■Romance Quest【09】
2日後。
カホーナとカーシュは、リューの家を訪れていた。
あの後、捕らわれていた廃屋で聞いたことをカーシュに話した。明日になったらすぐ出発する、というカホーナに、
今からが大変なんだから、とカーシュは翌日丸1日は動かず休養を取らせた。
廃屋に転がされて埃まみれになったワインレッドの上着から、深緑の上着に取り替えた。
カーシュが拾ってくれた髪飾りは、なぜかぱっくりと割れていて使えなかった。たぶんファータたちがカホーナの目印になるように
そうしたのではないか、とカホーナとカーシュの意見は一致した。代わりもないので、髪は結い上げずにそのまま下ろしている。
心機一転、気力も充実、体力もなんとか大丈夫。
そして今日、この街を経つ前にリューに礼を言いたいのと、ついでに《主教》という人物について何か聞ければ、と訪問したのである。
「ま、無事でよかった。その…なんだ…、悪かったな。俺がちゃんと送ってればこんなことに──」
「ストーップっ! あたしもホケホケ歩いてたのが悪かったの。それに、助けに来てくれたじゃない? ほんと感謝してる。
なんか借りひとつって感じかな。って、返せる当てはないけどね〜」
カホーナは、つい先日あんなひどい目に遭ったとは思えないほどの笑顔で、カラカラと笑い飛ばす。
リューはカホーナのその様子に安心し、フッと笑いを零すと、
「それだけ元気なら大丈夫だな。『借り』とか考えんなよ。お前が無事目的を達すればそれでいいから」
「うん、ありがとう」
満面の笑みのカホーナに、リューはほんの少し顔を赤らめ、前髪をくしゃりと掻き上げた。
「それで《主教》って人にはどこに行ったら会える?」
しばらく取りとめのない話をした後、カホーナが切り出した。
「ここから北東へ向かうと城がある。その北側に宗教施設がかたまってるんだ。その中央の大きな寺院にいると思うぜ」
「そっか、じゃ、これから行ってみよっか。リュー、いろいろありがとね」
「あ、ちょっと待ってくれ」
カーシュを促して席を立ったカホーナを、リューが引き止め、奥の部屋へと入っていった。戻ってきたリューの手には1冊の本。
「これ、持ってけよ。見返したい時もあるだろ」
その本は、《ムジーク・コンクレスト》について記述された本だった。
「えっ、でも、これって大事なものじゃ……」
「やるわけじゃねぇよ。すべて終わって、暇になったら─── 返しに寄ってくれ」
カホーナが意見を求めるように見たカーシュは、黙って頷く。
「うん。じゃあ、ありがたく借りていくね。じゃあ、またね!」
「ああ、またな」
リューに見送られ、カホーナとカーシュは寺院へと向かった。
* * * * *
「すみません、こちらの主教さまにお目にかかりたいのですが」
「面会のお約束はなさってらっしゃいますか?」
「いえ、してませんけど…」
寺院もやけに事務的になったもので、入口を入ってすぐに受付があり、若く美しい女性に事務的な笑顔で迎えられた。
重々しい雰囲気の図書館と違い、寺院の佇まいは繊細さを感じさせるものだった。ところが、一歩中に足を踏み入れてみれば、
豪華な調度品が所狭しと並べられ、お金持ちの商人の自宅かのような煌びやかさだった。
その上、美人の受付嬢、となると、本当にここが民衆の心の拠り所になり得るのか、疑いたくなってくる。
もしも、カホーナをさらった男たちの会話が本当の話なら、《主教》は相当の悪人に違いない。
自分たちのいつもの格好では警戒されるかも知れないと、カホーナはマントと短剣を外してしまいこみ、
カーシュは剣とライトアーマーを外して、この街で調達したケープを肩に掛けている。
「やっぱり約束してないと、お会いできません?」
「ええ、お忙しい方ですので……」
「あ、あのっ、こちらの主教さまって、以前魔道士だったと聞きましたけど?」
「…ええ、そのように伺ってますけど」
受付嬢の笑顔が、訝しげな表情に変わった。
「あの、どのようなご用件ですか?」
「あ、えと、あの、── あ、あたしたち、フォレストスクウェアの魔術学院の生徒なんですけど、
今、『魔法の威力と信仰の深さの関連についての考察』っていう研究レポートを書いてるんです。
で、こちらの主教さまが魔道士から聖職者におなりになったと小耳に挟みまして、
何か参考になるお話をお聞きできればありがたいな〜なんて思って来てみたんですよ〜。あははははーっ」
「あら、そういうことでしたの」
苦しい言い訳だな、と思いつつ、頭に浮かんだ出任せを捲くし立ててみれば、受付嬢はあっさり納得し、営業スマイルに戻る。
ちらりとカーシュを見やれば、ポカンと口を開けて、頭上に『?』が浮かんでいるのが見えるような気がした。
「主教さまのお話を聞きにみえる学生さん、多いんですよ。本当でしたらご自身も学生の年齢でらっしゃるのに、
お若くして主教にまで登りつめられた方ですもの」
「まぁ、主教さまって、そんなにお若いんですか!?」
「ええ。お若くて、お美しくて、本当に素敵な方ですわ。…まぁ、神に仕えるわたくしがこんなことを言って」
受付嬢は主教さまを思い浮かべて、顔を赤く染めている。
「そんな素敵な主教さまなら、なおのことお会いしたいですわ♥」
カホーナは両手を握り合わせて、夢見る少女を目いっぱい演じてみる。
「あなたのお気持ちもわかりますけど、それは無理ですわ」
「えっ、ど、どうして!?」
「今、主教さまはご静養中ですの。ここ最近、お忙しかったものですから。故郷にお戻りなさいな」
「そ、そんなぁ……」
受付嬢はにっこりと笑っているが、カホーナはガックリと肩を落とす。
「ですから、今主教さまは、フォレストスクウェアでご静養中なんです。学院から面会をお申し出になれば、お会いになれるかもしれませんよ」
「あ、ありがとう!」
カホーナとカーシュは顔を見合わせて頷き合うと、居心地の悪い寺院を後にした。
* * * * *
「はぁーっ………フォレストスクウェアかぁ…」
「どうしたの? 珍しく溜め息なんて吐いちゃって」
《ヴァイオリン・ロマンス》を研究しているらしい《主教》が滞在しているというフォレストスクウェアへ進路を取って早5日。
故郷へ向かっているというのに、カーシュは浮かない顔をしている。
「あ、いや、何でもないよ。── そうだ、カホちゃん、ヴァイオリン聴かせてよ」
「今日は一日、先に進むんじゃなかったの?」
にぱっと笑っておねだりするカーシュに、カホーナは怪訝な眼差しを向ける。この5日間、半日はカホーナのヴァイオリンの練習と
剣術の稽古で、ほとんど距離を稼げていない。朝、出発する時には、今日は目一杯進もう、と宿を出たはずなのだが。
カーシュは道端に座り込み、にこにこ顔でカホーナの音を待っている。
「もう、しょうがないなぁ、1曲だけだよ。遅くなったら野宿になっちゃうんだから」
カホーナはベルトにつけたヴァイオリンケースをすっと撫でる。キラキラの光を纏ったヴァイオリンと弓が虚空に出現し、
カホーナの手の中で実体化する。
ヴァイオリンを構え、すぅーっと息を吸い込むと、目を瞑って弓を動かし始める。途端に、カホーナが紡ぐ音色が辺りを埋め尽くしていく。
確かに技術はまだ稚拙なものだった。しかし、その弦から生み出される、感情のこもった音はカーシュを魅了し、うっとりと聴き惚れた。
カホーナ自身、最近はヴァイオリン演奏が楽しくなってきていた。一刻も早くフォレストスクウェアに行きたいのだが、
カーシュにもう1曲、もう1曲、とせがまれているうちに、ヴァイオリンに集中してしまっていた。
「─── うあっ!」
はたと気付けば、カホーナを中心に人だかりができていた。みんな楽しそうな顔をして、惜しみない拍手を送っている。
恥ずかしさのあまり赤く染まった顔を俯け、ヴァイオリンを胸元に抱えて、カホーナは人だかりを掻き分け走り出した。
「あー、びっくりした」
荒くなった息を数度の深呼吸で整え、腰のケースにヴァイオリンを当てる。シュッと音を立ててヴァイオリンが吸い込まれたその時、
バタバタと足音を立てて、カーシュが追いついてきた。
「カホ…ちゃん……そんなに…力いっぱい……逃げ…なくても……」
膝に手を当てて、肩で息をしながら、切れ切れに言葉を搾り出すカーシュ。
「だって、あんなに人が集まってるなんて思わなかったんだもん! それに、もうお昼時だよ!」
確かに、上空の太陽は南天の高いところで輝いている。
「ごめん。だっておれ、カホちゃんのヴァイオリン、好きなんだもん」
「─── っ」
次の言葉が見つからずに口をぱくぱくさせているカホーナに、カーシュはニカッと笑う。
「それより、急ぎましょ。この調子じゃ、日が暮れちゃう」
カホーナはカーシュの腕を掴むと、フォレストスクウェアへの街道をさっさと進み始めた。
* * * * *
「はあぁぁぁぁぁぁっ」
焚き木がパチンと音を立ててはぜ、火の粉が暗闇に舞い上がる。
口の中の干し肉はもそもそとして、噛んでも噛んでもなかなか飲み下せない。途中の村の井戸で汲ませてもらった水を、水筒代わりの竹筒から
ぐびりと飲んで、口の中の肉を胃へ流し込む。
「はあぁぁぁぁっ」
再び、大きく深い溜め息を吐くと、カホーナは干し肉を持った手を膝の上に下ろした。
「やっぱり野宿になっちゃったじゃないのぉぉぉっ!」
「まあまあ。いいじゃない、たまには」
すでに干し肉の食事を済ませたカーシュが焚き火の中に、森の中で拾ってきた木切れをひょいっと投げ込む。ぶわっと火の粉が舞い上がり、
火の勢いが一瞬増して、辺りを明るく照らした。
半日をヴァイオリン演奏でロスしたふたりは、結局宿屋のある次の街に辿り着けず、街道から少し脇にそれた森の中で野宿することになった。
「あったかいスープ飲みたいっ! お風呂入りたいっ! ふかふかのベッドで寝たいっ!」
わめき散らすカホーナを無視して、カーシュは組んだ両手に頭を乗せて、ごろりとその場に寝転がる。
「もうっ! カーシュっ!」
カーシュは沈黙を守っている。時々パチパチとはぜる焚き火に照らされたカーシュの端正な横顔は、少し辛そうに見えた。
「カーシュ…?」
眉をひそめて名前を呼ぶカホーナにも答えず、カーシュは満天の星の瞬きを見つめていた。
「─── おれさ、初めて会った時、今の旅は剣の修行だって言ったじゃない? あれ、嘘なんだ」
「へっ?」
突然の告白に、間抜けな返事をするカホーナ。
「いや、修行でも観光でも、あたしは別に構わないけど……」
「なんかさ、いきなり縁談の話とか持って来られちゃってさ。それが嫌で飛び出しちゃったんだよね。
だって、全然知らない人と結婚するなんて、考えられないじゃない? 肖像画も見ないで放り出しちゃったよ」
「け……結婚っ!?」
思わぬ衝撃の告白に、カホーナはただ口をぱくぱくさせる。
「だから、故郷に戻るのが、なんか気が進まなくてさ。ごめん、だらだらしちゃって」
「── カーシュ……」
目を閉じて、カーシュは静かに呟く。
そういえば、自分にも旅に出る前にいくつかそんな話があったが、赤いビロードで装丁された肖像画を開きもせずにゴミ箱に捨ててしまったのだった。
「ごめん、カーシュ。あたしの旅に付き合うことになったばっかりに、故郷に戻らなきゃい───」
「なーんちゃってっ! ね、ね、信じちゃった?」
申し訳なさに俯いて、爪をいじりながら呟くカホーナの言葉を遮って、カーシュはガバッと起き上がってカホーナの顔を覗き込む。
「はぁ!?」
「だって、おれ、野宿好きなんだもん。カホちゃんにも野宿の楽しさ知ってほしくてさ〜」
── むかっ。
「火の番と見張りよろしくっ! しばらく経ったら起こして。見張り代わるからっ」
カホーナはあっけらかんと言うカーシュに頭に来て、焚き火に── カーシュに背を向け、マントにくるまって横になる。
しばらくの間は薪のはぜる音と、森の木々のざわめきしか聞こえなかった。イライラして寝付けなかったカホーナは、さっきのカーシュの言葉が
気になって、ちらりとカーシュを盗み見る。
顎を乗せた膝を抱えて、ゆらゆらと燃え立つ焚き火の炎を真剣な顔つきでじっと見つめているカーシュの横顔に、
カホーナは胸にチクリと小さな痛みを感じた。