■Romance Quest【01】 火原

「ふあ〜ぁ、あーもう、退屈〜。なんかおもしろいことってないのかしら」
 ベッドの上にうつ伏せになり、挿絵入りの本のページをめくっていた少女が、急にぐるりと仰向けになって背伸びをしながら独りごちる。 放り出された本は、支えを失って、パラパラと小さな音を立てて閉じてしまっていた。
 少女は弾むようにベッドから降りると、開け放たれた窓の框を掴んで、外に身を乗り出す。
 頬に当たる風は心地よく、風にそよぐ髪が首筋を撫で、くすぐったさに少女は肩をすくめる。
 くるりと身体の向きを変えると、窓框に腰を預け、腕を組んで部屋の中を見回す。
 そこそこの広さの部屋には、クロゼットやドレッサーなど、華美でこそないがそこそこ値の張る調度品が置かれている。 昔の巨匠の作である絵画が、丁寧な造りの額縁の中に納まって、壁にかけられている。 小高い丘から海を見下ろす風景を、彼女は気に入っていた。壁にもうひとつ窓があるような錯覚と、なによりその柔らかな色調とタッチが好きだった。
 上げた視線の先に見える天井は高く、木の葉をアレンジした彫りの入った木のパネルと小さな天使達が舞う天井絵が、 市松模様のように一面を彩っている。ベッドに横になるたび視線に入るこの天井は、たくさんの天使達にいつも見られているようで、 落ち着かなくてあまり好きになれなかった。

 よっこらしょ、と声に出し、框から腰を離すと、再び少女はベッドに向かい、そのまま倒れこむ。
 ポスッという軽い音と、スプリングの揺れを心地よく感じながら、少女はベッドの上でゴロゴロする。
「こんな小さな城、探検するにもたかが知れてるし。ま、子供の頃に探検しつくしちゃってるけどね」
 昔の冒険を思い出して、クスリと笑う。
 何をするでもなく天井に向かって手を伸ばし、自分の手の甲を眺めてみる。そのまま視線を移した天井から下げられているクリスタル製のシャンデリアは 外からの陽光を受けてキラキラと宝石のように輝いている。その輝きが眩しくて、伸ばした手で光を遮ってみたり。

 不意に、昼下がりの長閑な室内に違和感を覚えて、少女は身を固くする。
 ゆっくりとベッドの上に身を起こし、辺りを見回してみても、目に入ってくるのはいつもと同じ、見慣れた風景。何も異変はない。
『………』
 後から声をかけられたような気がして、慌てて振り返ってみる。そこには誰もいないし、何もない。見えるのは、外から入る風に、衣擦れの音を立てて 揺れるレースのカーテン。
 おかしいなぁ、と首を捻りながら、少女はキョロキョロと室内を見回す。
 その時、少女の視界を何かキラキラとしたものが横切ったような気がした。一瞬、シャンデリアから反射する光が目に入ったのかとも思ったが、 今のキラキラはシャンデリアとは逆方向だった。
 ベッドの上に座り、腕組みをして考える。
「気のせい気のせい〜」
 少女がその一言で片付けてしまおうとした時、ふと視線を感じて天井を仰ぎ見る。
『オマエ、我輩の姿が見えるのだな!?』
 顔を向けた方向にあった目と視線がぶつかり──、少女は《それ》に出会ってしまった。

*  *  *  *  *

『やっと見つけたのだ! いくつもの街を探して回ったが、こんな辺境の小さな国にいたとはな。見つからないはずなのだ』
 あまりの驚きに口をパクパクさせている少女の様子もお構いなしに《それ》は言葉を続ける。
『我輩はリリ。この世界を統べる神、ムジーク=コンクレスト様にお仕えするファータで、アルジェントという位をいただいておる』
 リリと名乗る《それ》は、かわいらしい子供の姿で、背中から生えたオーガンジーのような4枚の羽根でフワフワと宙に留まっている。 何より不思議なのは、その身の丈が手のひらサイズということだった。この部屋の天井絵の天使のひとりが絵から抜け出てきたような。

 リリの話に出た《ムジーク=コンクレスト》という神の名は、少女も聞いたことがある。ただし伝承や創作の中にあったとの微かな記憶。 そして《ファータ》というのは、おそらく神に仕える種族なのだろう。そんな話は今まで一度も聞いたことはないが、 お伽話に出てくるフェアリーとかニンフ、エルフなんかに近い存在なのかもしれない。
 とりあえず、目の前の不可思議な状況を頭の中で機械的に整理すると、理解はできないにしても少し落ち着いてきた。 口の中はカラカラに乾いていたが、ゴクリと喉を鳴らして何かを飲み込むと、口を開いた。
「ちょ、ちょっとあんた! いきなり何なのよっ! その、ファータのアルジェントのリリがあたしに何の用!?」
『その前にオマエの名を聞かせてくれなのだ〜』
 やんちゃそうな顔に笑顔を浮かべて、リリが訊いてくる。
「な、なんでよっ、いきなり現れたちんまいヤツに、名乗る名はないわよっ!」
 口調は威勢がいいが、ベッドの上にへたり込んでのことだから、迫力ないことこの上ない。
『うぅー、ヒドイのだ。我輩はちゃんと名乗ったのだ〜』
 リリの顔は今にも泣き出しそうなしかめ面に変わり、少女の心に小さな罪悪感が生まれる。
「う、あー、わ、わかったわよ…」
 ぱたぱたと手を振りながらベッドから降り、リリの目の前に仁王立ちすると腰に手を当て、少女はすぅーっと息を吸い込み、口を開く。
「あたしの名前は、カホーナ=リル=ムジカ=ヒノレック! このヒノレック王国の王女! んでもって、ここは王都ヒノレックシティにある 王宮の中のあたしの部屋っ! どうっ!?」
 ゼイゼイと肩で息をしながら、カホーナはリリをキッと見据える。
 かわいそうではあるが、理解できないことに首を突っ込む気はさらさらない。これでビビッて退散してくれれば、 とカホーナはリリを睨みつける目に一層力を込める。
『す、素晴らしいのだっ!』
「はぁ!?」
 当のリリは、両手を口元に当て、大きな目をうるうるさせてカホーナを見つめている。
『素晴らしいっ! お前の持つ《ムジカ》という名! これこそムジーク様の祝福を受けた名前っ! そして《リル》という名は我輩の名に似ていて、 そこはかとない親近感が湧いてくるのだ!』
「いや、だから、親近感の問題じゃなくて──」
 妙なところで感動に盛り上げるリリに、カホーナは脱力してガックリとうなだれる。
『神の祝福を受けたオマエは、これから《ヴァイオリン・ロマンス》を探す旅に出るのだ!』
「《ヴァイオリン・ロマンス》ぅ!?」
 ますます訳のわからない状況に、ガバッとリリを振り仰ぎ、カホーナはオウム返しに聞き返す。
『うむ。しかし、《ヴァイオリン・ロマンス》がどのような形なのか、そもそもどのようなモノなのかも、我輩たちは知らぬ。 だが、オマエになら見つけられるのだ。我輩が見えたということは、そういうことなのだ』
 少女は、一度整理したものが頭の中でガラガラと音を立てて崩れていくのを感じながら、無理矢理に言葉を搾り出す。
「な、なんであたしがそんなわけわかんないモン探しに、わざわざ危険な旅に出なきゃならないの!?」
『我輩の姿が見えるオマエには、その資格と義務があるのだ!』
「はぁ!?」
『だからオマエは旅立つのだ!』
 理解不能な内容にに軽い眩暈を覚え、カホーナはがっくりと肩を落として深い溜息を吐いた。

『というわけで、オマエにこれを与える。ムジーク様からの餞別なのだ』
 リリがその手にしたスティックを振ると、ポンッと軽快な音を立て、カホーナの前に2つの物体が現れた。
 ひとつは滑らかな上等の皮が張られた旅行用トランク。造りもしっかりしていて、手頃な大きさで、なかなかお洒落なトランクだ。 もうひとつは、トランクより細長いケース。金糸銀糸で刺繍の施された豪華な造りで、宝箱と言ってもおかしくない。
『このトランクには、旅先で必要になりそうなものがだいたい入っている。見た目は小さいかもしれないが、ムジーク様の魔法がかかっているから、 その10倍ほどの量の物は入るようになっているのだ』
 興味が湧いてきて、カホーナはトランクを自分の方へ引き寄せ、取っ手の横の金具をパチンと外してみる。バネ式にでもなっているのか 蓋は自動的に開き、一番上に畳んで置いてある衣類に目が留まる。
「なに、これ?」
 その深いワインレッドの衣類をつまみ上げ、リリのほうへ掲げる。
『それはオマエの装備品なのだ。旅はドレスではできないのだ。だからそれは魔法戦士の装備なのだ!』
「あのねぇ…、あたしは一国のお姫様なの。魔法も使えなきゃ、戦うこともできないの」
 あまりの突拍子のなさに溜息混じりになってくる。
『いいのだ。これから覚えていけばいいのだ!』
 リリの暴走っぷりに呆れて、カホーナは言い返そうと開いた口を、思い直して閉じた。
 例え、自発的に旅に出たいと言いだしても、両親である王や王妃が許してくれるはずもなく、強行突破も城中の者に阻まれることだろう。 ましてや自分に出る気がないのだから、言わせておくに限る。

「じゃ、こっちは?」
 衣類を戻してトランクの蓋を閉めたカホーナが、小さなほうのケースを指差す。
『それは《マジカル・ヴァイオリン》なのだ!』
「あー、ダメダメ。あたし、音楽って興味ないし。楽器なんてとんでもない、ってカンジ?」
 そう言いながらも、金具を外して蓋を開けてみる。
 そこには、何の変哲もないヴァイオリンと弓がすっぽりと納められていた。
『大丈夫なのだ。これは誰でも弾ける魔法がかかった、魔法のヴァイオリンなのだ』
「で、ヴァイオリンと旅と、どういう関係があるのよ?」
 腕を組んで、胡散臭そうに横目でリリを見るカホーナに、リリは自信を持って答える。
『うむ、このヴァイオリンは戦いの時にも使えるのだ。弓はそこら辺の剣よりも威力があるし、本体はそこら辺の盾よりも丈夫に作られている。 その上、このヴァイオリンが奏でる音は魔法の効果を持っている。旅の途中に出会うであろうファータの力で、オマエは様々な魔法が 使えるようになっていくのだ!』
「もう、頭イタイ…」
 頭を抱えてうずくまるカホーナにお構いなしに、リリは嬉々として言葉を続ける。
『明日の朝、オマエは旅立つのだ! まずはここから北にある、レインシューシッツの村を目指すのだ!
そこでオマエは旅の仲間に出会うのだ!』
 言い返すことすら、拒絶することすらできずにいるカホーナが納得していると思ったのか、リリは満面の笑みで──
『では、よい旅を!』
 リリの周りをキラキラした光が包み、その姿がフッと消える。
「なっ! ちょ、ちょっと待て─────ぃっ!」
 リリを捕まえようと伸ばした手は虚しく空を掴み、カホーナの声だけが部屋の中にこだました。

「はあぁぁぁぁぁぁぁっ」
 床にへたり込んだまま、大きな溜息を吐く。
 しばらくの間、うな垂れていたカホーナだったが、おもむろに顔を上げ、
「───なかったことにしよっと」
 トランクとヴァイオリンケースを部屋の隅に押しやると、カホーナは外の空気を求めて、部屋を後にした。

〜つづく〜