■Romance Quest【06】 火原

 《ドロドロ》ファータ事件のあとは、これといって危ない目にも遭わず、順調な旅となった。
 カホーナもヴァイオリンの練習に励み、魔法も4つほど覚えた。
 1つ目は軽い爆発で相手を威嚇する、炎系の魔法。
 2つ目は弱い電撃で相手を痺れさせる、雷系の魔法。
 3つ目は防御障壁を張る、バリアの魔法。
 4つ目は軽い怪我を治療する、癒しの魔法。
 どれも初歩的な、知らないよりは知っていたほうがいい程度の魔法である。
 しかし、カホーナの苦労は相当なものだった。
 ヴァイオリンどころか音楽すらまともに志したことがないのだから。
 街道から少し入った広場で練習すれば、人が集まってきて慌てて退散し。
 宿で練習すれば、やめないなら即刻出て行けと宿の主人に文句を言われ。
 森で練習すれば、妙な音にいきり立った動物たちに追いかけ回され。
 間違って発動した炎魔法で森の木々を焦がし、木こりたちに怒鳴り込まれ。
 それでもなんとか、4つの魔法だけはスムースに発動できるまでになっていた。
 リリに渡された楽譜を弾きこなせるようになった時、頭の中でそのメロディを紡ぎながらヴァイオリンをひと鳴らしすると、 弓に魔力が蓄えられ、魔法の名前を言葉にすることでその魔力が解き放たれる、という仕組みらしい。 カホーナにとって、その『ひと鳴らし』が面倒くさいらしく、カーシュにトランペットと交換して!と駄々をこねたりもしたが、 どうやら楽器との相性があるらしく、カホーナが手にしたカーシュのトランペットから魔力が生み出されることはなく、 カホーナも仕方なく諦めた。

 もうひとつ、ヴァイオリンの特性もわかってきた。
 前の戦闘でカーシュがやって見せたように、ケースを縮小化した状態で表面を撫でると、ヴァイオリンを手元に出現させることができ、 ケースに楽器を触れさせると収納できる、という驚きの機能だ。とはいえ戦闘中、敵に『ちょっと待ってね♪』とケースから楽器を出してくるわけにも 行かないのだから、当然の機能だといえるだろう。
 あとは、魔法以外の機能。
 戦闘中、ヴァイオリン本体は、カホーナの左腕にピッタリと張り付き、アームガードの役割を果たすのだ。
 今後は再び戦闘になれば、なんとかカーシュの援護程度はできるだろう。

*  *  *  *  *

 レインシューウィッツを出発して12日目、2人はフロントセイモーンの街に到着した。
 大きな街道が集まるこの街は、交通の要所として栄えている。
 中央に王城がそびえ、そこを基点に放射状に伸びる街路に沿って、住宅地、商業地、文化施設、宗教施設などが きっちりと区画分けされていた。
 どうやら2人が入ってきた東門は、商業地ブロックの入口だったようで、目の前の通りには酒場や茶店、食料品の店などが並び、 さらに道を占拠するように屋根つきの露店が立ち並んでいる。

「よっ、こんちわっす!」
 一軒の露店の店先に立ったカーシュが、元気に挨拶する。
「おや、あんた、こないだ発ったんじゃなかったのかい」
「へへっ、おばちゃんに会いたくて、帰ってきちゃったよ」
「あらあら、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。これ、持ってっておくれ」
「やりっ。さんきゅ♪ んじゃ、またね〜」
 笑顔で店主に手を振るカーシュのもう一方の手には、おいしそうなフルーツいっぱいの紙袋。
「…知り合い?」
「うん、前に来たとき、あの店の果物を盗んだかっぱらいを捕まえたんだ」
「へぇ、すごい!」
「そんなことないよ。たまたま目撃しちゃったからね」
 カホーナは感心しながら、歩を進める。

「おっ、あんちゃん、まだいたのかい」
 店先で品物を並べていた雑貨屋のオヤジに声をかけられる。
「一回出発したんだけどね〜、訳アリで戻ってきたんだ」
「後の可愛い娘さん、どこで引っかけてきたんだい。あんちゃんも隅におけないねぇ」
「だっ…! そ、そんなんじゃないって!」
 豪快に笑う店主に、顔を赤らめ慌てまくるカーシュ。
「はっはっはっ、ま、あんちゃんは息子の恩人だ、次に発つまでには一度寄ってくれよな」
「うん、さんきゅ〜」
 うっすらと顔を赤らめて、カホーナが聞く。
「知り合い?」
「うん、あそこん家、男の子がいてさぁ。そこの川で溺れかかってたのを助けたんだ」
「うわっ、大活躍!? やっぱりすごいな〜」
「へへへっ、カホちゃんにそう言ってもらえるとうれしいかも♪」
 目指す場所はまだ見えず、2人は歩き続ける。こんなやり取りを幾度か繰り返しつつ。

「……カーシュ── さま…?」
 おずおずと声を掛けてきたのは、腰までの長いブロンドをザックリと三つ編みにした、清楚な雰囲気の可愛らしい女の子。 カホーナと同じくらいの年頃だろう。淡いピンクのエプロンドレス姿がよく似合っている。
「あ、きみかぁ。あれから大丈夫?」
「はい、お陰さまで。あの、少し前にお発ちになったと聞きましたが…」
「うん、ちょっと用事ができてさ。戻ってきたんだ」
「まぁ♥ 近いうちに、是非うちにお寄り下さいね。母も喜びます」
「うん、さんきゅーね」
 両手を胸の前で握り合わせ、うっとりとカーシュの顔を見つめながら話す少女に、軽く手を振り別れる。
「ね、ねぇ、今の人も知り合い?」
「うん、彼女、男たちに絡まれててさぁ。んで、ちょちょっと追っ払ってやったんだ」
 ふーん、と答えてカホーナは急に歩みを速める。

 街に入ってから、何人の人に声をかけられただろう。老若男女──圧倒的に若い女性が多いような気がするが。完全に《街の有名人》である。
 ── このヒトは、一体どんな旅をしてきたんだろう。この調子じゃ、どこに行っても知り合いだらけに違いない。 それに、あっちの街、こっちの街で、まだ生きているお祖父さんの《遺言》とやらにしたがって、 《困っている人》やら《女の子》やら《困っている女の子》やらを助けまくっているのだろう。 ── その耳に「おれがきみを護るよ」と囁いて。まあ、一緒にいるのは探し物をする間だけの相手のこと、自分が気にする問題ではないけれど。 でも、── なんでだろう。なんか─── ムカツク。
 湧き起こる感情を理解できないまま、マントを翻し、ブーツの踵を高らかに鳴らしながら歩いていく。
「うわっ、カホちゃんどうしたの!? ちょっと待ってよ!」
 追いかけるカーシュの声も耳に入らない。

んぶっ!

 カホーナは、前にあった硬いものにぶつかり、顔面をしこたま打ちつけてしまった。
「い…ったーいっ!」
 赤くなった鼻をさすりつつ目を開くと、そこにはにっこり笑顔のカーシュ。
 どうやらカホーナの前に先回りしたカーシュのブレストプレートに鼻から突っ込んでいったらしい。
「なっ───!」
 抗議しようと開いたカホーナの口に、カーシュが何かを放り込む。
「! ───……あ、甘い……」
「うまいでしょ、そのアメ。故郷の名産、フォレストベリーキャンディ!」
 カーシュが顔の横でつまんで見せているその飴は、蒼空を写し取ったような明るいブルーで、今、口の中に広がっている味からは想像できない、 不思議な色をしていた。
 舌の上で転がしてみると、甘さの中に爽やかな酸味が混ざり合って、絶妙な味を醸し出している。
「── おいしい…!」
「でしょでしょ♪ 甘いもの食べてる時って、なんかこう、幸せ〜って気持ちにならない?」
 そう言うと、カーシュはつまんでいた飴を、ポイッと自分の口に放り込んだ。
「あ、やっとカホちゃん笑った! ずーっとここにシワ寄ってたよ」
 自分の眉間を指しながら、カーシュが笑う。
 ─── あんたのせいだよ。
 カホーナは心の中で呟いて、カーシュの不意打ちに不覚にも微笑んでしまった顔から表情を消した。
「行くわよ」
 カーシュを置いて、歩き出す。
「どこに?」
「図書館に決まってるでしょ!」
 わけわかんないことを──、と振り返ったカホーナに、
「ここだよ、図書館♪」
 カーシュが指差している先に、巨大な石造りの建物── セイモーン王立図書館がそびえていた。

*  *  *  *  *

「う…わ…、うちのし── じゃなくて、うちの家よりおっきいかも……」
「あははっ、おれん家なんか、ここの受付くらいだよ」
 目の前に見える図書館の立派な石造りの建物は、まさに『そびえ立つ』といった大きさで、圧倒的な存在感を周囲に放っていた。 大人が3人くらいでやっとその胴に手を回せるといった太さの柱の上部には、女神か何かのレリーフが彫りこまれている。 壁面の窓は、蔵書に陽光が当たるのを防ぐためか、小さいものしかなく、それがさらに石の重さを感じさせていた。

 高い天井すれすれまである重い木の扉を押し開け、中に入る。
 その途端、埃とカビとインクの臭いが鼻にまとわりつき、思わずくしゃみが出そうになって、カホーナは顔をしかめた。
 入口正面にある受付で閲覧者名簿に名前を記入し、その横の壁に掛けてある館内案内図を見る。
「えーっと、《神話・伝承》は一番奥の通路ね」
 ジャンルごとに色分けされた館内平面図で、目的の本の納められている書棚の位置を確認し、2人は奥へと進んだ。

「……これ、全部調べるの?」
「……そう…かも…」
「うあ、おれ、無理そう」
「あうぅ、そんなこと言わないでよぉ」
 2人が見上げる本棚は、高い天井の一番上までぎっしりと本が詰まり、それが通路の奥までずっと続いている。 更にはそれが前と後にあるのだから、そこに並べられた本の総数は2人の想像の範疇を越え、眩暈すらしてくる。
「……と、とにかく、始めない?」
 カホーナは目線の高さに並んでいる本の中から、なんとなくそれっぽいタイトルのものを何冊か取り出していく。 カーシュもそれにならって数冊取り出すと、2人は窓際に置かれたデスクセットに向かった。

「ねえカーシュ、この記述ってちょっと怪しくな─── いぃーっ!」
 本の一文を指で示しながら、意見を求めようと横に顔を向けたカホーナが奇声を上げた。隣で文献を調べているはずのカーシュは、 開いた本を前に立て、それに隠れるようにカホーナの方に向けた顔を机の上に載せている。
「うっわ、この人、寝てるよ………」
 呆れながらも、カホーナはしばらくの間、カーシュの寝顔に見とれていた。
 ── へぇ、眠ってても綺麗な顔は綺麗なんだなぁ。うわ、まつ毛長いっ!
 うっすらと頬を染めながらそんなことを考えつつ、カホーナはカーシュの手元の本に目をやる。
 ── も、もしかして、その本って最初の1冊目!?
 すでにカホーナは10冊近くの本に目を通し終えている。急に怒りを覚えて、カホーナはカーシュの肩を揺さぶった。
「ちょっと、カーシュ! 寝てないでちゃんと調べてよ!」
 場所を考慮し小声ではあるが、強い語勢でカーシュを起こす。
「……あっ、ご、ごめん! おれ、寝ちゃってた!? うわぁ、やっぱり」
「やっぱり、って──」
「おれ、昔から、字を見てると寝ちゃうんだよね〜」
「開き直るなーーーっ!」
「わっ、ごめんっ! ちゃんと調べるから落ちついてっ! ねっ!」
「もうっ…」
 自分の席にすとんと腰を下ろし、カホーナは再び手元の本に視線を落とした。

 図書館から一番近い場所にある宿屋に部屋を取り、そこから図書館へ通う、という日が、もう5日も続いていた。 調べても調べても、あの膨大な蔵書の数の1割すらも調べ終えていない。
「こうなったら、目次を見て、それらしい本だけを調べるってことにしない?」
「…賛成」
「今日は寝ないでよね」
「……努力します」
 図書館に通い始めた翌日から繰り返されたセリフを付け加えると、本日の調査を開始した。

 しばらく経って、手元の本に目を通し終えたカホーナは、次の本を持ってこようと席を立った。隣のカーシュを見ると、 今日はなんとか寝ずに本に集中しているようだ。その姿に満足し、書棚の方へ足を向ける。
「そろそろ高いところにある本にも手をつけなきゃな…」
 そう決心すると、カホーナは書棚の前の所々に設置されている、天井から床までを橋渡しするような可動式のハシゴに登っていく。
 本の目次を開き、気になったものをピックアップしていく。
 数冊の本を手に、ハシゴから降りようとした時──
「ぅきゃあ───っ!」
 片手に持った重い本にバランスを崩し、カホーナはハシゴから落ちていく。スローモーションのように流れていく館内の風景の中に、 落ちる時にカホーナがばら撒いた本を次々と受け止めていく人の姿を見ながら。

〜つづく〜