■Romance Quest【02】
薄く開いたカーテンの隙間から、朝の陽光が細く差し込んでくる。
うーん、と背伸びをひとつ。ベッドから降り、カーテンを端へ追いやり、窓を大きく開け放つ。
朝の爽やかな空気を肺いっぱいに吸い込んだ時、ドアをノックする音が聞こえ、カホーナは振り返った。
「ふわ〜い」
カホーナの間の抜けた返事を合図に、ドアが開いてメイドたちがわらわらと入ってきた。
「カホーナ姫様、お召し替えのお時間ですわ」
姫付きのメイドたちが、朝の着替えの準備を手際よく始めていく。
別に着替えくらい、自分でちゃっちゃとやってしまいたいのだが、姫というのはそうもいかないらしい。
カホーナも、この毎朝のルーティン作業を鬱陶しいと思いながらも、されるがままになるしかなかった。
何気なく、ひとりのメイドの動きを目で追っていたカホーナが、ある異変に気がついた。
いつもならクロゼットから数着のドレスを出してきて、その中から選んだものを身につけるのだが、そのメイドはクロゼットではなく、
部屋の隅に向かって歩いていく。
「???」
メイドは部屋の隅にあった例のトランクを運んでくると、手際よく蓋を開け、中身を出していく。
「えっ、ちょ、ちょっと、それっ!?」
メイドはニッコリ笑い、ワインレッドの服を手に歩いてくる。
「わっ……、きゃっ…、── ちょっと、………ひゃっ、やめっ──」
華奢な身体を包む、脛まである丈のワインレッドの上着は、腿の付け根辺りまでピッタリと身体にフィットし、
そこから左右と前後に切り込まれたスリットからは動くたびに黒いタイツの足が見え隠れする。
金糸銀糸の凝った刺繍が胸元を華やかに彩り、裾からスリットにかけても同じ金糸の縁取りが施されている。
肩には硬くも軟らかくもない不思議な素材の、手のひらを広げたほどのパットが仕込まれ、華奢な肩をいからせている。
腰には綺麗な細工がちりばめられた幅広のベルトが回され、そこからは鞘に収められた短剣がぶら下がり、
足元は上着と同じ色の膝下までのブーツ。髪はポニーテールに結われ、ベルトの細工と同じものが付いた髪飾りが付けられている。
そして首を守るように立つ上着の襟に金具で留められた、床まで届くマントが風になびく。
カホーナがきゃーきゃー騒いでいる間に、見た目は立派な《魔法戦士》が出来上がった。
メイドたちに引きずられるようにして謁見の間に赴き、玉座にゆったりと座る両親の前に跪く。
「うむ、カホーナ、よく似合っておるぞ」
「へっ!?」
『なんだ、その格好は!?』という声を期待していたカホーナの耳に、父王のその一言は無情に響いた。
「立派に使命を果たしてくるがよい」
「はぁっ!?」
満足そうな父と、にこやかに手を振る母を残し、そのままばたばたと城門まで引きずられ、
にこやかなメイドからトランクとヴァイオリンケースを手渡される。
「あ、あの……っ」
『いってらっしゃいませ!』
カホーナの目の前に整列し、一斉に頭を下げるメイドたち、父の側近たち、国の長老たちに屈し、
「…い、いってきます……」
カホーナはとぼとぼと城門を後にした。
城下のメインストリートを俯きがちに歩くカホーナの頭上には、民衆たちの投げ上げる紙吹雪やら花吹雪やらが舞っていた。
「うぅぅ、国じゅう洗脳されちゃってるよ……」
マントをなびかせ、涙を零しながら歩を進めるカホーナに、民衆たちの激励の言葉が降ってくる。
王都から伸びる街道をしばし歩き、後から聞こえる民衆たちの「カホーナさま万歳!」の声が微かになってきた頃、
カホーナは空を振り仰ぎ、大きな溜息を零す。
さっきまで頬を伝っていた涙は、もう乾ききっていた。
* * * * *
小村レインシューウィッツ。
ヒノレックシティから北に伸びる街道沿いにある、小さな農村である。
村人のほとんどは農業に従事しているが、人の行き来の多い大きな街道沿いにあるせいか、旅人のための宿屋や酒場、みやげ物屋は一応あるらしい。
逆に、人通りが多い割りに村が発展しないのは、王都にほど近く、そのまま素通りする旅人の方が多いせいなのだろう。
ヒノレックシティから大人の足で普通に歩いて半日程度のこの村にカホーナが着いたのは、午後をだいぶ過ぎた頃。
重い荷物を両手に下げ、イヤイヤ歩く彼女には仕方のないことかもしれない。
「あー、疲れた」
カホーナは宿に部屋を取り、スプリングの効いていない硬いベッドに腰を下ろした。
まだ日は落ちてはいないが次の街に行くには遅すぎる、という時間だ。そもそもこの村が当面の目的地なのだから、進む必要もない。
履き慣れないブーツを脱ぎ、ベッドの上でふくらはぎや足の裏をマッサージする。
一息吐いて、思いつきからトランクの中を物色してみる。
「旅に必要なものが入ってるって、リリってやつが言ってたけど……」
今着ている装備の着替え(色は深緑)一式、アンダーシャツ、下着の替えが数枚──
そういえば、今見につけている装備も一分の隙もない、カホーナの身体に貼り付くようにピッタリしている。かといって、動きを妨げるわけではない。
「どうしてサイズわかったんだろ………こわっ」
ブルッと身震いひとつ、さらにトランクの中身を掻き回す。
タオルが数枚、女の子に必要な消耗品一式──顔を赤らめつつ、脇へ置く。
「おー、これは助かっちゃう♥」
喜ぶカホーナの手には、保存食詰め合わせと結構な量の現金。
「うあ、いつの間にっ!? もう、わけわからん」
さらに出てきたのは、控えめに金で細工されたなめし皮のケースに入った1枚のカード。
手触りの良い、厚手の上等な紙には、よく見ると王家の紋章の透かしが入っている。
───此を持ちし者、ヒノレック王国が第一王女、カホーナ=リル=ムジカ=ヒノレックなる者。
───其は真実なり。
ご丁寧な文句の下には父王の署名、その右側にはこれまたご丁寧にカホーナの肖像が描かれている。
不測の事態の時には、これを見せて身分を証明せよ、ということらしい。
ガサゴソやっているうちに、ベッドの上はトランクの中身が山と積まれていた。
「うっわ〜、よくこれだけの物が入ってたわね〜。さすが魔法のトランク!」
中身の無くなったトランクの内部とベッドの上の山を見比べる。
不思議と外見相応のトランク内部の底に、一枚の紙があるのを見つけ、カホーナは手に取ってみた。
「取…扱……説明…書?」
そこに並ぶ意外な文字列に、新たな疲労感が湧き起こる。
「……なになに……?」
──トランクの蓋を閉め、持ち手に付いている小さなボタンを押すと、大きさが変化します。ベルトなどに取り付けて、ご使用ください。
元に戻す時は、表面にあるボタンを押してください──
説明書、とは言えないような短い一文の通りにやってみる。すると、トランクはシュッという空気音と共にみるみる小さくなっていき、
最後には手のひらサイズになってしまった。
「おーーーー、画期的〜♪」
パチパチと手を叩き、小さくなったトランクを褒め称える。
手に取ってひっくり返してみると、ご丁寧にベルトを挟むクリップが付いている。
ツヤツヤした丸いボタンを押すと、再びシュッと音を立てて元の大きさに戻る。
「もしかして〜♪」
ヴァイオリンのケースの取っ手を見てみると、同じようなボタンが付いている。押してみると、思った通り小型サイズに変化した。
「うあ、やっぱり」
あまりに期待通り過ぎて、かえって呆れてしまうカホーナ。
「…じゃ、日が暮れる前に、旅の仲間とやらを探しに行きましょうか!」
ベッドの上の山をトランクに放り込むとボタンを押して小さくする。手のひらサイズになった2つの箱をパチンとベルトに取り付け、
ブーツに足を突っ込むと、鼻歌混じりで宿を出て行った。