を撫で下ろしていた。
そして、カーシュが以前在籍した魔術学院の教師から情報を得ようと、日が落ちてからカナジュワスの自宅へと赴いたのである。
「この街に今、フロントセイモーン寺院の《主教》ってやつが来てるって聞いたんだけど。カナやん、そいつのこと何か知らない?」
男の独り暮らしらしく、通された殺風景な部屋には必要最低限の家具しか置かれていない。物が散らばっているわけでもなく、
かえってすっきりして清々しいほどだった。
部屋の中央に置かれたテーブルに落ちついて、カナジュワスの入れてくれた熱いハーブティーをすすりながら、カーシュが切り出した。
「は? お前さん、本気で言ってるのか? ……まあいい。南の外れに大きな洋館があるだろ。そこへ行ってみろ」
「……南の、洋館──?」
首を捻っているカーシュに、カナジュワスは軽く笑みを浮かべる。
「行けばわかるさ。で、これからどうすんだ? 今のお前さんに宿は取れんだろ。うち泊まってくか」
「いいの!? カナやんっ。助かるぅ♪」
「あいにく俺は淋しい独り暮らしでなー。ベッドはひとつしかない。俺はあのソファーで寝るから、お前さんはその辺で適当に転がっとけー」
「えーっ」
頬を膨らませるカーシュを、カナジュワスは意地悪げにニヤリと笑って横目で眺め、新しいタバコに火を点ける。
「そ、そんな、急に押しかけたのに、申し訳ないですっ! 泊めてもらえるだけで──」
「一緒に床に転がる方がいいのか? ほぉ〜、お前さんたちゃ、そういう仲なのか?」
カナジュワスがふぅーっと青白い煙を吐き出した時、ランプの芯がジリと音を立て、炎が揺らめいた。
「ちちち違いますっ!」
「か、カナやんっ!?」
真っ赤な顔で力いっぱい否定するカホーナと、同じく真っ赤な顔で大慌てするカーシュに、カナジュワスはフッと笑って、
「はははっ、本気にしなさんな。ちょっとからかってみただけだよ。いやいや、若いっていいよな〜」
カナジュワスはカホーナに向かってクイクイっと手招きすると、ひとつの扉を開いた。
「カホーナ…だったな。お前さんはこの部屋を使ってくれ。ちとばかしタバコ臭いかもしれんが、そこはまあ勘弁してくれな」
「おっさん臭いの間違いだろ、カナやん」
ふくれっ面のカーシュの憎まれ口にカホーナが思わずクスっと笑う。
「お前さん、追い出されたいのか? お前さんも笑うなよ〜」
カーシュとカホーナを交互に見やって、カナジュワスはガックリと肩を落とす。
「じゃあ、遠慮なく使わせていただきます。おやすみなさい」
にっこり笑ってお辞儀をすると、カホーナは寝室へと姿を消した。
カホーナが閉めた扉の音の余韻が消えた頃、カーシュの耳元に顔を近づけカナジュワスが囁く。
「いい娘(こ)じゃないか。お前さん、どこで引っ掛けた?」
「かっ、カナやん〜っ、そんなんじゃないって言っただろ?」
「ま、どういう経緯かは知らんが、大事にしてやれや」
「うん、もちろん♪」
カーシュはこれ以上ない程の笑顔で、カナジュワスに頷いた。
* * * * *
蔦が煉瓦造りの壁面をびっしりと覆い尽くし、白い窓枠が緑の中にくっきりと浮かんでいる。
幻想的なような、不気味なような。
目的の洋館は、フォレストスクウェアの街の南の外れに、その大きさとは裏腹にひっそりと佇んでいた。
一晩をカナジュワスの家で過ごしたカホーナとカーシュは、出勤するカナジュワスと共に魔術学院へ赴き、しばらく待たされた。
どう都合してくれたのか《主教》に面会を求める学院からの正式な文書をカナジュワスから受け取り、この洋館を訪れたのだった。
もちろん怪しまれないために、カーシュはプリースト姿になっている。
ただしフード付きマントは、動きにくいから、という理由で身につけていない。
重々しい大きな扉に付けられたドアノッカーにカホーナが手を伸ばす。ガーゴイルが大きな輪を抱えているデザインの不気味さに
一瞬ためらうが、意を決して高らかに打ちつける。
「─── はい」
扉が開いて出てきたのは、無表情なひとりの女性。濃いブルーの質素なロングドレスに、首から掛けた白い布が身体の前に垂れている。
どこの寺院でも見られる女性神官のいでたちだった。おそらく《主教》の静養にお供してきた神官のひとりだろう。
「あ、あの、魔術学院から参りました。主教さまにお目にかかりたいのですが」
そう言ってカホーナは持っていた魔術学院の紋章の封蝋が押された封筒を差し出す。
女性神官は焦点の合っていないらしい眼を封筒に向けると、表情を変えることなく受け取り、
「わかりました。こちらでお待ちください」
大きく扉を開いて、ふたりを中へ招き入れた。
通された部屋はこじんまりした応接間だった。こじんまり、といっても一般の民家の一部屋とは比べ物にならない広さはある。
趣味のいい応接セットが置かれ、大きな窓から入る日差しで、明るく暖かな室内。外から見た時のような陰気な雰囲気はない。
どこから聞こえてくるのか、甘やかな調べが流れ、油断すると眠ってしまいそうなほどの居心地の良さだった。
「ねえカーシュ。さっきの神官の様子、変だと思わない?」
「うん、なんかこう無愛想っていうか陰気っていうか、── 気味悪い感じだよね」
小声ではあったものの、奥の扉が開いて女性神官が現れたために、ふたりとも慌てて口をつぐんだ。
現れた神官は、玄関で会った神官とは別の人だったが、その表情は全く同じ。
仮面をかぶったような無表情さに、カホーナは背中に寒さを感じた。
「カホーナ=ヒノレック様、こちらへどうぞ。主教さまがお会いになります」
学院からの手紙にカホーナの名前が書いてあったのだろう。急に名前を呼ばれてドキリとする。
神官は無機質な調子で面会許可を告げ、開いた扉から一歩下がり、道を開けた。
カーシュと顔を見合わせて、こくりと頷くと、カホーナはソファーから立ち上がった。
女性神官に促されて入った部屋は、今までいた応接間の10倍以上あるらしい大広間だった。高い天井に、椅子もテーブルもないただ広いだけの空間。
入口から伸びる大人ふたりが両手を広げた程の幅の豪華な絨毯の先、部屋の一番奥の数段高くなったフロアに置かれた
背もたれの高い椅子にゆったりと座る青年の姿があった。
カホーナはゴクリと唾を飲み込むと、隣のカーシュの貫頭衣をくいっと引っ張り合図をして、部屋の中央まで進み出る。
「おやおや、学院からのお客様というから誰かと思えば………」
宗教家らしい甘ったるい声が広間に響き渡る。
年の頃は自分やカーシュとほぼ同じ。どうやらこの人物が歳若い《主教》らしい。
女性と見まごうばかりの端麗な顔に、紫煙のような艶やかな長髪を身体の前で緩くひとつに結わえ、組んだ足を斜めに流し、
その華奢に見える身体をゆったりと椅子の肘掛に預けている。真っ白い生地に金糸の刺繍が施された高位の神官の衣装が良く似合っていた。
カホーナとカーシュが足を止めるのを待っていたかのように、《主教》が口を開いた。
「君だったとはね───── 久しぶりだね、カーシュ」
その言葉に、カホーナは頭ひとつ高いカーシュの顔をガバッと振り仰ぐ。同時にカーシュもカホーナに視線を落とす。
『知り合いなの!?』と必死に眼で訴えるカホーナに、カーシュは顔色を変える事もなく、再び《主教》に視線を戻した。
「えと───、誰だっけ?」
頬をポリポリ掻きながらのカーシュの言葉に、カホーナはずるりと身体を滑らす。
《主教》は気に障った様子もなく、その口元に笑みを湛えている。しかし、その眼は口元とは裏腹に、鋭く冷たい光を放っていた。
「フフッ、『忘却は哀しい罪』と言うけれど、本当に哀しいものだね。それも仕方ないかもしれないな。幼い頃のことだものね」
カーシュはしばらくの間、手を頭に乗せたり、腕を組んだり、手を腰に当てて俯いたり、色々なポーズをしていた。
どうやら、脳細胞を総動員して記憶の糸をたぐり寄せているのだろう。
「あ、もしかして………アズーム? アズーム=ユノークス!?」
「思い出してくれて嬉しいよ、カーシュ」
「うわあ、《主教》ってアズームのことだったのかぁ。ドキドキして損しちゃったよ〜」
旧友との再会に顔をほころばせるカーシュに、アズームはさっきまでの冷たい眼の光を隠して微笑む。
「そっかぁ、うん、なんかこの家に見覚えがある気がしてたんだよな。おれ、何度か遊びに来たよね、ここ。
あー、胸のモヤモヤが取れて、すっきりした感じ!」
カホーナはその会話にじれったさを感じて、ほけほけと和んでいるカーシュのマントをグイっと引っ張る。
「それでさ、あの時さー」
「カーシュ、感激の再会はこれくらいにしておこうか。隣のお嬢さんが、うずうずしているようだよ」
クスクスと笑うアズームに突然話を振られて、カホーナはギクリとして一瞬身を固くする。
「何か僕に聞きたいことがあるんじゃないのかい?」
相変わらずゆったりと椅子に座り、静かな優しい微笑を湛えてアズームが問いかける。
その微笑とは裏腹な『何も聞かずに帰ったほうがお前の身の為だ』という脅しの雰囲気のこもった問い方だった。その雰囲気に呑まれないように、
カホーナは下腹に力を入れ、極力低い声を出そうと決めた。
「はい。── 主教さまは《ヴァイオリン・ロマンス》ってご存知ですよね?」
アズームの眼がスッと細められ、再び冷淡な光が宿る。口元の笑みはそのままで。
カホーナは表情のない女性神官に感じたような戦慄をアズームの眼に感じ、吹き出した冷や汗で湿った手のひらをマントの下でそっと拭った。
「それから──、『心』を研究されているとか」
カホーナのその一言に反応したのか、アズームが衣擦れの音を立てて椅子から立ち上がる。その優雅な身のこなしとは裏腹に、
何か強い圧力のようなものを感じて、カホーナは思わず身構えた。