■Romance Quest【10】 火原

 突然肩を揺さぶられ、カホーナは目覚めた。
「カホちゃん、起きて。囲まれた」
「へっ!? な、何にっ!?」
 煌々と燃えていた焚き火は踏み消され、辺りは真っ暗だった。たぶん、カホーナが眠りについてから、それほど時間は経っていない。
 暗闇でカーシュの表情は見えないが、カホーナの肩を掴む手から緊張が伝わってくる。じっと耳を澄ますように佇み、 おそらく周囲の気配を探っているのだろう。
「ゴブリンが20匹ほど。たぶんここはあいつらの縄張りだったんじゃないかな」
「えふがっ」
 えーーーっ、と大きな声を上げようとしたらしいカホーナの口を、すかさずカーシュの手が塞ぐ。
「静かにっ! ゴブリンくらいたいしたことないから。それより逃げるよ」
「ど、どうやって!?」
 さすがにカホーナも低い声で囁く。
「おれが目くらましの光を打ち上げる。あ、その時、カホちゃん目を瞑っててね。そしたら街道の方── あの木とその木の間に雷の魔法打ち込んで。 直後にそこに突っ込んで、街道まで逃げ切る。いい?」
「── わかった」
 カホーナはゴクっと音を立てて唾を飲み込むと、こくりと頷き了解する。
 ふたりはすっくと立ち上がると、腰のケースを撫でて楽器をその手に出現させた。
「いくよ?」
「お、おっけーっ」
 カーシュはトランペットを天に掲げ、カホーナは弦の上に弓を乗せる。
「ブリランテ・フラッシュっ!」
「ストレット・ライトニングっ!」
 強烈な光が辺りを白く染め、一瞬の間を置いて雷光が木々の間に炸裂する。
 ウギャウギャと騒ぎまくる気配を後に感じながら森を走り抜ける。途中、何か柔らかいモノを踏んづけて、むぎゅっ、とか言ったような気もするが、 カホーナは気にしないことに決めた。

 街道に躍り出て、肩で大きく息をする。吹き抜ける夜風が、汗ばんだ身体を冷ましていくのが心地よかった。 耳を澄ませば、森の中で微かなざわめきを感じるが、今いる街道はしんとして、僅かに虫の声が聞こえるのみ。
 再び大きく深呼吸し、必死で走りながらも頭の片隅で考えていたことをざっとまとめあげる。
「カホちゃんっ! 大丈夫だった!?」
 静寂を破るように、カーシュがばたばたと駆け寄ってくる。暗闇の中、立ち並ぶ木々を避けながら逃げているうちに、 街道に出た時には少し離れた場所に行き着いたらしい。
「あー、びっくりした。あんなにゴブリンに囲まれたら、さすがに驚くよね。あいつらってさ、おれたちの膝よりちょっと大きいくらいなんだけど、 群れになると結構凶暴なんだよね。あれくらいの数なら倒せないこともないけど、そんなちっちゃなやつら、しばき倒すのも大人気ないっていうかさ。 でも2、3匹、メイジゴブリンが混じってたからさ、魔法で攻撃される前に逃げちゃおうと思って。 あ、メイジゴブリンってのは、ゴブリンがちょっとだけ進化して、魔法使えるようになったやつらのことね。 あー、でも、無事に逃げ切れてよかったよ」
 身振り手振りを交えながら捲くし立てるカーシュに、カホーナは少し前に決心したことを打ち明ける。
「カーシュ、ここからはあたしひとりでフォレストスクウェアに向かうから。ここで別れましょ。 今まであたしの旅に付き合ってくれて感謝してる。ありがと。じゃあね」
 一息でそう言うと、カホーナはカーシュに背を向け、マントを翻してすたすたと歩き出す。
「か、カホちゃん!? ちょ、ちょっと待ってよっ! まだ日の出まで時間あるって!」
「大丈夫よ。夜目も効いてきたし、月明かりだけで十分見えるわ」
「で、でもっ」
 ダダッとカホーナの前に回り込み、カーシュはカホーナの二の腕をがしっと掴んだ。
「放してよ。痛い」
 じっとカーシュの目を見つめて、冷ややかに言うカホーナに構わず、カーシュはその手を放さなかった。
「ごめんカホちゃん! むりやり野宿につきあわせちゃって。おまけに危険な目にも遭わせちゃって。 ごめん、謝る! ほんとごめん! だからそんなこと言わないでよ─── なんかおれって、いっつもカホちゃんを怒らせてばっかりだよな」
 珍しくシュンとするカーシュに少し心が動いたカホーナだが、今ここで折れる訳にはいかなかった。嘘をついてまで到着を遅らせようとするほど 嫌がっているカーシュに、これ以上迷惑をかけたくなかった。
 間近に迫るカーシュの顔から目を逸らし、
「別に怒ってなんかないわ。でも、このままフォレストスクウェアに行けば、カーシュは望まない結婚をさせられちゃうんでしょ。 それが気の毒だと思うから、ここで別行動しましょ、って言ってるの」
 冷たく突き放す言い方をしたつもりが、少し震えを帯びているのにカホーナは気付いた。しかし発してしまった言葉はもう取り戻すことはできない。
 自分の気持ちがささくれ立っているのが手に取るようにわかって、カホーナは苛立った。
「いや、それは─── 大丈夫! 出てくる時に『おれはまだ結婚なんてしません』って置き手紙残したし、 もしまた言ってきてもまた逃げればいいし、匿ってくれる心当たりもあるし─── って、あっ!」
 カホーナの突き刺すような視線に気付いて、今度はカーシュがカホーナから視線を外す。
「やっぱり本当なんだ、結婚話」
「あ……うぅ………」
 ── どうしてあたしはこんなにもカーシュの結婚話を気にしてるんだろう…。
 カホーナは浮かんだ考えを振り払うように頭を小さく振ると、ふぅと小さく溜め息を吐く。 掴む力の弱まったカーシュの手をひとつずつ自分の二の腕から外すと、前に垂れ落ちていた赤味の強い髪をファサッと後へ送り、 呆けたように突っ立っているカーシュの脇をすり抜けて先へと進んだ。
「……おれ…なんていうか……その……」
 カホーナはその歩みを止めず、カーシュとの距離はどんどん開いていく。
「── おれ、カホちゃんと一緒に旅していたいんだ!」
「!」
 カーシュの叫びにカホーナの足がぴたりと止まる。しばらくの沈黙。
「─────── もう野宿はやだからね」
「カホちゃんっ!?」
「まあ、あたしの剣術の腕もまだまだだし、魔法もこれからもっと覚えなきゃならないし。もう少しの間、カーシュに護ってもらおうかしら」
 背を向けたまま、カホーナは大きな声を張り上げ、再び歩き出す。
 ── あたしって素直じゃないな。『不安だから一緒に来て』って、どうして言えないんだろ。
「カホちゃん!」
 バタバタと追いついてきたカーシュは、カホーナに並ぶと歩調を合わせた。
 しばらくの間、沈黙のまま闇の中を歩いていたが、おもむろにカーシュが口を開く。
「ねえカホちゃん。もしかして……おれの結婚話に、やきもち、焼いてくれたとか?」
「なっ!?」
 あまりにもストレートなカーシュの物言いに、カホーナは言葉を詰まらせる。
 カーシュは鼻の頭をポリポリと指で掻きながら、
「そうだったら、おれ───、嬉しいな」
「………っ」
 カホーナは赤く染まった顔を隠してくれる闇に感謝しつつ、暗い街道を歩き続けた。

*  *  *  *  *

 野宿の一件以降、昼間は歩けるだけ歩き、夜に剣術と魔法の練習をすることにしてからは移動ペースが上がり、 フォレストスクウェアは目前となった。
 それまでにあちこちでファータに出会い、新たな楽譜をもらって、カホーナの弾ける曲=使える魔法のレパートリーも増えた。
 剣術の方も筋がよかったのか、ゴロツキひとり程度なら楽に倒せるほどになっている。

 フォレストスクウェアのひとつ手前の街、エントゥーランスに到着した。この街は芸術が盛んで、毎日のように催し物が開かれ、 1年中が祭のような賑やかな街だ。フォレストスクウェアと同じトリヴェータ地方に位置するこの街からは、 ゆっくり歩いても2日ほどで目的地に到達できるだろう。
 まだ陽は高かったが、ここから先に進んでもまた野宿になりかねないため、早々に宿を取る。
 夕食の時間にはまだ時間があったため、しばらく身体を休めようと、それぞれ確保した部屋へと引き取った。 マントを取って備え付けのデスクセットの椅子の背もたれに掛け、ベッドに腰掛けたカホーナはブーツを脱ぎ、さして効いてもいないベッドの スプリングを軋ませてごろんと横になる。
 お世辞にも綺麗とは言えないシミだらけの天井を見上げながら、ふぅーと溜め息を吐くと、カホーナは静かに目を閉じた。

 フォレストスクウェアに着いてしまえば、カーシュは身動きが取れなくなってしまう可能性がある。まあ、事は結婚話、家の人に捕まったからと言って カーシュの命に危険が迫るわけではないが、そうなれば自分ひとりで動かなければならなくなる。知らない街での単独行動、 ましてや悪の(と決め付けていいのかはまだわからないが)《主教》とひとりで対峙するのは、正直キツイ。 カーシュがどういう家の出なのか判らないが、縁談に肖像画のやり取りをするとなれば、そこそこの名家なのだろう。 腰に下げた剣の意匠も凝ったもので、庶民が持てるようなモノではない。街の名家なら、街の人たちに顔を知られている可能性が高い。 そうすると、街に入れば、カーシュが戻ったことはすぐに家の人の耳に入ると思っておいたほうがいいだろう。 カーシュが制限なしに行動できるにはどうしたら───。

 そんなことを考えながら再び溜め息を吐いた時、部屋の扉がノックされた。
「どーぞ」
 カホーナの返事と同時に、細く開けた扉からカーシュがひょこっと顔を覗かせた。
「ねえカホちゃん、街、見て回らない? あ、ごめん、寝てた?」
「ううん、考え事してただけ」
 起き上がることもなく、ベッドに横たわり目を瞑ったままでカホーナが答える。
「今、街の見物なんてしてる場合じゃないのはわかってるけど……気分転換も必要かな、と思ってさ。あ、カホちゃん、疲れてるんならヤメにしとくよ」
 申し訳なさそうにカーシュが頭を引っ込めようとした時、不意にカホーナの頭にひとつのアイディアが浮かび、ぱちっと目を開け、 身体を起こして脱ぎ捨てたブーツに足を突っ込む。
「カーシュっ! 街、行くわよ!」
 カホーナは椅子の背から取ったマントをバサッと音を立てて羽織ると、ぱちんと軽い音を立てて襟の金具に留めつけた。

*  *  *  *  *

「うわっ、おれ、こんなの似合わないって!」
 しばらくの後、宿のカーシュの部屋からカーシュの喚き声が聞こえてきた。
「そんなことないわよ。結構いい感じだってば」
「でも、絶対変だって!」
「いいの! 《主教》と話するまででいいんだからっ! この街でだって、元の姿で歩き回るのは危険なのよ。 この街とフォレストスクウェアは交流が盛んなんだから」
「うぅ──」
 カーシュはとうとう降参し、力なく椅子に腰を下ろした。
 ── この程度の変装で人の目を欺ければ、苦労はないんだけどね。
 苦笑しながらカホーナはそっと溜め息を吐く。
 カーシュの今の姿──前髪を後に撫でつけ、ライトアーマーを外した上から膝丈の地味なグレーの貫頭衣をかぶり、黒の太目のベルトを腰につけている。 肩からは床まで届くフードつきの黒いマントが垂れ、手には金色の環飾りがついた錫杖を持っている。
 椅子の背に頬杖をついてふてくされているの除けば、立派な僧侶(プリースト)が出来上がっていた。
 そう、ふたりが足を運んだのは、街の衣装屋。芸術の盛んなこの街には、芝居用の小道具や衣装を売る店が何軒か必ずあると気付いたカホーナが、 宿の主人から聞いた一番近い衣装屋から買ってきたものである。
「にしてもさぁ、もうちょっと綺麗な色のがよかったなー。オレンジ色とか」
「そんな派手な色の服着たら、目立ってしょうがないでしょ」
「あぅぅ……」
「ほらほら、あんまり頭振るから、髪乱れちゃったじゃない。もう観念しなさい」
 つかつかとカーシュの前に進み出ると、カホーナはうな垂れるカーシュの頭を両手で優しく起こし、少し乱れた撫で付け髪に櫛を通す。
「あ、そうだ! こういうのどう?」
「うわっ、カーシュっ!?」
 櫛を動かすカホーナの手首を、カーシュがいきなり掴む。 『カーシュの髪って、結構柔らかいんだな』などと考えながら髪を梳いていたカホーナの鼓動が一瞬跳ね上がった。
「ねぇねぇ、こんな小細工しないでさ、一緒におれん家行こうよ。で、『おれはこの人と結婚することに決めたから、 他の縁談持ってきてもダメだよ』って堂々と出て行くの。これ、どう?」
「ななななななななにバカなこと言ってんのよっ!? そんなことできるわけないでしょっ!?」
「どうして? いい考えだと思うんだけどな」
 顔どころか耳まで赤くして、カホーナはカーシュの手から逃れようと暴れるが、カホーナの手首を握るカーシュの握力は弱まることはない。
「却下っ! そんなウソ、すぐにバレちゃうし、それに── それにもし、さあ今から結婚式、とかなっちゃったりなんかしたら、 カーシュどころかあたしまで身動き取れなくなっちゃうじゃないっ!」
「そうなったらそうなったでさ、結婚式が終わってから《主教》のところに乗り込むってのは?」
「なんであたしとカーシュが結婚式挙げるのっ!?」
「なんでって─── あっ」
 ニコニコととんでもないことを言ってのけるカーシュに、握り締めた拳を震わせながらカホーナが叫ぶ。
 自分が口にした言葉の意味にやっと気付いたカーシュの顔がみるみる赤く染まっていく。
「そ、そうだよね。ご、ごめん、カホちゃんっ! おれ、とんでもないこと言っちゃって──」
「あたし、部屋でヴァイオリンの練習するから。─── あたしも怒鳴ったりして…ごめんなさい」
 カーシュと目を合わせることなく、カホーナはカーシュの部屋を後にした。
 残されたカーシュはうぅと唸りながら、後頭をワシワシと掻き続ける。せっかくカホーナが撫で付けた髪は、すっかり乱れきっていた。

〜つづく〜