■Romance Quest【07】 火原

「……い…いたた……」
 身体を起こして見ると、左腕や左の足に痛みを感じる。どうやら身体の左側を下にして落ちたらしいが、厚手のマントのお陰か、 さほどのダメージはなかったようだ。
「おい、大丈夫か?」
 左腕をさすりながら、カホーナの視線に入ってきた足を辿って上へと視線を移す。そこには本を数冊抱えた、 短髪の背の高い青年がカホーナを見下ろしていた。
「派手に落ちたな。ま、生きてるようで安心したぜ」
 カホーナはぱたぱたと身体をはたきながら立ち上がると、青年の手元を見つめる。
「そ、それ、あたしが取り出した本……って、普通、本より落ちてくる人を助けない!?」
「おいおい、ここの本は貴重なものばかりなんだぜ。関係者としちゃ、見ず知らずの人間より本の方が大事ってもんだ」
「あ…ごめんなさい……」
「いいって。本も無事だったしな。──これ、あの机でいいか?」
 青年は手にした本をカホーナが使っていた机の上にドサリと置いた。
 その音にもピクリともせず、隣の机に突っ伏して、カーシュはすやすやと寝息を立てている。
「うあ、やっぱり寝てる…」
「これ、お前のツレか?」
「あ、え…と、── うん、…一応……」
 親指で肩越しにカーシュを指しながら訊いてくる青年に、カホーナの返事は自然と濁る。
 プッ。
 見れば青年は口元を覆って、身体を折り曲げて笑っている。
「な、なにっ!?」
「はははっ、お前らのことか。ここ最近毎日通ってきてる剣士2人組みってのは」
 青年はまだ笑い続けている。
「なんなの!?」
「わりぃわりぃ。いやな、最近剣士2人連れが来てて、ひとりは鬼のような形相で本のページをめくり、もうひとりは机で突っ伏して寝てばっかり。 起きてる時は痴話喧嘩ばかりやってるって、事務所の中で笑い話…いや、噂になっててな」
「ち、ちわ……っ!?」
 青年は、事務所内での《噂》を思い出したのか、さらに笑い声は大きくなっている。
「ちょ、ちょっと、そんな大声で……っ」
「大声? ああ、心配すんな」
 ここが図書館内であることをはたと思い出したカホーナが、辺りをキョロキョロしながら青年の笑いを止めようとするが、青年は平然として、
「館内には空気の振動を抑える魔法がかかってるんだ。だから音は遠くまで届かない。そうだな、両手を広げたよりもう少し離れたら、 音はほとんど聞こえないはずだぜ」
「へぇ……なるほど………」
 そう言って、カホーナは夢の中を彷徨っているカーシュに視線を落とす。
 眠っていたとはいえ、あんな大きな悲鳴を聞いて駆けつけてこないなんて── そう思っていたが、音が届いていないのなら仕方のないことだ。 とはいえ、聞こえていたとしても目覚めてくれる保証はないが。

「何を調べてるのかは知らないが、探し物なら力になれると思うぜ。この列の本はほとんど把握してるから」
「ええっ! この本、全部読んだの!?」
「いや、全部じゃないけどな。どんなことが書かれてるかぐらいは一応。伝承とか神話とか、ちょっと興味があってな。 で、何の本を読みたいんだ? 明日までに揃えといてやるぜ?」
「ホント!? 助かるぅ♥」
 青年の思わぬ申し出に、カホーナは小躍りして飛びついた。
「で、何を探してるんだ?」
「うん、あのね、《ヴァイオリン・ロマンス》って知ってる?」
「…《ヴァイオリン・ロマンス》?」
 眉をひそめた青年の表情に、カホーナはがっくりと肩を落とす。
「あ…やっぱり………。じゃあさ、《ムジーク=コンクレスト》っていうカミサマ、聞いたことは?」
「ああ、それなら知ってるぜ」
 ダメもとで聞いてみた質問がヒットし、カホーナの顔がパッと輝く。
「お前ら、そんな昔に廃れた神様、追っかけてたのか」
「あ、まあ、いろいろあって」
 ふーん、と唸って青年が口を開く。
「うちのお袋が、昔その神様の司祭をやってた家系の生まれでさ。その関係の本が何冊かあるぜ。明日持って来てやるよ」
「今見たいの! お願い、急いでるの!」
 頭の上に手を当てて、困ったように沈黙していた青年は、両手を握り合わせうるうるした目で訴えてくるカホーナに、ついに根負けした。
「せっかちなヤツだな……まあいい、事務所にことわってくるから、ちょっと待ってろ」
 走り去る青年の後ろ姿に神を見たような気がして、カホーナは流れる嬉し涙を止めることができなかった。

「俺はリュータラス=トゥッティーラ。呼ぶときはリューでいい。長ったらしい名前だからな」
「あたしは、カホーナ。カホーナ=ヒノレック。一応、旅の魔法戦士。…戦闘経験はまだないけど」
「そうか、見た目は立派な戦士だがな。ははっ、悪い。俺はこの街で武道を教えてる。図書館へは週に2回、バイトに来てるんだ」
 歩きながら、互いに簡単な自己紹介をする。
「でも、いいのか? あいつ、あのままにして」
「いいのいいの。図書館が閉まるまでには戻るから。それに連れてきてもどうせ役に立たないし」
「はははっ、すごい言われようだな。ま、俺ん家なら何日通ってもらってもかまわないから」
「ありがとう! 助かっちゃう♪」
 2人は図書館から程近いところにあるリューの家を目指した。

*  *  *  *  *

「うわ、すっかり遅くなっちゃった…。急にいなくなって、カーシュ、怒ってるかな。やっぱ置き手紙とかすればよかったかも」
 リューの家で文献を読むのにすっかり夢中になってしまい、挙句の果てに夕飯までご馳走になってしまったカホーナは、 とっぷりと陽の暮れた街を宿へと急いでいた。
「うあ、また行き止まりっ! もうっ! ここどこよ!? なんでどこも似たような建物ばっかりなのーっ!」
 リューの家を後にする時、図書館か宿屋まで送るというリューの申し出に、来た道を帰るだけだから大丈夫、とひとりで出てきた。
「あー、やっぱり送ってもらえばよかった……」
 思いっきり迷ってしまい、めいっぱいの後悔の念を抱きつつ、何度目かの袋小路から元の道に戻る。
 その時、背後からいきなり腕を掴まれ、背筋に冷たいものが走った。
「きゃっ───ん゛ん゛──っ」
 後から手袋をはめた大きな手で口元を押さえられ、カホーナの頭はパニックに陥った。
 その手を逃れようと手足をばたばたするが、後に片腕を捻り上げられ、身動きが取れない。おまけに鼻まで押さえられているため息も苦しくなってくる。 その時──

 ボフッ!
「くはっ!」

 ぬいぐるみを叩きつけたような軽い音と共に、カホーナは腹部に衝撃を感じ、崩れ落ちる膝と共に、意識もそのまま闇に落ちていった。

*  *  *  *  *

「───さま、お客さま」
「ん……あれ…、おれ、また寝ちゃった? いてて、首、寝違えちゃったよ」
 カーシュは誰かに肩を叩かれ目覚めると、首筋をさすりながら辺りを見回す。
「あの…閉館時間です、お客さま」
「ごめんごめん、すぐ帰るよ。あれ? カホちゃん、どこ行っちゃったんだ?」
「あのぉ、お客さまが最後のおひとりですけど…」
 きょろきょろするカーシュに、起こしてくれた受付の女性が遠慮げに告げる。
「あのさ、おれと一緒にいた女の子、帰っちゃった?」
 怒って先に宿に帰ってしまったのかとも思い、確認のため女性に聞いてみる。
「ああ、あの方なら、夕方、うちのリューと一緒に外に出ていかれましたよ。なんでも彼の家にある本を見に行くとかで」
 例の《噂》のせいか、受付の女性はクスクスと笑っている。
「リュー?」
「ええ、週に2回、この図書館で働いている人です」
「そっか…。ごめん、そいつん家、教えてくれる?」
「あ、はい。地図お書きしますね」

 すでに陽は暮れ、街灯の明かりが点々と石畳の街路を丸く照らしている。煌々と明かりのついた家々からは、夕餉のいい匂いと 子供たちのはしゃぐ声が聞こえ、外を歩く人の姿はほとんどない。
 カーシュの手元には、図書館の受付の女性に書いてもらった地図が握られている。一旦宿に戻って、カホーナがまだ帰っていないことを確認し、 地図に書いてある通りに街路を進み、受付の女性がグリグリと丸印を付けてくれた場所── リューの家の前に来ていた。
「ここだな。── ごめんくださ〜い!」
 玄関の木の扉を拳で叩くと、扉が開いて、背の高い青年が現れた。
「こちらはリュータラス=トゥッティーラさんのお宅ですか?」
「リュータラスは俺だけど──あんたは……ああ、カホーナの……」
 思いがけない人物の来訪に、リューはこみ上げる笑いを噛み殺すのに必死だった。
「図書館で聞いてきたんだけど、カホちゃん、まだいる?」
 カーシュの質問に、リューの表情がにわかに曇る。
「宿に戻るって、もう随分前にここを出ましたけど…まだ戻ってないんですか?」
「うん、今、宿に戻ってみたんだけど、まだ…」
「まさか……」
「まさか、って、なに?」
 腕を組んで考え込んでしまったリューに、カーシュは妙な胸騒ぎを感じた。
「最近、若い娘が行方不明になったことが何度かあって…。彼女は魔法戦士姿だから大丈夫かと思ったんだが…」
「心当たり、ある!?」
「東に廃墟になった屋敷があって、そこに怪しい男たちが出入りしてるっていう噂が…」
「サンキュー。おれ、行ってみる!」
「あ、俺も一緒に行きます!」
 血相を変えて駆け出したカーシュを追って、リューも家を飛び出した。

〜つづく〜