■Romance Quest【03】
「──で、一体どいつが旅の仲間なのよっ!」
意気揚々と宿を出てから数時間。高かった太陽は既に傾き、辺りを茜色に染め上げている。
辺りの民家には明かりが灯り、あちこちから夕飯のいい匂いが漂ってくる。
カホーナは、公園のベンチに腰掛け、時々街道を通り過ぎる人々をぼんやり眺めながら、ひとりブツクサ文句を言っていた。
寂れた農村には場違いなほど整備された公園で、前は街道、両横は葉物野菜が青々とよく育っている畑、そして後には鬱蒼とした森が生い茂っている。
公園の入口には《レインシューウィッツセントラルパーク》という浮き彫りの入ったアーチ門が立ち、中央には申し訳程度の小さな噴水が水飛沫を上げ、
その噴水を囲むようにベンチがいくつも置かれている。
「バックに神様がついてるんだったらさぁ、『はい、この人が旅の仲間です』って連れてきてくれることくらい
簡単だろっつーの!」
さして広くもない村の中を歩き回って疲れきった足を前に投げ出し、一国の姫とは思えないような口調で文句を垂れ、深い深い溜息を吐く。
外見も名前も性別も、まるきりわからない人物を探し当てるなんて、無理に決まってる。まさか、ひとりひとり捕まえて、
『あなた、あたしと旅する人?』なんて訊いてまわるわけにもいかず。そんなことをすれば、一歩間違えば変人扱い、最悪お役所に突き出されかねない。
4、5日物見遊山で時間を潰してから城に帰ろう──
そんなことを考えていたカホーナの目の端を、見覚えのある《キラキラ》が横切った。
「リリ!?」
カホーナは《キラキラ》の残像を追って、森の中に足を踏み入れた。
森の中は薄暗く、下生えの雑草に足を取られてなかなか前に進めない。
あの《キラキラ》は森に入ると同時に消えてしまっていた。しかし、森の中へと誘われているような気がして、とりあえず先へ進んでみる。
時々こけそうになりながらも、森の木々にすがりつくようにしてしばらく進むと、少し先に開けた場所が見えてきた。
「助かった〜」
あまりの歩きにくさに辟易していたカホーナが、そこを目指そうと足を踏み出した時、その方向からなにやら話し声が聞こえてきた。
『────と共に───を探すのだ!』
「うん、わかった。じゃ、とりあえずここで待ってたら、その子に逢えるのかな?」
『そうなのだ! では、これを渡しておくのだ』
「さんきゅ〜! わっ、小さくなった! へぇ〜、便利だね〜」
『エヘン! これは魔法のトランクなのだ!』
あぐらをかいて地べたに座る青年─── 今は空を染める茜色と深い森の薄墨色のせいでよくは判らないが、
おそらく新緑のような明るい色の髪を、少し伸びて鬱陶しいのかうなじの上でひとつにまとめ、
遠目で見ても判るその端正な横顔には楽しそうな満面の笑みが輝いている─── の視線の先には、
見覚えのある4枚羽根がフワフワと浮かんでいる。
どこかで聞いたようなそのやり取りに眩暈を覚えて、カホーナはガックリと地面に膝をついた。
ガサッ!
「誰っ!?」
青年は、地についたカホーナの膝で下生えが発した音に気付いて立ち上がり、カホーナの方へ駆け寄ってくる。
「あれ…? きみ、もしかしておれと一緒に旅する子!? あっ! リリちゃんが言ってた通りの子だ!
うわっ、ほんとに逢えちゃったよ! どうしたの?こんなところでしゃがみこんじゃって。
草むしり……じゃないよね。あ、何か落としちゃった? おれも一緒に探そっか?」
カホーナを見つけて一方的に訊いてくる青年の能天気さに、カホーナの眩暈はますますひどくなる。
───あの状況をすんなり受け入れられる、あんたのそのデタラメな素直さがうらやましいよ…。
心の中で青年にツッコミを入れると、カホーナは足に力を込める。
立ち上がったカホーナは、パンパンッ、と膝に付いた草を手で払いのけると、青年の方に向き直り、
「ご心配おかけしました。じゃ、あたしはこれで」と、深々と一礼。ガバッと身体を起こして踵を返す。
「わっ、ちょ、ちょっと待ってよ!! 一緒に旅するんでしょ!?」
そのまま街道方面に向かって、ずんずんと歩を進めるカホーナを、青年が慌てて追いかける。
よほどの運動神経の持ち主なのか、青年は下生えをものともせず、あっさり追いつきカホーナの前に回りこむ。
行く手を塞がれ、仕方なく足を止めるカホーナの顔を見てにっこりすると、
「おれ、カーシュクル=ヒハーラッセル! みんなからはカーシュって呼ばれてる。きみは?」
「……カ、カホーナ─── カホーナ=ヒノレック」
勢いに押されて思わず答えてしまったカホーナに、カーシュはふ〜んと唸ると、考え込んでブツブツ呟き始める。
「……カホーナちゃん…、…カホナ……カホ……。うん、カホちゃんだ! よろしくね、カホちゃん!」
今まで『カホーナ様』『姫様』と呼ばれて育ってきた自分に対して新たに付けられた呼び名に、カホーナの肩がガクッとずり下がる。
相手は自分が一国の姫君であるなどとは知らないし、当の本人が姫らしくないのだから、仕方のないことではあるのだが。
「ねえきみ、この村の人じゃないよね? もう宿はとった? おれはね、昼前に着いてすぐに確保! きみはどこの宿?
あ、そっか、この村には宿は1軒しかないんだよね。ねえ、お腹減らない? おれは腹ペコペコ! あ、晩ご飯、一緒に食べていい?
おれ、ずっとひとり旅だったから、誰かと一緒のご飯って久しぶりなんだ。あ〜何食べよっかな〜。
ねえねえ、きみは食べ物、何が好き? おれはね、カツサンドが一番好きなんだ。あのソースがトロッとしみこんでて
レタスがシャキっとしてるのがたまらないんだよね〜。あー、考えてたらヨダレ出てきちゃったよ」
能天気全開で夕飯の夢を語り倒すカーシュに、カホーナは全面降伏した。
* * * * *
「んべ、《ばいぼびんぼばんぶ》っべばび?」
「口ん中いっぱいで喋られても、意味わかんないんですけど」
さして広くもない酒場は、仕事の後の一杯を楽しむ男たちで賑わっていた。
カーシュとの出会いの後、宿屋に戻ったカホーナは、一休みする間もなくカーシュに引っ張られて、宿に隣接する酒場で夕食を取っているのである。
カホーナの前には骨付き子羊肉のクリームソース煮込み、
カーシュの前にはレインシューウィッツ赤毛豚のロースト フレッシュトマトソース添えが置かれ、
湯気とともにいい匂いを立ちのぼらせている。中央にはタマゴとハーブ入りソーセージのオードブルがデンと構え、
その隣にはスライスされたライ麦パンが山盛りになったバスケットが見える。
ほぐしたチキンと野菜のサラダ、グリーンポテトのポタージュ、大きなカップに入った飲み物がそれぞれ2人分ずつ、ところ狭しと食卓を彩っている。
口の中いっぱいに豚肉やら野菜やらを詰め込み、くぐもった声で何かを訊ねてくるカーシュに、
視線も上げず、器用にナイフとフォークを動かしながら、カホーナは冷たく言い放つ。
「ぷは〜っ、ごめんごめん! おばちゃ〜ん!ハーブティーもう一杯ね〜!
あ、今訊いたのは、『で、《ヴァイオリン・ロマンス》って何?』なんだけど」
カーシュは冷たいハーブティーで口の中の肉を飲み下すと、厨房に向けてカップを振りつつ大きな声でオーダーし、
カホーナに向き直って質問を繰り返す。
「さっきリリと話してた時に、聞いてないんですか?」
「うん。聞いたのは、あの森で出会う女の子と旅をするってことと、貰ったトランクがちっちゃくなるってことくらいかな〜」
声をひそめるカホーナに対して、カーシュはごく自然に答えを返してくる。
「それで納得しちゃったんですか!?」
理解不能な返答に、ガタンと大きな音を立てて立ち上がり、ついつい出してしまった大声に、一瞬にして辺りの音が消滅する。
「うん。ダメ?」
───男が小首を傾げて、眼をウルウルさせてもカワイクなんかな……い…ことないかも…。
目の前の青年の整った顔に浮かんだ切なげな表情に、不覚にもドギマギしてしまったカホーナはハッと顔を赤らめ、思わず視線をそらしてしまった。
ふと気がつけば、酒を酌み交わしつつ陽気に談笑していた酒場じゅうの客たちの目が、立ち上がったカホーナに集中している。
ジョッキやグラスを口に運ぶ動作の途中で、時間が止まったように停止したまま。
「うっ……」
カホーナの顔の赤味がさらに増し、力なくストンと椅子に腰を下ろしたのを合図に時が動き出し、酒場の中に元の活気と喧騒が戻ってくる。
「……い、いいんですか、そんな怪しいヤツの言うこと鵜呑みにして旅に出ちゃって」
「あ、おれならどうせ旅の途中だったし。それにカホちゃんだって、こうやってここにいるじゃない?」
ナイフとフォークで皿の中の羊肉を切り刻みながら小さな声で言うカホーナに、カーシュはさっきの切ない表情は何処へやらの笑顔でそう言うと、
バスケットから取ったパンをひょいっと口の中に放り込む。
「うぅ──」
自分の場合は無理矢理放り出されて、仕方なくここに居るのだが──。
言ってもしょうがないような気がして、カホーナは言葉を飲み込む。
「と、とにかく、先に食事を済ませましょう。詳しいことは後で部屋で話します」
「おっけ〜♪」
一息吐いて落ち着いてみると、カホーナは昼食を取っていなかったことを思い出した。その途端、激しい空腹感に襲われて、
もの凄い勢いで食卓の上の料理を片付けていった。
* * * * *
「なんだ、結局カホちゃんにも何のことなのか、わかってないのかぁ」
ベッドに腰を下ろし、返す言葉もなく俯くカホーナに、備え付けの簡素な木の椅子の背もたれを抱くようにして跨ったカーシュが残念そうに呟く。
酒場で食事を終えて宿に戻り、たまたま入口から近かったカホーナの部屋で、リリと出会ってからこれまでのさして長くもない経緯を、自分の身分抜きで
さらに手短に語ったカホーナに対するカーシュの返事がこれである。
「それはそうと、カーシュさんってどういう人なんですか?」
「へっ? それ、どういう意味?」
突然、自分のことを聞かれ、カーシュは呆けた顔で訊き返す。
「だから、何処から来たとか、何の仕事してるとか、何の目的で旅をしてたとか──」
「あ、それって、おれがあんまりイイ男だから、おれのこと気になる、とか?」
一国の王女と共に旅をする相手の身元調査のつもりで訊いた質問に、カーシュは小さな子供が悪戯を思いついた時のような意地悪そうな笑みを浮かべる。
「ばっ…ちっ、違いますっ! もし…もしもカーシュさんが悪人だったら、一緒に旅なんて安心してできないじゃないですかっ!」
「えーっ、おれってそんな悪人に見えるぅ?」
「…そりゃ、見えませんけど…っじゃなくてっ、見た目だけじゃ良い人かどうかなんて判断できませんっ!」
「こんなにカッコイイのに?」
「知りませんっ!」
「それよりさ、『カーシュさん』ってのヤメにしない? 『カーシュ』でいいよ。あ、喋り方も『です』とか『ます』とかはナシね。
なんか他人行儀じゃない?」
「他人ですっ!!!」
思わず立ち上がり、怒りに顔を真っ赤に染め、枕を引き千切らんばかりに強く握り締めたカホーナを見て、カーシュはプッと吹き出し、
椅子の背もたれに顔を埋めて肩を震わせて笑っている。
「カーシュさん……もしかして、あたしのこと、からかってません?」
「バレた?」
上げた顎を背もたれに乗せて、いたずらっ子のようにペロッと舌を出す。
「カーシュさんっ!?」
「ごめんごめん。そんなに目をつり上げたら、せっかくの可愛い顔が台無しだよ。えっーと、おれのことね」
『可愛い』と言われて、お世辞だろうと思いつつも少し気分を良くしたカホーナが、優しく枕を抱えて硬いベッドに座りなおし、カーシュの話に耳を傾けた。